ベルゲン・フィルの合唱団

ピアノ科に転向して1年経った夏休み開け、一本の電話がありました。
「ベルゲン交響楽団の合唱団がピアニストを探しているから
興味があれば連絡して」
よくわからないけれどお仕事をもらえるのは助かるので
行ってみることになりました。

ベルゲン交響楽団合唱団:Bergen filharmoniske kor (BFK)
通称ハルモニーエンス・コールはオーケストラ専属の混声合唱団で
オケの定期公演の合唱を担当しています。
団員はプロではないがオーディションで選抜され
当時総勢80人はいたでしょうか。
グリーグも指揮をした伝統あるオーケストラの合唱団ということで
皆さん誇りを持って歌っていました。

おそるおそる練習場に顔を出すと、当時の指揮者
カナダ人のポール・アーリッジ氏(奥様はオケのフルート奏者)が
にこやかに迎えてくれました。
その時練習していたのはオルフの「カルミナ・ブラーナ」
合唱が大活躍の大変人気のある曲です。
当然初見だったのですが幸い上手くいって正式に採用されました。
この仕事がきっかけとなってオーケストラの仕事もいただけるようになったので
人生何があるかわからないものです。

団員は若い人から60過ぎの人まで多彩で、
プロではないから楽譜の読めない人もいましたが
みんな歌うことが好きでしょうがない、というかんじでした。
皆さんとても温かくて親切な方ばかり、
私も随分助けていただきました。

練習は火曜日の夜7時半〜9時半で
休憩時にお茶を出してもらえるのですが
いつも同じ優しいおばあさんが
「コーヒー?紅茶?ブイヨン(コンソメ)?」と
ピアノのそばまで運んで下さるのでした。
たいてい紅茶をいただきましたが湯気の立つブイヨンもおいしかったなぁ。

私が来て1年目に指揮者が替わりました。
今度はアンネ・ランディーネ・オーヴェルビー女史
オペラ畑の人でオペラ・ベルゲンの主催者でした。
見た目とても女性とは思えない(失礼!)豪快さ
大胆でのびのびとした指導法は独特で
彼女自身も必ずピアノで声の部分を弾きながら
(しかもガンガン弾くので善し悪し。。。)
私がオケ部分を弾くという2台ピアノ方式

彼女からは仕事がけっこう来て、
オペラ合唱の伴奏やソリストのオーディションなど
なかなか鍛えられました。
オーディションの時は何を弾くのか直前までわからないという状況で
オペラの知識と経験がなかったら難しかったかも。

合唱団のエピソードで強烈だったのが
ノルウェーの現代作曲家アースハイムの「Turba」という曲をやった時のこと。
この曲、以前も演奏予定があったのに作曲の完成が間に合わず
1度延期になったいわく付きの作品
この時もギリギリ完成して全ての楽譜が届いたのが1ヶ月を切っていました。
曲はかなり前衛的で難しく、ついていけない人も多数
まだまだ練習が十分とはいえず、来週本番なのに大丈夫なのか?
と身内ながら心配していましたが・・・

オケ練習を控え、作曲者とオケ指揮者とが立ち会いで
週末にヨハネス教会で練習がありました。
心配したとおり曲が進むにつれだんだん歌えなくなる団員。。。
たまりかねたアースハイム氏がとうとう怒り心頭で爆発!
ところがノルウェー人は強い!
「あなたの曲の完成が遅すぎるからではないですか!」
「だいたい曲が難しすぎますっ!」と反撃する団員。
これにはまだ若いアースハイム氏もシュン。。。(ちょっと気の毒)
結局、この時も「諸事情により演奏延期」となりました。
いろんな意味ですごすぎる、ノルウェー人!
(この曲、結局私が帰国した後にやっと演奏されたようです。)

その後合唱団は私の学校グリーグ・アカデミーの
合唱プロジェクトと提携し、練習場所を学校に移します。
指導者もまた替わり私のチェンバロの師、
ハンス・クヌート・スヴェーン氏が就任します。
先生はオルガニストなのでカントールとして
合唱指導もするのです。
ヴォイストレーナーも仲良しの声楽の学生で
3人で楽しく練習に携われました。

私はその1年後には帰国、
4年間勤めたこの仕事にも別れを告げることに。
皆さんとても別れを惜しんでくれて
パーティーを開いてくれたり寄せ書きをくれたり・・・
「週に1回はベルゲンにおいで」と言ってくれたり(無理や!)・・・

あたたかくて楽しかった合唱団での日々
いつまでも私の大切な思い出となりました。


ノールハイムスンでの合唱団の合宿練習より
向こうがアンネ・ランディーネ女史
名物・2台ピアノでの練習

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