9.ティータイム


 最近のシルフィスのお気に入りは、 王宮の図書室であった。
 静かな空間であり、向上心を満足させてくれる場所であるから。 時間ができれば、よく古い本の香りに包まれた、 独特の空間によく足を運んでいた。

 そして今日もまた立ち寄り、 以前に借りた本を返すと、 そこで何冊かの本に目を通し、その後 また新たな本を借りてそこを後にする。
BR>  ほぼ日課とかした図書室通い。  今日もいつものように、 王宮と図書室とを結ぶ、中庭の渡り廊下を歩く。
 庭には、つい先日まで満開であった桜が、 かすかな風によってはらはらと舞い散り、 春の終わりの足音を奏でていた。

(もう、一年になるんだ・・・・・・)

 春の木漏れ日の下、 ぼんやりとした瞳でうららかな中庭をみやり、 ぽつりと胸中で呟く。

   クラインの政策のため、アンヘルの代表として王都にやってきて早一年。 来月には騎士の試験が控えている。 さまざまな努力の結果、自分はそこまでこぎつけたのだ。 いまだに、未分化ではあったが・・・・・・。

(早いな・・・・・・)

 淡く微笑み、 僅かに高鳴る胸を抑えるようにそっと触れる。

「シールーフィース!」

 と、感傷を破る明るい声が、背後から投げかけられた。 シルフィスは、はっとしたように振り返ると、 廊下の先から走ってくる少女を見止める。

「姫!」

 薄緋色の豊かな髪を揺らし、 まるで翼が生えたかのように軽い足取りで駆け寄ってくる少女。 彼女こそ、 このクラインの第二王女であるディアーナ=エル=サークリッド、 いずれ、シルフィスが仕えることになるであろう立場の人間である。

「やっぱり女官たちの言うとおりでしたわ! 最近、よく図書室にいらっしゃるんですってね。 ここにいれば絶対に会えると思いましたわ〜!」

 嬉しそうにぴょん、と跳ねると、 花がほころぶような微笑を浮かべて、若者を見上げた。

「ご機嫌麗しく、姫。私になにか?」

 その微笑つられる様にシルフィスもはにかんだ笑みを浮かべ、 問いかける。 その口ぶりから、王女が自分を待っていたということは容易に推測ができた。

「うふふ、これから、お茶会しましょう!」

 にっこりと笑いながら告げるディアーナに、 シルフィスはきょとん、と目を丸くした。

「お茶会・・・・・・ですか?」
「ええ。だって、シルフィスってば最近、図書室にはくるくせに、 王宮にぜんぜん来てくださらないんですもの! 今までゆっくりお話できなかった分、 今日は付き合ってもらいますからね♪」
「は・・・・・・はあ・・・・・・」

 王女の勢いに気おされ、 シルフィスは呆然と、気の抜けた返事をするしかない。 このおっとりしたように見えるクラインの王女は、 こうと決めればかなり押しが強くなる。 そうなってしまえば、 シルフィスがどんなに言っても、 そしてどんな理由をつけて断ろうとも、 押し切ってしまうのだ。

「わかりました、姫。 今日はちょうど私も時間がありますし、お付き合いいたします」

 困ったように笑いながら、 シルフィスは承諾の返事を返す。 何を言っても無駄だから、ということもあったが、 実際、ディアーナとは一ヶ月ほど会ってはいなかった。 ディアーナは来月にはダリスのアルムレディンの元に輿入れすることが決まっているため、 お忍びは言わずもがな禁止されていたし、 シルフィスの方でも、 騎士試験が近いため、 部屋に篭って勉強することが多くなり、 許されてはいても、もともとあまり出入りをすることのなかった王宮へは、 図書室を覗けば、本当にほとんど訪れてはいなかった。

 だから、久しぶりに友人と言葉をゆっくりと交わすのもいいかもしれない、 そう思い「諾」の返事をしたのだ。

(お茶会なら・・・・・・大丈夫だよね?)

