2.未分化


 その報が王宮に、皇太子の耳に届いたのは、昼下がりの ゆったりとした時間が流れていた時だった。

 このまま、何事も無く、何の騒ぎも起きることなく、 いつも通りに一日が終わるだろう、という、 少しばかり気だるさを孕んだ空気が支配しつつあったその時に、 それを破るようにしてその報はもたらされたのだ。

「やけに外が騒がしいね」

 書類にサインを施していたセイリオスは、 扉の向こうの喧騒を聞きつけ、 顔を上げた。
 さきほどから、ばたばたと、 廊下を駆ける音が扉の向こうを行ったり来たりしている。 いつもは静かな王宮がここまで騒がしくなるのは、 何か問題が起こった時か、もしくは妹姫のディアーナが なにかやらかした時・・・・・・。

「またディアーナか。 ・・・・・・本当に落ち着きの無い子だ」

 王宮で、そうそう大騒ぎになるような問題が起こることは無い。 それを考えれば、 原因はディアーナがなにか騒ぎを起こしたことのほうが確率的には高い。
 皇太子の憮然とした呟きに、控えていた侍従は苦笑を浮かべる。

「外を見てきてくれ。 もし、ディアーナが騒ぎの原因であるなら、ここにつれて来るんだ」

 セイリオスの命令に、侍従は短く返事をしただけですぐに動き出し、 扉の外へと出て行った。それから数分、 すぐにまた扉が開き、侍従が戻ってくる。 ディアーナが一緒でないところを見ると、 妹が騒ぎの中心であるというわけではなさそうである。

「なにか、あったのか?」

 声に鋭さがこもる。手にした書類を机の上に置き、 身を乗り出す。

「はっ。騒ぎは、 魔法院の者が緋色の魔導師・キール=セリアンを探すものでして・・・・・・」
「キール=セリアンを?」

 何故、彼を探すだけでこのような騒ぎが起きているのか?

「はい。 なんでも、騎士団で怪我人がでて、その治療にキール=セリアンの 力が必要だとか・・・・・・」
「騎士団で・・・・・・怪我人」

 ふいに、嫌な予感が胸中を過ぎる。 脳裏に浮かんだ金の輝き。 そしてそれが血に染まった色・・・・・・。
 それをかなぐり捨て、 セイリオスは侍従に向き直った。

「怪我をしたのは誰だ?」
「第三部隊レオニス=クレベールの配下、シルフィス=カストリーズと・・・・・・」

 バンっ!!!!

 侍従の言葉が終わらないうちに、 セイリオスは行動を起こしていた。 席を荒々しく立ち、両開きの扉を全開にして廊下に躍り出る。 突然の行動に呆然としていた侍従が はっと我に返って皇太子の後ろ姿を探した時には、 もう影も形も無かった。




 「シルフィス、どう?具合は??」

 シーツに包まりどこかぼーっとした様子の友人を気遣い、 メイは水の入ったコップを差し出した。

 金の髪の若者はおずっとそれに手を伸ばすと受け取り、 けれど口をつけることなく膝の上に下ろした。

「本当だったら、キールの方が回復呪文は得意なんだけど、 どこにもいなかったらしくて。 とりあえず、傷口はふさがったから大丈夫だとは思うけど・・・・・・」
「・・・・・・ありがとうございます。もう、大丈夫です」

 シルフィスは淡く微笑むと、手にしたコップを見下ろした。 揺れる水面に自分の顔が歪む。

「無理しちゃダメよ。傷はふさがっても、 流れた血は回復してないんだから。 しばらくは安静にしてないと!」

   我が身を案じてくれる親友に、 シルフィスはまた、はにかんだ微笑を向けた。

「やっぱり、顔色悪いわね。横になったほうがいいわ」

 若者の顔に微かな陰を見つけ、 メイは渡したばかりのコップをシルフィスの手から取ると、 枕もとのラックの上に置き、横になるように促す。

「大丈夫ですよ、メイ」

 あまりにも心配しすぎる少女に、 シルフィスは苦笑を浮かべる。

「怪我人の大丈夫ほど、信じられないの!さ、寝た寝た!」

 強引なメイに負け(もともと勝てるとは思ってはいなかったが)、 シルフィスはゆっくりと身を倒し、布団にもぐりこむ。 ちょうど、その時だった。 部屋の外の空気が僅かに変わる。

