北海道の山岳ガイド&ポーター「ハローポーター」
キムンカムイ / 山親爺
北海道のヒグマ
登山と渓流釣りにおけるヒグマ対策
山には登りたい。 渓流釣りはしたい。 でも熊には会いたくない。
だから対策を考えて、鈴をつけたりラジオを流したり、爆竹を鳴らしたり・・・。
しかし、それで十分ですか?
それとも、そんなに恐れる必要があるのですか?
北海道には、5万年程前からヒグマが生息しています。ですから大昔から、北の大地に暮らしていた人達は、おのずとヒグマと共生してきたわけです。興味深いことに、遺跡から多くの熊形造形品が発掘されたのです。それを調べると7000年程前から「熊儀礼」が行われていたことが推測されました。 「森の王」 「神様」として、熊を歓待して殺し、その霊を神の国に送り返すことによって、自然の恵みが豊かにもたらされると信じられてきました。 最近では、アイヌ民族の「熊送り」 (イヨマンテ)として、文化が記憶されています。 それほど、人の暮らしと熊は近接に関わっていたのです。 しかし現代においては、様々な情報が出てきているのにも関わらず、あまりにもヒグマに無関心だったり、害獣と思っている人も実は多いのではないでしょうか? |
ヒグマは怖い? ヒグマは日本最大の陸上動物です。当然、素手で戦って勝てるわけがありません。知能も高く、身体能力は極めて高いです。木に素早く登り、泳ぐことも上手。走れば時速60kmでハイマツもくぐり抜けていきます・・・。 聴覚においては人の2,000倍程を有し、嗅覚は犬の7倍程。本州のツキノワグマよりも大きいという、最大・最強の動物なのです。そのヒグマに対して、「とてつもなく凶暴だ。」「人を見つけたら襲う。」などとイメージしてしまう人が多いのは、無理も無いことです。博物館やホテルにある熊の剥製は、牙を剥き出し、鋭い爪で襲いかかろうとしているものばかりですから。 大昔から北の大地で生活してきた人は、それではどうやって、こんなに恐ろしい生き物がいる中で暮らしてくることができたのでしょうか? じつはヒグマは、大変臆病で、人間をとっても恐れています。ですから、市街地に出てくることはまずありません。しかし、親離れしたばかりの1歳半から3歳の熊は好奇心旺盛で、自分の生活圏たるかどうかを確認するために市街地に出てくることがあります。生活できる場所では無いと学習すると、もう出てこなくなります。 何らかの理由で、親子熊が人里まで出てくることもあります。ドングリや葡萄の不作が原因と言われることもありますが、そんな単純なことでも無いようです。縄張りを持てなかった弱い個体は端に端に追いやられ、人里近くに居座るしか無くなることもあるようです。一番の天敵は雄熊です。雌が次の繁殖ができる状態にするために、子熊を殺すからです。恐ろしい雄熊から逃げて人里に下りてくる親子熊もいると思います。 いずれにせよ、人間界は怖い所だと学習しなければ、だんだん人の存在に慣れてきて、居心地が良くなる熊が出てきます。アーバンベアとも呼ばれます。私達は彼らと節度ある距離を保たなければいけません。そのためには熊の習性をよく知ることが必要となります。 ヒグマの生態、特徴等を以下に記載しました。皆様が自分なりに理解し、行動してもらえることを願います。 |
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ヒグマの食べ物 ヒグマは雑食性で、植物の茎・葉・花・根・ブルーベリー等の実、樹木の果実、昆虫、鹿、地域によって鮭類を食します。また植物の根を掘り返して食べています。鹿を襲うことは稀ですが、春に雪崩で死んだ鹿の遺体を、優れた嗅覚で見つけます。一度に食べきれない肉は、土や枯れ葉をかけて鮮度を保たせ、所有をアピールします。通称、土饅頭とよんでいます。 |
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熊が生態系にもたらす恩恵 自然界においては、ヒグマこそが食物連鎖の頂点に君臨し、自然の調和を保っています。果樹は果実を食べてもらうことで、糞と一緒に排出された種から発芽し、子孫を遠くに運ぶことができます。セリ科の植物は根を食べてもらい、消化しきらなかった根が糞とともに排出され、そこから芽が出ます。 増えすぎた鹿は捕食し、死骸もきれいに食べてくれます。 私達人間は、豊かな自然が熊によって保たれている天があることを知るべきだし、それらを知って山に入ると、表面的な自然ではなく、それぞれの生き物が、気候が、複雑に関係し合って成り立っている大変奥が深いということに気づくことができます。 私は、ヒグマは自然そのものだと思うし、山岳環境と共に、畏敬の念を持っています。 |
