3.シルフィス


 夕焼けに映える金の髪・・・・・・。

 その若者に出会ったのは、 夕闇があと少しで空に手を伸ばそうとしている時間。 空は見事な朱色で染め上げられ、 光のグラデーションが夕焼け空の色を変化させる。
 街中を流れる川にかかる質素な橋の上に、 朱色の光を浴びてその若者を立っていたのだ。

 いつもまっすぐと、意志の強さを表している深緑の瞳は、 切なそうに遠くを見つめ、 心がどこかに奪われてしまったような様子でたたずんでいた。 ここにいるのは若者の抜け殻なのかもしれない、 そう思ってしまうほど、彼が「生きている」という感覚を見出すことができなかった。
 けれど、そうしてたたずむ様子は、 まるで名工によって彫られた精巧な彫刻にも似て、 神殿に鎮座する女神のように美しかった。

 金の髪の一本一本が、夕日を反射して煌き、 若者の輪郭を彩る。神々しいその雰囲気に、声をかけることを ためらわれた。 しかし同時に、その切なく遠くを見やる瞳が気にかかり、 声をかけたくて仕方ない欲求にも駆られる。

 矛盾する想いの葛藤の中、立ち尽くしたままでいると、 その視線に気付いたのか若者が振り返った。 金の長い輝きが、ふわりと夕方の少し涼しい風に舞う。

 それまで、生力を感じられなかった深緑の瞳に、 見る見る力が戻り、やがて驚きで大きく見開かれた。

「でんっ・・・・・・・・・っ!!!」

 叫びそうになるのを手前で飲み込み、 若者は呆然と青年を見つめる。 どう対応すればいいのかわからない、という様相であった。

「やあ、シルフィス」

 彼は、この目の前の青年がこの国の皇太子であり、 こうして時々城を抜け出しお忍びで城下に来ていることを知っている。 だからこそ、一目で彼は何者であるのか見抜いたのだ。

 けれど、青年の方は悠々と、 何事も無いかのように微笑みながら挨拶をすると、 若者に歩み寄った。

「また、お忍びですか?」

 小声だが咎める調子を含ませ、 シルフィスは上目遣いに青年・セイリオスを見上げる。

「息抜きだよ」
「危険です。 あまり、軽々しくお出かけにならないほうがよろしいかと・・・・・・」
「自分の身を守る術ならばいくらでも知っている。 心配はいらないよ」

 穏やかな微笑み。 そうして微笑まれてしまえば、 シルフィスに反論する気持ちなどなくなってしまう。 しかもここは人通りがあり、 これ以上セイリオスを糾弾すれば、 周りが怪しく思うだろう。
 シルフィスは一つ大きく息を吐き出すと、困ったように微笑んだ。

「それでも、何が起こるかわかりません。 ・・・・・・もう少し、御身を大事になさってください」
「肝に銘じるよ」

 どこまでも真面目な若者に、 セイリオスもにっこりと笑う。 このまっすぐさが若者の長所であり、美点であった。 まじめすぎる気合もあったが、 毅然とした態度や立ち居振る舞いと合わせ見ても、 好意を抱かせる。

 この若者との出会いは数ヶ月前に遡る。
 長年、偏見の対象となっていたアンヘル族との融和政策。 その一環として皇太子であるセイリオスが呼び寄せた、 アンヘル族の代表。それがシルフィスであった。
 普通ならば、 政策とはいえ一般の平民と王族が顔を合わすということは そうそうあることではないが、 ひょんなことから出会うこととなり、 こうして皇太子の隠れた顔を知ることになったのだ。

 この出会いは、偶然だったのかもしれない。 アンヘルの代表がシルフィスとなったのも。 けれど・・・・・・ セイリオスの中では、少しだけそれが、違うのではないか、と思うようになっていた。 「偶然」ではない、なにか。それが この若者との間にあるのではないか、と・・・・・・。

 ではなんであるのだろうか?「偶然」ではない何が、 この若者と自分とを結びつけたのであろうか?

 答えはすぐそこにある。けれどあえてそれからセイリオスは目を逸らし、 現実の景色へと視線を向けた。

「なにを・・・・・・見ていたんだい?」

 橋の手すりに片手を乗せ、 若者が先ほどまでうつろな瞳で見つめていたものを見つけようと、 その視線の先を見やった。

「え?」

 突然の問いかけに、 シルフィスはきょとんとして青年を見上げる。

「ずっと・・・・・・ここで何かを見ていたね?」

 目の前には川が流れ、町外れであるため建物はまばらである。 そして川の流れを追うようにして視線を遠くにやれば、 なだらかな丘陵と林、その背後には峻険な岩肌の山が横たわっていた。 夕焼け色に染まったその景色は、 どこか懐かしさを呼び覚ます。