「何かしら?」

 メイも気付いたらしく、 扉の方を見やった。

 ざわざわと人々が何か驚くような声をあげ、 そしてレオニスの低い声がくぐもったように室内に響いてくる。 その声には抑えていても咎めるような響きがあった。

「黙れ!レオニス!!」

 そして、一際高い声が扉の中に切り込んでくる。 聞き覚えのある声、しかし、すぐには思い出せない。 それでも、一度聞けば決して忘れることの無い、 涼やかで、それでいて冷たさを孕んだ声音。

 シルフィスは咄嗟に布団を目深く被り、 貝のように閉じこもった。 肌が、僅かに震えているのがわかる。 抑え込もうと我が身を抱いてみるが、 更に震えを強く感じる結果となり逆効果であった。

 バンっ

 高い音を響かせて、扉が開け放たれる。そこには、 切迫した表情の皇太子の姿があった。

 さすがのメイもぎょっとするが、 皇太子の背後に群がるレオニスをはじめとする騎士たちの姿を見止め、 チラッとシルフィスを省みてからセイリオスをキッと見上げた。

「殿下、扉閉めて」

 小柄な少女は腰に両手を当てると、皇太子にそう命じた。
 一瞬、憮然とした表情になったセイリオスではあったが、 メイの背後で布団を被るその人物を見つけ、 慌てて室内に入ると扉を閉める。

「皇太子が、こんなとこに来てもいいのかしら?」

 挑むような視線がセイリオスを射抜く。

「仕事を放り出して」

 図星なだけに反論はできない。しかし、 セイリオスの興味はすぐにベッドの上へと向けられる。

「シルフィスは」
「とりあえず大丈夫。 でも、2、3日は休養が必要よ」

 メイは小さく息を吐いてから、そう告げる。
 セイリオスの顔に、安堵の色が浮かび、 肩から力が抜ける。 それから、シルフィスに近づこうと、一歩踏み出したその時だった。 異世界の少女は、その行く手を阻むようにして二人の間に立ちはだかる。

「メイ?」

 訝しんで少女を見やる。 メイは強気な茶色の瞳を皇太子に向けながら、 しかし、少しばかり複雑な色をその面に浮かべていた。

「・・・・・・お願い、これ以上は近づかないで」
「何故っ」

 セイリオスが詰め寄る。

「本当なら、この部屋に誰も、入ってきて欲しくなかった。 たとえ、殿下でも。ううん・・・・・・ 殿下だから、なおさら、来て欲しくなかった」

 メイの言葉に、 セイリオスの視線に険しいものが混じる。

「シルフィスは・・・・・・」
「メイ」

 言いかけたところで、背後から声がかかり遮られる。 ベッドの上で布団を被っていたシルフィスが、 ゆっくりと身体を起こす。

「シルフィス・・・・・・」

 セイリオスは弾かれたようにそちらの方を見て、 メイの脇をすり抜けるとベッドの端に歩み寄った。 そして、金の髪の若者へと手を伸ばしかけた時、 それから逃れるように、若者が視線を逸らし、身体を僅かに退く。

「シルフィス?」
「お許し、ください。・・・・・・私を、見ないでください・・・・・・触れないでください・・・・・・」

 若者の肩が震える。そして、声も。 涙をかみ殺すように、俯き、我が身を強く抱きしめる。

「何故だ・・・・・・シルフィス」

 この、未分化の若者と想いを交わして数ヶ月。 一度たりとも、若者の口から拒絶の言葉を聞くことは無かった。それなのに。 突然のその一言に、セイリオスは僅かな眩暈を覚える。