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コクワの実を食べた糞。来年にはここから芽が生える。 | |
熊鈴は有効? ヒグマは聴覚に優れていますので、鈴の音はヒグマにとって不快なものです。かなり遠くから気づいてくれるでしょう。しかし、大きな落とし穴があります。離れてくれる訳ではなく、隠れてくれるのです。山菜採りでの事故は、隠れている熊に近づいていくことから起こります。 またヒグマは執着性が非常に高く、鹿の死骸などを手に入れると土饅頭を作り、他のヒグマに取られないようにその近辺にずっと留まっています。何かが近づくと、うなり声や樹木を叩いたりして音を出して警告します。これに気づかないで近づいたら、威嚇・攻撃してきます。ですので、しっかり五感(視覚・聴覚・嗅覚)を使い気配を感じ取らなくてはいけません。鈴の音で威嚇音に気づかなかったり、そもそも鈴を付けてるから大丈夫と慢心してしまうことの方が大問題なのです。特に渓流釣りでは、沢の音でヒグマに鈴の音が聞こえないことがよくあります。そんな時はさらにも増して五感を研ぎ澄ませた上、気になれば声を出し、手を叩いて音を出さなければなりません。 また、鈴の音は人間の脳も疲れさせます。そして周りの世界を大なり小なりシャットアウトしてしまいます。 複数人なら自然に出る声や歩く音で、ヒグマに気づいてもらえますので、なおかつ慢心せず五感を研ぎ澄ませることで、鈴は不要だと私は考えています。しかしながら単独行だったり、熊の習性を理解できない場合は熊鈴を付けるよりほか、無いのかもしれません。 |
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ウェンカムイ 一度人を食べてしまった熊を、アイヌ民族はウェンカムイと呼びました。通常のヒグマをキムンカムイと呼び、カムイ(神)の世界から来た客人として受け入れ、イヨマンテで丁重にカムイの世界へ送り返したことに比べ、ウェンカムイは客人とは認めなかったのです。現代では、これから行く山で「テントに近づいてくる熊がいた」、「ザックを漁った」、「釣った魚を食べられた」などの情報があった場合、人慣れしてしまった熊が留まっていると考えて、最大限に警戒しなければなりません。ウェンカムイなのです。対象の山を変更することを念頭に、情報収集に当たります。観光地では人に近づきすぎる熊が問題になることがあります。ほぼ間違いなくその前に、問題行動をおこした人間がいるはずです。登山中に食料の入ったザックをデポして山頂に登っている間に、ヒグマにザックを荒らされたり、テントの外に鍋を置いて寝たり、ゴミを捨てたり、車から食料を与えたりした事実があるのです。私達もヒグマをウェンカムイにしてはいけません。キムンカムイのままだと、ヒグマと共存していけるのです。 |
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ブラフチャージ(威嚇突進行動) ヒグマが突進してきた場合は、子熊を守るためか、土饅頭を守るためです。突進してきて、数メートル先で急に止まり地面を激しく叩きます。とても恐ろしい時間ですが、彼が本気で怒っていることを伝えているのです。落ち着いて彼との間に立木を挟むように離れていきましょう。山で熊に襲われて軽傷でメディアに出る人の話を注意深く聞くと、このブラフチャージであることが多いです。本気で襲われたら死か、重傷を負います。実際に突進されたら、落ち着くことが大事です。目を見て距離を空けます。興奮している熊の目は見つめ過ぎず、チラ見にします。絶対に、大声を出したり、背中を見せて逃げてはいけません! |
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単独登山・渓流釣り ヒグマは知能が高く、敵の状況も瞬時に理解します。弱々しく見える単独行の人であれば、なめてくる個体もいます。特に親離れしたばかりの3歳前後。人数が多ければ、熊が逃げ出すタイミングが早いと感じています。ですので、なるべく単独行は避けた方が良いです。どうしても単独行の場合は、ほどほどに熊鈴を鳴らした上で、周りの気配に十分に気を配らなくてはいけません。 |
