15.帰郷


 シルフィスはそこで立ち止まると、 懐かしい香りを運ぶ風を、 胸いっぱいに吸い込んだ。

 深く暗い森を抜け、開けたその場所には小さな集落。 切り立った山を遠く望み、小川がさらさらと流れ、 森に囲まれた静かな村は、ここを旅立った時のままそこにあった。

 それはおよそ2年ぶりの帰郷。ここは王都から遠く離れた アンヘル族の村。 シルフィスはここを国からの召喚に応じ、騎士となるべく 旅立ったのだ。

 あれからもう2年。自分はここに帰ってきた。騎士としてではなく・・・・・・。

「そこにいるのは、もしかして・・・・・」

 ふと声をかけられ、シルフィスはゆっくりと顔をそちらの方に向ける。 そこには一人のアンヘル族の青年の姿があった。 若草色の瞳が、疑うように、観察するようにシルフィスに注がれている。 シルフィスは僅かにたじろぎながらも、 その視線を真っ向から受け止めた。

「あー!!!!やっぱりシルフィスじゃないか!!!」

 ずばりと自分の名前を言い当てられ、 目を見開く。向こうが自分のことを知っているということは、 シルフィスも彼のことを知っているはずだ。狭い村の中、 顔見知りでない者などいない。例え人を介しての知り合いだったとしても、 それは王都で言う「知り合い」とは違った親密さがあった。

「・・・・・・・・・も、もしかして・・・・・・エリシオ・・・・・エル??!!」

 記憶の片隅から引っ張り出された顔と、 目の前の青年とがかみ合った瞬間、 シルフィスはその名を口にする。 すると、目の前の青年の顔がぱぁっとほころび、 なんとも嬉しそうな微笑が浮かんだ。

「そうだよ!俺だよ!久しぶりだな!シル! お前、女に分化したんだな。あまりに綺麗になってるから、 最初お前だとは分からなかったよ」

 目の前の少女の姿をしげしげと見つめる。細身の身体に身に着けているのは、 動きやすい旅装。粗末な服装ではあったが、 女性特有の線は隠れることなく見ることができた。

「エルも、身長、伸びたね。分からなかった」
「男らしくなったろ?」
「うん」

 臆面もなく頷く少女に、青年は照れたように笑ってみせる。

 エリシオは、シルフィスの家の隣に住む、幼なじみであった。 歳はエリシオの方が一つ上で、 小さい頃から、それこそ赤ん坊の時から何かと面倒を見てもらっていた。

「でも、良かったな、シル。お前、分化できたんだな」
「うん。その・・・・・・いろいろあって」

 エリシオの言葉に、僅かに頬を染めるシルフィス。 その様子を不思議そうに見つめてから、 エリシオは歩き出す。

「ま、何にせよ、おじさんたちのところに行くんだろ? そこで王都の話を一緒に聞かせてくれよ」
「うん。私も、報告しなければいけないことがあるから」

 2年ぶりの再会を果たした二人は、 ゆっくりとした足取りで村の中を進んでいった。 道すがら、 2年の間に村で起こったこと、両親と祖父が変わらず元気でいることを 聞き、懐かしさと安堵に胸を撫で下ろす。こうして 村を歩いていると、2年前と変わらぬ景色が次々と 視界に飛び込んできた。自宅へと続く小道に生える 一本の木、変わり者の老人が住むブルーの三角屋根の家、 その懐かしさに自分が帰ってきたのだということを改めて痛感する。

 途中、シルフィスの姿を見つけた村人に囲まれ、 土産話をせびられなかなか思うように歩みを進めることができなかったが、 それでもようやく自宅の前まで辿り着くことができた。

 目の前に現れた見慣れた建物。二階建ての、他の家と比べると 若干大きいそれは、長老の家であるがため。
 膝丈ほどの柵で囲まれた庭を横切り、 花が咲き誇る中歩みを進める。

 玄関へと差し掛かったとき、 突然、その扉が開け放たれた。 出てきたのは初老の男性。 背はすらりと高く、少々色の薄い金髪は短く切られ、 歳の割りに若々しく見える。
 外の騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たのであろう。 男は、庭に入ってきた二人を見とめ不審そうに見やるが、 「あっ」という表情になり、ふらりと庭へと踏み出した。