 誰に、というわけでもなく問いかけ、 不安に高鳴る胸をそっと押さえる。

 シルフィスが王宮に、ディアーナの元に訪れなくなった理由は、 別の場所に、もう一つある。それが、 「諾」と答えておきながらも、 シルフィスの胸の片隅に、 小さな影を投げかけた。

「よかった♪じゃあ、早速お兄様にも声をかけてまいりますわね!」
「えっ?!」

 ディアーナの言葉に我が耳を疑い、 思わず目をむいて彼女を見る。

「ちょっ・・・・・・ま、ま、待ってください!姫っ!! で、殿下に声をかける・・・・・・って・・・・・・ええ??!!」
「どうしましたの?シルフィス。そんなに慌てて」

 あまりの混乱に、 自分でも何をいっているのかわからない状況に陥ったシルフィスは、 きょとん、とこちらを見上げてくるディアーナのその菫色の瞳に、 最後には言葉まで失った。

「ひ、姫っ、な、何故、殿下を・・・・・・」

 とりあえず、一つ深呼吸をしてから王女に問いかける。

「実はね・・・・・・わたくしとお兄様も、 ここのところちゃんとお話していませんの。 お兄様はわたくしの婚礼の件でいろいろと忙しくて、 食事も一緒に取れなかったのですわ」

 ディアーナの言葉を聞くたびに、 シルフィスの頭の中は真っ白になっていく。

「それが、お兄様にも今日、少しだけ時間がとれることになったんですの! だから、この機会に一緒にお茶会をしようかと思っていましたの」
「そ、そうですか・・・・・・」

 もしかして自分はそのついでなのだろうか、 そう思い慌てて頭の中で打ち消す。 ディアーナとその兄である皇太子・セイリオスとは本当に仲の良い兄妹である。 それはもう、周知の事実であり、 こんなひがみの様な感情を抱くのはおかしいのだ。

(・・・・・・・ひがみ・・・・・・?誰に??)

 ふと、自分の中に突然現れたその言葉に、 自分自身で驚き、自問する。 けれど答えが出てくるわけもなく、 その疑問もまた、打ち消した。というよりも、 次のディアーナの言葉に、 打ち消しざるを得なかった。

「それにね、お兄様も、シルフィスと会えなくて寂しがっていましたのよ?」
「え・・・?」

 どきん、と小さくなる胸。 それから断続的に、 小さな鼓動が早鐘を打っている。

「お兄様ってば、わたくしと久しぶりに顔をあわせたと思ったら、 『シルフィスは元気かい?』とか聞くんですのよ? わたくしが『最近会ってませんわ』って答えたら、 なんだかすっごく寂しそうな顔をして!」
「あ・・・・・・と・・・・・・」

 頬が熱くなるのがわかる。 けれど、なんと切り返せばいいのかわからず、 本を持つ手をじっと見つめた。

「で・・・・・殿下に気を止めていただき、 とても、光栄、です・・・・・・」
「そういうことは、お兄様と直に会って伝えるべきですわ♪」

 たどたどしく、やっとのことで言葉を紡ぎだした友人に、 ディアーナは腰に手をやり、すましたように微笑んで見せた。

「さ、行きますわよ! お兄様が待っていますわ!」
「あ、あのっ、ですがっ」

 ディアーナはシルフィスの戸惑いを振り返りもせず、 その腕をとるとずんずんと奥へと進んでいく。
 シルフィスはその手を振り払うこともできず、 最後には諦め、脱力し、 ディアーナに引きずられるがまま歩みを進めていった。

 シルフィスが、王宮を避けていた理由の一つがある場所へと・・・・・・。




 最近、自分はおかしいのだ。
 その声を耳にしただけで、動悸が止まらず、頬が熱くなる。 だから、避けていた。 自分が自分でなくなりそうで、 自分をうまくコントロールできなくなってしまうから。 きっとこれは、会わないほうがいいのかもしれない、 そう思っていたから、 彼を避けていた。
 もともと、自分が気安く近づけるような人ではないのだから、 それが普通のことであるから、 ただ、普通に戻っただけであるから、 何の問題もない。 これで、もうあの意味不明な動悸も熱も 感じなくなる。 すべてがそれでよかったはずである。それなのに・・・・・・。

