礼拝説教 遠藤 潔 牧師


 【説教アウトライン、2018年9月30日】   「十戒」    出エジプト記 19:1~6、20:1~17

まことの神がおられる。神は私たちの天のお父さん。老いも若きもみな私たちは、神に愛されている、神の大切な子どもたちである。神は私たち一人一人を、それこそご自身の大切なひとり子をお与えになるほど愛しておられ(ヨハネ3:16)、私たちがほんとうに幸せに生きることができるように願い、心を配っておられる。

Ⅰ 十戒(十のことば)
神は私たちを愛しておられるので、私たちが本当に、そしてますます幸せに生きていくことができるように「十戒」(十のことば)をくださった。十戒はシナイ山で、主がモーセを通して与えてくださった愛のことばであり、二枚の石の板に主ご自身が刻んで与えてくださったものである。
十戒は出エジプト記20:2~17と申命記5:6~21に記録されている。十戒を読んでみよう。そして、心の板に刻み込むことができたらすばらしい。

Ⅱ まことの神様の自己紹介 と 第一のことば(第一戒)
まことの神は生きておられ、人間に語りかけてご自分を表わし、行動する方である。
十戒の序言(出エジプト20:2)は神の自己紹介。「わたしは、主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者」。
「主(ヤハウェ)」とは、「わたしはある」(出エジプト3:14)という神の御名であり、ご自身が永遠から永遠におられ、全宇宙の創造主であり、すべてを支配する全能の主であることを表している。
しかも「あなたの神」。あなたを愛し、あなたを愛をもって創造し、愛をもってあなたとともにおられ、愛をもってあなたのいのちを支え、あなたを生かしてくださるあなたの神なのだ、ということである。
「奴隷の家から導き出した者」。イスラエルの民をエジプトの地、奴隷の家から救い出してくださったように、私たちを罪と悪と滅びから救い出してくださったし、今も救い出しつつあり、やがて完全に救い出してくださる神なのだ、ということでる。
だから「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」(出エジプト20:3)、「あなたは、わたしのほかに、何ものをも神とすることができないはずだ」と主は言われるのである。すなわち、「わたしの愛の中にいなさい」「わたしとの交わりの中にずっといなさい」と言っておられるのである。
それでも、私たち人間は神様との交わりから逃げ、偶像(究極は自分自身)を神としてしまう愚かな者である。しかし、神様はそのような私たち人間をなお追い求め、十字架と復活のイエスによって受け入れ、聖霊によって愛のうちに生かしてくださる。この神の驚くべき愛を覚えるとき、「わたしのほかに、何ものをも神とすることができないはずだ」との主のみことばが、新鮮な響きをもって心に迫って来る。

Ⅲ 十戒の前半(第一戒から第五戒)と後半(第五戒から第十戒)、神への愛、人への愛
十戒の前半は神礼拝、神を愛することについての戒めである。
第一戒は礼拝の対象、第二戒は礼拝の方法、第三戒は礼拝の心構え、第四戒は礼拝の時についてである。
第五戒はすべてのものの真の親である神を敬うこと、その神がご自身の代理として与えてくださったこの世の様々な「親」を尊ぶようにとの招きである。こうして、第五戒は対人関係の戒めである十戒後半へのつなぎとなる。
十戒の後半は人の尊厳を尊ぶこと、人を愛することについての戒めである。人は神のかたちに造られた特別な霊的存在ゆえ、互いの価値を大切にし、互いの尊厳を守り、尊敬し合って生きるのである。
第六戒は人の生命の尊厳、第七戒は人の結婚と性の尊厳、第八戒は人の生存と所有の尊厳、第九戒は人の名誉の尊厳、第十戒は内心のむさぼりへの警告、神に感謝することを教える。

神はイスラエル(キリスト者、教会)を神の宝、(神と世界をつなぐ)祭司の王国、聖なる国民とするために救い出された(出エジプト19:4~6)。それゆえ、神の民が十戒・愛の戒め(マルコ12:30~31)に生きるときに、神の栄光は輝き現れ、世はまことの神が生きておられることを知るようになる。