その3
ノルウェー 時代 1 |
最初は1年の予定でベルゲン音楽院(現・グリーグアカデミー)声楽科に入学。テープ審査での合格だったので、ノルウェー到着後実際に歌うようにということだったが、行ってみたら大歓迎され(「上を向いて歩こう」をテーマ・ソング??として弾いてくれ)、グリーグ「春」一曲歌った時点で「もういい、アナタ合格〜!」てなことに。やはり適当・・・ ダイアナ・セーヴィック女史に師事、とても可愛がっていただいた。やりたかったグリーグとノルウェー語をたっぷり勉強できる環境に感激。 またここで運命の出会い。「グリーグを歌うのなら伴奏のエキスパートであるこの先生にも」と見ていただくことになったピアノの先生、今は亡きクヌート・A.・アンナセン氏。 最初は伴奏してもらうだけだったが、ある時ふとピアノを弾いたら「ぜひレッスンを受けなさい」と言われ、教えていただけることに。グリーグを中心にレッスンが始まり、ピアノの面白さに目覚める。 1993年はグリーグ生誕150周年で、習ったノルウェー民謡を歌い、それをグリーグがピアノ曲にアレンジしたものを弾く、というパフォーマンスが受け、学校・ジャズライブ等から招待され大人気?! 声楽の試験ではなんと45分のプログラムでの演奏会! グリーグ4曲、ドイツ・リート(ヴォルフとR.シュトラウス)4曲、日本歌曲(中田喜直と山田耕筰)4曲、カントルーブ(オーベルニュの歌から)3曲、最後にベッリーニ「夢遊病の女」のアリア。スタミナを心配したが、何とか持ちこたえた。 この頃より歌の伴奏を臨時でやったりして、もっと伴奏法を勉強したいな、と思う。 だんだんノルウェーの生活が楽しくなり、1年が2年になりそれも終わる頃、まだ帰りたくないこともありクヌート先生に相談したところ「ピアノ科受けてみる?」と言われ、勢いで決める。この時すでに20代後半(だから無謀だって・・・)。 決めたからには、と突然狂ったように6時間ぶっ続けで練習したら、翌日身体が痛くて動けなくなり先生に「あほ」と言われる。 この時の受験曲は バロック:ヘンデル 組曲より、いわゆる「調子の良い鍛冶屋」、 古典:ハイドン ピアノソナタ e-moll、 ロマン:ショパン ノクターン op.15-2 北欧の作品:グリーグ スロッテル op.72-4 学部編入なのでそんなに難しいものを弾かなくてもよく、幸いした。(弾けないし) これに初見があった(まずないよ、と言われていたのでびっくり)。 だが初見の成績はとても良かったらしく、後で「初見で君だけが音楽的に弾いた」とほめていただいた。終わった後、校長が出て来られて頭をなでられた。(子供?) とにかく合格しピアノ科の学生になる。また留学が延びた。 ピアノ科の新学期直前の夏休み、日本の少年少女合唱団のヨーロッパ公演で現地指導員として同行。 フィンランドで落ち合うことになり、せっかくなのでその前にサボンリンナ・オペラフェスティバルのサマーコースを受講。ピアノをロシア人のイーゴル・ヤコブレヴ氏に師事。ショパンは全然違う解釈でなじめなかったが、ブラームスのラプソディーとモーツァルトのコンチェルトは目からウロコのレッスンで良い経験になった。 いよいよピアノ科の生活が始まることに・・・ |
PROFILE | NEXT |