 そうやって、避けてみても、 名を聞いただけで、あの動悸と熱が蘇るのだ。 それどころか、 以前よりもさらに強く、熱く、 まるで焦がれるように。
 それを自覚すると、余計に会えなくなった。 会ってはいけないと、本能が告げるように思えた。 その内なる声に耳を傾けるようになると、 更に会えなくなって・・・・・・。

 なのに。

 友人である、彼の妹のディアーナによって、 無意識下の戒めはあっさりと崩されてしまい、 自分は今、その人の前にいる。

 視線を、なんとなく感じる。 けれど顔を合わすことができず、 先ほどからじっと、 自分のために出された紅茶を見下ろしていた。 琥珀色の液体に、 困ったように眉を下げている自分が映り、揺らめいている。

「シルフィス!」

 ふいにディアーナの声に呼びかけられ、 弾かれたように頭を上げる。

「さあ、好きなだけ召し上がってくださいな♪」

 にこにこと微笑み、 机の上に広がる、 様々なケーキやクッキーを指し示す。

「は、はい」

 そうは言われても、 シルフィスは居たたまれない気分に包まれ、また俯き加減に 頭を伏してしまう。

「それにしても、本当に久しぶりですわ! こうして、お兄様と、シルフィスとお茶会ができるなんて!」
「そうだね。シルフィス、君とも随分前から会っていないね。 どうだい?騎士試験の勉強は進んでいるかい?」
「は・・・・・・はい、お蔭様で・・・・・・」

 涼やかな笑い声が耳元をくすぐる。久しぶりの、柔らかな響き。 シルフィスは思わずぎゅっと、 膝に乗せた手で拳をつくり服を握り締めた。 動悸が耳に煩くて、 きちんと言葉を聞き取れないように思える。 それなのに、 彼の声だけは、はっきりと耳の奥まで響く、不思議な感覚。

「こうして一緒にお茶をするのは、いつ以来だったかな?」
「お兄様とは二ヶ月ぶりですわ。シルフィスとは一ヶ月ぶりだったかしら?ね、シルフィス?」
「あ、は、はい」

 会話を振られても、頷くことしかできない。

「二ヶ月か・・・・・・そんなにも経っていたのか」
「そうですわ! お兄様はお仕事でずっと執務室に篭っていらしたし、 わたくし、ちょっとだけ寂しかったですわ」
「すまないね、ディアーナ、寂しい想いをさせてしまって」
「気にしてませんわ。だって、 お兄様はわたくしの為に、がんばってくださっていたんですもの」

 仲の良い、兄妹の会話。 兄の、妹を見守る優しい眼差し。 妹の、兄を心のそこから慕う、信頼の眼差し。 そこには、誰も寄せ付けない雰囲気に包まれていて・・・・・・。 シルフィスは言葉をまた失い、 貝のように口を閉ざし、 二人から瞳をそらす。

(所詮・・・・・・私は、他人。しかも、 この国の者ですらない、種族も違う・・・・・・)

 ぽつぽつと、 シルフィスの胸中に負の感情が、泡のように浮かび上がり、 弾け、その中に閉じ込められていた黒いもやの様なものが心を満たしていく。

「シルフィス?」

 先ほどから口を閉ざしてしまった友人を、 気遣うようにディアーナが声をかける。 それまで、うつろであった深緑色の瞳に、 輝きが一瞬蘇り、 次の瞬間には悲しさを隠したような煌きに変わった。

「さっきから何もお話しませんけど、 身体の具合でも悪いんですの?」

 ディアーナが心配そうに覗き込む。

「い、いえ、お気遣いなく。あ・・・・・・あの・・・・・・私、」

 何故、そう口を開いたのかわからない、 何故、椅子から立ち上がったのかさえも。 気付いた時には、自分は、そうした行動を取っていたのだ。

「よ、用事を思い出しましたので・・・・・・申し訳ありませんが、これで・・・・・・」

 顔が青ざめているのがわかる。 二人に目をくれることもできない。 まるで逃げるように、踵を返す。

「シルフィス!」

 ディアーナの呼ぶ声。 それと同時に、がたっ、と荒々しい音が響くが、 シルフィスにはそれすらも耳に入ってはこなかった。 ひたすら、その場から逃れたいという想いだけが、若者を突き動かす。

