17.ドレス


 その若者を見かけたのは、 大通りから少し外れた小さな店の前だった。
 息抜きと民の生の声を聞くためにと始めたお忍び。 民と変わらぬ服を身にまとい、市井に紛れる。 何度目かもわからないくらい回を重ね、 今日もまた、 いつも通り街へと繰り出していた。

 そして、大通りからわき道に逸れ、 一軒のこじんまりとした店の前に通りかかった時、 その金の輝きを見とめた。

 ショーウィンドウの向こう、少しだけ困ったような表情。
なにごとかと思い覗き込んで、はっとする。 その若者は、普段とはまったく違った衣装を身に纏っていたのだ。

 ふわりとした水色のスカートに、 同じ色のリボンで髪をまとめている。 知らない者が見たのならば、可愛らしい少女だと思うだろう。 半分はそれであっている。だが、半分は違う。

 彼の若者はアンヘル族。 いまだ分化していない、女性でも男性でもない存在。 けれど、自分が、あの若者にどちらになってもらいたいのかはっきりとわかっている。 その姿で、その若者はショーウィンドウ越しにいたのだ。

(もしや・・・・・・女性に分化を?)

 淡い期待と、喜びが、 ゆっくりと胸中を支配していく。 まるで熱い手が、甘く心臓を握り締めるような、 焦がれる感覚。

 しかし、そうした感情は、若者の隣に一人の少年が居ることに気付くと、 逆に冷たいものに変化していった。

 少年は一度だけ見かけたことがある。銀髪の、子犬のような少年。 レオニスの部下で、あの若者とは同期の騎士見習いである、 ガゼル=ターナ。 若者の一番身近で、一番親しい人物。

 じり、っと胸の奥で冷たい炎が揺らめく。知らず知らずのうちに、 視線にもその冷たさがにじみ出て、 射抜くように見つめる。

 少年は、若者のドレス姿を心底嬉しそうに見ていた。 本当に、幸せそうに。 そして頬はうっすらと上気させて、 黄金色の瞳は熱に浮かされたような光がある。

 セイリオスは一瞬で見抜く。少年もまた、 この若者に自分と同じ気持ちを抱いているということを。 だからこそ、見抜くことができたのだ。

 たかがドレスかもしれない。けれど、 あの若者にとって、ドレスを身にまとうということがどういうことであるのか、 それを意味するものがなんであるのか、 それは、セイリオスにとっても特別なことであるのだ。 それを、自分ではなく、あの少年が行なった。 更なる炎が、胸を焦がす。

 どれくらい立ち尽くしていたわからなくなる頃、 店のドアが開き二人が姿を現した。 セイリオスは咄嗟に物陰に身を潜めると、二人を見守る。

「ガゼル、もうこんなことやめてよね」

 こちらを向く若者が、眉間に深いしわを刻みながら、 憮然とした様子で少年にそう告げた。

「はは、わりぃわりぃ。でもさ、 見たかったんだよ。お前が女になったらどうなるのか」

 少年は悪びれた様子もなくそう告げると、 頭を掻く。

  「そんな・・・・・・私は女にならないかもしれないんだよ?」
「だったらなおさらだぜ。どっちでもない今のうちに、 見ておかなきゃ」

 少年の考えがわからない、とばかりに若者は肩をすくめて ため息をついて見せた。

「だからどうして・・・・・・」

 ぶつぶつと言う若者は、相当ご立腹の様子で、 上目遣いに少年を見る。 その視線から逃げるように、少年は笑って誤魔化しながら若者の横を小走りに 駆け抜け、通りを先に進んで行ってしまった。

「なんなんだよ、今日のガゼルは」

 少年の行動の意味が分からないまま、 彼の後を追おうと歩き出したその時だった。 ふいに誰かに腕を掴まれ、強く引かれる。

 ごろつきや追いはぎなどの不埒者の類だと思い、 振りほどこうとするががっしりと掴まれそれが敵わない。 ならばと、その勢いを借り、振り向きざまに空いている手で 拳を叩き込もうとした瞬間、 ふと目の前が暗くなり、 我が身に何かが覆いかぶさってきた。

「わっ・・・・・・・・・」

 小さく悲鳴を上げ、バランスを崩し倒れこむ。 それをしっかりと受け止めるようにして何かが我が身を抱く。 その感覚は身に覚えがある。 以前、感じたことがあるぬくもりと、力強さ・・・・・・。

「でんっ・・・・・・」
「しぃ・・・・・・静かに」

 繊細でけれど確かな男の手が、 ふわりとシルフィスの口を塞いだ。 そして、耳元を掠めるようにして言葉が降る。

「っ・・・・・・」

 シルフィスは動けなくなり、そのままぐったりとその人に身体を預けてしまう。

「こんなところで、奇遇だね」

 セイリオスは若者を抱きしめたまま、 涼やかに笑って見せた。

「殿下・・・・・」

 俯いたまま、か細い声が彼を呼ぶ。

「お忍びは、危険です」
「そうばかりとは限らないさ。 今日は・・・・・・いいものが見れたし」
「いいもの・・・・・・?」

 きょとんとしてシルフィスは青年を見上げた。
 整った顔、そして庶民と同じ服装をしていても隠すことのできない気品。 信じられないことではあるが、目の前に居るのは確かに この国の皇太子であるセイリオス。 そして、つい先日、プロポーズをこの人から受けたばかりで・・・・・・。

