18.夜会


 それは、いつもと変わらない夜会の一つであった。

 花見だ、月見だと理由をつけて貴族達が集まり、たわいもない会話、政略の関わる嫌味の応酬、愚にもつかない噂ばなし。
 ホールに充満するのは駆け引きと、混ざり合った香水の、はっきりいって気分の悪いにおい。セイリオスは、 毎度、こうした夜会に出るたびにうんざりとしていた。

 今日も、とりあえず一通りの挨拶を受け、 そのあとはホールの隅に用意されたちょっとした休憩をとれる場所で椅子に腰掛け、 遠くに感じられるホールの様子を 見るともなしに窺っていた。

 カーテンに遮られ、ホールの音はせいぜいざわめき程度。 実際にその場にいるよりはかなり気が楽であった。
 こうした場所でカーテンの隙間から貴族達の様子を見ると、 様々な人間模様が見えてくる。 どこの家とどこの家が仲がいいのか、 どこが犬猿の仲なのか、そして どこぞの貴族の嫡男がとある子女を目で追いかけている様子など、 ここは人間観察にもってこいの場所であった。

 こうして、人々を観察すること自体、 面白くないことではないし、 時として政略にも役に立つ。

 だが、こうしているのが退屈ではない、といえば嘘になる。 セイリオスは、飽き飽きとした様子でため息をつくと、 カーテンを閉め、ホールから視線を外した。
 円テーブルを見ると、その上にはいくつかの飲み物が乗っている。 セイリオスはためらうことなく一つのカクテルを手に取ると、 ぐいっと飲み干した。

「おいおい、そんなに一気に飲んだら酔っ払っちまうぜ」

 声をかけられ、セイリオスはそちらを見る。 そこにはにやにやと人が悪そうに微笑む悪友の姿。

「構わん。別に、皇太子がここで酔っ払っても、 あいつらには関係のない、なんでもないことだ。夜会の主役は、 私ではないのだからな」
「おやおや、今日の殿下はやけにご機嫌斜めだな」
「うるさい」

 短く切り捨て、 セイリオスはまた違うグラスを手に取る。

「つーか、お前、前からこういう夜会が嫌いだったな」
「・・・・・・この国の汚い部分がすべてさらけ出される場所だ。 好きになる方が難しいさ」

 ぽつり、と呟く親友に、シオンは「確かにそうだな」と 悪びれた様子もなく肩をすくめて同意してみせる。

「ま、お前にしてみれば『花』の宝庫だろうがな」

 からかうように笑い、セイリオスはグラスを傾ける。

「まあな♪・・・・・・でもな、セイル知ってるか?どんな大花も 一つの蕾の前には色あせて見えるんだぜ?」
「蕾・・・・・・?」

 なんのことだ?と訝しんで眉を片方上げ、 セイリオスは親友を見上げた。

「辺境からきた金の花さ。小さくて素朴だけど、 花自体はすげー綺麗に咲くの。 咲いてく様子を楽しむのもまた一興」

 にやつくシオンを尻目に、 セイリオスはその言葉が表すものを逡巡させる。

 辺境。
 金の花。
 素朴で・・・・・・。

 脳裏を掠めるのは一人の少女。つい先日、 女性になったばかりの、 無防備な危うさを備えた美しさ、 そしてそれに反して意思の強さを宿した、 深緑色の瞳を持つ、アンヘルの若者・・・・・・。

 がたっ

 それまで悠々と座していた椅子から立ち上がり、 セイリオスは思わずシオンの胸倉を掴んだ。

「っと・・・・・・んだよ」
「来ているのか?」

 彼女が。

 真剣な眼差し。刺すような菫色の瞳。 けれど、シオンはこともなげに悪戯っぽく笑って見ると視線を 明後日のほうに向けて、しらばっくれて見せる。

「さあね〜」
「シーオーンーーっ」

 詰め寄る皇太子に、 それでもシオンはしらっばくれ続ける。
 シオンは知っていたのだ。 セイリオスがここでふて腐れていた理由を。

 それは一重に婚約者シルフィスのこと。
 紆余曲折はあったものの、 セイリオスとシルフィスは恋人同士となり、 今では公式ではないにせよ、婚約を取り結んでいた。
 シルフィスはセイリオスの婚約者となってからここ一ヶ月、 騎士という地位にいまだについていたが、 お妃教育もあって王宮で暮らしていた。 しかし、週に二日だけ、 お妃教育の休みの意味で、 もともと暮らしていた家へと帰ってしまうのだ。

