4.騎士と君主 |
神の前では誰しも平等だという。しかし、現実というものの前で、 その言葉はどれほど無意味な、無力なものであろうか。 セイリオスは政務の合間を見計らい、よく神殿にやってきていた。 供の者は下がらせ、一人で思いにふける。静かな神殿、そして 宗教と哲学が混ざり合うこの「神殿」という特殊な空間は、 思考をまとめることや、自分を落ち着かせることにとても向いていた。 今、セイリオスの頭の中を占めているのは、先ほどのシオンとの やりとりであった。口論、というほどではないが、 あれほど意見をぶつけ合ったのはいつ以来であろうか。 彼の言うことは、いつも政治家として正しい答えだ。 皇太子として、王として、 何が大事で、何を切り捨てるべきか。シオンはいつも正論で返す。 それに自分は、彼の言うことが最もだと、 納得できない部分があったとしても、 自分自身を丸め込み、頷いて見せていた。 そうして突き進んできた。けれど・・・・・・。 発端は、先日起こった一つの事件。 以前から皇太子廃位の機会を狙っていた一味の皇太子暗殺事件。 上に立つものとして命を狙われるのは当たり前のことと言っていい。 いままで、暗殺者に狙われたとしても、 それをかわし、ここまで生き抜いてきた。しかし、 先日の一件。あの日は本当の意味で命の危機に晒された事件であった。 毒の塗られた刃で貫かれ、 発見があと少し遅ければ、今ここには存在していなかったであろう。 彼を発見したのは、一人の若者。 その若者が、今、セイリオスを悩ませる存在。 シオンとの口論を引き起こした原因たる人物。 自分は、欲しいと言ったのだ、あの黄金の輝きを。 命を救ってくれた若者。今は騎士試験に合格し、 クライン初の女性騎士としてその勤めに従事している。彼女を、 自分の妃にと、そうシオンに告げたのだ。 そう告げたときのシオンの顔、今思い出しても笑いそうになる。しかし、 次の瞬間には、政治家としてのそしてセイリオスの片腕としての 彼の顔がそこにはあった。そして開口一番に、 『あいつのことは忘れろ』 だった。それは当たり前の反応。 誰に言っても、そう答えるだろう。 そんなこと分かりきっていた、だが、分かっていても 自分は欲しいと思ったのだ。彼女を。 だから口にしたのだ。 忘れることなどできない、と述べると、シオンは嫌そうな顔をした。 そして『それがどういう意味かわかっているのか?』と問いかける。 それを笑みで返した時、 シオンは呆れたように息を吐き出した。 そして彼は説く、 セイリオスが言ったことが、そして思っていることが、 皇太子として、上に立つものとして どのような影響を及ぼすのか。 今まで丹念に積み上げ、固めて足場を、どれだけ揺るがす出来事なのかを。 そんなことぐら、わかっていた。皇太子として、 この国を背負うものとして、 なんら後ろ盾を持たず、庶民で、 しかも未だに根強い偏見を持つアンヘルの民である彼女を妃にと望むこと。 それがどれだけ自分の皇太子としての地位を揺るがし、 反対勢力を活気付かせることになるのか。 それでも、欲しかったのだ。皇太子としてではなく、 一人の男として。シオンは政治家として意見をぶつける。 それに対して自分は、一人の男として反論をぶつける。 答えなど見出せない。この口論は平行線をたどるのみ・・・・・・。 そして思い知らされる、自分は、一人の男である前に皇太子なのだという ことを・・・・・・。 皇太子でいることが嫌なわけではない。嫌とか、そういった 次元の話でもない。自分に架せられた十字架、 だから背負い続けなければならない。一生の覚悟として、 それはいつも胸にあった。 けれど、彼女に出会ってしまった。彼女と言葉を交わし、 同じ時を過ごし、一人の男であることの 喜びを知ってしまった。それを知ってしまったら、 もう無かったことにはできなかった。 それは、あの生死をさ迷った時、 彼女の一言で思い知らされた。自分には、 彼女が必要なのだと・・・・・・。 手に入れたい、自分の側で微笑んでいて欲しい、 ずっと、ずっと、いつまでも・・・・・・それなのに。 セイリオスは白い手袋に包まれた我が手をじっと見つめた。 まるで、自分と彼女との間にあるもののように思えた。 彼女に触れているのに、それは布越しであり、 実際、自分の手で彼女の感覚を味わうことはできていない。 確かに体温は伝わるのに、現実味を感じられない。そのもどかしさ。 (君が・・・・・・騎士でなければ) そして自分が皇太子でなければ。対等に並び立つ場所に、 お互いが存在していれば。 そう思いかけ、弱々しく頭を振る。そんなこと考えても仕方の無いこと。 そして、騎士でありアンヘルであることも彼女を構成する一部。 自分が深く愛した女性の一部であり、それがなければ、 彼女は彼女でいられない。自分が、 皇太子でなければ存在意義がないように・・・・・・。 諦めることなどできない。あれだけ突き放したのに、 「もう関わらない方がいい」とそう告げたのに。 彼女の強い想いをその口から聞いた瞬間、 なにがなんでも欲しいと思ってしまった。 「好きなんだ、シルフィス」 そっと唇にのせる。返事などないとわかっていても。 「愛して、いるんだ」 強い、想い。口に出しても、 次から次に溢れ出る想いは心を満たしていく。 騎士としてではなく、伴侶として供にいてくれたら。 とめどなく思ってしまう。 皇太子でなければ、騎士でなければ。 無意味な問答は、まるでカノンのように堂々巡りを繰り返す。打ち切っても、 また新たなる輪が生まれ出る。 皇太子でなければ、騎士でなければ・・・・・・・・・。 |