「おまえ・・・・・・シルフィス、か?」

 確かめるような言葉。 けれど、彼の中では確信としてそれはあった。

「ただいま・・・・・・お父さん」

 懐かしさと、久しぶりに顔をあわせるという気恥ずかしさに、 はにかんだ微笑を浮かべる。

「あなた、どうしたの?」

 二人はなにも言わず、 何から語ればいいのか分からないままその場で立ち尽くしていると、 男の背後から男と同じくらいの年頃の女性が顔を覗かせた。 長い髪を三つ編みで纏めたその女性は 、男を見てから彼が見つめる先へと視線を流す。 そして、やはりシルフィスの姿を 見ると、驚きで口をあんぐりと開けた。

「シルフィス!!!」

 女性はそう叫ぶと、転がるように家から飛び出し、 シルフィスへと駆け寄る。 そして感情のままに少女を抱きしめ、 その頭を何度も何度も撫で付けた。

「わっ・・・・・お母さん」

 懐かしいぬくもりが、強く、そしてゆったりと自分を満たしていく。 ふわりと香るハーブの香りは、まさしく母の匂い。 あまりの優しい匂いに、シルフィスは思わず泣きそうになってしまい、 母の肩口に顔を押し付けた。

「おかえり、シルフィス・・・・・・おかえり・・・・・・」

 嗚咽交じりの声に、こらえたはずの涙が自然と湧き上がる。 そのまま堰をきったようにとめどなく零れ落ち、 赤ん坊に戻ってしまったかのように、シルフィスは泣いた。 アンヘル村を旅立ったあの日が、まるで昨日のことのようで・・・・・・。

「ただいま・・・・・・ただいま、お母さん・・・・・っ」

 2年ぶりの再会。けれど母の抱擁が、その長い年月を 一気に縮めてしまった。

「さあ、シルフィス。長旅で疲れただろう。中に入りなさい」
「はい、お父さん」

 その低い声音はまさしく父のもので。その声と言葉にすら、 止まりかけた涙を再び溢れさせ、 シルフィスはしきりにそれを拭った。

「そうね、今、お風呂入れるから。 あ、そうそう、お義父さんにもシルフィスが帰ってきたこと伝えないと」

 母親は名残惜しそうに離れると、 目元に光る涙をエプロンで拭い、 本当に嬉しそうに微笑みながら、シルフィスを中へと促す。

「じゃ、俺、オヤジたちにシルフィスが戻ったこと言ってくるわ」

 それまで黙って見守っていたエリシオは、 邪魔者は退散、とばかりにそう告げると踵を返した。

「あ、シル!王都の話、あとで聞かせてくれよ」
「うん。エル、ありがとう」

 シルフィスの礼に、エリシオは笑って手を振り、道を挟んで 反対側にある家へと入っていった。





 久しぶりの我が家へと入り、自分の部屋へと入ると、 旅装を解きベッドへと腰をかけた。どこに行っても、 懐かしいと感じる。村も、家も、この部屋も。 自分がいない間、母が掃除をしてくれていたのであろう。 綺麗に整い、太陽の匂いのする布団に、 また涙が出そうになってしまう。

 長旅の疲れから、しばらくの間何もせずにぼーっとしていると、 母親が顔を覗かせ、風呂が入ったことを告げた。 シルフィスはすぐさま仕度を整えると風呂へとつかり、 長旅の汗を落とす。旅路では思うように身体を流せないでいたため、 それはなによりも御馳走に思えた。

 風呂からあがり、楽な部屋着に袖を通すと、 居間へと向かう。いつの間にか外は夕闇が訪れ、 室内はランプの柔らかな光で包まれていた。 テーブルの上には豪華な料理が並び、 おいしそうな匂いと共に、 あたたかな白い湯気を立ち上らせていた。

 席についているのは父と、この村の長老でもある祖父の姿。 母はまだ台所でなにかしら作業をしている。

 シルフィスは居間に入ると、まず祖父の許へと進んだ。

「お祖父さん・・・・・・いえ、長老、ただ今戻りました」

 背筋を伸ばし、そして深々と頭を下げる。 自分はアンヘルの代表として、長老に送り出された身。ならば、 帰郷した際も、アンヘルの代表として長老に挨拶するべきだという、 シルフィスのけじめであった。