 そして今日はその二日目。シルフィスはいないし、 あまつさえ、あまり好かない夜会にでなければならない。 セイリオスの不機嫌な理由はここにあったのだ。

「もういいっ!!自分で探すっ!!」

 シオンを投げるように放し、 セイリオスは休憩所からホールへと出た。

「んとに、シルフィスが関わるとああなんだからな」

 服のしわをとりながら、 シオンは呆れたように呟く。

 執着。
 そう、きっとその言葉が似合う。彼のシルフィスへの想いは。
 治める立場の人間が一つのものに執着する。 それはとても危険なことだ。大いなる弱点になるから。

 だがしかし、それと同じだけセイリオスは強くなった。 シルフィスを得て、まるで水を得た魚のように生き生きと、 それまで機械仕掛けの人形のようにその運命を演じてきた彼に、 生気が宿ったのだ。
 機械仕掛けはそのうち壊れる。そして壊れやすい。 けれど、生きているものは違う。壊れにくくしなやかであり、人形よりも強い。

(弱みを持つことが、強さの秘訣なのかね)

 シオンは廊下を足早に進んでいく白い後姿を見つめ、 口許に苦笑を浮かべた。




 セイリオスはホールを見回すとすぐに踵を返した。
 彼女の姿はない。 あれだけ豪華な金の髪を有しているのだ。 目に留まらないはずがない。 では一体どこにいるのか?

(もしかして・・・・・・シオンに乗せられたか?)

 ふと思いいたり、しかしすぐに打ち消す。

(もし乗せられたとしても・・・・・・もしかしたら、本当にいるかもしれない)

 よくわからないが、そんな予感めいたものがセイリオスの中にはあった。 この会場のどこかに、愛しい少女がいる、と・・・・・・。

 ホールを離れ、バルコニーに出る。 空にはか細い三日月が浮かび、 刺すような光を投げかけていた。
 満月の夜とは違い、視界は悪い。 新月の夜と変わりないだろう。
 庭の端々に松明がたかれ、 冷たい夜風に震えていた。 そのゆらゆらとした明かりを頼りに、 目を凝らし、少女の姿を必死に探した。

 と、視界を掠める金の輝き。 三日月の蒼い光と松明の橙の明かりの相反する色を受けて、 それは幻想的に煌く。

 セイリオスはバルコニーの階段を駆け下りると、 まっすぐにそれに向かって駆け出した。 庭の片隅、 その人物は背筋をピンと伸ばして立っている。

「シルフィス!!」

 叫ぶと、何の疑いもなく素直に振り返る。 が、 自分の姿を認めると驚いたように深緑色の瞳が見開き、 驚きと戸惑いの表情を作り出す。

「で、殿下・・・・・・?!」

 たったそれだけの言葉が少女の口から零れ落ちる前に、 セイリオスの両腕はその細い身体を捕らえ抱き寄せていた。

「あ・・・・・・あのっ・・・・・」

 腕の中に閉じ込めてしまうと、 気まずそうな声が胸元から響く。

「シルフィス・・・・・・会いたかった・・・・・・」

 更に腕に力を込め、抱きしめる。 金糸に顔を埋め、その香りを確かめる。 太陽と微かな花の香り。ホールでのあのにおいに比べたら、 万倍も清々しく、そして魅惑的な香り・・・・・。

「殿下・・・・・・ホールを抜け出していらしたのですか?」
「ああ。君がいると聞いてね」

 息苦しそうにもぞもぞ動く少女に、 腕の力を緩めて少しだけ身体を離すと、 頬を染めながらもこちらを真っ直ぐと見上げてくる。 その視線にぞくぞくとしたものを感じながらも悠然と微笑み、 そっと少女の頬を撫でた。

「いけません。早くお戻りになられないと・・・・・・皆様心配されますよ?」

 その手が与える感覚から逃れるように 首を横に向け、咎める声を上げる。

「構うものか。 今日の夜会は、私が主役ではないからね」
「ですが・・・・・・」

 そう言ってのけると、渋る少女の髪を一房手に取り、 そっと口付けた。 神経が通っているわけでもないのに、 何故か甘い痺れを感じ、シルフィスはびくりと身体を震わせる。