「・・・・・・・・・」

 シルフィスは黙り込み、 手すりに乗せた両の手で拳を軽くつくる。

「・・・・・・・・・・・・あの山の向こうは、アンヘルの村が・・・・・・ 君の故郷があるのだったね、確か」

 若者が語りだすのを待ち、セイリオスも無言でいたが、 いつまでも黙ったままの若者に、 少しでも語りやすくしようとゆっくりと言葉を紡いだ。

 案の定、若者に微かな反応が見られる。 ぴくり、と震えた身体を見て、 それからもう一度遠くを見やる。

「王都は・・・・・・嫌になったかい?」
「いえっ・・・・・・そんなことはありません!!」

 弾かれたように頭を上げ、 セイリオスをまっすぐと見つめる。 その瞳に嘘の色は無い。 しかし、射抜くような視線は、再び力を失い、 若者を俯いてしまう。

「とても、いい街です。 平和で・・・・・・穏やかで・・・・・・。 私は、この街が好きです」

 金糸のカーテンが若者の横顔を隠す。 その隙間から、彼の表情を窺おうと、 セイリオスは手すりに身体を預けながら覗き込んだ。

「・・・・・・アンヘル村に・・・・・・帰りたいわけではありません。 ただ・・・・・・」
「ただ?」

 シルフィスから言葉を導き出すように、 あくまでも優しく、セイリオスは声をかける。

「その・・・・・・」

 シルフィスは一度だけセイリオスを見やってから、また口篭りうな垂れるように俯いた。

「いいから、言ってごらん。 今、目の前にいるのは皇太子ではない。 ただの、どこにでもいる普通の男だよ」

 安心させるように微笑む。

「君は、辛いことも苦しいことも、 全てを飲み込んで耐える。 けれど、時には全てを吐き出すことも必要だ。 口に出してしまえば、その分、心が軽くなる。 私では君の力にはなれないかもしれない。 けれど、話を聞く事ならばできる。 ・・・・・・だからと言って無理にとは言わない。 君がどうしても話したくないというのなら、 私はこのまま引き下がるよ」

 シルフィスが慌てたように見上げてくる。 その瞳には何かを訴えかける輝きがあり、 そしてはっとしたように頬を染めて、 足の下を流れる川を見下ろした。 キラキラと、水面がルビーのような、トパーズのような煌きを放ち、 シルフィスの金の美しい髪に反射する。

「・・・・・・・・・少し、くじけそうになってしまったんです」

 寂しげな響きの呟きが、 ぽろりと唇から零れ落ちた。

「いろいろと・・・・・・うまくいかないんです。 剣術も、勉強も・・・・・・。 周りと比べても仕方が無いとわかっているんです。 でも、つまづく度に、自分ひとりができない人間のように思えて・・・・・・。 周りの皆は、上手くやっているのに、 私ひとりだけが・・・・・・」

 言葉を切り、そして自分を奮い立たせるように勢いよく頭をあげ、 微笑んでセイリオスを見上げた。

「ひがんでいるわけではないんです。 ただ・・・・・・少し自分に自信がなくなっているだけで・・・・・・。 大丈夫です。今だけですから、こんな風に考えてしまうのは」
「シルフィス・・・・・・」

 その微笑がなんとも痛々しく、 セイリオスは若者を抱き寄せたい衝動に駆られる。 しかしそれを留まり、 じっと見守るように視線を投げかけた。

「・・・・・・すみません、こんな暗い話をしてしまって。 殿下、城までお送りいたします。 戻りましょう」

 シルフィスはあくまで微笑んでみせ、 くるりと踵を返して歩き出す。

「シルフィス・・・・・・」

 セイリオスは若者の細く小さな背中を見つめ、 呻くようにして彼の名を呼んだ。

「大丈夫です。 それでも、 騎士として、殿下の剣となり盾になりたいと思うこの気持ちは変わりません。 今でも強く、この胸にあります」

 セイリオスが何か言葉を紡ぐ前に、 すかさずシルフィスはそう告げた。 セイリオスに背を向けたまま・・・・・・。 若者の身体が、僅かに震えたように見えたのは気のせいだろうか?

 抱きしめたい、その衝動に駆られ手を伸ばす。 けれど若者に触れる手前で、 熱いものに触れたように手を引き、 その手で拳を作り、強く握り締めた。

 きっと、抱きしめても、 シルフィスは語ろうとはしないだろう。 内に閉じ込めた、苦しみや辛さ、痛みを。 更に、奥深くに押し込めてしまい、 「大丈夫」としか言わないであろう。 シルフィスとは、そういう若者なのだ。

(まだ・・・・・・時間がかかりそうだね・・・・・・)

 すべてを自分にさらけ出して欲しい。 心の中に封じられた、痛みを、辛さを。 けれど、それにはまだ、もう少し時間がかかるであろう。 それに、僅かな落胆を感じたのは事実である。

 自分は、まだ若者にとって身近な存在ではないのだ。 まだ、すべてをさらけ出すような相手ではないと・・・・・・。 出会って数ヶ月しかたっていないのだから仕方ないと思う。 お互いの身分を考えれば、尚更、 シルフィスは萎縮してすべてを語ろうとはしないだろう。 そのことがなんとももどかしく、 セイリオスの中で何かを掻き立てる。

 仕方ないこと・・・・・・。けれどそれで片付けたくは無い。 もっと、もっとシルフィスを知りたい。 若者の全てを・・・・・・。

 この目の前の若者は、まだ分化をしていない、 男でも女でもない存在。それなのに、 自分は欲している。 この若者と共にいることで、 満たされる部分が確かにあるのだ。

 シルフィス・・・・・・まっすぐな視線を持ち、強い意志を宿しながら、 不安定で脆く崩れそうな若者。その全てを愛しいと思う。

 隣りを歩く若者の夕日に染まった、凛とした横顔を見つめながら、 セイリオスは小さく、けれどこれ以上ないほど優しく微笑んだ。










『シルフィス』。
このタイトル書いてみて初めて、
その難しさを思い知らされました(苦笑)。

とにかく、シルフィスらしさを出し、
なおかつ、そんなシルフィスらしさに愛しさを抱く殿下、
というシチュエーションで書いてみました。
い・・・・・・いかがだったでしょうか??
シルフィスの気持ちがわからない分、
話の感じがビターテイストになりました(笑)


【2004/06/15】





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