「よく戻った。いろいろと大変だったじゃろう。 ・・・・・・王都での話を聞かせてもらえるかのう?」

 ねぎらいの言葉。けれど王都の話を望むその声音は、 家族に対するやわらかな響きであった。 シルフィスは頭を上げると、「はい」とにこやかに返事をし、 そして席につく。

「さあ、召し上がれ」

 母親は台所からいくつかの皿を運ぶと、 そう促し椅子に腰掛けた。 促されるまま、「いただきます」と挨拶をし、 目の前に出されたスープを一さじ掬い、 口許へと運ぶ。

「おいしい!・・・・・・お母さんのスープ、 すごく久しぶり」

 嬉しそうに微笑む娘に、 家族の顔もほころんだ。2年ぶりの家族団らん。 娘のいない生活に慣れつつあったが、 やはり「一人足りなかった」ということを痛感させられる。

「それで、どうだったの?王都では」
「うん」

 母親の問いかけにシルフィスはゆっくりと語り始めた。 初めて訪れた王都は本当に華やかで目移りしてしまったこと、 騎士団では良き上司に恵まれ、ガゼルという同期ができたこと、 王都でできた友達、親友のこと、 様々な人々との出会い、そして・・・・・・。

「どうした?」

 急にだまってしまった娘に、それまで微笑み、 時には合いの手を入れていた父親が、 心配そうに覗き込む。

「あ・・・・・・うん・・・・・・」

 シルフィスは口許に運びかけたスプーンを下ろし、 じっと器の中を見つめた。茶色の透明の液体に、 悩む表情の自分が映り込む。

「・・・・・・・・・お父さん、お母さん、お祖父さん・・・・・・報告したい ことがあります」

 スープに映る揺れる自分と見つめあい、 何度も何度も考え込み、 そして意を決し口を開いた。

 スプーンを置き、真剣な眼差しで見つめるシルフィスに、 家族達は何かを感じ取り、 そっと娘を見守る。

「私が、女性に分化したこと・・・・・・手紙で報告した、よね?」
「ええ。あなた、分化できないでいたことを悩んでいるよう だったから、私達も嬉しかったわ」

 何から語ればいいのか思いあぐね、 ふと切り出した娘に返事をしたのは母親。 シルフィス自身の緊張と戸惑いを少しでもほぐすように、 優しく次の言葉を促す。

「それでね・・・・・・私・・・・・・」

 母の優しさに背を押されるように、 次の言葉を言いかけた、その時だった。

 軽やかなノックが空気を震わせる。 それまで音らしい音の無かった居間に、 その音がはっきりと鳴り響く。

 そこにいた誰もが驚き、更なる緊張感がその場を満たした。 しかしそれが玄関からということに気付くのにそれほどの時間は要さず、 空気が緩んだのを見計らって母親が玄関へと駆け寄る。

「はい、ただ今」

 玄関の扉を開け訪問者を迎える。はっと、息を呑む声が聞こえたのは 気のせいだろうか。

「夜分に失礼いたします」

 涼やかな声は若い男性のもの。どこかで聞いたことがあるように 思え、シルフィスは玄関を振り返った。

 母親の背中の向こう側。そこには一人の青年が微かな微笑を湛えて 立っている。母親が息を呑んだのもわかる。 その青年の顔が、驚くほど整っていたから。 アンヘル族は総じて美しい容姿の者が多いが、 その蒼みがかった銀の髪から彼はアンヘル族ではないということが わかる。そしてアンヘル族とは違った端正な顔立ちをしていたのだ。

「やあ、シルフィス」

 ふと、その菫色の双眸と視線があった瞬間、 かの青年は嬉しそうに目を細めそう挨拶をした。

 シルフィスは一瞬、何が起こったのか把握することができず、 呆然とその青年を見詰める。 しかし、思考回路が完全に復帰した途端、 彼に見覚えのあったシルフィスは驚きのあまり立ち上がった。がたん、と 椅子が大きな音を立てて揺れる。

