音楽歴

その2

高校時代 入学と同時に音楽部へ入部。とってもアットホームな部だったので、楽しく平和にすごす。
ピアノはのんびり続けていた。が、特に必死ではなかった。発表会ではシューマン「飛翔」、ベートーヴェン「ワルトシュタイン」等を弾いた。

2年の時 教育大の音楽に行こうと思い立ち、小園邦子先生のもとで声楽を始める。全てが新鮮でとても楽しかった。ピアノより向いているかな?と思い始める。

3年の夏、お試しで国立音大の講習会を受講。伊藤京子先生が大好きで、先生のクラスに入れてもらう。そこで意外に褒めていただいたので調子に乗って声楽科をめざすことに。

受験は福教大と国立、と思っていたところ、教育大のピアノの課題曲を間違えていたことが発覚!(嘘のようなホントの話・・・)時すでに秋、共通一次(センター試験ではない)の用意もしていたため、急きょ国公立の声楽科を探し、見学して自然の美しさが気に入った愛知県芸を受験。(ただ今愛知万博で大にぎわい)

何故か両方合格したので、より授業料の安い愛知に進学決定。
大学時代 念願の寮生活。寮費月額3,500円だった。
大学の先生に全然ついていなかったので、非常勤の藤井多恵子先生に師事する。ここで先生にお会いしたのも運命の出会いである。

先生は珍しいレパートリーをたくさん下さった。先生のご専門のアメリカもの、人が絶対歌わない希少なアリアetc・・・後半はフランスものにはまり、これまた誰も歌わないデュパルク、卒業試験はプーランクの歌劇「テレジァスの乳房」のアリアというマニアックぶり。
先生には「自分にしかできない分野を見つけなさい」と常々教えていただいた。
このことがノルウェー行きにずいぶん影響を与えているのは間違いない。

ピアノはこれまた運命か、副科の生徒でも一切容赦なしのY先生だった。
手が抜けずにけっこう練習する。今考えればこれも良かった。。。
オケが好きで、オケ部でオーボエを吹いたりする。これまた未来を暗示していたかのような・・・?

いつも友人共とつるんで遊び、それはそれは楽しい大学生活だった。夜通し音楽について語り合ったり・・・音(芸)大楽しいですよ、おすすめ。

まだこれからの自分の方向が分からず、卒業後は藤井先生のいらっしゃる東京のコンセルヴァトアール尚美に進学。
東京時代 とうとう東京に進出。学校の友人はみな個性的。芸大出身の人が多く、音楽に対する考え方も真摯で、田舎での〜んびりやっていた私にはなかなか刺激的だった。

ドイツ・リートがやりたくて、エキスパートの竹内則雄先生に師事。同時に藤井先生の元でもミュージカル等でいろいろ舞台を経験する。

学校のオペラ実習では時々練習ピアノを。友人に「適当に弾いてるようで、そのくせ正確なピアノ」とお褒めの(?)言葉を受ける。これがコレペティトーアの原点か?

修了後レッスンを続けながら女子高の非常勤講師、ピアノ講師(20人くらい生徒がいた)、東京トロイカ合唱団の団員などいろいろ仕事をするが、働けど働けど東京の高い家賃にうんざりし、大学の頃より留学は考えていたが、本格的に脱出計画を立てる。

ここからは「ノルウェーの詩」に詳しいが、とにかくノルウェー留学があれよあれよと決まり、九州で始まった私の人生、ますます北上することに。

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