礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2018年11月25日 説教アウトライン】  「私の福音」 (ローマ人への手紙16:21~27)
 
ローマ人への手紙の結び。パウロの仲間たちからのあいさつと「神に栄光」を帰する頌栄。

Ⅰ パウロの仲間たちからのあいさつ(16:21~23)
パウロとともにいる兄弟一人一人がローマ教会の兄弟姉妹たちに、「主にあって」(22、主イエスに結ばれた霊的きずなの中で)、愛と尊敬と真心をこめて、「平安あれ!」「恵みあれ!」と祈りつつあいさつを送っている。私たちの聖徒の交わりにおけるあいさつも、そのようでありたい。
パウロの同労者テモテ(使徒16:1~3)、同胞のルキオとヤソン(使徒17:5~9)とソシパテロ、筆記者テルティオ(「第三の」の意味。奴隷第3号)、コリントの家の教会の家主ガイオ(使徒19:29)、コリント市の収入役のエラスト、兄弟クアルト。いろいろな人たちがいたが、みな世から逃れた隠遁者ではなく、キリストに結ばれ、世にあって真実に生き、証した人たち。教会の純潔と一致と平和のために献身した人たちである。
福音はこのような真実な生き方を生み出す力である。「私は福音を恥としません。福音はユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」(ローマ1:16~17)。

Ⅱ 「神に栄光」を帰する頌栄(16:25~27)
最後に頌栄で、ローマ人への手紙全体がまとめられている。頌栄は「神に栄光あれ!」と歌うこと、「神は素晴らしい!」と喜び歌うこと、神に栄光を帰することである。
25~27節の主文は「神に、栄光がありますように」(27)である。
どのような神に栄光があるのかと言うと、「知恵に富む唯一の神」(27)、「あなたがたを強くすることができる」神(26)に。
どのように栄光があることを願うのかと言うと、「イエス・キリストによって」(27)。
どれほど栄光があることを願うのかと言うと、「とこしえまで」(27)。
神はどのような手段・方法で私たち信仰者を強くしてくださるのと言うと、「私の福音」(25)によって、すなわち、「イエス・キリストを伝える宣教」(25)、イエス・キリストについてのメッセージによってであり、また、「世々にわたって隠されていた奥義の啓示」(25)によってである。そして、この奥義の説明として、「永遠の神の命令にしたがい、預言者たちの書を通して今や明らかにされ、すべての異邦人に信仰の従順をもたらすために知らされた奥義」(26)と加えられている。 
かつては覆われ隠されていたが、今やはっきりと現わされたもの、それが奥義であり、「福音」なのである。福音の内容は、パウロがⅠコリント15:1~8にまとめている。キリストの十字架と葬り、復活と顕現である。あるいは、使徒信条にもその柱がコンパクトにまとめられている。
驚くべき福音、それは、別のことばで述べると、次のようになろう。
 ① 神は私が思う以上に聖なる方、義なる方である。
 ② その神の前に、私は自分が思う以上に罪深い者である。
 ③ しかし、神は私が思う以上に愛の方である。私は私が思う以上に神に愛されている。神は御子を救い主として、私に与えてくださった  。神は御子を人となし、私たちの罪の悲惨の中に来たらせてくださった。そして、このイエスを十字架の上に進ませ、私たちの罪の身  代わりとしてさばき、死なしめ、葬られた。しかし、神はイエスを死からよみがえらせ、栄光の極みに引き上げ、私たちに永遠のいのち  をもたらす方とされ、御子の御霊(聖霊)を送られた。
 ④ 私は聖霊によりこのキリストに取り囲まれ、キリストのゆえに、信仰を通して、罪赦され、義と認められている。さらに、罪の力から解  放され、キリストに似た者に日々造り変えられる。
 ⑤ 私の弱さの中に神の力が働いて、私は神に従い、隣人を愛し、神の国の民として用いられ、永遠の栄光の中へと歩ませていただく   ことができる。
この驚くべき福音を日々、まず、自分自身に語り、「私の福音」として深めさせていただこう。
この驚くべき福音、しかも、なお日ごとに新しく啓かれ、心に響き、深みを体験させられていくこの奥義。思えば思うほど、驚異畏怖の念に圧倒される。奥義は頌栄として歌う以外にはない。

私たちは福音を信じ、福音を日々新たに再確認し、その福音のゆえに神に頌栄を歌うことを通して、いよいよ強められていく。「主を喜ぶことは、あなたがたの力だからです」(ネヘミヤ8:10、新改訳2017)。「ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう」(11:33)。「神に栄光あれ!」