礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2018年2月11日 説教アウトライン】  「上に立つ権威に従う」  ローマ人への手紙 13:1~7

ローマ人への手紙12章以下はキリスト者生活の教えである。
キリスト者生活は、神との人格的交わりの中で他者と共に生きることである。それはちょうど十字架の形のように縦軸と横軸から成る。縦軸は御父・御子・聖霊の三位一体の神と私との関係である。御父は御子を与えるほどに私を愛してくださる。御子キリストはご自分のいのちを十字架でささげて私の罪の身代わりに神のさばき受けてくださり、死んで葬られ、三日目に死人の中から復活なさり、私のために永遠のいのちの道を開いてくださった。しかも、御子は聖霊において今もいつも私と共にいてくださる。そして、聖霊は私を御子との絶えざるいのちの交わりの中に生かしてくださる。私たちは三位一体の神との愛の交わりの中に生きていく。これが縦軸である。そして、神の愛を受け、神を愛しながら、左右に両手を広げ、左右すべての人を受け入れ、隣人として愛していく。これが横軸である。キリスト者生活の縦軸と横軸をいつもしっかりと保たせていただこう。
本日の箇所では、上に立つ権威との関係、国家、為政者に対するあるべき態度が教えられる。

Ⅰ 上に立つ権威は、神によって立てられた(13:1~4)
「人はみな、上に立つ権威に従うべきです」(1a)。「上に立つ権威」とは、国家、国家権力、権力を行使する当局者(すなわち、「支配者」(3))のことである。私たちの日本においては、「日本国憲法」で憲法尊重擁護義務が求められている人々のことであろう。すなわち「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」(第99条)である。
なぜ「上に立つ権威に従うべき」なのか。それは「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて神によって立てられているからです」(1b)。上に立つ権威は、神の権威の代行者として神によって立てられている。それゆえ、私たちは上に立つ権威に従うことによって、神に対する義務を果たすことになる。
逆に、上に立つ「権威に反抗する者は、神の定めに逆らう」ことになり(2a)、「自分の身にさばきを招」く(2b)。
私たちは最高権威者である神を畏れ、見上げながら、一人の市民としても積極的に良い行いをするよう努める。善を行う者にとっては、上に立つ権威は恐ろしいものではないはずである(3)。

Ⅱ 上に立つ権威は、益を与えるための神のしもべ。良心のためにも従う(13:4~5)
 上に立つ権威は、「あなたに益を与えるための、神のしもべです」(4a)。上に立つ権威は、社会の秩序や治安を維持するための奉公人であり、犯罪を抑止し、正義を励まし、法に基づいて権利の侵害から市民を保護する役割を神から与えられている。「私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送る」(Ⅰテモテ2:2)ことができるようにする役目を負っている。
キリスト者には「悪に悪を返」すこと(12:17a)、「自分で復讐すること」は禁じられている(12:19a)。それゆえ、「神の怒りにゆだねる」(12:19b)。上に立つ権威は「無意味に剣を帯びてはいない。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います」(4cd)。上に立つ権威は、悪を行う者に怒りをもって報いる「剣」の権能、すなわち、警察権や刑罰権を神から委託されているのである。
キリスト者が上に立つ権威に従うのは、単に「剣」を恐れるからではない。神の御前での「良心ため」(5)でもある。上に立つ権威を立て、その背後におられる神を畏れるゆえである(Ⅰペテ2:13~14、「主のゆえに従いなさい」)。キリスト者の服従は奴隷的服従ではなく、良心的服従なのである。
しかし、上に立つ権威は「獣」化し(黙示13章)、神の委託に反して自らを神としたり、神の律法に反することを平然と行ない、命じる時がある。その時は、キリスト者は神の御前で「良心のために」、獣化した権威に抵抗することが大切な使命となる。「人に従うより、神に従うべきです」(使徒5:29)。もちろん、その場合も非暴力で、良心的拒否、謙虚な請願等をする。常日頃、上に立つ権威の正当な要求に「はい」と答えているなら、度を超えた要求に「否」と表明することが効果的となる。上に立つ権威のために絶えず祈ること(Ⅰテモテ2:2)は、彼らを注意深く見守ることにもつながり、私たちが神の番人としての役目も果たすことになる。

Ⅲ 上に立つ権威に対する具体例としての納税(13:6)
 上に立つ権威は「神の公僕であり、その務めに専念している」(6)ので、その働きのために私たちは「税金(直接税)」(自分の名義で納税する税)や「関税(間接税)」(日本の消費税のように税を負担する者と納税する名義者が異なる税)を納める(6,7)。それもいやいやながらではなく、「良心のために」そうする。

神を愛し、人を愛することを教える「十戒」、その第五戒「父母を敬え」で神が求めておられることを心に刻みたい。
「神さまのみをあがめ、聖書に従い、父と母を心から敬い、先生や目上の人たちを尊敬し、友だちや年下の人たちも大切にすることを求めておられます。神さまは、そのような人に祝福を豊かに与えると、特別に約束してくださっています。」(『子どもと親のカテキズム ~神さまと共に歩む道』(日本キリスト改革派教会大会教育委員会、2014年、教文館)の問71の答)
キリスト者は日常の生活のあらゆる対人関係の中で、神の支配に出会う。すべての対人関係の背後に神を見る。神を畏れ、神を見上げながら、良心のために、誠実に愛をもって、人を尊敬し、「すべての人に対して義務を果た」す(7)。そのようにして、勝利の道をみ、神の国(神の愛の支配)を証しする