 シルフィスは薄っすらと頬を染め、視線を彷徨わせる。 胸が、確かな動悸を体中に伝えている。

「ああ・・・・・・。君のドレス姿を」
「見ていたんですかっ??!!」

 深緑色の瞳を大きく見開き、 シルフィスの顔は羞恥でみるみる赤くなっていった。 その様子を見て、くすくすと笑いながら、 セイリオスは若者の身体を抱き寄せる。

「あ・・・・・・あれは、ガゼルが・・・・・・」
「・・・・・・そうみたいだね」

 セイリオスの声にふと影がかかる。 けれど若者はそれに気付かず、 何をどう話せばいいのかわからないまま、 青年の腕の中、戸惑いで俯いた。

「君は・・・・・・ドレスを身に纏うのは嫌なのかい?」

 静かな問いかけ。 シルフィスはゆっくりと青年を見上げた。

「・・・・・・わかりません」

 瞳がそらされ、長い睫毛が微かに震える。

「あまり、喜んでいるようには見えなかった。 ・・・・・・君は、女性にはなりたくはないのかい?」
「そんなことありません!!」

 咄嗟に大きな声で否定の言葉を告げ、 自分の声に驚き、また瞼を伏せた。

 ふわっと、包み込むようにセイリオスの手が頬に触れる。 たったそれだけで、胸が甘く締め付けられるような感覚に襲われ、 鼓動が高鳴る。

「・・・・・・・・・」

 そうして黙り込んでしまった少女の身体を強く抱き寄せ、 細い腰に腕を絡めた。

「ただ・・・・・・わからないから」
「わからない?自分の気持ちが、かい?」
「いえ・・・・・・」

 心臓の音が聞こえてしまうほど身体がふれあい、 更に高鳴る胸を抑えながら、 シルフィスは言葉を紡ぐ。

「何故、今の私に、ドレスを着せようとするのか。 女性ではないのに。なるとは決まっていないのに・・・・・・」

 戸惑いで顔を歪め、 セイリオスの服をぎゅっと掴んだ。その指先から伝わるのは、 微かな不安。それを感じ、 セイリオスは若者を手に自分のそれを重ね、握り締めた。

「何故、ドレスを着せようとするのか・・・・・・ それは唯一つ。 君に女性になってもらいたいからだよ」

 びっくりしたように目を見開き、 そして瞼を伏せる。

「・・・・・・では、男性の私は、必要ないのですか?」
「そういうわけではないよ。ただ・・・・・・女性になったほうが、 君が苦しまなくてすむ、そういうことだよ」

 セイリオスは柔らかく微笑むと、 うつむいてしまった若者の頬にそっと触れた。まるで、 ガラスに触れるかのように、慎重に、気遣うように・・・・・・。

「でも、大丈夫だ。君は女性になるよ。間違いなく、ね」

 シルフィスは、そろり、と皇太子を見上げた。 怯えたような、それでいて、希望のような光を湛えた瞳で。

「たとえ、君が男性になろうとも、 私は君を手放すつもりはないけれどね」

 若者の視線を微笑みで受け止め、 そのまま頬に軽く口付けた。

「お、お戯れを・・・・・・」

 びくり、と微かに身体を波立たせ 視線を逸らし、そして若者は微かな笑みをその口許に浮かべる。

「もし・・・・・・、 君が女性になったら・・・・・・」

 その表情の艶やかさ、可愛らしさに、 セイリオスは路地の陰とはいえ、野外であることを忘れ、 若者に甘えるように耳に触れるか触れないかの位置で唇を滑らし、 首筋に顔を埋めた。

「ドレスを贈ろう。 そして、一番に、その姿を私に見せて欲しい」

 青年の行動に、微かな恐れを感じ身を硬くしていたシルフィスは、 彼の言葉にふと身体の力が緩み、 そっと彼の背中に腕を回し、遠慮がちに抱きついた。

「はい・・・・・・殿下・・・・・・」

 ガゼルの時とは違う、素直に頷ける自分がそこにはいる。 彼の想いを、痛いほど感じるから。そして同じくらい、 自分の強い気持ちに気付くから。

(女性に、なりたい。この人と・・・・・・共に生きていきたいから・・・・・・)





 若者の元に一着のドレスが届くのは、一週間後のお話―――。









期待していたものとは違うお話になってしまったかもしれませんが(汗)
最近のわたしのブームは
未分化シルフィスのようです(笑)

皇太子妃になりたてで、
舞踏会でドレス姿を披露、とかも考えてみたのですが、
単調なお話になってしまったのでボツりました(^^;)

でも、まあ、
どっちにしろラブラブでべたべたなのは変わりませんが(苦笑)


【2004/08/18】





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