14.キス |
「シルフィスって、殿下ともうキスしたの?」 友人の突然の言葉に、 シルフィスは 飲みかけていた紅茶を吐き出しそうになる。それを寸でで留めたのはよかったが、紅茶の熱さに思わずむせる。 「げほっ、げほっ・・・・・・メ、メイ!! い、いきなり何言うんですか!!」 そして一息ついてから突拍子もないことを言い出した友人を見た。 「しかも・・・・・・ひ、姫の目の前で・・・・・・」 それからチラリともう一人の友人を見て、 肩をすくめるようにして縮こまる。 「別に構いませんわ。それに、 わたくしも気になりますもの♪」 「ほら、ディアーナもこう言ってるし。 白状しなさい〜!!」 脅すようにして身を乗り出してくる二人に、 シルフィスは戸惑い、苦笑を浮かべるしかない。 いつもの、何気ないお茶会。 異世界の少女・メイと クラインの第二王女・ディアーナ、そしてクライン初の女性騎士シルフィス。 この三人は立場や身分は違えども、友情で結ばれていた。 けれど、恋人の妹を目の前にして、そんな質問をされるとは・・・・・・。 さすがのシルフィスも、 簡単に答える勇気など無い。たとえ親友同士であったとしても・・・・・・。 三人が知り合って二年目に入る。 三人は、三人なりの紆余曲折の果てに、恋人や人生の伴侶ができていた。 メイはシルフィスの上司、騎士のレオニスと先月結婚したばかりだし、 ディアーナは長年の初恋を実らせ、 三ヵ月後には隣国のダリス国王・アルムレディンの元に輿入れすることが決まっている。 そしてシルフィスは・・・・・・。 (まさか・・・・・・殿下とこのようなことになるとは・・・・・・) そう、自分の仕えるべき相手である君主、 クラインの皇太子セイリオスと親しい仲になったのだ。 もともと耳年増であり恋の話が大好きな女の子の典型、といった メイとディアーナは、 恋人や夫ができたことでさらにエスカレートし、 つい最近恋人ができたシルフィスにいろいろと聞き出そうと詰め寄ってくるのだ。 そうした話を聞くのはよくても、話すのが苦手なシルフィスにとっては、 そうした質問をされるのが一番困ったことで、 いつも口をつぐんだり、 さりげなく誤魔化したりしていた。けれど、 この二人のパワーには、 誤魔化しがきかない方が多いのは確かなことで・・・・・・。 「さあ〜シルフィス!白状しなさい!!」 メイはフォークを振り回し、 満面の笑みでシルフィスを覗き込む。 「そうですわ!シルフィス!!わたくしも聞きたいですわ!」 そしてディアーナは目を輝かせて身を乗り出してくる。 「そ、そういうメイや、姫はどうなんですか?!」 苦し紛れに切り替えした問いかけると、ぴたり、と二人の動きが止まった。 「そ・・・・・・・それは・・・・・・ねえ?」 「で・・・・・・ですわ、き、聞くまでもありませんわ、ほほほほ」 視線を逸らすメイと笑って誤魔化すディアーナ。 「二人がちゃんと答えてくださったら、 私だって話します」 きっぱりと言い放ち、 頬を染めたままシルフィスは口をつぐんだ。 「わ、わたしたちのことはいいのよ!」 「そうですわ!メイなんて、もう結婚してますのよ? キスぐらい当たり前・・・・・・」 「あーもー!!ディアーナ!!! 平然とそんなこと言わないでよ!!」 「照れることないじゃありませんの」 「い、今は私のことより、シルフィスのことよ、シルフィスの!」 「そうですわ!」 せっかく話が逸れたと思ったのに、 話題は再びシルフィスへと戻ってきてしまう。 こうなってしまっては答えるしかないのかもしれない。 そう覚悟を決めかけたその時だった。 「相変わらず、仲がいいね」 涼やかな声が背後から聞こえ、シルフィスは一瞬高くなった胸を抑えながら、 ゆっくりと振り返った。 メイやディアーナもそちらの方へ視線を向ける。 今、三人がお茶会をしている中庭を、ぐるりと巡っている回廊、 そこに一人の青年が立っていた。 