「それよりも、私の婚約者である君が、 こんな形で夜会に出席しているとはどういうことかな?」

 公式ではないにせよ、シルフィスは婚約者である。 いまだ披露できる身の上ではなくとも、 夜会に出席するのであれば、 ドレスを身に纏い、あのホールにいるはずであるのだ。

「ここの警護の人が怪我をしてしまって。 変わりに非番である私が警護につくことになったのです」

 そう、と漠然としないものを抱えつつも頷き、 セイリオスは改めてシルフィスを見下ろした。

 何の疑いもなくこちらを見上げてくる表情はどこまでもあどけなく、 そして美しい。それを縁取る金の髪はまるで水のように、 微かな風にもさざなみのように涼しい音を立てて揺れる。

 思わず見とれ、じっと見つめていると、 少女の方が気まずくなったのか、瞼を伏せて視線を逸らした。

「あ・・・・・・あの・・・・・・私の顔に、何か?」

 頬を染める様子がまた艶やかで、 セイリオスの鼓動を早める。

「いいや・・・・・・、シルフィス、少し二人で話さないかい?」

 思ってもみない申し出に、 シルフィスは再び目を見開く。

「殿下。ホールにお戻りになられないと・・・・・・。それに私は勤務中です」
「さっきも言ったけれど、私のことは構わなくていい。 君の勤務なら・・・・・」

 毅然と言い放つ少女を尻目に、 セイリオスはあたりを見回すと近くにいた一人の若い騎士を呼び寄せた。

「彼女を少し借してもらうよ。すまないが、ここも見ていてくれるかい?」

 呼びつけられ、最初は訝しむような態度をとっていた騎士ではあったが、 呼び寄せた人物が誰であろう、彼の皇太子であることが分かると、 途端に背筋を伸ばして敬礼の形をとった。
 皇太子にそう命じられれば断る理由はない。 騎士は「はっ!」と短く返事をすると、自分の持ち場と シルフィスの持ち場の間の辺りに立った。

「頼もしいね、わが国の騎士は。 ・・・・・・さあ、これで問題はないだろう?」
「・・・・・・それは職権濫用です、殿下。それに一人で二人分の警護など・・・・・・」
「いいから。今日は君と過ごしたいのだよ」

 悪びれた様子もなく、あくまでも爽やかに笑ってみせる皇太子に、 さすがのシルフィスも脱力を禁じえない。 けれど、手を引かれて促されると、「仕方ないですね」と 困ったように笑って彼の誘いを受け入れた。




 遠くで音楽が聞こえる。ダンスの時間になったのであろう。
 シルフィスは風に乗って聞こえてくる優雅な音楽を聴くともなしに 聴きながら、 そっと隣りの人を盗み見た。

 あれから、二人は庭の奥の方に建てられた東屋にきていた。 ベンチにこしかけ、何気ない会話をしていたが、 つい先ほどふと途切れてしまったのだ。

 それほど気まずさは感じていなかったが、 さすがに、 それからずっと無言でこちらを見られ続けると 気まずくなってきてしまう。 なにか話そうと思っても言葉が浮かばず、 セイリオスのほうを見てもすぐに視線を逸らしてしまったり、 落ち着かない様子でいた。
 逆にセイリオスはそんな様子も楽しむかのように、 淡い微笑を浮かべたまま、こちらを見つめ続けている。

「あの・・・・・・殿下」

 だがようやく、語るべき言葉を見つけ、シルフィスはまっすぐとセイリオスを見上げた。

「なんだい?」

 屈託なく返事をし、すっと目を細める。 その表情に、シルフィスの心臓が一つ高く跳ね上がった。

「殿下は・・・・・・夜会がお嫌いですか?」
「なぜそう思う?」
「いえ・・・・・・なんとなく。 ホールから離れようとしている感じがありましたから」

 シルフィスの言葉に、淡く微笑む。

「・・・・・・実はね、 あまり好きではないのだよ。華やかさとはうらはらの汚さ、駆け引き、謀略。 あそこにはそれが詰まっている。・・・・・・政治をやっている人間が集まる場所だ。それは仕方ないと思う。 私自身、そんな駆け引きや謀略の頂点にいる存在だし、 そうしたことを行なうこともある。 だが・・・・・・、できればずっといたくない場所だよ。 きっと、自分の姿を映し出す鏡のようだから・・・・・・。 だから、 苦手なんだろうね」
「殿下・・・・・・」

