20.誓いの日


 明日、自分は王族の一端となる。

 そんなこと、アンヘル村から出て王都へとやってきた当時に、 ことになるなど誰が想像できたであろうか。

 ダリス戦役の立役者たる、クライン王国皇太子・セイリオス=アル=サークリッド。 明日、自分は彼の元に嫁ぐ。皇太子妃となり、彼を支えていくという、 大いなる立場に据えられる。それを間近に控えた今でさえ、 信じられない。

 けれど、自分は確かに彼を愛し、彼は自分を愛してくれた。 その結果が、婚姻。そして、自分の変化した身体・・・・・・。まるで彼に合わせるように 変化を遂げた。今まで手にすることができず、 欲しいと焦がれていた性別。女性としての自分。

 騎士としての夢を叶えるためには女性という性別は不利にしか働かない。 けれど、彼とともに生きていくにはこの性別が必要であった。そして、 自分は選んだ。騎士としての栄光の日々ではなく、 彼とのささやかな幸せを味わう日々を。

 後悔はない、と言えば嘘になるかもしれない。それでも、 自分の選んだ道を間違いだとは思わない。きっとそれは、 騎士であることも彼の伴侶であることも、 なんら変わらないことであるから。 自分が、女性になろうと男性になろうとも、 その本質が変わらないことと同じように・・・・・・。

「なにを考えている??」

 ふと背後から声がかかり、 シルフィスはゆっくりと振り返った。そこには、 明日、自分の夫となる青年がやわらかな眼差しで立っている。

「殿下と出会った時のことを」

 そう短く答え、少女は微笑んだ。

「・・・・・・・・・後悔している?」

 柔らかな眼差しが、ふと翳る。薄暗い室内でそれをいち早く見抜いたシルフィスは、 座っていた椅子から立ち上がった。

「後悔していたら、ここにはおりません」

 ゆっくりと青年に歩みより、彼の頬にそっと手を伸ばす。
 凛として毅然とした立ち姿。支配者としての顔。それは 時に冷たさを感じさせる。けれどシルフィスは知っている、それだけでは ないということを。彼は、皇太子である前に一人の男性。 こうして、不安に瞳を揺らすこともあるのだ。

「私は、後悔してまでその道を進めるほど器用ではありません。 ・・・・・確かに、まったく迷いがないとは言い切れません。 これから、私はちゃんとあなたの伴侶の役割をこなしていけるのか、 不安で、心配で・・・・・・」

 恐る恐るセイリオスの頬に触れ、そして熱いものに触れたかのように 手を引いた。

「それでも、私はあなたと共に生きたい。 そう思ったから、私はこの道を選んだのです。 ですから、迷いがあっても、なにもなかった昔に戻りたいとは思いません。 私は・・・・・・あなたが必要なのです」

 頬を染め、ふわりと微笑む少女。セイリオスはこれ以上美しいものを 見たことが無かった。

「すごい口説き文句だね。そんな風に誘われてしまったら、 私は自分を止められないよ?」

 くすり、と涼やかな笑みがこぼれ、 青年の手は少女の髪へと伸びる。 絹のような手触りの金の髪を指先に絡めとり、 そっと口付けを落とし、艶然と微笑んで見せた。

「さ、誘っているわけでは」

 思わずくすぐったさを感じ、 シルフィスは身を引く。しかし、長い髪は少し離れたいくらいでは解放されず、 彼の手のひらの中に留まっていた。

「・・・・・・君がそう言うように、 私にも君が必要だ」

 真剣な眼差しが少女の心を捉える。心臓を彼の熱い指先で掴まれたような、 そんな衝撃。どきどきと胸は高鳴り、彼の視線から逃れることができない。 身体は動くことをやめ、全身が彼のすべてを感じ取ろうと働き出す。

「・・・・・・君に、クライン王家のしきたりの話はしたっけ?」
「『妃は婚儀の前日に王宮で預かる』、ですか?・・・・・・だから、私が ここにいるわけですが」
「ああ。・・・・・・・・・何故だかわかるかい?」
「・・・・・・いいえ」

 シルフィスは僅かに逡巡し、そして首を横に振った。

「花嫁が気を変えないようにするためだよ」

 本当なのか冗談なのか、よくわからない口調で彼は答える。 そんな彼を計りかね、 シルフィスは嗜めるように彼を呼んだ。

「しきたりに厳しい侍従や長老たちは色々とそれらしい理由をつけているけれど、 結局はそういうことだ。 そして、きっと・・・・・・・」
「きっと?」

 途中で言葉を切ってしまったセイリオスに、少女は不思議そうに首を傾げる。

「・・・・・・・・・歴代の王族は、堪え性がなかったのだろうね」
「殿下っ!」

 悪戯っぽく微笑む青年に、シルフィスは真っ赤になり声を荒げた。 そんな風に反応を返す少女が愛しくてたまらず、 そっとその細い身体を抱き寄せた。

「誓ってくれるかい?シルフィス。 ずっと、私の側にいてくれると」

 優しい声音が耳元に振り、 背に回された両腕に少しずつ力がこもる。その心地よい束縛に、 シルフィスはぎゅっと瞼を閉じた。

「明日、誓うではありませんか」
「待てない」
「殿下」
「言ったろう?クライン王家の者は堪え性がないと」
「殿下・・・・・・」

 少しだけ呆れながらも、 シルフィスは戸惑い、そっと彼の服を掴む。

「誓います、殿下。 私は、ずっとあなたのお側に。 ・・・・・・・・ですから、 お側においてください・・・・・・ずっと・・・・・・」

 不安に揺らぐ声音。少女を襲ったものがなんであったのか、 セイリオスは容易に察しがついた。庶民の、しかもいまだ偏見の残る アンヘル族という、彼女の生まれ。 それはこれから、様々な障害となって行く末を阻むであろう。 こうして結婚にこぎつけるまでにも一悶着あったのだ。これから先の長い時、 それ以上の困難が待ち受けているのは必須。そんな 不安定な場所に、彼女は立つ事になる。そんなシルフィスのためにできること、 それはたった一つ。

「あたりまえだよ。私は、ずっと君の側にいる。 どんな時も、君の手を離したりしない。 ・・・・・・たとえ、君が嫌だと言ってもね。・・・・・・誓うよ」

 朗らかな口調。けれど、最後の一言だけ、噛み締めるように紡ぎ、 少女の頭に唇を強く押し付ける。

「嫌だ、など・・・・・・言いません」

 ただただ、彼の気持ちが、優しさが嬉しくて、 震える声で少女は彼の胸に顔を押し付けた。熱い涙が頬を伝う。

「今夜が・・・・・・私と君だけの、誓いの日だ・・・・・・共に、生きていこう」
「はい、殿下・・・・・・」

 二人の誓いを見守るのは、夜空に丸く浮かんだ銀盤のみ。その 静かな光の降る中、 二人はお互いの体温を感じ、抱き合った。









婚儀の日よりも
婚儀の前日の話の方がおもしろいかなーと思い書いてみました。
いつもと変わらずラブラブなんですけどね、どっちにしろ(笑)


【2005/09/04】





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