10.ダリス潜入 |
「まだ悩んでるのかよ」 呆れた響きのある声に、うな垂れていたセイリオスは頭を上げた。 開けられた扉からは光が差し込み、 室内がかなり暗くなっていることに気がつく。 逆光の中、暗さに慣れた目を凝らして見やると、 そこに一つの人影。 「シオン」 長身の人影が誰であるのか、 すぐにわかったセイリオスは力なくそう吐き出した。 「悩んでなど・・・・・・いないさ」 そう言い放ちながらも、 覇気の無い菫色の双眸が俯き加減で暗闇の虚空を見つめている。 気だるげに頬杖をつき、 深いため息。思いつめた横顔をじっと見つめ、 それからシオンは室内に入り手近なランプに魔法で火を灯した。 「あっそ。 だがなセイル、そんな態度で否定しても、何の説得力もねーぜ?」 暖かな光をぼんやりと見つめ、 セイリオスは淡く微笑む。 「悩んではいない。ただ・・・・・・考えていただけだ」 「は?」 頬杖を解きその腕を机に横たえると、 見るともなしに窓の外を見やった。菫色の瞳に、 ランプのオレンジ色の光がゆらり、とゆらめく。 「彼女は・・・・・・無事であろうか、と」 執務机の上に腰を下ろしたシオンは、 そう呟くように言葉を紡いだセイリオスの瞳に浮かぶ色をちらりと見やり、 今度は彼が深く息を吐き出した。 (やっかいなことになったぜ) そして無造作に頭を掻き毟り、 今度は軽く息を吐く。 セイリオスの瞳に浮かぶそれをなんと呼ぶか、 シオンは知っていた。 けれど、それをあえて口にすることはない。 セイリオスがそれに気付いていないはずがないから。 例え、知らない、分からないというのならば、 そのままの方が彼のため、そして彼が想う一人の若者のためにもなるのだから。 「・・・・・・無事だろう?」 少しの間を取り、シオンはそう返した。 「お前には・・・・・・滑稽に見えるだろうな」 暗く落とされた言葉に、シオンは肩越しに見やる。 そうして見たセイリオスの双眸には、 先ほどまでの切ない色はない。それとは変わって、 どこか冷たいものが宿っていた。 そして、諦めたような煌き・・・・・・。 「自分で死地に送り出した者の心配をする、私の姿は・・・・・・ これ以上無いほど、滑稽だ。・・・・・・自分でも笑えてくる」 瞼が伏せられ、 感情が途切れる。 BR> 「ああ、笑えるな」 シオンは俯く青年に背を向け、 そう冷たく告げる。 ぴくり、とセイリオスの肩が震えた。 「偽善者らしいセリフだぜ」 がたんっ 荒々しい音が響き、シオンは振り返ろうとする。 しかしその前に胸倉をつかまれ、 無理やり向きを変えられる。 あからさまの怒りをその面に浮かべ、 皇太子の肩書きを持つ青年は、親友を鋭い視線で睨み付けた。 しかし、彼がそうした行動にでることはすでに予測済みであり、 シオンは静かに、 どこか冷めた色を瞳に浮かべながら、 冷静な顔でセイリオスを見つめた。 「怒鳴りたきゃ怒鳴れよ。殴りたけりゃ殴ればいい。 それでお前の気が済むなら」 そして、落ち着いた声音。胸を掴んだ腕が、 微かに震える。 「だが・・・・・・これだけは言わせてもらうぜ、セイル」 言葉を一度きり、 感情らしい感情を宿していなかった双眸に強い光を込め、 逆にセイリオスを睨み返しながらシオンは口火を切った。 「それが、お前が選んだ道だ。 そして・・・・・・あいつが・・・・・・シルフィスが選んだ道なんだ」 深い声の響きに、セイリオスは戸惑うように瞳を揺らめかせる。 「セイル、お前はシルフィスを使うことを選んだ。自分の駒として。 それは紛れも無い事実だ。 そしてシルフィスはそれを承知した。お前を信じて。お前の選択と シルフィスの選択、それがかみ合ったから、 こういう状況になったんだ。 なら、お前にできることはただひとつ。 自分の選択を信じて、シルフィスの選択を信じて、 待つことだろう?」 ふい、とセイリオスの視線が外され、 胸を掴んでいた手もするりとすべり落ちる。 横を向いたまま、セイリオスは黙り込み、 親友の次の言葉を待つ。 しかしシオンは言いたいことは言い終わったとばかりに口を閉ざし、 セイリオスに声をかけようとはしなかった。 