礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2018年1月21日 説教アウトライン】  「善をもって悪に打ち勝つ」 ローマ人への手紙 12:14~21

12章以下はキリスト者生活の教えである。
キリスト者の生活は、三位一体の愛の神との人格的交わりの中で、他者と共に生きることである。
私たちは特に御子イエス・キリストに目を注ぐ。この方は神でありながら、へりくだって私たちと同じ人間となられた(ヘブル4:15)。私たちの代わりに十字架につき、御父の怒りを一身に受け、「父よ。彼らをお赦してください」と私たちのために神の赦しを祈られた(ルカ23:34)。悪魔と罪に打ち負かされることなく愛に生き抜き、死をも打ち破って復活の勝利を得られた(ヨハネ16:33)。
そして、イエス・キリストは「わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハネ15:9)と、いつも私たちをご自身へと招いてくださる。このキリストとの交わりの中で、神の愛が聖霊によって私たちの心にいよいよ注がれる(ローマ5:5)。
この神から注がれる愛がキリスト者の具体的な愛の生き方を生み出す。偽りなき神の愛を慕い求めよう。

Ⅰ 祝福する生き方(12:14)
偽りなき愛は、祝福する生き方を生み出す。
パウロは、迫害する者をさえ「祝福しなさい」と繰り返す。決して呪ってはいけない(14)。
これは「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)というイエスの教えと生き方につながるものである。イエスは十字架の上で「敵」(私たちもそうだった! ローマ5:10)のために罪の赦しを祈られ、イエスの昇天は「祝福しながら」(ルカ24:51)であった。そして、私たちは罪の赦しと永遠のいのちの祝福にあずかっている。
それゆえ、罪赦された罪人である私たちも、敵のためにさえ赦しを祈り求め、「神の祝福がありますよう」にと祈り宣言する。

Ⅱ へりくだる生き方(12:15~16)
偽りなき愛は、へりくだる生き方を生み出す。
神の御子キリストはへりくだって人となり、貧しくなられ、弱い者や悩める者には腸(はらわた)がよじれるほどに深く同情して、ことばをかけ、助けの手を伸べ、友としていっしょに歩まれた。
私たちもイエスとの交わりの中で、神の愛をいただいて、兄弟姉妹の前にへりくだり、特に弱い立場の方と交わる。「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣く」(15)。そうすると、喜びは倍になり、悲しみは半減する。

Ⅲ 復讐しない生き方(12:17~21)
偽りなき愛は、復讐しない生き方を生み出す。
迫害下の教会にとって「復讐」の問題は切実であったろう。「悪に悪を返す」ことが当然とされる世にあって、キリスト者は「悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを…心がけ」(17)、そのようにして「すべての人と平和を保つ」(17~18)。そのように私たちは召されている。
「自分で復讐してはいけません」(19)。「復讐」は悪をなす相手にさばきを下したい思いから仕返しすることである。しかし、さばきはただ神がする(19)。それゆえ、私たちは神の怒りにゆだね、また、「悪を行う人には怒りをもって報いる」神の「しもべ」(司法、行政)にまかせるのである。
私たちとしては、敵を赦し、愛し、敵に仕える(20)。そうすることで、復讐の連鎖を断ち、敵を恥じ入らせてその生き方を変えさせ、憎む苦悩から自分を解放する。

「悪に負けてはいけません。…善をもって悪に打ち勝ちなさい」。私たちは勝利者イエスに目を注ぐのみ。