礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【説教アウトライン、2017年9月17日】 「ここまで主が」  サムエル記第一 7:1~14

イスラエルの指導者サムエルは、ペリシテ人との戦いに主(ヤハウェ、まことの神)が勝利を与えてくださったことを記念して記念碑を建て、「ああ、ここまで主が助けてくださった」との感慨を込めて、「エベン・エゼル」(助けの石、あるいは、助け主の石)と名づけた。

Ⅰ 「ここまで」主が助けてくださった。私たちもエベン・エゼルを建てよう
自分の思いの中に、エベン・エゼルの記念碑を建ててみよう。その前に立ち止まって、静かに、今日この日に至るまでの主の守りと助けと導きを確認し、主に感謝しよう。
順境の日、逆境の日、富める時、貧しい時、都会で暮らしの時、田舎で暮らした時、名誉の時、不名誉の時、当惑の時、喜びの時、試練の時、勝利の時、祈りの時、誘惑の時とさまざまな時があったが、まことに「主はここまで助けてくださった」と確認し、告白し、感謝しよう。

Ⅱ 「これからも」主が助けてくださる
「ここまで主が助けてくださった」。「ここまで」は途中を示す。「これから」がある。「ここまで」主が助けてくださったなら、「これからも」主が助けてくださる!
なお多くの試練と喜び、誘惑と勝利、祈りと応答、労苦と力、戦いと勝利の歌を経験してから、病気、老衰、死が訪れるが、残りの生涯も主が助けてくださる。
しかも、死で終わらない。私たちの罪の身代わりに十字架で死に、復活された、生ける救い主イエス・キリストを信じ、この方に結ばれて、私たちは死の後には霊は天に迎えられ、からだは墓に葬られて休み、やがて新しい復活のからだによみがえらされる。イエスの御顔を仰ぎ見、聖徒の栄光ある交わり、永遠の満たしと無限の祝福が待っている。
ここまで助けてくださった主が、これからも永遠に助け導いてくださるのである。「過去のすべてのことのゆえに私たちは神をほめ称える。…そして、やがて来たるすべてのことについて神に信頼する」(18世紀のジョセフ・ハートの賛美歌)。エベン・エゼルの記念碑は、これからの歩みに対する主の助けをも指し示す。

Ⅲ 敗北の地が勝利の地に
エベン・エゼルは、かつてイスラエルが不信仰のゆえにペリシテ軍に二度までも大敗北を喫した場所でもある(4:1、5:1)。しかし、その敗北の地が、このたびは勝利の地、しかも、助けの主による決定的な勝利の地となり(7:12~14)、そこに戦勝記念碑が建てられた。
どのようにして敗北の地エベン・エゼルが勝利の地に変えられたのか。
第一に、イスラエルの民が主に対して切に飢え渇いたからである(2)。
第二に、イスラエルの民が、悔い改めたからである(4,6)。偶像から主に心を向け変え、偶像(罪の源)を処分し、罪を告白したからである。
第三に代表祈祷者であるサムエルへの信頼と全焼のいけにえの効果に対する確信である(5,8,9)。今日的に言えば、十字架で贖いを成し遂げ、よみがえって仲保者として神の御前に立たれるイエス・キリストに対する信頼である。
これらこのことによって、敗北が勝利に変えられる。主がすべてを助けて、導いてくださる。
エベン・エゼルの記念碑は私たちに教える。敗北(停滞、後退)してもなお、主への飢え渇きと悔い改めと主イエスへの信頼が大切であり、その時、試みの中にも勝利があることを。

ここまで助けてくださり、これからも助けてくださる主に心を向けよう。この主にいよいよ飢え渇き、主を慕い求めよう。主以外に大切にしているもの・偶像から主ご自身に目を向け換え、罪を離れて、告白すること、すなわち、悔い改めていこう。そして、十字架で罪の贖いを成し遂げ、よみがえって仲保者として御父の御前に立ってくださる主イエスを見上げよう。敗北、停滞、後退という現実が、勝利の現実となる。
私たち一人一人の思いの中に建てられたエベン・エゼルの記念碑の前で、これらのことを確認し、明日に向かってさらなる一歩踏み出していきたい。主が助けてくださる。