 気遣うように見上げる少女の瞳に、にこりと微笑みかけ、 セイリオスは庭へと目をやった。
 よく手入れの行き届いた庭。 風が茂みや木を撫でていき、ざわりと揺れる音が涼やかである。

「でも、君が共にいてくれたら、 きっと大丈夫だよ」
「え?」

 風が止み、 しばらくの沈黙の後、予測をしていなかった一言に、 シルフィスは目を丸くした。

「早く君のドレス姿を見たいよ。きっとあのホールを すべて浄化する力がある」

 少女の手を取り、 そっとその甲を撫でた。

「そして、私自身も・・・・・・」
「っ・・・・・・」

 優しい手の動きが、シルフィスを苛む。 ふともれた声に、セイリオスは甘く微笑みその赤くなった頬に手を添えた。

「でん・・・・・か・・・・・・?」

 漏れる吐息はセイリオスの中に収められる。

 遠くで聞こえる、セレナーデのように優しく甘い音。 しかし、それはすぐに彼の手によって耳の辺りをふさがれ、 聞こえなくなってしまう。

「シルフィス、ダンスは踊れる?」

 唇を離し、けれど身体はそのまま密着させたまま、 熱い息を吐いた少女の耳元に囁く。

「ぁ・・・・・・。は、はい・・・・・・少し、ですけど。 お妃教育で、習っている最中ですし・・・・・・」
「そう、じゃあ・・・・・・踊ろうか?」
「えっ??!!」

 またもや突然のセイリオスの言葉に、 シルフィスは弾かれたように彼の顔を見た。 そこにはニコニコと微笑む青年の姿がある。

 そして、手を引かれるがままに立ち上がり、 その勢いのまま、 彼の懐へと引き寄せられる。 ふわりとしたあたたかさと、彼の香り。そして、力強さ。 それを強く感じ、 シルフィスは安らぎと同時に胸の高鳴りを感じた。

 ドキドキと早鐘を刻む心臓。 その音が、セイリオスに届かないようにと必死で祈る。

「身体の力を抜いて。私がリードするから、 なんの心配もいらないよ」

 やがて、ゆっくりとしたステップで、セイリオスがリードを始める。 ダンス自体はそれほど難しいものではない。 ワルツに比べればかなり簡単なものだ。 けれど、緊張と恥ずかしさに襲われているシルフィスは、 それがどんなステップであったのか思い出すことができず、 次はどこに足を踏み出せばいいのかわからないまま、 危うくとんでもない方向に足を踏み出してしまいそうになる。

 だがそうすると、すぐにセイリオスが力強く進むべき方向へと引き寄せ、 辛うじてステップを踏んでいた。
 やがて、身体から余計な力が抜け、 足は羽が生えたかのように軽く動く。

「うん・・・・・・上手だよ・・・・・・」
「そ、そうですか?」
「ああ・・・・・・まるで、天使と踊っているようだ」
「お、大げさです・・・・・・」

 シルフィスは恥ずかしそうに頬を真っ赤に染め、 視線を逸らした。そうして現れた白い項に、 セイリオスのキスが降る。

「本当だよ・・・・・」
「っあ、・・・・・・でっ殿下っ!!!」

 びくりと反応する少女を、甘い視線で見下ろし、 そして抱く腕に力を込めた。

「お仕置きだよ。 私から視線を逸らしたね」
「っ・・・・・・」

 くすくすと、笑う青年。 その微笑に、シルフィスは困ったように笑い、 そして心の底からの微笑みをセイリオスに向けた。

 三日月が笑うビロードの空の下。ただ二人きりの、 見るもののいない寂しい舞踏会。
 けれど、セイリオスにとって心の慰めとなる、愛しい少女との 二人だけの夜会・・・・・・。









またもや甘いお話でした(笑)
ここで暴露しますが、
私、騎士のシルフィスと殿下のラブラブ話を考えるの
苦手かもしれません。
騎士のシルフィスと殿下の関係だと、
どうしても痛くて、切なくて、悲恋になりそうなものしか
思い浮かばないんです(--;)
そこそこに甘い話は思い浮かびますけどね。

そこで、今回は砂を吐くほど甘いお話を目指しましたっ!
・・・・・・でも玉砕だった模様(--;)

読んでくださった皆さんには
どのように感じられたでしょうか?


【2004/01/25】





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