その1
幼稚園時代 | 両親が教師だった関係で家にはピアノがあった。ヤマハ音楽教室の幼児科には自分から通うと言ったらしいが記憶になし。以後小6までヤマハっ子。 最初の発表会はシューベルトの軍隊行進曲と子守歌(もちろん易しい編曲)。 とはいえ、もみじのお手手には当然難しく、かなりしごかれたのを覚えている。。。 |
小学校時代 | 土曜日午後はいつもヤマハ。2年生の頃ピアノの個人レッスンも始める。週2日、音楽教室に通った。楽しくのんびりやっていたが、4年生で転機が訪れる。 当時北九州で1,2を争う厳しさと有名だったI先生にグループ・個人レッスン共に師事。案の定、怖かった・・・(「鬼」と密かに呼んでいた。) レッスンでは前の人の出来で先生の機嫌が変わるため、その人がベソをかいていようものなら、とばっちりが来ること必至。自分だけでなく他人の成功も祈り続けた。 発表会もいきなりヘラーの「タランテラ」を弾かされる。(フラットが4つもある楽譜に目が飛び出た・・・でも今弾くと派手でいい曲である) 楽譜に「1日最低3時間(練習)」と書いてある・・・確かに必死で練習したのでその後の土台にはなっている(のかな?)。 小6で北九州市少年少女合唱団に入団。合唱大好きの私は練習日が重なるのを幸いに、あっさりI先生をやめる。(何かやめる理由が欲しかったのである) しかしピアノは捨てられなく、近所の若く優しいM先生に師事することに。 |
中学校時代 | 合唱団命。楽しくて楽しくてしょうがなかった。韓国をはじめ、国内外の演奏旅行や行事など貴重な経験をさせてもらった。 ピンクのヒラヒラ制服も大好きだった。(今でも着れるかも?まさか?) ピアノはなんとなーく続けていた。発表会ではメンデルスゾーン「狩の歌」、チャイコフスキー「舟歌」など弾いた記憶がある。エチュードは嫌いだがピースものは大好きだった。 くらもちふさこの「いつもポケットにショパン」という漫画に影響され、音楽高校に憧れるが「まだ先は長いから専門でなくても」と言われやめる。 音大行くのもいいなー、そして下宿はぜったい寮、と決めていた。 中学卒業と同時に合唱団も泣く泣く卒団。将来の夢は合唱団の先生だった。 |
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