 疑問ばかりの皇太子とは逆に、 メイにはシルフィスの気持ちが痛いほど伝わってきた。
 怪我の手当てのため、服を脱がしたのだが、 それを知った時のシルフィスの反応。 未分化の自分を恥じ、 未分化の身体を自ら「気持ち悪い」と称した若者。 怯えた子供のような瞳の彼を見て、 胸の痛みを感じない者はいないだろう。 しかも、自分が好きな人に見られる、 それがシルフィスにとってどれほどの痛みを与えているのか。 メイには居ても立っても居られなかった。

「お願い、殿下。シルフィスの気持ちもわかって」

 しかし、メイの言葉に皇太子は反応を示さない。

「メイ・・・・・・二人だけにして欲しい」

 有無を言わさぬ申し出に、 メイはカッとなりセイリオスに詰め寄ろうとする。しかし、 こうした態度をとるセイリオスが聞き分けるわけでもなく、 メイは引き下がり、諦めのため息をついた。

「・・・・・・・・・わかった。でも、 あまり無理させないでね。怪我人なんだから」
「わかっている」

 短く答える皇太子の白い背中を睨むように見つめ、 それから気遣う視線で俯いたままの親友を見る。 そして、後ろ髪を引かれる思いで、 メイはその部屋を後にした。

 二人きりになった室内。 沈黙が訪れ、静寂が空間を支配する。 長いとも思える気まずい短い時間が過ぎ、 行動を起こしたのはセイリオスであった。

 ベッドの端に、シルフィスを背にして座し、 膝の上で指を組む。

「・・・・・・傷の方は、痛むかい?」

 優しい響きが、するりと耳元に入ってくる。 シルフィスはゆっくりと顔を上げ、そちらを見た。 セイリオスはこちらに背を向けたまま、 振り返る気配はない。

「いえ・・・・・・」

 シルフィスは複雑な気持ちを抱きながら、 短く答えた。

「そう・・・・・・ならば・・・・・・良かった・・・・・・」

 それからまた、沈黙が訪れる。

「でん・・・・・・・」
「君が・・・、怪我をしたと聞いて、いてもたってもいられなかった」

 沈黙に耐えかね、 シルフィスがセイリオスの背中に呼びかけようとした瞬間、 彼が唐突に口を開いた。

「それなのに、君は、私に会いたくなかったのかい? 私は、君の事を心配することも許されないのかい?」

 セイリオスが振り返る。 その菫色の瞳に、冷たさと寂しさの色がある。 彼がそのように捉えたということに驚愕し、 深緑色の双眸を見開いた。

「ちが・・・・・・殿下、それは違います!!」

 シルフィスは慌てて、 白い外套を掴んだ。と、セイリオスの両腕が伸ばされ、 あっという間に抱きすくめられてしまう。

「で・・・・・・殿下・・・・・・やめっ・・・・・・」

 一瞬、呆然としたシルフィスではあったが、 はっと我に帰ると自分とセイリオスとの間に腕を入れ、 突っぱね始めた。

「私に、抱かれるのは嫌なのかい?それなのに、 何故私の想いに答えた?シルフィス・・・・・・ 君の本心はどこにあるんだい?・・・・・・もしや、 同情で私の想いに答えたのかい?」
「違う・・・・・・違いますっ・・・・・・殿下っ」

 お互いの言葉に、必死なものがこもる。 皇太子の両腕の力強さに、眩暈を覚える。

「っ・・・・・・・・・」

 と、若者が苦痛で顔を歪めた。 セイリオスははっと我に帰ると、 腕から力を抜き、 それでもまだ、腕の中に閉じ込めたままの若者を見下ろした。

「すまない・・・・・・」
「いえ・・・平気です・・・・・・」

 しかし、額の汗がシルフィスの言葉とは裏腹であることを如実に伝えている。

「・・・・・・横になりなさい・・・・・・」

 そして、シルフィスを解放すると、 ゆっくりとベッドに横たわらせた。

「・・・・・・・・・違うのです、殿下」

 若者が横たわったのを見届けた皇太子が、 今にも去ろうと腰を上げかけた時、 シルフィスが外套の端を弱々しく掴み、 か細い声でそう言葉を紡いだ。

「来て欲しくなかったわけでは・・・・・ありません。、 殿下への想いも、同情ではありません。 私の本心は、いつでもここにあります。 来ていただけて嬉しかった、 私は・・・・・・殿下をお慕い申し上げております。 この気持ちに、偽りはありません。 ただ・・・・・・・・・」