白い外套に身を包んだ、凛とした立ち姿。 慣れた動作で追従する侍従たちに手を振るだけで下がるように指示し、 外套をふわりと揺らしながらこちらに歩み寄ってくる。 「お兄様!」 ディアーナが嬉しそうに顔を綻ばせた。 「本当に、いいタイミングで来るんだから」 腰に手を当てて、呆れたように肩をすくめてみせるメイ。 「何がだい?」 メイの言葉を聞きとがめたディアーナの兄、 この国の皇太子・セイリオスが不思議そうに異世界の少女を見やった。 しかし、メイは「別にー」とおざなりに返事をして、視線を逸らしてしまう。 「ねえ、お兄様。わたくし、聞きたいことがありますの」 「なんだい?ディアーナ」 「お兄様は、シルフィスと・・・・・・・・・」 「わぁっ!!!ひ、姫っ!!!」 まさか、実の兄に向かってその質問をするとは。 メイとシルフィスは思わず目を見開き、 シルフィスにいたっては柄にもなく大きな声をあげて、 ディアーナの言葉を遮りにかかった。 「で、殿下、あ、あっちに行きましょう!私、殿下にお話があったんです!!!」 そして 口からでまかせを言うと、 咄嗟にセイリオスの手をとり早足に歩き始めた。 「シルフィス?」 何が起こったのかわからない、そんな顔でセイリオスはずんずんと進んでいくシルフィスと、 背後に遠ざかっていく残された二人の少女とを交互に見やる。 「ねえ、メイ。わたくし、何か変なこと言いまして?」 きょとんとして問いかけるディアーナに、 メイは思わず頭を抱えてしまった。 (どうしよう) 咄嗟とはいえ、 その場を誤魔化して逃げ出してきたのはいいのだが、 今、自分は大変な人と一緒にいる。 高鳴る鼓動に、振り返ることもできず、 この人ではなく質問を投げかけたディアーナを連れて逃げてくれば良かったと、 後悔するばかり。 けれど・・・・・・ 繋いだ手から感じるあたたかさは心地よく、 いつまでも触れていたいと思う。 「あっ・・・・・・すみません!!!」 と、そこにきてやっと自覚する。 先ほどからずっと、彼の手を握っていたことに。 シルフィスは熱いものに触れたかのようにパッと手を離し、 自分のその手を自分で抱きしめた。 まるで炎を宿したかのように熱く波打っている。 「いや、構わないよ」 セイリオスはにっこりと柔らかく微笑むと、 外套の乱れを軽く直した。 「しかし、君があれほど取り乱すなんて・・・・・・何かあったのかい?」 セイリオスの菫色の双眸が、 真っ直ぐとシルフィスを捉えた。そうして見つめられると、 心の中を全て見透かされてしまったようで、 「なんでもない」とは言えなくなってしまう。 「その・・・・・・」 それでも、あの場で持ち上がっていた話題がなんであったのか、 言うことができる勇気まではなかなか出すことができず、 俯いて口篭る。 「私の悪口でも言っていたのかな?」 「違います!そんなこと、言っていません。ただ・・・・・・その・・・・・・」 いたずらっぽく問いかけるセイリオスに、慌てて否定をし バッと顔を上げるが、 その苛むような菫色の瞳に、 再び視線を泳がせ、語気を弱くしていった。 「いいから、言ってごらん。 別に怒ったりはしないから」 「いえ・・・・・・」 怒るとか、怒らないとか、そういうことではないけれど・・・・・・。 シルフィスの頬は、だんだんと熱くなり赤く染まっていく。 「・・・・・・私には、言えないようなことを話していたのかい?」 少しだけ口調に不機嫌なものが混じる。 弾かれたように顔を上げた次の瞬間、 トン、と肩口を強く押され、 バランスを崩したシルフィスは、後の壁に倒れるように背中をつける。 慌てて体勢を立て直そうとするが、 セイリオスの腕が、それを許さないとばかりに 壁に伸ばされた。 驚いたように彼を見上げると、 真摯な、そして不機嫌さがにじむ瞳がこちらを見ていた。 シルフィスの身体にある種の恐怖が纏いつき、 動けなくなってしまう。