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ヒグマの匂い 一度嗅いだら忘れられないあの匂い。たまに嗅ぎたくなる中毒性があります(私には)。どのような匂いかは、熊との距離、どのように発生した匂いなのかにより異なります。熊が通った後の、植生、地面に残された臭いは、腐ったバナナ臭や腐った銀杏臭がします。そして間断無く匂います。少し離れたところにいる熊からはも似たような匂いがしますが、匂いにリズムがあり、間断があります。そしてすぐ傍にいる熊は、脳に直接訴えかける危険な匂いがしてものすごく臭いです。 また1km程度遠くにいる熊からは、これをまろやかにしたフルーティーな香りがします。他の個体に位置を知らせるためにも有効なのでしょう。ただしこれを嗅ぎ分けられる人は少ないようです(私はできますが・・・)。 |
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熊の痕跡 大きくて目立つトドマツがあれば、樹皮に3〜4本の平行線が刻まれていることがよくあります。ヒグマの爪痕です。コクワやブドウのツタがあれば、実を取るために登って下りるときについた跡。そうでなければ、縄張りを示すマーキングで、立ち上がった高さに爪痕を残します。熊の大きさが分ります。マツの樹液があれば熊の毛が付着していることがあります。舐めたり匂いを身体に付けたり、痒いところをこすったりしているのが想像できます。 熊糞は林道や登山道上に見ることがあります。「熊も広くて気持ちの良いとこでするんだ」という人間目線はやめましょう。1日に何度も糞をしていて、人間が見つけることができるのは開けた場所だけだという事です。土饅頭を見つけたら有無を言わずに立ち去りましょう。 |
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マーキング。見通しの良い場所に生えているトドマツの樹皮に行うことが多い。 背こすりの木には、熊の毛が付着している。 足下が土饅頭。鹿が埋められている。 これを見たら、決して近づいてはならない。 (3日間観察を行い、周りに熊がいないことを確認し、熊スプレーを片手に3人で近づいた。) |
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死んだふり 死んだふりが効かないことは、皆さんご存じだと思います。熊と対峙して、もういよいよ最後という時には、うつ伏せになり首を手で押さえて、首と頭と腹を守るのは正解です。 それから、背中を見せたり、走って逃げてはいけません。逃げる者を追いかける習性があるからです。対峙してから大声を出すのもダメです。大声や爆竹は、かえって興奮を誘います。 |
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熊に会ったら後ずさりは、間違い 熊に出会ったらどうするかの対処法は、過去に何度も変遷をたどりました。 「死んだふり」は意味が無いことは、今となっては常識となりました。 「荷物を置いて熊が気を逸らしている内に逃げろ」という間違いについては、いまだにこれが有効だと信じている人がいます。これは自殺行為です。もっとくれ、とより接近してきます。 近年で一番間違って定着してしまっているのが、「熊に会ったら後ずさり」です。 状況によっては後ずさりは有効です。ですが、有無を言わさず後ずさりだったり、早い後ずさりは逆効果です。背中こそ見せていないものの逃げたことと同じことになるからです。熊を見たら、まず落ちつく。けっして大声を出さず、やさしく「ホホーイ」と声を出します。大体これで熊から離れていきます。しかしながら、食べるのに忙しいから人間は無視と決め込んでいる熊は微動だにしません。耳がピクピクする程度です。この場合はゆっくり後ずさりです。 土饅頭が近くにある熊は、怒って威嚇してきます。ブラフチャージです。この場合もゆっくり後ずさりです。最終手段として、熊スプレーの安全ピンは抜いておきます。 3歳くらいの好奇心旺盛の熊の場合は、木に登ったりしながら少しずつ人間に近づいてきて、人間の反応を見ます。学習しているのです。この場合もゆっくり後ずさり&熊スプレー噴射の臨戦態勢です。 ここまでは、とにかくどっしり構えてからのゆっくり後ずさりです。決して早い後ずさりや、怖い人間が来たと熊が認識する前に自分勝手に後ずさりは、弱い何かが逃げたと認識させてしまうことになり逆効果です。 最後に、子熊がいる雌熊は必死で子どもを守るために人に攻撃してきます。後ずさりも何も、とにかく子熊から距離を空けることです。熊スプレーは母熊には効きません。子どもを守るお母さんは熊も強いのです。 ただ「後ずさり」ということが間違いで、逆効果ですらあります。相手を見て、「必要であればゆっくり後ずさり」が正解です。母熊には通用しません。 |
