礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【説教アウトライン、2018年11月11日】   「勇士ギデオン」    士師記 6:1~7:25

ギデオンはマナセ族に属し、イスラエルを攻撃するミデヤン人との戦いのために主によって選ばれ立てられた。臆病な若者であったが、主との対話の中で主のみことばに励まされ、主に取り扱われていった。 主との交わり、主との対話がどんなに大切であり、そこから良きものが生み出されることか!
敵勢135,000人(8:10)に対し、イスラエル兵は最終的に300人に。圧倒的な兵力差にもかかわらず、ギデオンは主が教えてくださった戦術、すなわち、敵前で突如一斉に「つのぶえ」を吹き、「たいまつ」を隠した「壺」を割ってパッと明るくするビックリ作戦で、敵をパニックに陥れ、同志討ちを起こさせて勝利を得た。「自分の手で自分を救った」(7:2)と誇ることは全くできない、主の大勝利であった。

Ⅰ 「力ある勇士よ。主があなたといっしょにおられる」(6:12)
「私の氏族はマナセの中で最も弱く、そして私は父の家で一番若い」(6:15)と自分を見積もるギデオンに、主の使いは「力ある勇士よ」と語りかけた。
神は「無に等しい者を神は選ばれた」(Ⅰコリント1:28)。しかし、主はギデオンとともにおられた。「無に等しい者」+「主があなたとともにおられる」=「力ある勇士」なのである。
ギデオンは自分自身を臆病者と見たが、主なる神は彼に「勇士」を見られた。主が彼とともにおられたので、主はまず彼を勇士と認めた。そして、主が彼とともにおられて、主は彼を勇士に造り変え、勇士に成長させながら、彼を勇士として用いられた。
「あなたがたは…世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」(ヨハネ16:33)と宣言されるイエス・キリストこそ真の勇士。芸術家は石の塊の中にあらかじめ完成像を見て、傑作を彫り上げていく。神は、信仰によってキリストに結ばれた私たちを、キリストにおいてご覧くださり、キリストにおいて「良し(義)」「勇士」と認め、さらに、私たちの内に聖霊においておられるキリストの姿(勇気、愛、聖、義、善…)に、義人、勇士へと私たちを造っていってくださる。
私たちには戦いがある。罪との戦いであり、神のみこころを阻止しようとする者との戦いである。サタンとの戦い、罪深い自分との戦い、そして、摩擦を生じさせる人々との戦いである。そのように世の戦いの中にある私たちを、神は「勇士」とご覧くださり、勇士として生かし、戦わせてくださる。神は私たちを暴力的な勇士としてではなく、(愛し、赦し、与え、祈り、悔い改め、信じ、みことばという剣を用い、福音を証しする)光の「勇士」として用いてくださる。
だから、自分はできるという「誇り」も、自分はダメだという「卑屈」もともに捨て、自分をそのまま神に差し出したい。そうすれば、キリストが聖霊において私たちの内に生きてくださる。「主がともにおられる」との約束を全面的に信じて、御前に自分を差し出し、主に従いたい。

Ⅱ 「行け、あなたのその力で。・・・わたしがあなたを遣わす」(6:14
ギデオンの力はまことに弱かった。性格的に臆病、マナセのうちの最小分団ゆえの人脈の無さ・・・。しかし、主は「あなたのその力で行き・・・救え」と言われる。
私たちも自分の弱さを数え上げ、主の派遣(働き・行動への招き)にためらいを覚え、断ってしまうことがある。自分は無力、自分は若い、自分は年老いている、自分は時間がない、自分は体力がない・・・と。しかし、主は言われる。「その力で、弱さを抱えたままで、仕えなさい。わたしがあなたを遣わす」と。勝利者である主イエスがともにおられるから。弱さの中でこそ、主ご自身が働かれ、主の力と栄光が現される(Ⅱコリント12:9~10)。イスラエルも300人という弱小勢力で、135,000人のミディアン人に勝利した。

弱さの中で、主と交わり、主に聴き、主を礼拝し(6:24、7:15)、主に大胆に信じ従って主の勝利を経験し、(自分の力を誇らず)主に栄光を帰する、真に幸せな者でありたい。