礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2017年6月25日 説教アウトライン】    「バベルの塔」     創世記 11:1~9

 人々はシヌアルの地の平野に定住し、巨大な建造物を建築した。
16世紀オランダのブリューゲルの絵画「バベルの塔」においては、建築途中の塔はすでに510メートルの高さまで達している。
このような計画を立てることが可能となった背景には、石や日干れんがの代わりに焼いたれんがを使い、粘土の代わりにアスファルトを用いることができるようになった技術面での進歩があった(3)。
しかし、聖書は、塔を造ろうとした人々の動機に焦点をあてる。

 「さあ、われわれは町を建て、頂きが天に届く塔を建て、名を上げよう。われわれが全地に散らされるといけないから」(4)。
人々が一か所に固まるのではなく、創造時においても(1:28)、洪水後においても(9:1,7)、 主の祝福と守りに信頼して(1:29~30、9:3,5~6、9:9~17)、全地に散っていくことが主のみこころであった。しかし、人々は散ることを恐れ、神のみこころに従わなかった。
また、彼らは「われわれは・・・名を上げよう」と言っている。自分たちの高度な技術を用いて、天の高みに達する塔を建て、神に並ぶ者となろうという高慢さである。塔の建設は、人々の恐れと高慢さのあらわれであった。

 「主は・・・ご覧になるために降りて来られた」(5)。
人間が自信満々に造った塔も、いわば神から見れば天から降りて来ないと見えないほど微小なものであった。
と同時に、神は人々のことを気にかけ、視察するために、近づき降りて来られたのである。神は人々がご自身を信頼せず、散ることを恐れ、また、一つ所に固まって、いつわりの一体感をもって万能感に酔いしれ、高慢になっていることを深く悲しまれた。
「一つ民、一つことばで、このようなことをし始めたのなら・・・」(6)。
一つことばで、民同士が真実な対話をして前に進んでいたのではない。シヌアルの地に王国を建てた最初の権力者ニムロデ(10:8~12)のごとき専制君主のもとに、威勢のいい理想に民は惑わされ、また、言うことも言わず、神に反する道をひた走りに走っていたのである。
それで、神は人々のことばを混乱させ、互いにことばが通じないようにし、そのことを通して、人々が全地に散っていくようにした(7~9)。

 「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に、恵みをお授けになる」、「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます」(ヤコブ4:6,10)。
人は神に造られた存在。どうあがいても神になることはできない。そのことを認めて、神の前にへりくだり、神を信頼し、神の恵みに期待し、神を愛していくことが真に賢明なことである。

 天の御父から遣わされ、十字架と復活を通して、天に上られた主イエスこそ天地をつなぐ方。
ペンテコステの日、主イエスの聖霊を注がれた弟子たちは、聖霊に導かれて多様な言語で神のことば、主イエスの福音を語った。以来、キリスト教会は主に信頼する多様な言語の人々によって構成されている。キリスト者は主の聖霊に導かれながら、教会に集められて養われ(教会の「エクレシア」(集められる)という側面)、教会から世に散らされて証しし(教会の「ディアスポラ」(散らされる)という側面)、聖霊によって、ますます一つ民、一つ家族とされていく。主に栄光!