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熊撃退スプレー 以上のことから、私達は熊鈴を付けずに山に入ります。ヒグマが動いて藪が揺れる音、警戒音、匂い、痕跡を、五感を研ぎ澄ませて感じ取ることは、私達ガイドの務めです。私達は年間30頭程目撃し(私は2020年52頭、21年43頭、22年32頭、23年23頭、24年16頭)、年間3〜4回程、近距離で遭遇します。熊スプレーの安全ピンを抜いたことは幾度となくありますが、噴射はまだありません。ヒグマが逃げて行くからです。 ですが、万が一ウェンカムイになってしまった個体と出くわした時には、生死を賭して戦わなくてはいけません。 |
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30年程前はナタを手に山に入っていました。現代では熊撃退スプレーがあります。これはカプサイシンを含有しており、ガス噴射で7-10m、5-7秒程飛びます。安いものは5mで3秒程なのでダメです。安全を担保するために、少々値は張りますが、必携です。私達ガイドは万が一に備えて必ず身に付けていますし、ヒグマには有効です。扱い方は練習が必要です。その日の行動の初めに、シミュレーションをします。「至近距離まで寄せてから確実に顔面に噴射。」「熊の顔から目を逸らさずに安全ピンを外しトリガーに指をのせる。」「風上側に立つ。」 |
今シーズン6回中4回目の幌尻岳。山頂はガスったけど、まずまずの天気。草紅葉が順調に進んでいる。 取水ダムから歩きだして10秒で、大きな角をつけた雄鹿が飛び出して来た。沢に駆け降り対岸でこちらを振り返った。この時期は気が荒いので警戒しながら写真を撮った。その瞬間、ヒグマがこちらに向かって登山道上を突進して来た。私と目が合いスピードを落としたが、どんどん近づいて来る。山で熊を200回以上見ているが、初めてマズいと感じた。お客様には、鹿を追いかけてるんだけど近いから下がりましょうと伝え、後退りした。その間にベアカウンタースプレーのピンを外しトリガーに親指をおいた。熊は私達がさっきまで立っていたところをあっと言う間に通り過ぎた。距離は5mを切った。「動物違いです。鹿はあっちに行きました!」熊は方向を変えて鹿に向かって猛追して行った。鹿は斜面を駆け上がっていったが、熊は地面に残された臭いを嗅ぎながら追い駆ける。鹿は今度は沢に向かって斜面をトラバースしながら降りて行く。熊はすかさずショートカットで距離を縮めた。2頭は沢に降り、全力で逃げる鹿を追いかけ上流に消えて行った。1分間程の出来事だったが鮮明に記憶されている。息づかい、血走った眼からはアドレナリンが出て極めて興奮しているのが分かった。鹿が力尽きるまで追いかけ続ける、覚悟のようなものを感じた。自然で生き抜くことの厳しさをまざまざと目の当たりにし、分かったつもりでいたことが想像が足りていなかったことに気付かされた。 |
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ヒグマ対策を要約すると以下の通りです。 0.そもそも自然は人ではなくヒグマに属すと知るべし。 1.自然に対する畏敬の念は、ヒグマに対しても持つ。 2.ヒグマをウェンカムイにさせない。 3.熊鈴を持っているから大丈夫と、慢心しない。 4.1歳半から3歳くらいの親離れしたばかりの子熊は好奇心旺盛。 最大限気をつけよ。 5.五感(視覚・聴覚・嗅覚)を活用し周りの気配、痕跡に気を配る。 6.熊スプレーを携行し、行動初めにシミュレーションを行う。 7.目撃しても、自然そのものを見ただけ。熊の邪魔をしない。 8.近距離で遭遇したら、まず落ち着く。怒っているようなら、 土饅頭なのか、親子熊なのか判断。 土饅頭なら熊スプレーのピンを外し「ゆっくり」後ずさり。 親子熊ならとにかく子熊から距離を取る。 9.背中を向けて逃げない。熊の目を見るが興奮しているならチラ見。 |
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