5.わがまま |
「母上ー!!」 「母様ー!!」 セイリオスの執務室に明るい声が響き渡る。 書類の整理を手伝っていたシルフィスは 自分を呼ぶその可愛らしい声に振り返った。 ちょうど扉の方を向いた瞬間、扉が勢いよく開け放たれ、 二人の少年の姿が転がり込んでくる。 「シルス、セイ、お父様のお仕事中ですよ」 ばたばたと侵入してきた二人に、 シルフィスは少しだけきつい口調でそう告げる。 たとえ我が子であろうとも、 公私のけじめはきちんとつけなければならない。 「いや、構わないよ。私も、もうそろそろ休もうと思っていたところだしね」 子供達の父親である青年はにっこりと微笑み、 柔らかな視線で妃と我が子たちを見やった。 「陛下がそうおっしゃるなら・・・・・・」 シルフィスは困ったように微笑みそれに答えると、 我が子へと歩み寄る。 第一王位継承権を持つ長男・シルスティアと その一歳年下の次男・セイファス。ついこの間生んだばかりだと思っていたのに、 あっという間に時は過ぎ、 10年の歳月が流れていた。子供の成長も瞬く間もないほどで、 昨日までやっとのことで歩いていたというのに、 今となってはこんなにも元気に、まるで子犬のように駆け巡る。 「どうしたんですか?二人とも」 母親の顔に戻ったシルフィスに、 少しだけしゅんとした様子だった二人の顔に 明るさが戻る。 「ねえ、母上、これから丘にでかけよう?」 シルスティアがぐいぐいとシルフィスのドレスの裾をひっぱる。 「でかけよう?母様」 セイファスも、その菫色の瞳に期待いっぱいの輝きを込め、 母親を見上げた。 「今から?」 きょとんとした表情で答える母に、 二人の子供は「うん!」と力いっぱい頷いてみせる。まるで、 断られるはずがない、という期待に満ちた表情で。 「今からは、ちょっと無理ね。 また今度、来週にしましょう?」 母の提案に、二人は「えーっ?!」と、 あからさまに落ち込んだ表情で声をあげた。 シルフィスは再び困ったように微笑み、 二人の視線に合わせるようにしゃがみ込む。 「ちゃんと、準備を整えて、 それからのほうが楽しいでしょう?」 「母上と一緒ならいつでも楽しいよ!!」 言い聞かせるような声音に、 ぷぅっと頬を膨らませ反対の声をあげるシルスティア。 その一歩後ろでセイファスが何度も頷いている。 「でもね、今日中にやらなければならない仕事があるの。 来週だったら、手が空くから。 父上もご一緒してくださるから」 シルフィスの言葉に、 シルスティアの頬が更に膨らみ、顔が真っ赤になってくる。 セイファスは落ち込んだように顔を伏せ、 今にも泣き出しそうな様相である。 シルフィスはそんな二人を交互に見やり、 シルスティアとセイファスの頭をそっと撫でた。 「我慢して、ね?来週は必ず、一緒に行くから」 「やだ」 「・・・・・・やだ」 「シルス、セイ」 思いっきりふて腐れた顔のシルスティアと、 涙を双眸にいっぱいためたセイファスの反論に、 少しだけ強めに、たしなめる響きで二人の名を呼ぶ。 「やだやだ!!!今行きたいの!!!」 「行きたい!!」 じたばたと体全体でわがままを言い出した二人に、 シルフィスは困ったように眉を下げた。子供特有のものだとわかっていたも、 こうして一度何かが切れてしまったようにわがままを言い出されてしまうと、 さすがのシルフィスにはどうすることもできなかった。 ささやかなものならば諌めることはできる。 けれど、こうなってしまってはもう自分の言葉などきかない。 ただ、ただ、欲求を叫ぶばかり。 「セイル」 宥めようとしても、それが逆効果にしかならないと学んだシルフィスは、 それ以上の手を見出すことができず助けを求め夫を見上げた。 