16.手紙


 『アンヘル族の長老にして、親愛なるお祖父様・・・・・・』

 それだけ書き、シルフィスの手はぴたりと止まってしまう。白い紙面の上で、 インクで濡らしたペン先をとどめ、 そのまま小さく唸る。しばらく考え込んでから、 ペンの先からインクが丸く雫の形になるのに気がつくと、 慌ててインク壷の中にペンを入れ戻した。

「シルフィス?」

 そうしてまたしばらく白い紙とにらめっこをしてから、 再びペンをとって書き始めようとしたその時、 突然後ろから呼びかけられ、小さく身体を波立たせる。 振り返ると、そこにはいつの間にか夫の姿が・・・・・・。

「殿下。お戻りになられたんですね。すみません、気付かなくて」

 シルフィスはペンから手を放すと、慌てて立ち上がった。

「お疲れ様です」
「ああ。それにしても・・・・・・何にそんなに夢中になっていたんだい?」

 律儀にもお辞儀をして微笑みで迎える少女に、 セイリオスは柔らかな笑みで返した。 少女の細い身体を抱き寄せるとそっとその唇にキスをひとつ。 そして、自分が入ってくることすらも気付かないでいた原因を突き止めようと、 肩越しに先ほどまで少女が向かっていたテーブルへと視線を落とした。

「手紙・・・・・?」

 セイリオスの声に、彼の腕の中で大人しくしていた少女が少し身じろぎをする。

「はい。久しぶりに家族に手紙を書こうかと思ったのですが・・・・・・。でも、 なんだか気負うと上手くかけないんです。何を書いていいのか・・・・・・」

 戸惑いの声音。腕の中のシルフィスを見下ろせば、 瞼を伏せて表情には悩みの色を見せている。

「君が思うままに書けばいい」
「そう、なんですけどね」

 シルフィスは困ったように笑うと、 するりとセイリオスの腕の中から離れた。

「・・・・・・きっと、書きたいことがいっぱいすぎて、 まとまらないんだと思います。 私が・・・・・・思うままに・・・・・・。それが、今、一番難しいんです」

 そしてテーブルに歩み寄り、便箋を見下ろす。白地に、クライン 王家の紋章が品よくあしらわれている。そこには 繊細な文字で少女の字が躍っていた。

「そんなに君は何を伝えたいんだい?」

 くすくすと涼やかに笑い、セイリオスは椅子に腰掛ける。

「本当に・・・・・・たくさんのことです」

 シルフィスはゆっくりと夫の前に歩み寄り、恥ずかしそうに、 けれど幸せそうに微笑んだ。

「王宮の暮らし、王都の様子、メイのこと、姫のこと・・・・・・・・・それから・・・・・・」

 すっと、細い腕が伸び、セイリオスの頬に指先が微かに触れる。 そして熱いものを触れたかのようにすぐに引かれた。

「私を・・・・・・これ以上ないほど愛してくださっている方のことを・・・・・・」

 はにかんだ微笑み。頬を薄っすらと薔薇色に染めたその様子が、 本当に艶やかで、可愛らしくて・・・・・・。
 セイリオスも淡く微笑み、引かれた少女の腕を捕らえ、ぐいっと 引き寄せ自分の膝の上に座らせた。

「きゃ・・・・・・で、殿下」

 少女の頬が色濃く染まるのを横目で見ながら、 テーブルの上の便箋を手に取る。

「ならば・・・・・・そのまま書くといい。書きたいこと、伝えたいこと、 その全てを。・・・・・・君は、私と結婚してしまって、 もう、簡単には家族とは会えない身になってしまった」

 そう言葉を紡いだ夫の顔に、申し訳なさそうな色が走るのを、 シルフィスは見逃さなかった。そして何か彼に言おうと口を開きかけたところを、 それを制す彼の視線で口を塞がれてしまう。

「だから、会えない分、書けばいい。君の、今現在を。君の、全てを・・・・・・」

 セイリオスはゆっくりと言葉を切りながら、 シルフィスの首筋に顔を埋めていく。

「・・・・・・はい・・・・・・セイル・・・・・・」

 まるでその動作が甘えているかのようで、 シルフィスはそれを抱きとめるようにセイリオスの首に腕を回し、 そっと目を閉じる。

(私の・・・・・・今現在。そして・・・・・・私の、すべて・・・・・・)

 トクトクと、命の音が肌を波立たせる。それは 自分のものなのか、それとも彼のものなのか。もしかしたら、 二つがひとつになった音なのかもしれない。 はっきりとはわからないが、けれど、それが何よりも愛しいと 思えるものであるのはよくわかる。

 彼の紡いだ言葉。それをもう一度胸の中で繰り返した時、 自分の中にはっきりとした何かが浮かんだ。それはこの命の音であり、 ぬくもりであり、愛しさであり、そして・・・・・・・・・。




 シルフィスは夫を起こさないようにこっそりとその腕の中からすべり 出ると、 ローブを身に纏い窓際のテーブルへと向かった。

 今夜は満月。窓の外には大きな月が浮かんでいる。 まるで笑っているかのような、銀盤。

 その月影に照らされながら、 気だるい身体を椅子の背もたれに手をつき支え、 うっとりとそれに見入ってから、テーブルの上に視線を落とした。
 そこにはまだ白紙の便箋がぽつりと乗っている。 手紙を書き始めた時のまま、ここに。

 シルフィスはローブのあわせをかき寄せ、 ゆっくりとペンに手を伸ばすとそれを持ち、 迷うことなく紙面にペンを走らせた。

「うん・・・・・・これで、いい」

 さらっと一行書き頷いた時、背後で衣擦れの音がする。 どきっとして肩越しに振り返ると、 ベッドの上で夫が寝返りを打つ音であった。

 シルフィスは口許に柔らかく笑みを浮かべると、 便箋をその隣りに置いてあった封筒に手早く入れ、蝋で封をする。 そしてテーブルの上に何事も無かったかのように静かに置くと 踵を返し、夫の腕の中へともぐりこんだ。

 あの手紙を読んで、故郷の家族たちはなんと思うだろうか。 たった一言の手紙。けれど、その一言が今のすべてであり、 今の自分を伝えるにはその言葉しかないのだ。

(お祖父さん・・・・・・お父さん、お母さん・・・・・・私は・・・・・・・)

 夫の広い胸に顔を埋めると、まるでそれが当たり前の動作かのように、 彼の腕が自分を引き寄せた。驚き身体を波立たせるが、 すぐにぬくもりが全身を心を満たし、そして支配し、 シルフィスはゆっくりと目を閉じる。

(私は、今。とても幸せです)














というわけで「手紙」です。

当初は、シルフィスが書いた手紙、という形で書こうと思ったのですが、
他のサイトさんでそれはやっていらっしゃったので、
違う方面でいってみました。

あいかわらずラブラブです(^^;)


【2005/01/25】





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