礼拝説教 遠藤 潔 牧師


【2017年3月5日 説教アウトライン】   「目をさましていなさい」  マルコの福音書 13:24~37

 30年以上前のこと、自動車免許を取るために自動車教習所に入所したが、ものすごく苦労した。入所手続きの後、視力検査を受けたらメガネが合っていないと判定され、新しいメガネを作らねばならなかった。それから、運転席に座るようになったが、自動車をまっすぐ走らせることができない。自動車が右に左にふらふらしてしまう。ある教官からもっと遠くを見るように、自動車を進ませる方向をしっかり見るように、とアドバイスされ、その通りにしてみると、たしかに自動車をふらふらさせずにまっすぐ走らせることができるようになった。また、サイドミラーとバックミラーも使って、常に前後左右をよく見るようにと厳しく言われた。

私たちは人生のドライバーである。居眠りは禁物。
「気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい」(33,35,37)。
「今は終わりの時」(Ⅰヨハネ2:18)である。終わりの日に向かって目をさましながら、私たちは何を、どのように見て進んで行ったらよいだろうか。

やがて、今のこの世(30「時代」、31「天地」)は終わる。地上の惑わし(6,22)、苦難や迫害(9,12,13,19)があり、それらに続いて天地の異変があり、そして、終りの日が来る。「人の子」キリスト・イエスが再臨され、最後の審判がある。私たちはその日に備えて生きよう。

Ⅰ キリストが再臨する。今からイエス・キリストを見つめる(前方の目標をきちんと見る)
キリスト再臨の時、今のこの世界(30「時代」、31「天地」)は過ぎ去る。旧約聖書に預言されている通り(イザヤ13:10、34:4)、大宇宙に異変が生じ、「天の万象は揺り動かされる」(25)。
そして、イエス・キリストが、権威と栄光に輝く方、「人の子」(ダニエル7:13)として天から再臨される。スポットライトはこの方に当てられ、すべての人々が栄光の「人の子」を見る(26、黙示録1:7)。しかし、その時では遅い。脇見運転していたら危ない!
しかし、選びの民(キリスト信者)は、栄光の身体によみがえらされ、新天新地(御国、黙示録21:1)を受け継ぐために、人の子の御前に集められる(27)。こうして救いが完成する。
目覚めたドライバーは、前方の目標をきちんと見ることが大切である。罪と死とサタンに勝利して復活し、天の御座に着いておられ、聖霊において私たちともに生きておられ、しかもやがて来たりたもうイエス・キリストに、今からしっかりと目を向けることが大切である。そうすれば、ふらふらとよろめいたり、ぶれたりすることから守られる。
「死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい」(Ⅱテモテ2:8)

Ⅱ キリスト再臨の「時のしるし」もきちんと見る(周囲の状況にも目を配って確認する)
いちじくの変化で夏の近いことがわかるように(28)、終わりの日の「時のしるし」(地上の惑わし(6,22)と苦難や迫害、天地の異変)を見たら、キリスト再臨が近いことを知ることができる(29)。私たちは周囲のこと、世の状況にも目を向けながら、再臨が近いしるしを見ていこう。また、周囲の状況、世の状況の中に、働いておられる摂理の主とそのみわざを見、主を仰ぎ、また、いよいよ主に向かって回心し、悔い改め、自分のあり方を修正していきたい。
「ただし」、再臨の正確な日時は、天の御父だけが知っておられる(32)。異端のキリスト教は、人間の勝手な考えで神のみこころを先取りし、再臨の日時を決めたりするが。
周囲の状況、再臨の時のしるしを横目で見つつも、あわてず、かえって、いっそう前方の復活の主イエス・キリストに目を向けて行くことが肝要である。いっそう主に信頼し、いよいよ主に心を向けるのである。
「主よ、来てください」(Ⅰコリント16:22)。 
「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。」(ヘブル10:37~38)

Ⅲ 決して滅びることのないみことばによって見る(眼鏡使用、聖書というメガネをかけて)
この天地は過ぎ去り滅びる(30~31)。しかし、主のみことば(聖書)は滅びることがない確かなもの(31)。主のみことば(聖書)のメガネを通してこの世を見、主イエスご自身にも目を向けることが大切である。
キリスト信者は新生させられ、霊的視力が与えられた(ヨハネ3:3)とはいえ、なお聖書というメガネが必要。聖書のみことばを通して、終りのしるしを正しく捉え、生ける主イエスをよりはっきりと見、信頼し、交わり、従うことができる。
「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができる」(Ⅱテモテ3:15。

再臨の主は突如来られる(35)。しかし、今すでに聖霊において来て臨在しておられる主イエスに目を開いているなら、あわてることはない。ともに生きてくださる愛の主イエスに目を開いているなら、希望に生きることができる(27)。 目をさまして!