「殿下?!!」

 突然の青年の登場に訝しんだ視線を送っていた家族が、 シルフィスの言葉にさらに疑惑の眼差しを送った。

「シルフィス、お前の知り合いか? ・・・・・・それに今、お前、殿下と・・・・・・」

 父親は青年を窺うように見やりながらゆっくりと立ち上がり、 そしてシルフィスを見る。

「え・・・・・・と、そのっ」

 青年の登場に、シルフィス自身も驚いているようで、 どう説明すればいいのか言葉を上手く紡げずにいた。

「はじめまして。あなたが、シルフィスのお父上ですね? 私は、セイリオス=アル=サークリッドと申します」

 戸惑うシルフィスとは対照的に、 胸に右手をあて、優雅な仕草で青年はそう挨拶を述べる。

「セイリオス・・・・・・サークリッド・・・・・・?!」

 静かな、それでいて大きな驚きを込めた声が、 父親の口から漏れる。意外な人物の登場に、 まだ理性が追いついてこない。

 セイリオス=アル=サークリッド。
 その名はアンヘルの辺境といえども、必ず耳にする名である。 それはクライン王国の皇太子の名であり、 アンヘル族と国の民との融和政策を推し進めている、 アンヘル族にとってはかけがえのない存在である。

 そんな人物が、何故、アンヘル村に。 しかも我が家にやってきているのだろうか。 一国の皇太子ともなれば、こんな辺境の地までやってくることなど 早々ありえないことだ。

「セイリオス・・・・・・というと・・・・・まさかっ、セイリオス皇太子殿下っ!!」

 動転する母親に、セイリオスは軽く微笑んでみせる。

「確かに、私はクラインの皇太子です。 ですが、今日はセイリオスという、一人の男としてここに参りました」
「殿下っ・・・・・・」

 シルフィスが怯えたように、そして不安そうにセイリオスを見上げた。 セイリオスは甘く微笑み、「大丈夫」と少女にだけ聞こえるように呟くと、 改めて父親に向き直る。

「カストリーズさん。私は王都で、シルフィスとお付き合いをさせて いただいております」

 セイリオスの紡いだ言葉に、 両親は驚愕の表情となる。 無理もない、自分の娘と皇太子が交際をしている、と 目の前の青年は言っているのだ。 これ以上の驚きが一体どこにあるというのだろうか。

 けれど、それ以上の驚きを、青年は更に口にしたのだ。

「ご両親、そして長老殿にお願いがあります。 ・・・・・・・・・シルフィスとの結婚をお許しください」

深々と頭を下げ嘆願する皇太子に、 母親の身体がふらり、と傾ぐ。それを咄嗟にシルフィスが支え、 心配そうにセイリオスの後姿を見守った。

「シルフィス・・・・・・本当なの?皇太子殿下と・・・・・・」

 信じられない、と母親がシルフィスを見つめる。

「うん・・・・・・。私が報告したかったのは、このこと、なんです。 殿下が、結婚前に、帰郷を勧めてくれて。最後に、 なるだろうから、って。・・・・・・でも」

 まさか、皇太子自らがやってくるなど、 シルフィスも聞いてはいないことだった。

 どう返答していいのか、黙り込んでしまった両親に、 シルフィスの表情が曇る。やはり、両親は許してくれないのだろうか。 まさか、皇太子と自分がそのような関係になるなど、 誰も想像することなどできない。もしかしたら、 娘が騙されていると思うかもしれない。 だから、すんなりと言い出すことができなかった。 拒絶されるのが怖くて・・・・・・。

 重たい沈黙が辺りを包み込んだ頃、 ギシ、と微かな音が耳を突く。

「シルフィスが分化をしたのは、 皇太子殿下の為に、なんじゃな?」

 それまで事態を見守っていた長老がゆっくりと腰を上げた。

「はい」

 不安そうに、けれど確かに頷いてみせる孫へと歩み寄ると、 長老は孫を安心させるように温和そうに微笑む。

「とりあえず、ずっとお立ち頂いているのも失礼じゃ。 セイリオス殿下、どうぞ椅子におかけください」

 長老の勧めに、一同ははたと我に返る。「そうだわっ」と 母親が慌てて台所に駆け込み、 突然の客人にお茶をもてなした。

「粗茶ですが・・・・・・」
「いえ、私はこのお茶が大好きなのです。ありがとうございます」

 そう言い、ちらりとシルフィスを見やる。 アンヘルのお茶、それはシルフィスがよく自分を休ませてくれる時に 入れるお茶であった。セイリオスにとって、このお茶は 自分とシルフィスを結び付けてくれたきっかけのようなもの・・・・・・。

