現に送る花
ゆらゆらと水面が揺れる。
夕焼けた空と雲とを映して、そしてその夕日すらも反射して、
きらきら、ゆらゆら……。
千尋は一人土手を歩き、その細い川の美しさに時々足を止めていた。
ゆっくりと歩き、止まって、また歩くという動作を繰り返し、
やがて橋の袂へと辿り付く。
そこには、これまで心の中に染み込んだあの美しい川の様子を、
跡形もなく粉々にしてしまうような、
夢見心地のところを現へと急激に呼び覚まされてしまうような、
苦い覚醒を促すものがあった。
「工事………」
ぽつりと呟くと、
胸の奥まで鈍い痛みが走る。
白く大きな不躾な、埋め立ての工事を示す看板。
日付を見れば、それは1ヵ月後だという。
着工理由はマンションの建設の為。
またか、と少女は力なく息を吐き出した。
ここ1ヵ月でいくつ見かけただろう。
その中には水は底にへばり付くだけで、
泥にまみれ、ショベルカーなどに踏み荒らされた状態のものがあった。
それらを見るたびに、
千尋の胸は痛いんだ。小さな微かな痛みから、
強く、鷲掴みにされるようなものへと、
まるで導かれるように、やりきれなさと共に胸中を満たした。
その理由が、何かはわからなくとも………。
千尋は、来た道を戻り鞄を放り投げると、土手を半ばまで下るとその場にしゃがみ込む。
そして微風にそよいでいた花を手当たり次第摘み始めた。
無我夢中で、選ぶというわけでもなく摘み取り、
手がそれでいっぱいになると、橋の上へと走って引き返す。
夕日が背後から照らし、川面は美しく煌く。
悲しいくらいに綺麗で、愛しいくらいに痛々しいその輝き。
この景色は永遠でない。1ヵ月の後、姿を消す。
泣きたくなるのを必死で堪えて、
手にした花束を川へと撒き散らした。
花は、時折その花弁を散らしながら、
ひらひらと水面へと落ちていく。
まるで誰かの涙のように、美しく儚い色をしながら………。
「何を、しているんだい?」
かけられる声。
平素ならば、驚き振り向く所だったが、
夢見ごこちで川とそこに落ちていく、自ら放った花たちを見ていた千尋は、
何の驚きも、疑問すらも抱かずにその声に素直に答えた。
「花を……贈っていたの」
花たちは波紋を描いて着水すると、
ゆっくりと流れて、橋の下へと消えていく。
その全てが姿を消すと、
またその声が問い掛けた。
「何故?」
優しく甘い響きが、胸の中になんの躊躇も無く入り込んでくる。
千尋はまるで、水の中をたゆたうかのように、
無防備にその声に耳を傾けていた。
「わからないの……、
ただ、この川が埋められてしまうと思ったら、いてもたってもいられなくて……」
水面から、上流へと視線をあげ、
真っ直ぐとした視線で見つめ続ける。
「何度も、そういう川に出会ってきた。
その度に私はこうしてるの。
でも……それが何故だかわからない」
戸惑いながら言葉を紡ぎ、
ゆっくりと振り返った。
少し離れた位置、
そこに人が立っていることは分かる。
けれどオレンジの逆光で、
その姿を捉えることができなかった。
「それが、まるで儀式のようで、願掛けのようで……」
その人物を見ながらそう言った瞬間、
頭の中で何かが弾ける。
それと共に胸を包み込む淡い感情。
記憶の片隅に引っかかる何か。
(私……この人に会ったことがある??)
顔は見えない、
声からしても知り合いではない。
友達でもなければ学校の先生でもない。
なのに何故、こんなデジャヴを抱いてしまうのだろうか?
(前も、こんなようなことが……)
じっと目を凝らして見ても、
見ることができない。
逆光の所為ばかりと思っていたが、
まるで魔法か何かのようにも感じられる。
とても不思議な空間がそこにはあるように思われた。
どんなに見つめても、相手はなにも言わない。
その事で時間も、自分すらも忘れていた千尋ではあったが、
ふとした拍子に我に返り、
慌てて視線を逸らした。
「すみませんっ、初対面なのにこんな、じっと見つめてしまって」
そう頭を下げ、再びその人へと顔を向けた時、
目の前には誰もいなかった。
確かにいたはずの人が、
そこには誰もいなかったかのように忽然と姿を消している。
ありえない事に軽い衝撃と目眩を覚えながらも、
そうかもしれない、と何かに納得する自分がそこにはいた。
彼の人物が残していった複雑な想い。
けれどそれは、決して不快ではなかった。
『また会おうね……』
川を渡る心地よい風が、千尋の髪を撫でるのと同時に、
そう囁いたように感じる。
優しく柔らかい手は、
そのまま川下へと流れていった。
それを眼で追うかのように振り返り、
胸元で自分の手をしっかりと握りしめる。
「また……会おうね」
きっと会える。
あの人とは、何度だって巡り会える。
何故だか分からない、根拠など何も無い。
けれどはっきりと断言できる。
きっと、その為に自分は、
昔からこの「花送り」をしているのだ。
そう考えると、
この「懐かしさ」は不可解なものを全て排除していく。
「きっと、会えるから」
そう、言葉にすればそれは全て現実となる、言霊。
例え現にあっても、それは変わらない。
久しぶりのせんちーものです〜
「花送り」と微妙にリンクしてます(笑)
またもやハク様ちょい役でホワイト。
ブラックを期待されていた方、申し訳ないです(--;)
今までの跳ね返り(?)がきたかなー(苦笑)
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