礼拝説教 遠藤 潔 牧師


説教要旨 「キリストは新しい契約の仲介者です」  村瀬俊夫 師  
(ヘブル人への手紙8:7~13、9:15a → エレミヤ31:31-34)


旧約聖書でも新約聖書でも最重要の真理が開陳されているのに、それに値するほど注目されていない文書や箇所がある。文書といえばエレミヤ書とヘブル書、箇所といえば新しい契約の預言と成就に関わる件(くだり)である。
旧約に親しめなかったが私が、唯一[例外的に]親しんだ書がある。エレミヤ書である。預言者エレミヤに心が惹かれた。エレミヤ書には彼の人間味のにじむ叙述が多く、それが共感を呼んだのかもしれない。ダビデ王朝の滅亡に立ち合い、バビロンへの降伏を勧めたゆえに、売国奴とののしられ苦難に満ちた生涯を送った。彼は徹底した戦争拒否(平和主義)者であり、バビロンへの無謀な抵抗はやめ、バビロン捕囚(前597年開始)を甘受する道をよしとした。この道[徹底した認罪と悔い改め]を経て新しい契約が立てられる日が来ると、予見できたからである。
バビロンを滅ぼした新興ペルシア帝国の王キュロスによって捕囚からの解放が実現する(前538年)。帰還した民の奮闘とペルシアの財政支援によって神殿の再建はなり、[エレミヤの意に反する形で]モーセ五書を初めとする旧約諸文書の結集と正典化が進み、ダビデ王朝再興への期待が優先される中では、新しい契約締結への関心は高まるどころか忘れ去られるだけであった。事態が急変して新しい契約締結への気運と必然性が一気に高まったのは、紀元70年のエルサレム神殿崩壊の惨事を味わった後である。この問題意識を全面に出したのが[80年代に記された]ヘブル書である。この書は大祭司キリスト論で知られるが、「キリストは新しい契約の仲介者です」(9:15a)と明言していることでも特筆されなければならない。
 キリストによって新しい契約が締結されると、旧い契約は古びたものとして「すぐに消えて行く」のである(8:13)。古びたものなのは、守り行う力を与えることができなかったからである。新しい契約は、私たちの思いの中に置かれ、心の中に書き記される(8:10)。それで実践という実を結ばせずにはおかない。また新しい契約は、神が「もはや彼らの罪を思い起こすことがない」と言われるほど、徹底した罪の赦しを与えてくださる(8:12)。この恵みが実感されると、喜びが湧き感謝が溢れてくるので、新しい戒めの極みである隣人愛を自然に行うようにされるのである。