 セイリオスの視線を感じ、シルフィスは恥ずかしそうに俯く。 二人を取り巻く独特の親密さを感じ取った長老は 嬉しそうに何度も頷きながら微笑み、 両親は複雑そうに顔を見合わせた。

「あー・・・・・その、 殿下と家のシルフィスがどのように出会って、 どのようにしてそういうことになったのかは分かりませんが・・・・・・ これだけはお聞かせ願いますか?」

 母親が席をつくのを見計らい、 父親は机の上で両手を組合し、真剣な眼差しでセイリオスを見る。

「はい、どうぞ」

 セイリオスは悠々と構え、シルフィスは僅かに身体を硬直させ、 父親の言葉を待った。

「本当に、私たちの娘でよろしいのですか?」

 その言葉には様々な意味が含まれている。身分差、 アンヘル族ということ。皇太子にとって有利になるものは、 シルフィスは何も持っていないのだ。

「・・・・・・」

 父親の問いに鋭く何かを感じ取ったシルフィスは、 不安そうに俯き加減でいる。それは、 シルフィスも思っていることであるから。こうして、 セイリオスとの結婚を決意した今でも、 その不安は胸の奥底にこびりついている。

 セイリオスも、父親が言わんとしていることをすぐに察知していた。 それでいながら、なんの迷いも無く、真っ直ぐと父親の言葉、 そして視線を受け取りきっぱりと答えた。

「あなた方の、娘さんがいいのです」

 ゆるぎない態度、 真剣な眼差し。言葉の強さは、胸の中に突き刺さるほど 真摯なものであり、質問をした父親のほうが たじろぐほどであった。

「最初に申し上げましたが、 私は一人の男としてここに参りました」

 一度言葉を切り、隣に座るシルフィスを見やる。 ちょうど頭を上げた少女と目が合い、 安心させるように微笑んでみせる。

「私は、彼女が・・・・・・シルフィスが欲しいのです。 シルフィスの身分や地位が欲しいわけではありません。 私は、シルフィスだから、彼女を形成するすべてに惹かれたのです」

 再び、父親と向き直り、堂々とそう宣言した。

「・・・・・・・・・・・・」

 黙す両親。セイリオスは根気強く返答を待つ。

「皇太子殿下、そこまで娘のことを想って下さるのですね?」

 口を開いたのは母親。 娘を見るときのその柔らかな瞳に、そして言葉の強さに、 彼の意思がどこまでも固く、 そして偽りのないものだということを感じ取る。

「はい、もう、手放すことなどできないくらいに」

 臆面なく言い放つ青年に、母親は柔らかく微笑み、 シルフィスは頬を真っ赤に染めて俯いた。

「・・・・・・・・・そこまで仰られて、 私達に断ることなど、できるはずがありません」

 深く息を吐き出し、 それまでじっと自分の組まれた手を見つめていた父親が、 重々しく口を開く。

「では、」

 セイリオスとシルフィスが同時に両親を見た。

「どうぞ、娘をよろしくお願いいたします、皇太子殿下」
「このような田舎育ちの娘です。いろいろと至らないことがあるとは思いますが、どうぞご指導のほど、よろしくお願いいたします」

 両親は姿勢を正し、深く頭を下げる。

「お父さん・・・・・・お母さん・・・・・・」

 シルフィスは両親の返答に顔を綻ばせ、 あまりの喜びと、今まで張り詰めていたものが ふいに切れた安堵感で、涙を流した。両親が認めてくれる、 それがどんなに嬉しいことか・・・・・・。

