礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2018年10月28日 説教アウトライン】   「神様が人間を創造された」 (創世記 1:26~2:17

 本日は宗教改革記念礼拝である。今週の10月31日は、1517年にマルティン・ルターがドイツのヴィッテンベルク城教会の扉に「九十五か条の提題」を貼り出して501年目の記念日となる。
 第二世代の宗教改革者ジャン・カルヴァン(1508~1564年)は『キリスト教綱要』(最終版、1559年)第1篇第15章で、「人間の創造」について扱い、“神が人間をはじめ汚れなき状態に創造なさったこと”、“神は人間の肉体とたましいを創造されたこと”、“神は人間を神のかたちとして創造されたこと”、“堕落後の人間の神のかたちはキリストにおいて回復されること”、“人間のたましいの働き”、“人間の自由意志と人間の責任”について聖書を基に教える。
彼は今週の聖句でもある創世記2:7「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」についてこう言う。「第一に、土と泥から造られたことは、人間の傲慢を抑制するに役立つことを理解しなければならない。・・・しかも、神はこの陶器の入れ物に命を与えるのみでなく、これを不死の霊の住みかとすることを欲したもうた。そこで、アダムは正当に己が造り主のこのような寛大を誇りとすることができたのである」(『綱要』1:15:1)。人間は他のすべてのものと同じく神によって造られた被造物に過ぎないことを思い、(しかも、人間ほど他の被造物に依存している存在はないのだから)、神の前にも他の被造物の前にもへりくだらなければならない。一方、人間には不滅の霊魂が与えられているので、他の被造物にはない尊厳性が与えられている、というのである。何よりも創世記2:7は、人間が霊(霊魂、たましい、心)と肉(身体、からだ)の統一体であること、人間の霊と肉は相互に不可分であることを教える。

「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」(1:26)。神は人を動物と同じ第六日目に造られた。人間の身体の内外の構造は哺乳類と同じである。しかし、人間だけは「神のかたち」(1:27)に創造された。三位一体の神のように愛に生きる者として創造されたのである。人間は身体とともに霊があるので、神と人格的な交わりを持つことができ、人生や永遠、道徳や哲学を考え、何よりも宗教心を持ち、神を自覚的に礼拝することのできる特別な存在として造られている。
「地を従えよ。…すべての生き物を支配せよ」(1:28)。神のかたちとして創造された人間の使命は、神の協力者となることである。神が造られたこの世界を、現場の管理者として正しく治め、管理し、保持し、神のみこころかなう良き文化を作り発展させることである。決して身勝手な暴君的支配をすることではない。「神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた」(2:15)とあるとおりである。
「神は…男と女に彼らを創造された」(1:27)。生物学的な単なる雄と雌としてではなく、神から託された大切な務めを果たす良きパートナーとなって、互いが互いに対する「ふさわしい助け手」(2:18)となるために神は男と女を創造された。「助け手」は助手とはちがう。神が私たちの「助け手」であるように(詩篇33:20、46:1、121:2)、かけがえのない大切な存在なのである。
ところが、神に祝福された、神に似せて造られた人間がおかしくなってしまった。人間は自分勝手に生き、愛し合わずに憎しみ合い、文化も悪いことに使ってしまう。自然も破壊してしまう。このように人間がおかしくなってしまったのは、人間が神に背を向け、神と交わらなくなってしまった罪が根本原因である、と聖書は言う。
神が「さあ人を造ろう」と一大決心し、深い思い入れをもって造った人間、私たち。しかし、その人間がおかしくなってしまったので、神はあきらめてしまわれたのか。そうではない。神は人間を何とかしたいと思われた。それで神は、2000年前に一番大切な御子を人間となして私たちの世に生まれさせた。イエス・キリストである。このお方を十字架につけて私たちの代わりにさばき、この方を永遠のいのちによみがえらせ、ご自分のみもとに挙げられた。この御子イエス・キリストによって、私たちの罪を赦し、私たちを子どもとしてもう一度受け入れてくださり、私たちを造り変え、本来の愛の交わりに生き、良き文化を創造する者にしてくださる。

神は人間をご自身のかたちに創造された。物質的観点から見たら大地のちりに過ぎないが、霊を与えられた、神との愛の交わりに永遠に生きるべく創造された。しかし、人間は神に罪を犯し、死ぬ者となり、神のかたちはゆがみ、楽園を追放された(3章)。だが、神はキリストによる人間と世界の救いと回復を完成してくださる。イエス・キリストを信じることによって、本来の神の最高傑作としての人間・私が輝く。神との本来の愛の交わりに生き、人との愛の交わりに生き、良き文化を創造する者に変えられて行く。イエス・キリストを信じよう。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(Ⅱコリント5:17)。