礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2017年6月4日(聖霊降臨日) 説教アウトライン】  「聖霊の賜物」     使徒の働き 2:1~11

「五旬節」(1、ペンテコステ、「小麦刈りの初穂の祭」(出エジプト記34:22))の日、天の御父のもとから、復活の主イエスが、教会と弟子たち(信者たち)に聖霊を注がれた(33)。

聖霊こそ、御父と主イエスからの最高の賜物である。私たちは聖霊の賜物(Ⅰコリント12:4~11)、聖霊の実(ガラテヤ5:22~23)を求める以上に、聖霊という賜物、すなわち「聖霊ご自身」を求めたい。「聖霊よ。来てください」。

Ⅰ 聖霊は、主イエスの福音を語り出させる霊 (2:2~4
教会と弟子たち(信者たち)は「復活の主イエス・キリストの証人となる」という使命が与えられ、力としての聖霊(1:8)を待ち望み、準備していた。彼らはいっしょに集まり、聖霊を求めて祈り(1:12~14)、さらに十二使徒の空席をマッテヤの選任によって埋めた(1:15~26)。だが、イエスの昇天によって空席となっていた場所は、聖霊によって満たされなければならない。聖霊はキリストの霊、教会のいのちともいえるお方である。また、聖霊は私たちキリスト者のいのちとも言うべき方である。
イエスの昇天から10日後、突如、「聖霊降臨」の出来事が起こった(2:1~)。復活の主イエスの聖霊が教会と弟子たち(信者たち)に注ぎ与えられ、彼らは聖霊に満ちあふれた。その時起こった「耳」(2、風)と「目」(3、炎と舌)に訴える異常な現象は、聖霊が教会と弟子たちに与えられたことを確証するしるしであり、また、聖霊が教会を刷新し、愛を燃やす方であり、また、聖霊が主イエスの福音(主イエスの十字架の死、復活と顕現、この主イエスによる罪の赦しと永遠のいのち)を語り出させ、あかしさせる霊であること(Ⅱコリント4:13)を確証するしるしであった。
それは、この時だけの特別な「しるし」であったが、聖霊はこれ以降ずっと教会と弟子たちのうちに内住し、霊なる愛のキリストとして臨在し、働きを続けることには変わりがない。「その助け主(聖霊)がいつまでもあなたがたと、ともにおられる」(ヨハネ14:16)。そして、聖霊は私たちのうちにとどまりながら、私たちが自分に対して福音を語り、弟子の間で互いに福音を分かち合い、隣人と世界に向けて福音を語り出させてくださる。

Ⅱ 聖霊は、福音をあらゆる国に、あらゆる国ことばであかしさせる霊 (2:5~13)
ユダヤの三大祭(過越の祭、七週の祭(五旬節、ペンテコステ)、仮庵の祭)の一つである五旬節には、世界各地から(5)、離散のユダヤ人と改宗者(10)がエルサレムに礼拝のため集まっていた。滞在中の巡礼旅行者(10)もいれば、故国帰還者もいた(5)。彼らはみな 「それぞれ自分の国のことばで」(6)、「神の大きなみわざ」である福音が語られるのを聞いた。聖霊によって、教会と弟子たちは自分の知らない言語で福音を語った。これもこの時だけの「しるし」であろう。しかし、それは以下のような大きな祝福を意味するものであった。
第一に、聖霊はコミュニケーションを回復させてくださる霊である。聖霊は、福音を相手のことばであかしすることができるように導いてくださる。相手の国民性、民族性、地方色、世代の言語、思考パターン、性格、5つの愛言語(ことば、意味ある時間、贈りもの、奉仕、タッチ)等に合わせて福音を届けることができるように、聖霊が導いてくださるのである。
ところで、聖霊降臨の出来事が起こったが五旬節は、「小麦刈りの初穂の祭」であった。それは、小麦の初穂を主にささげ、そのことを通して、これからの刈り入れ全体(の豊作)の保証を確信させられ、それを信じて感謝する祭であった。この時に起こった聖霊降臨の出来事は、教会に対して、宣教活動における世界大の刈り入れ(救霊)を保証し、また、世界の各地のめいめいのことばによる刈り取りを保証する「しるし」であった。それは、ヨハネがパトモス島で見た、「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着・・・、御座と小羊との前に立っていた」(黙示7:9~10)という幻を保証するものである。

「みなが聖霊に満たされ、・・・他国のことばで話し出した」 (4)。 私たちは主イエスの福音を語り、主イエスを私たちの全人格で体現することができるように、聖霊の満たしを切に求めたい(エペソ5:18)。
聖霊が私たちの内におられることを喜びながら、さらに聖霊に満たされ、聖霊にいよいよ生かされることを求めて、さらに祈るのである。「聖霊よ。来てください」と。