手のひら










 満月の蒼白い光が、優しく二人を包み込む。

 私室の縁側で、自分の膝を枕にして眠る少女を 優しい眼差しで見つめながら、 ハクは彼女の髪をゆっくりと梳いた。 飽きることなく何度も同じ動作で 夢中で、そして丹念に指に絡ませる。
 蒼白い神秘的な光の中、 青年はまるで月読の神のようであり、 怜悧な印象を受ける端整な顔は、 より一層、輝いていた。
 見るものの意識を奪うような、 甘い微笑みを向けて、 大事なものを扱う手で、 少女の髪を掬い、そして撫でつける。
 千尋は、安心しきった様子で 眠りの底へと落ち、 静かな寝息を立てていた。 心地よい眠りの中、 夢でも見ているのか時々寝言らしき言葉にならない声をあげて、 微笑むときもある。
 その様子を見ると、ハクの表情も柔和になり、 心の底から愛しいという感情が溢れ出てくるようであった。

「ん〜………」

 千尋が小さく呻き声をあげて、身を捩る。 その際、ぎゅっとハクの衣の裾を掴み、 軽く顔に摺り寄せた。

(小さな手………)

 五年前、再会を果たした時は同じくらいの大きさだった手のひらも、 少女に合わせて成長した為、今となってはハクのほうが断然大きい。 「人間」として「外見的」に成長した目から、 また「神」という存在から見たとしても、 少女の手のひらはとても小さい。 まるで、五年前から変わらないように。
 少女は人間。もちろん成長しているから、 小さいといっても九歳のころと比べれば、大きくなっている。
 変わらないのは内面。 五年前から、そしてそれよりももっと前、 初めての出会いから少女は変わっていなかった。 いつまでも真っ直ぐで、清らかな魂(こころ)。
 それが「手のひら」という、一番よく触れるものを介して、 伝わってきたのだろう。

(もし、この手を離さなければ………)

 千尋が元の世界へと戻ったあの日。 もしあの時、繋いだ手を離していなければ、 有無を言わさず引き寄せていたら、 どんな結末が待っていただろうか?
 五年という時間は、神にとってはあっという間。 瞬きするほど時間である。 しかし人間にすれば、 一人の少女が美しく成長するには充分な時間であり、 長い時間である。
 その時間を、千尋は耐えていた。 一人で、遠い日の思い出にすがって、 叶うかどうか分からない願いを抱えて、時に不安になりながら。

(離さなければ、 きっと淋しい思いはしなかったろう)

 例え禁忌だとしても、 離すべきではなかったのだろうか?
 けれど少女には少女の生活があって、 帰らなければならない場所がある。 どんなに淋しい思いを、 不安を抱えようとも、 そこで生きていかなければならない。
 エゴイストな優しさや愛は、 いつか相手の何かを壊していく。 正常だったものが、「いつも」だったものが、 いつか自分との間に軋轢を生み、罅が走り、崩れてゆく。

(けれど、結局はこうしてまた出会えた)

 呼び合う魂は、やはり引き合わずにはいられない。 三度目の出会いをはたして、 至高の宝玉はこうして青年の腕の中に居る。 穏やかな寝息を立てて………。

(もう二度と、離さない。 たとえ禁忌だとしても、千尋が壊れてしまっても………)

 ハクにとって瞬きの五年間であるはずが、 いつの間にか永遠に近い時間となっていたこと、 そして何より、不安と寂しさと戦っていたのはハク本人であったこと。 千尋との再会を果たして、それらに気付いた。
 だから、離さない。 それが束縛になろうとも、 呪いとなろうとも、 ずっと………。

「う〜〜〜んっ………」

 ふと気付けば、 千尋が眉間に皺を刻んで、 なんとも苦しそうに唸っている。

「千尋?」

 何事が起こったのか、 ハクは優しく呼びかけて彼女の身体を軽く揺すった。
 やがて、ビックリしたように千尋の目が見開かれ、 がばっと上半身を起こしてこちらを見つめ返してくる。 焦燥感を閉じ込めた瞳、軽く開かれた口許からは乱れた息が吐き出されていた。

「よ………よかったぁ〜………」

 千尋は床に手をつき脱力し項垂れると、安堵の溜息をつく。

「恐い夢でも見た?」

 その様子から、先程の苦しげな様子は悪夢を見た所為だと気付き、 安心させるように微笑んで問い掛けた。

「うん………、すごく、恐い夢」

 歯切れ悪く呟くと、 じっとこちらを見上げる。 余程恐かったのか、 瞳がうっすらと潤んでいた。

「夢は口にすると本当にはならないという。 私に言ってみるといい」

 頬をそっと撫でながら、言い聞かせるように言う。

「あの、ね」

 少しだけ迷うような仕草をしてから、 一度言葉を切りながらも、思い切って夢の内容を口にした。

「ハクが、遠くに行っちゃう夢を見たの」
「私が?」
「うん。どこか分からないんだけど、 すごく、すごく悲しくて、 それで、一人残されちゃうのがすごく恐くて………」

 俯き、水干を強く握りしめながら、 少女は小さく肩を震わせる。 夢の内容を思い出して、 その余りもの生々しさに怯えているようであった。
 ハクはそっと手を伸ばすと、 少女の細い身体を抱き寄せる。 労わるように背中を撫で、 髪に顔を埋めると、一度身体を離した。

「恐れることは無い、千尋。 私はいつでもそなたの側にいるのだから」
「遠くに……行っちゃったりしない?」
「しないよ」
「本当に?」
「本当に」

 力強く頷く様に安心したのか、 強張りかけていた身体から、 再び力が抜けていく。
 ハクはもう一度抱きしめ、 片手で少女の手を取り握りしめた。

、 (もし遠くへ行くときは一緒だ)

 温もりと、少女の変わらぬ魂を感じながら、 そっと心で呟く。

(私が、そなたを束縛するのだから………)













本当は題名は「束縛」でした。
でもめちゃくちゃ裏っぽい感じがしたので、
急遽(でもないが/^^;)変更。

ブラックハクですな。
しかも裏でない(笑)
こういう話も好きだったりします。



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