 セイリオスはそんなシルフィス柔らかな視線で見守り、 そして改めて両親へと向き直った。 

「こちらこそ。娘さんは、きっと幸せにします」




「殿下・・・・・驚きました・・・・・・」

 まだ興奮さめやらぬ、 といった表情で、シルフィスは深い吐息を漏らした。

 あの後、雰囲気は和やかなものへと変わり、 家族にセイリオスを加えて食事が進められた。 その最中、母親からしきりに二人の馴れ初めをせがまれ、 包み隠さず語るセイリオスに、シルフィスは始終赤面するばかりであった。

「何がだい?」

 食事が終わり、祖父と両親が引き上げた居間に残り、 二人は何気ない会話を交わしていた。 ふと話が途切れた瞬間シルフィスが紡いだ言葉に、 セイリオスは穏やかに微笑む。

「まさか、殿下がいらっしゃるとは・・・・・・」

 手にしたカップを覗き込み、 そう弱々しく告げた。その様子は、喜びと疑惑と戸惑いと、 自分でも判断しかねる様々なものを含んでいる。

「君をね、驚かせたかったんだ」
「人が悪いです」
「それが私だからね」

 拗ねる少女に、くすくすと涼やかに笑ってみせる。

「・・・・・・それに、挨拶をしなければと、そう思ったから」

 セイリオスはカップを傾けお茶を一口飲むと、 シルフィスをじっと見つめた。

「え・・・・・?」

 甘い視線の中に真摯なものを感じ取り、 シルフィスは首を傾ける。

「君が、私の伴侶になるということは、 皇太子妃になるということだ。 皇太子妃になれば、もう、二度とこの村にくることができない。 私は、御家族から君を取り上げてしまう。 だから・・・・・・きちんと顔を合わせて、私から挨拶をするべきだと、 そう思ったんだよ」
「殿下・・・・・・」

 その想いが、セイリオスの心根が、優しさが、とても嬉しかった。 嬉しくて、切なくて。そこまで想われることが恐れ多くて・・・・・・。

 シルフィスはゆっくりと席を立つと、 セイリオスの後ろに回った。そして彼の首に両腕を絡めぎゅっと抱きつくと、 プラチナの髪にそっと顔を寄せる。

「ありがとう、ございます。殿下。 そこまで、私のことを、家族のことを想ってくださって。 ・・・・・・もったいないです」

 セイリオスのぬくもりまでもが優しくて。 シルフィスは彼に見えない位置で微笑みながら、 そっと涙を流した。

「・・・・・・それに、不安でもあったんだよ」

 少女の金の髪が頬をなでる心地よさにうっとりしながら、 セイリオスは静かに目を閉じ、首に回された彼女の腕にそっと触れる。そして少女の体温のあたたかさに促されるように、 ぽつり、と本音を漏らした。

「君が、戻ってこないのでは、と。 故郷の懐かしさに、王都に戻りたくない、私のもとに来たく無いと、 そう、言うのではないかと・・・・・」
「殿下・・・・・・・」
「私のもとに、来てくれるかい?私とともに、生きてくれるかい?」

 青年の問いかけに、シルフィスはするり、と一度離れると 今度は彼の目の前に立った。両膝をつき、彼の細い指を両手で包み込み、 柔らかな微笑を浮かべ見上げる。

「もちろんです。殿下。私も・・・・・・決心しましたから」

 シルフィスは恭しくセイリオスの手を額の辺りまで掲げると、 それから手の甲に唇で軽く触れた。

「いつまでも、死ぬまでも、あなたと共に・・・・・・」
「シルフィス・・・・・・」

 その言葉が嬉しくて。セイリオスは少女の頬を両手で包み込むと、 深緑色の双眸を覗き込んだ。決意の中にある恥じらい、 それを見止め、あまりの愛しさに瞼に口付ける。

「死んでからも、だよ」
「・・・・・・仰せのままに」











ラブラブー(笑)
殿下とシルフィスの幼なじみ対決話とかも考えていたのですが
こういう展開にしてみました。
時間があれば、対決話も書いてみようかと。

それから・・・・・・実はこのお話で裏とかも書いてみたかったり(苦笑)
次の裏創作はこのお話の続きかと思われます。はい。


【2005/07/17】





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