礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2018年9月23日 説教アウトライン】 「聖徒たちに奉仕するために」  ローマ人への手紙 15:22~29

ローマ人への手紙の本文は15:13までであり、15:14以降は言わば「後書き」「私信」である。
本日の個所で、使徒パウロは彼の宣教の計画、伝道計画を語る。彼は世界の西の果てイスパニア(スペイン)まで宣教することを目指しながら、まずはエルサレムの貧しいユダヤ人キリスト者への援助のため、東のエルサレムに向かわなければならなかった。それが神のみこころであった。

Ⅰ パウロの希望(15:22~24)
パウロはローマ教会を訪問することを「長年切望してきた」(23)。自分が使徒として与えられている賜物をローマの信徒たちに分け与え、彼らの信仰を強めたいと願ったからである(1:11)。いや、与えることだけでなく、彼らの賜物にあずかることをも願い、「互いの信仰によって、ともに励ましを受けたい」(1:12)と願ったからである。キリスト者の交わり(聖徒の交わり)の祝福は、各自に与えられている賜物に共にあずかることによるものである。 
しかし、パウロのローマ行きはなかなか実現していなかった。彼にとって、「キリストの名がまだ語られていない場所に福音を宣べ伝えること」(20)が優先事項であったからである。しかし「今は」(23)、エルサレムから「イルリコに至るまで…キリストの福音をくまなく伝えました」(19)。特に、ガラテヤとアジア(今のトルコ)、マケドニアとアカイア(今のギリシア)の幹線道路に沿った主要都市には、パウロの使徒としての活動の証しである、異邦人(非ユダヤ人)を中心とするキリストを信じる者の共同体(教会)があった。それでパウロとしては、「もうこの地方に…働くべき場所はありません」(23) 。 
そこで、彼は当時の「地の果て」(使徒1:8)と考えられていたイスパニアへの宣教に赴く考えであることを示し、その旅行の途次、ローマを訪問し、ローマ教会の兄姉たちの祈りと支えとを得て、「心を満たされ」、彼らに送られて、イスパニアに行きたいと願っていると書き送っている(23~24)。
私たちもキリストにあって、将来への大きな希望を持たせていただこう。そして、そのために祈り、できることを備えていきたい。

Ⅱ パウロの責任(15:25~28)
「しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます」(25)。パウロの伝道によって建てられたマケドニアとアカイアの教会(また、ガラテヤとアジアの教会)が「エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために」した「援助」(新改訳第三版「醵金」)を届けるためである(26,28)。
この援助金は「マケドニアの諸教会に与えられた神の恵み」(Ⅱコリント8:1)であって、「彼らは喜んでそうすることにした」のであるが、同時に、ユダヤ人から霊的なものを豊かに与えられた異邦人が、「物質的な物で彼らに奉仕」することは義務であるとパウロは言う(27)。また、この援助は、異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者(聖徒)との愛の交わり(コイノニア)であり、エルサレムの厳格な兄姉たちの、パウロの自由な異邦人宣教に対する違和感を取り除くものでもある。
パウロはイスパニアへの世界宣教(福音伝道)の希望よりも、まず、愛の福祉、愛の交わり、愛による一致の責任を優先させた。それはキリストの祈りであり、世への真の愛の証しともなるものである。
「わたしは、・・・彼ら(使徒たち)のことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがたがわたしを遣わされたことと、わたし愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです」(ヨハネ17:20~23、)。

キリストにあって将来の大きな希望を抱き、かつ、キリストにあって現在の責任に打ち込むパウロ。こパウロのローマへのおみやげは、「満ちあふれる」「キリストの祝福」(29)であった。
キリストとともに、キリストにあって生きている者が、自身が知っている生きたキリストを証しするその証しの中に、祝福は包まれている。その祝福とは、「キリストご自身とのさらなる出会い」にほかならない。それは「キリストをありのままに見る」(Ⅰヨハネ3:2)終わりの日の祝福の、現在における先取りとしての祝福であり、聖霊によるものでもある。
私たちも、キリストにあって将来の大きな希望を抱き、キリストにあって現在の責任に打ち込んで、生けるキリストとその力を体験させていただき、キリストの恵みを証しし、満ちあふれるキリストの祝福を愛する者たちのもとに持ち運ぶ者とさせていただきたい。