8.お忍び |
シルフィスは広場の時計の下に一人立っていた。 落ち着かない様子で髪を整え、自分の衣装を省みた。 今日の衣装は白いワンピースに、ダークレッドのカーディガン。 久しぶりに着たその衣装に、少しばかり違和感を抱き、 どこか変ではないか丹念にチェックする。 一通り見渡してから、何事もないとほっと胸を撫で下ろす。 それから背後の時計を振り返った。 待ち合わせは10時。今はその10分前。都合により、 それよりも早く着いていたが、 こうして待つ時間は嫌いではなかった。 それどころか、胸が早鐘を打っている。 ドキドキと耳にうるさいくらい響いて、 周りに聞こえてしまうかもしれない。 「お嬢さん」 ふと後ろに気配を感じ振り返ると、 そこには見知らぬ若い男が二人連れ立った姿。 どこかで会ったことがあるだろうか、と訝しげに見つめていると、 男は顔を見合わせて、いやらしそうに笑った。 (これは・・・・・・) それにピンときたシルフィスは、すかさず踵を返しその場から去ろうとする。 「おっと、待てよ」 しかし、すぐに一人に片腕を取られ、 動きを止められる。 「離して下さい」 毅然と言い放ち、腕を振り解く。 もともと騎士として鍛錬していた身である、 それくらいは造作もない。 「冷たいね〜」 「いいから、俺達と遊びにいこうぜ」 睨み付けるシルフィスとは逆に、 二人の男はにやにやと人をくったように笑うのみ。 (やっぱり、こいつらは・・・・・・) ナンパ、というやつであろう。 王都に来たての頃から、 シルフィスは格好のナンパの対象となっていた。 当初はナンパだと分からないまま断っていたり、 時には力づくで引き剥がすときもあったが、 さすがに2年近く声をかけられ続ければ、 その人物がどんなことを目的で寄ってきたのか すぐに見抜けるようになっていた。 「お断りします。 人を待っているんです」 それでも、 たとえ相手が自分の言葉を真剣に聞くつもりがないとしても、 シルフィスは凛とした態度を崩さなかった。 「彼氏?でもさっきから見てたけど、来ないじゃん」 「そんな薄情な彼なんかほっといてさ、 俺達と楽しもうぜ」 なぜこうもナンパをする男共というのは、 お決まりなセリフしか言えないのであろうか。 シルフィスは呆れ、深いため息をつく。 「ですから、お断りします。 まだ待ち合わせの時間になっていないのです。 こなくて当たり前です」 「またまた、そんな強がり言っちゃって」 「ま、そういう強気なところのある女の子も嫌いじゃないよ」 そして、また伸ばされる手。 しかしそう何度も捕らえられるわけにはいかない。 自分に触れる前に振り払おう、そう思ったときだった。 「なっ?!」 横から入った手が、男の腕を捕らえた。 目を白黒させ自分の腕を捕らえている人物を目で追うと、 その人物は少女のすぐ後ろに立っていた。 シルフィスもびっくりし、思わず振り返る。 そこには良く知る青年が立ってっていたのである。 「で・・・・・・セイル!」 「待たせてしまったね。すまないね」 まるっきり男達を無視し、青年は少女に柔らかく笑いかける。 「だ・・・・・・誰だテメェ!!!」 男が身を乗り出して怒鳴りかかる。 しかし、青年はひるむことなく、鋭い一瞥を二人にくれる。 冷たい氷のナイフのような突き刺さり凍り付いてしまいそうな視線に、 逆にたじろぐ男二人。 「私の大事な人に、よくもその汚い手で触れてくれたね」 ふと青年の表情が笑みの形を作る。 しかし、それすらも冷気を帯び、 じわじわと二人をさいなんでいく。 そう、笑いながらもこの青年は笑ってなどいないのだ。 そして二人を許す気もきっとない。 身の危険を感じ始めた男が、引きつった顔で見上げてくる。 「ゆる・・・・・・ゆるし・・・・・・」 「なんだい?聞こえないな」 そうして、もう一度、 これ以上ない冷たさを宿した微笑でもって、 うわごとのように許しの言葉を紡ぐ男を見下ろした。 青年の切り裂きのその一言に、 一人の男が短い悲鳴を上げてその場を逃げ出した。 青年に腕を掴まれている男は、 その後を追うこともできず、 去っていった仲間の後姿を今にも泣きそうな顔で見送る。 「さて、どうする?仲間はいってしまったね・・・・・・」 静かに紡がれる言葉。 ひやり、と背筋に冷たいものが這い、 男は声にならない悲鳴をあげた。 「セイル・・・・・・もうその辺で・・・・・・。 私は大丈夫ですから」 そっと、腕にぬくもりを感じ、青年は振り返った。 男に向けていたものとはまったく違う、 柔らかく甘い微笑で。 「そうかい?君がそういうのならば、許してやろうか」 パッと腕を放すと、 男はそのままその場に尻をついてしまう。 もうずいぶん前から腰が抜けていたようだ。 「優しい女神に感謝するといい。 