礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2018年11月18日 説教アウトライン】 
 「善にはさとく、悪にはうとく」  ローマ人への手紙 16:17~20


パウロの「ローマの教会と信徒たちへの手紙」の16章(最終章)は個人的あいさつで、ここに初代教会の麗しい聖徒の交わりが見られる。ところが、彼はあいさつの途中、突然、誤った教え(異端)によって分裂をもたらす者たちに警戒し、彼らから遠ざかるよう勧告する。ローマ教会にも偽教師が入り、聖徒の麗しい交わりが破壊される危険性があったからである。

Ⅰ 誤った教えについての警告(16:17)
「兄弟たち、私はあなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに背いて、分裂とつまずきをもたらす者たちを警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい」(17)。
パウロはローマ教会の信徒たちに、偽教師に警戒するよう呼びかける。彼らから遠ざかりなさい、と勧告する。偽教師は、ローマの信徒たちが教えられ、受け入れてきた教え(Ⅰコリント15:1~8、キリストの十字架の死と葬り、キリストの復活と顕現。受肉と十字架と復活の生ける主キリスト。ローマ1:16~17、恵みの福音)に背く教えを持ち込んで、主にある一致を保ち続けている彼らに分裂とつまずきを引き起す。「背く」とは「傍らに並んで」とか「それ以上に生きすぎてしまう」という意味で、真っ向から反対するというわけでもない。似て非なるものゆえ厄介であり、要注意なのである。

Ⅱ 誤った教えの内容(16:18)
「そのような者たちは、主キリストにではなく、自分の欲望(直訳「腹」)に仕えているのです。彼らは、滑らかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましています」(18)。
偽教師たちは「羊の衣をまとった狼」(マタ7:15参照)にほかならない。彼らは表向きはキリスト者だが、実は自分の腹に仕えている。彼らは誤った教えを説くだけでなく、自分たちの党派を増やすため、美辞麗句を以て欺いてくる。宗教を自分の欲望を満たす手段にしている。人が真に必要としているのは「へつらいのことば(ほめことば、ユーロギア)」ではなく、「福音(ユーアンゲリオン)」なのである。
ローマ教会はまだこうした偽教師の異端的教えに毒されていなかったのだろう。パウロはこのように警告して先手を打った。

Ⅲ 誤った教えへの対応(16:19~20)
ローマの教会と信徒たちは、「あなたがたの従順は皆の耳に届いている」(19)との評価を受けている。「従順(ヒュパコエー)」とは、「下で(ヒュポ)」+「聞く(アコエー)ということ。キリストのもとでそのみことばを聴くことである(ルカ10:39,42)。
パウロは、その彼らがさらに「善にはさとく、悪にはうとくある」ようにと希望を伝える。「さとい」とは「知恵がある」ということ、「うとい」とは「混ざり物がない」ということ。すなわち、善悪を見分ける知恵を身に着け、悪に染まらないようにと望んでいる。偽りの教えを見抜くためにはその虚偽の教えそのものに目を注ぐ必要はない。むしろ、真理そのもの、神の真実そのもの、すなわち、キリストに目を注ぎ、心からの真実をもってキリストに仕えることである。
偽りは必ず滅び、虚偽の塊のサタンは必ず神によって滅ぼされるからである。偽りの教え、異端の背後に働くサタンに対して勝利を得るためには、速やかにサタンの支配を踏み砕いてくださる「平和の神」により頼まなければならない(20)。私たちが福音の真理に固く立って、ひたすら神をあがめ、キリストに集中し、キリストに仕えるならば、神は私たち教会を通してサタンの虚偽をドーンと踏み砕いてくださる(創世記3:15)。

「どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように」(20)。主イエスご自身が大いなる恵みをもってともにいてくださる。この主イエスに集中したい。