「シルス、セイ、あまり母上を困らせてはいけないよ?」 執務机に向かったまま、 我が子と妃とのやりとりをあたたかな眼差しで見守っていたセイリオスは、 シルフィスの救援を乞う瞳に、 ゆっくりと立ち上がった。 それまで、「行きたい行きたい」と叫んでいた二人が、 ぴたり、と黙る。やわらかな口調であるのに、 わがままを言うことを許さない、厳しい響きが篭っていた。 「おまえたち、アイシュから出された宿題はどうなっている?」 子供二人の顔が急に強張る。 「まだ、なんだね?」 あくまでも静かに問いかける父に、 二人は戸惑うように視線をさ迷わせ、 時には交わし、 そしてこくり、と一つ頷いて見せた。 「義務は・・・・・・やらなければならないことはちゃんとやりなさい。 宿題は、アイシュとお前達との約束だ。約束をしたからには守りなさい。 そうすれば、母上はお前達との約束もきちんと守ってくれる」 セイリオスは二人の前に立ち、 少しだけ腰をかがめて幼い我が子の顔を覗き込む。 そして、ひた、とシルスティアに視線を止めた。 「特にシルス。お前は皇太子だ。 将来国を背負う者だ。・・・・・・約束を守れる人間になりなさい」 でも、と言いよどむシルスティアに、 さらに言葉を紡ぐ。その厳しくも教え諭す言葉に、 シルスティアはぐっと何かを呑み込み押し黙った。 「わかったなら、返事をしなさい?」 「・・・・・・はい、父上」 「はい、父さま」 頷く二人を見て、 セイリオスは満足そうににっこりと微笑んだ。 「よし、いい子だ。 さあ、部屋に戻りなさい」 やさしく頭を撫でられ、 二人に少しだけ機嫌が戻る。 それを見届け、 セイリオスは視線で後ろに控える侍従に指示を送った。 侍従は深々と頭を下げると、 二人の王子を促すように背を押す。 が、ふとシルスティアの足が止まり、 くるり、と振り返った。 「宿題するから!ぜったい終わらせるから! だから、だからぜったい、来週は、 父上も、母上も、一緒にでかけようね!!」 決意の瞳。その若葉色の輝きに、 セイリオスとシルフィスは思わず視線を交わし微笑みあう。 「ええ、必ず」 「約束しよう」 両親の返事に、シルスティアは本当に嬉しそうに破顔させると、 ぱたぱたと部屋を走りでた。 「ありがとうございます、セイル。 ・・・・・・すみません、不甲斐なくて」 「ははは、構わないさ。 子供のわがままなら得意だから。なにせ、 ついこの間まで、手間のかかる妹がいたからね」 笑ってみせるセイリオスに、 シルフィスは苦笑を浮かべる。 隣国ダリスに嫁いだ、義理の妹であり親友でもある 可愛らしい姫君の顔がふと過ぎった。 「それに、君を子供達に奪われたくはなかったから」 「え?」 そう呟くのと同時に、 ぐいっと引かれる。 倒れる、と思った瞬間、 彼の胸に受け止められ、 シルフィスはゆっくりと身体を起こした。 「シルフィス」 ソファへと倒れこみ、 彼の膝の上に抱きかかえられるようにして唇を塞がれる。 やさしく、戯れるような・・・・・・。 その心地よさにうっとりとしていたシルフィスだったが、 ふと違和感に身体を波立たせた。 彼の手が背後の腰のリボンへと伸ばされたのだ。 「セイル?!!」 「黙って」 「お、おやめくださいっ、ここは執務室っ」 「いいじゃないか、初めてではないのだから」 「で、ですがっ、まだ仕事もっ」 「あとでするから」 「さっき子供達に仰ったばかりではないですか!」 「いいんだよ。私は大人だから」 「セイル・・・・・・」 一番の子供で、一番のわがままは、 多分この人かもしれない。 シルフィスはそう思いながら、 どうすることもできずに彼を受け入れるしかなかった。 |