お前のような男に慈悲をくれるという」 青年はまた氷の微笑を浮かべ、 呆然としている男に言葉を投げる。 「けれど・・・・・・私は彼女ほど慈悲深くないのでね。 いつまでも視界に入っていられると、 あまりの目障りさに・・・・・」 おもむろに切られる言葉。 男は「ごくり」と生唾を飲み次の言葉を待つ。 それが更なる恐怖を掻きたてるものだと知っていながら・・・・・・。 「・・・・・消したくなるんだよ」 その一言を聞いた途端、 男の顔が引きつり慌てて地面を掻き始める。 それでも恐怖と焦りで混乱する中では、 上手く立つことも逃げることもできない。 それでも必死になって、震える足に鞭をうつと、 脱兎のごとくその場を走り去っていった。 「・・・・・・やりすぎです」 「あれくらい当たり前だよ」 「ですがっ・・・・・・ン」 眉を吊り上げる少女に、 青年は一際甘く微笑むと、 唐突にその唇をふさいだ。 「私の大切な人に手を出そうとしたんだ。 あれくらい、当たり前だよ」 「人前ですっ」 こちらに視線を送る周りの人々を気にしながら頬を染め怒る少女に、 青年は涼やかに笑うのみ。 「それとも、君は私よりもあのゴロツキの方を思いやるのかい? 君を、誰よりも愛している私よりも、 一時の愛欲に君を利用しようとするあいつらを」 少しだけ落ち込んだように見せ、 真っ直ぐとシルフィスを見つめる。 シルフィスはその視線にますます頬を染め、 気まずそうに瞼を伏せ視線を逸らす。 「そんなこと・・・・・・私も・・・・・・ 殿下を誰より、愛してます・・・・・・」 つ、と少女の口から漏れる、いつもの青年の呼び名。 そう、この青年、名をセイリオス=アル=サークリッドといい、 このクライン王国の皇太子である。 そしてナンパに絡まれていた少女こそ、 その妃であるのだ。 恐れ多くも皇太子妃をナンパし、しかも皇太子を敵にしてしまったとは、 あのゴロツキ二人の想像力の範疇を超えたできごとであろう。 「やはり、待ち合わせというのはやめたほうが良かったかもしれないね。 ・・・・・・またこうなったら・・・・・・心配だよ・・・・・・」 セイリオスはシルフィスを抱き寄せ、 ちゅっと軽い音をたてて額にキスをする。 月に一回だけ、二人はこうして二人でお忍びにでることにしていた。 しかしいつもは時間差を使うとしても 必ず二人で王宮を出る。 そのため、広場での待ち合わせは今日が初めてであったのだ。 「ですが、久しぶりにこうした待ち合わせがしてみたかったんです。 その・・・・・・以前みたいに・・・・・」 今日のこの待ち合わせは、皇太子妃の申し出たことであった。 二人が付き合い始めた頃、 時々、こうして待ち合わせをしたことがあったのだ。 その頃のことをふと思いだし、 シルフィスは今回のお忍びの際に、 それをセイリオスに提案し、彼も承知したのである。 けれど・・・・・・。 「君の気持ちはわかるよ。 私も・・・・・・・初心を思い出してわくわくしたしね。 けれど、私は耐えられないよ。 私の見えないところで、 君があんな男達に絡まれる。 私が来るのが少しでも遅れていたらと・・・・・・」 「セイルは、心配しすぎです。 私は、騎士だったのですよ? 少しは私の腕も信じてください」 「それでも・・・・・・もしもということがある」 「セイル・・・・・・」 真剣な眼差しがシルフィスを捕らえる。 心底、自分を気遣っているのが伝わってくる。 シルフィスは困ったように微笑み、 そっとセイリオスの頬に触れた。 「・・・・・・わかりました。 もう、待ち合わせをするのはやめましょう。 それに・・・・・・待ち合わせをしないで出かけた方が、 その分、一緒にいられる時間ができますものね」 「シルフィス・・・・・・」 セイリオスは少女の名を小さく呟き、 頬に触れるその手を握った。 「ああ・・・・・・そうだね・・・・・・」 少女の手を強く頬に押し付け、 セイリオスは瞼を閉じてその感触、感覚を味わう。 こうして、少女はあっさりと自分のわがままに応えてくれて、 そして許してくれる。それに甘えてしまい、さらなるわがままを言ってしまう。 我ながら、子供っぽいと思う。けれど・・・・・・。 そんな自分をさらけ出せるのは、シルフィスの前でだけ。 わがままを言えるのも、彼女であるから。 わがままを言って、甘えて、独占して。そうして受け入れられるのも、 許されるのも、そしてやんわりと叱られるのも、 すべてが甘く、愛しい・・・・・・。 「時間が惜しいね。 街に行こう」 「はい、セイル」 セイリオスはシルフィスの手を握ったまま、 大通りにむけて歩き出す。 シルフィスは頬を染めながらも、 その手を握り返し、セイリオスの隣りで歩みを進める。 その日のお忍び中ずっと、 歩く二人の手は離れなかったという。 |