礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【説教アウトライン、2017年8月27日】  「種まきのたとえ」  マタイの福音書 13:1~23

聖書のことば、神の愛のことばに、どのように対するかが問われている。
みことばを ①「耳」で「聞」き、②「口」で「訊(き)」き、③「心」で「聴」く。
「きき方」に注意したい。

Ⅰ 種を蒔く人のたとえ(13:1~9)
当時のパレスチナでは、最初に種を広くばらまき、次にすきで耕した。種はすべて生命のある種。ただ落ちた土壌が異なった。「道ばた」「土の薄い岩地」「いばらの中」の地に落ちた種は結実にいたらず、ただ、「良い地」に落ちた種だけが豊かに実を結んだ。
「耳のある者は聞きなさい」(9)。耳を澄まして聞き、目を見開いて読み、みことばに神経を集中する。聞いた(読んだ)みことばを心のしかるべきところに置き、大切にする。みことばを繰り返し唱えること、暗唱聖句、黙想も有益。

Ⅱ 天の御国の奥義(13:10~17)
たとえを聞いた後、弟子たちはイエスに近寄り、その意味を訊いた(10)。イエスは真理を受け入れようと心開く者に、天の御国の「奥義」(11、秘密、ミュステリオン)を開示してくださる。奥義は内輪の少数者にのみ開示されるのではなく、すべての者に宣言(宣教)される。ただし、信仰をもって聞く者、信仰をもって受け入れ、応答しよう、従おうとする者のみが、それを真に知る。ここでの「奥義」とは、「イエスにおいて、天の御国(神の国、神の愛の支配)が今ここに、すでに到来しているということ」(4:17)。
「よく訊きなさい」。主イエスご自身にみことばの真意を問い、みことばをもって祈り、みことばをもって主の御顔に向かう。

Ⅲ 種を蒔く人のたとえの解き明かし(13:18~23)
「種を蒔く人は、みことばを蒔くのです」(マルコ4:14)。「種まく人」は主イエス。「みことば」は、「御国のことば」(19)、神の国宣言(4:17)、「神の愛のことば」である。福音書を見ても聞いた人の反応は様々であった。
たとえの第一の人は、表面的に聞き、実際的には無視する。サタンがみことばをかっぱらって行く。
第二の人は、熱狂的に感情的になって喜んで飛びつき、受け入れるが、「自分のうちに」根がないため、迫害や困難によってすぐにやめてしまう。
第三の人は、慎重に聞き続けるが、じきに他のものに心奪われてしまう。「富の惑わしによる世の心遣い」(Ⅰテモテ6:10)および「その他もろもろの欲望」に。
第四の人は、神の国のことばに心を開き、受け入れる。みことばを心でよく「聴く」。みことばの真意を、みことばから響いてくる主の愛のおこころを、自分の心に深く受け入れる。こういう人は実を結ぶ。イエス(のいのち)に深く結ばれ、イエスの御霊(聖霊)の支配の中で、天の御国(神の国)の民としての実を豊かに結ぶ(Ⅱコリント3:18、ガラテヤ5:22~23)。

私たちは、このたとえのどのケースに当てはまるだろうか? どれか一つに限定されないだろう。その時や状況によって、第一から第四のどれにもなりうる。だからこそ、礼拝や集会や個人の静まりのときを大切にし、みことばに接し続ける必要がある。
主イエスは私たちの心にみことばの種を蒔き続けてくださる。そのみことばは、健全で、いのちがある。さあ、素直にきこう。聞く者の責任(「聞き方」「訊き方」「聴き方」)が問われている。良い地にみことばを! 素直な心でみことばを! 聖霊の助けをひたすら求めたい。
私たちに愛のみことばを語り、みことばを通してご自身のすべてを与えたもう、「活けるみことば」(ヨハネ1:14)であられる主イエスが、いま私たちを招いておられる。「さあ、ききなさい」。