乱れた服を調え、横目でセイリオスの様子を窺う。 「・・・・・・私の選択がなければ、彼女はその道を選びはしなかった」 「いや、お前の選択がなくても、あいつはこの道を選んださ。 逆に、あいつの選択で、お前が道を選んでいたかもしれない」 力なく椅子に腰を下ろしたセイリオスに、 シオンは自信に満ちた様子でそう述べた。 セイリオスが弾かれたように頭を上げる。 そうして見上げれば、そこにはやはり得意そうな、 それでいて人が悪そうな笑みを浮かべた親友の姿があった。 「だから・・・・・・後悔すんなよ。お前が選んだ道を、間違いだと嘆くな。 そんなこと・・・・・シルフィスだって望んじゃいない」 一度言葉を切り、真正面から皇太子を見つめる。 「そして・・・・・・迷いは上に立つものには不要なもんだ。 お前は皇太子なんだ。・・・・・・一人の、ただの部下に対して、 そこまでの迷いを抱えるな」 それは釘を刺す一言だった。彼は皇太子であり、シルフィスは 一介の騎士見習いでしかない。それを自覚させ、思い止めるために・・・・・・。 セイリオスが、はたと動きを止めた。まるで、何かに 気付いたかのように・・・・・・。 「ああ・・・・・・分かっている・・・・・・」 そして弱く吐き出される息と共に零れ落ちる言葉。 「なら、いい」 本当に理解しているのか、それはわからない。しかし、 セイリオスの口からその答えを聞くと、シオンは短く告げ、 視線を逸らした。 「だが、シオン」 「あん?」 「一人の部下の身を案じることぐらい、許して欲しい。 皇太子、だからこそ・・・・・・」 搾り出すような声。シオンは再び彼を振り返る。 薄暗い室内で、ランプの淡い光を弾いて菫色の双眸が強く 煌いている。何か、強い想いが彼の中にあり、 それを訴えかけているように、シオンをじっと見つめ、逃がさない。 顔の前で組まれた指に、力が篭っているのが、 離れた位置にいてもよくわかった。 (もう・・・・・・手遅れなのか?) 彼の想いは、もう、走り出しているのだろうか。 もう、自分の制する声も、自分で抑制する声すらも 届かない位置にいるというのであろうか。 もし、そうだというならば・・・・・・・・・。 (本当に・・・・・・やっかいなことになったぜ) もしかしたら、シルフィスをダリスへと向かわせたのは間違いで あったのかもしれない。それは、政治的な意味や、 あの若者に力がないからという、そういう意味からではない。 あの若者を敵国に送ったことにより、 セイリオスは気付いてしまったのかもしれない。 自分の、深いところにある想いに・・・・・・。 (・・・・・・だが、それを選んだのは、セイリオス自身であり、 そして、シルフィス自身・・・・・・) これは、運命と呼ぶものなのだろうか。 二人の決断が、二人を結び付けようとしている。 それを『運命』と呼ぶならば、第三者の自分はどこまでそれを 押し止めることができるのだろうか。 否、もしかしたら、止めることも逆らうこともできないのかもしれない。 ならば・・・・・・自分がやるべきことは?? (それを考えるのは、あいつが無事戻ってきてからの話だ) そう、あの若者が遂行している任務、それは 死と隣り合わせの危険なものである。 隣国ダリスに一人潜入し、内情を探る。 臨戦態勢の場所に潜入するということがどれだけ危険なことか、 誰の目にも明らかであるのだ。 (もし・・・・・・生きて帰ってこなければ・・・・・・) それを想像し、シオンは頭を強く振り、それを振り払う。 それは、最悪なパターンだ。 もしかしたら、セイリオスの皇太子生命の最後になるかもしれない。 そして、自分にとっても大きな喪失・・・・・・。 (・・・・・・シルフィス、無事に戻って来い・・・・・・) シオンは窓に歩み寄ると、空を見上げ、そして その先を見つめた。 空には大きな満月。美しい光の中に、不安を掻きたてる何かを有している。 それでいて、あの若者に似ている、淡い白い光・・・・・・。 心の奥底を見透かすような銀盤に、 シオンは睨みつけるようにそれを見上げた。 |