 言葉を切り、するり、と外套を放し、 その手をぎゅっと握り締めると胸元に当て、視線をふいっと逸らした。

「ただ?」

 その続きの言葉が気にかかり、 セイリオスはベッドの上に座りなおすと、 若者の青ざめた横顔を見つめる。

「・・・・・・・・不安、なのです・・・・・・」

 少しだけ考え込み、 言葉を選ぶようにして、戸惑いながらそう告げる。

「不安?何が不安だというんだい? 私の想いを、疑っているのかい?」
「違いますっ。殿下のことを疑っているわけでは・・・・・・。 ・・・・・・不安、というよりも、恐れているのかもしれません」

 シルフィスは瞼を伏せ、 悲しそうに眉を下げた。

「殿下、私は・・・・・・未分化です」
「知っている」
「それが、不安なのです。そして・・・・・・あなたにそれを見られたくない ・・・・・・だから、来て欲しくなかった」

 シルフィスは我が身を抱く腕に力を込め、 噛み締めるようにそう語った。

「男でも、女でもない、我が身を・・・・・・不完全な、この身体を・・・・・・。 誰にも見られたくない。ましてや、殿下には・・・・・・」

 きゅっと唇を噛み締め、言葉を切る。 布団の隙間から僅かに覗く白い肩が、 戦慄いている。

「恐れることなど、何も無い。不安になることも、ないのだよ?」

 黙して、小さく震える若者を見下ろしていた皇太子は、 ふっと表情を柔らかくすると、 若者の頭に手を乗せた。

 ふわり、とやわらかく撫でるその感覚に、 シルフィスは泣きそうになり、 ぎゅっと布団に顔を押し付ける。

「男だろうが、女だろうが・・・・・・そのどちらでもなくとも・・・・・・ 私が好きになったのは・・・・・・君なのだから」

 さらり、と指の間を金の糸が零れ落ちていく。 その感覚にうっとりしながら、 セイリオスは何度も若者の頭を、髪を撫でた。

「君は・・・・・・未分化であることを恥じているようだけれど・・・・・・ 恥じることなんてない。 私は・・・・・・それを含めて、君を愛したのだから・・・・・・」
「殿下・・・・・・」

 シルフィスは頬を染め、セイリオスを見上げる。

「シルフィス、君は、私が皇太子であるから好きなのかい?」
「いいえ、私は・・・・・・あなたがあなたであるから、好きになりました」
「そういうことだよ。私が、君の事を好きになったということは」

 セイリオスは柔らかく微笑み、 手のひらでシルフィスの目の辺りを優しく覆った。

「さあ・・・・・・眠りなさい。顔色が悪い・・・・・・」
「はい・・・・・・殿下・・・・・・。でも・・・・・・もう少し、側にいてください・・・・・・」
「ああ・・・・・・いるよ。君が眠るまで。・・・・・・いや、眠った後も・・・・・・」

 すうっ、と意識が遠のくのがわかる。 張り詰めていたものが、ふっと緩み、 安堵と安らぎとが包み込んでいく。

 セイリオスは、若者が眠りにつく様子を甘い視線で見守り、 そして、そっとその頬に口付けた。









お分かりのように、
最初は「怪我」がテーマでした。
しかし、書いているうちに「これは未分化がテーマだぞ?」
となり「未分化」になりました。

とりあえず・・・・・・メイ主人公のシルフィスイベントが元です。
ここに殿下が来たらどうなるかな、と。
いつもと変わらない展開でしたが(苦笑)
でも、きっとこんな感じでせう。


【2004/06/15】





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