「待ちなさい」

 涼しい、それでいて真摯な響き。 腕を、思いもよらぬ力強さで捕らえられ、 シルフィスは動きを止めてその人を振り返った。

「で・・・・・・殿下っ・・・・・・」

 何故、よりにもよって、この方が自分の腕を掴み、引き止めてしまうのだろうか。力強い手、涼しげな目元、 その全てが、シルフィスを絡め取る。

「シルフィス、どうしたというんだい?」
「い・・・・・・いえ・・・・・・」

 優しい声で問いかけられ、どっと、泣きたい気持ちになる。 けれどここで泣き出してしまっては余計気を遣わせてしまう。 そして、涙の理由も問い詰められるだろう。 けれど、シルフィス自身、何故泣きたくなったのかわからないのだ。 だから、泣くことはできなかった。

 涙を飲み込むように視線をそらし、腕を振り解こうとして軽く引く。 しかし、セイリオスの手に力が込められ、逃げることができない。

「シルフィス、なんだか変ですわ。・・・・・・やはり、どこか 身体の調子が悪いのではなくて?」
「いえ・・・・・・」
「だが、顔色が悪いよ、シルフィス」
「いいえっ・・・・・・!」

 気遣う兄妹。けれど、それを拒否する言葉しか、 シルフィスの口をついてはこない。
 まるで、汚いものが自分を包んでいくようだ。 醜くて、黒くて、もやもやとしたもの。 この兄妹に比べたら、自分という存在は本当に汚くて、汚れていて・・・・・・。

「な・・・・・・なんでもありませんからっ・・・・・・ は、放して下さいっ!」

 そう思い始めたら、もう留まる事ができなくなってしまう。 無我夢中で掴まれた腕を外そうと必死の抵抗を見せ、 腕を振り払ったその時だった。

 パシッ

   その音に、シルフィスは我に返った。 はっと、何が起こったのか、自分が何をやってしまったのか、 理解するまでにしばらくかかる。

 自分は、皇太子の手を叩いたのだ。 故意ではない。勢いあまってではあったが、 自分は、守らねばならない対象の、その人の手を叩いてしまったのだ。

「あ・・・・・・」

 シルフィスは、短く声を上げて固まる。 そして、くしゃっと顔を悲しみで歪め、 皇太子を叩いた自分の手を胸元でぎゅっと抱きしめた。

「も・・・・・・申し訳ありませんっ・・・・・・・!!」

 胸の奥深くで悶々としていたものが、 堤防が決壊したかのように、黒い濁流のごとくあふれ出す。 シルフィスはさっと踵を返すと、その部屋を飛び出した。 背後に、セイリオスとディアーナの制止の声を聞きながら。




 黒い感情が止まらない。自分の中に、こんな醜いものがあったとは。
 行き場のない、暗い想い。
 きっと、もう、あの兄妹は自分に声をかけてはくれないだろう。
 だが、それでいいのだ。
 こんな、汚れた自分が、あの二人と親しく言葉を交わすなど、あってはならないのだ。
 だから・・・・・・。

 目元が、熱くなってくる。 やがて、一粒、また一粒と涙が零れ落ちる。 とどまることのないそれは、 あっというまに頬を濡らしていった。


 若者の未分化の不安定な心は、 初めて知る黒く暗い感情に、強く揺さぶられ、そして戸惑い、 痛みと苦しみを味わう。  









今までのラブラブとは打って変わり、
ダークです(苦笑)
セイシル・・・・・・というより、
シルフィス →セイリオスですね(^^;)
まあ、たまにはこんな感じのもいいですよね?(聞くな)


【2004/05/11】





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