指をぴくりとも動かすことができず、 菫色の、刺すような、それでいて妖艶な雰囲気が宿る双眸に、 吸い込まれるように見入る。 「是非とも・・・・・・聞きたいものだね。 私に言えないような話を・・・・・・」 「ご・・・・・・誤解です・・・・・・」 「何がだい?」 辛うじて答えた言葉を、あっさりといなされシルフィスは再び 言葉を失う。 「っ・・・・・・・・・」 強い視線が、シルフィスの身体を射抜く。 居たたまれず視線を逸らし、長い睫を伏せる。 「・・・・・・姫と・・・・・・メイに・・・・・・」 観念したように、掠れた声が徐々に答え始める。 「その・・・・・・もう・・・・・・殿下と、キスをしたのか・・・・・・と」 頬を上気させ、半ば混乱をきたしているシルフィスを、 セイリオスは目を丸くして見やった。 「・・・・・・・・・」 はっきり言って、気が抜けてしまったのだ。 もっと、重大な、よからぬことを話し、 相談していたものだと思っていたため、 あまりにも可愛らしい話題であったことに、 切れ掛かっていた自分が馬鹿らしく思えた。 「・・・・・・・・・・・・くくっ・・・・・・ふ・・・・・・はははははっ!!」 セイリオスの笑い声がシルフィスの耳を打つ。 突然笑い出した皇太子に、 今度はシルフィスがあっけに取られる番であった。 「で、殿下っ・・・・・・何故、笑うんですかっ」 笑われたことがよくわからず、少しだけ眉を吊り上げて セイリオスを見上げる。 「いや・・・・・・自分の浅はかさに笑えてきてね・・・・・・くく・・・・・・ すまない・・・・・・」 笑いをこらえようとしても、 思わず笑いがこみ上げてきてしまう。 確かに、自分の浅はかさで笑ってしまったのも事実だが、 それ以上に、 すっかりシルフィスに溺れてしまっている自分を自覚し、 笑えてきてしまったのだ。 (もう、離れられない) ここまで、シルフィスに固執するようになってしまったら。 「・・・・・・・・・そんなことならば、素直に言ってやればよかっただろうに」 憮然とした表情でいた少女にそっと手を伸ばすとその頬に触れた。 シルフィスはびっくりしたように身体を波立たせ、 恥ずかしそうに視線を横へと泳がせる。 頬から顎へと手を滑らせ、くいっと上を向かせる。 淡く開いた唇にそっと口付けを落とす。 「もう、こうして何度もしている、と・・・・・・」 「そんなこと・・・・・・いえません・・・・・・」 唇が離れると、ぱっとシルフィスは横を向く。 睫を伏せるその表情がなんとも可愛らしい。 「何故?」 そんな少女を更に追い詰めるように、 セイリオスは耳元でやんわりと囁く。 少女の性格柄、 そうしたことをあからさまに言うことができないと わかっていながら・・・・・・。 シルフィスはその甘い声にたまらず、 ぎゅっと目をつぶり身を固くした。 「・・・・・・お許しください・・・・・・殿下・・・・・・」 微かに震えながらそう言葉を紡ぐシルフィスに、 セイリオスは、くすっと涼やかに小さく笑う。 「ああ・・・・・・許すよ・・・・・・君からキスをしてくれたらね」 セイリオスの大きな手のひらが金の髪を掬う。 サラサラと零れ落ちる音が耳の奥をくすぐり、 その言葉とともに少女を苛んだ。 「殿下・・・・・・」 戸惑う少女に構わず、 セイリオスは顔を寄せて、額をコツンと当てる。菫色の視線をすぐ目の前に 痛いほど感じ、 シルフィスはとうとう観念し、瞼を閉じそっと彼の胸に手を添えた。 柔らかい唇が、セイリオスのそれをかすめる。ただそれだけで、 セイリオスの中に熱いものを満たしていく。 おずおずと引き下がる少女の細い腰を片手で捕らえて引き寄せると、 少女の唇を再び奪う。 唇で吐息を感じ、身体でぬくもりを確認する。 彼女との口付けは、 彼女の存在を我が身で確かめるためのもの。 けれど、その甘さはまるで麻薬のような常習性を引き起こして・・・・・・。 |