礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2018年7月29日 説教アウトライン】   「福音による祭司の務め」   ローマ人への手紙 15:14~21

ローマ教会にあてたパウロのこの書簡の本文は1:16~始まり、15:13まで終わる。本日の個所以降は言わば「後書き」「私信」である。
「異邦人への使徒」(ガラテヤ2:8)パウロは、自らの務めを「祭司の務め」と自覚し、その奉仕をキリスト・イエスにあって誇り、その務めを自分の力ではなく、キリストの力で成し遂げた。

Ⅰ 福音をもう一度思い起こすことの重要さ(15:14~15)
パウロはローマの信徒たちに敬意を表しながら、彼らが、(良心の自由の確信が弱い人を配慮する)「善意にあふれ」、(神のみこころが示されている聖書の)「あらゆる知識に満たされ」ているゆえに、(愛の心とみことばの真理によって)「互いに訓戒し合うことができる」ことを確信していると述べる(14)。
ただ、福音の真理を彼らに「もう一度思い起こしてもらうために」、人間の義(正しさ)を徹底的に打ち砕くような仕方で、「所々かなり大胆に書いた」(15)。神の義(正しさ)と神の恵みが鮮やかにされるためである(例えば3:10~24)。
福音の真理を構成する内容はどのようなものか。それは、①神の聖さ、②人の罪深さ、③イエス・キリストの十字架の贖いの大きさ、④聖霊によってもたらされる救いの恵み(義認と聖化と栄光化)のすばらしさ、⑤神への愛・献身・隣人愛への招き、であろう。
この一連の福音を絶えず思い起こすことによって、私たちのたましいは聖霊によって注がれる神の愛のゆえに燃やされ、神との交わりはいっそう豊かにされる。そして、福音を思い起こしながら、私たちは聖霊の取り扱いの中で、キリストにいよいよ似せられていき、聖霊の実を結ばされ、神の栄光が現わされる。

Ⅱ 福音をもって祭司の務めを果たす(15:16
パウロがローマ教会に大胆に書くことができたのは、彼が「神が与えてくださった恵みのゆえに、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となったから」(15~16)である。ここで「仕える者」(レイトゥールゴス)は、「聖なる礼拝(神との出会い)に仕える者」「祭司として仕える人」を意味する。それゆえ、パウロは続いて、「祭司の務めを果たしています」(16)と言う。
祭司とは、旧約の幕屋ないしは神殿で奉仕する働き人である。祭司は神の御前で、神に向かって奉仕するが、それは人が神に近づくことができるようにするためである。祭司は人が神に近づくことができるように仲立ちをするのである。人が神に近づくことができるように、祭司は神に祈り、神にささげ物をし、神に近づく人と同伴する。
パウロは神に起源を持つ「神の福音」をもって、祭司の務めを果たした。上で見た福音を異邦人に宣べ伝え、異邦人が福音を信じ受け入れて、イエス・キリストにおいて大胆に神に近づくことができるようにと、パウロは仕えた。「異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれるささげ物となる」(16)ためであった。
旧約のイスラエルは「祭司の王国」(出エジプト19:6)として、異邦人を神のもとに連れて行き、彼らのためにとりなしをすべき存在だったが、誤った選民思想によってそうできなかった。それゆえ、新しい神の民を造り出すため、神の御子が人となり、へりくだって、十字架の死に至るまで神に従われた(ピリピ2:8)。キリストは私たち罪人と神との仲立ちをする真の大祭司であるとともに、私たちの罪のための贖いのささげ物ともなられたのである(ヘブル2:17、9:12,14)。このキリストに結ばれて、私たちはすべての罪を赦され、神の子、神の民とされた。とともに、神の恵みによって、大祭司キリストにあって、パウロも私たちキリスト者も小さな祭司とされている(Ⅰペテロ2:5,9)。私たち教会は新しい祭司の王国なのである。そゆれう、私たちは祭司として、福音を証ししながら、人を神の御前に連れ行き、キリストによる義認を受けることができるように導くとともに、福音を信じて義認された者が聖霊によって聖めの道筋を歩みむように助ける。こうして、異邦人を「聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれるささげ物」とするのである。

Ⅲ 与えられた神への奉仕についてキリスト・イエスにあって誇りを持つ(15:17~21)
「ですから、神への奉仕について、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っています」(17)。
パウロは自分の手柄を誇っているのではない。「イルリコ(旧ユーゴスラビア、現ボスニア・ヘルツェゴビナ)に至るまで巡り、キリストの福音をくまなく伝えました」(19)とも言うが、自慢でなく、そうさせてくださった方を誇り、喜んでいるのである。
パウロは異邦人を神の御前に導く祭司の務めによって神に仕えることを、小さきものにこの務めを与え、小さきものを通してご自分の力ある働きを成し遂げられる「キリスト・イエスにあって」誇りとした(17)。彼は神の恵みを誇った。
受付、奏楽、生花、会堂掃除、週報準備、礼拝への誘いの電話…どれも人々を神の御前に導く祭司の務めにほかならない。誇りをもって、喜んで奉仕したいのである。

私たちは人々を神の御前に導く祭司である。人々が神に喜ばれるささげ物となるように、祈り奉仕する。しかし、そのためにも、先ず、私たちのからだ(全人格、全生活)を、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げる必要がある(12:1)。大祭司キリストが私たちを通し御業を成し遂げてくださるからである。