-暴走する絆……-






 冷気で身体が縮こまりそうだった。
 もともと、寒さに耐性がないというのに、ここは氷の洞窟として有名である。今更ながらにもっと別の場所で、と思ったがもう遅い。
「よぉ」
 光が乱反射して、氷はクリスタルのような輝きを見せている。その輝きの中心に佇む男に、エンは呼びかけた。
「やぁ」
 呼びかけに答えたのは、血が通っていないのではないかと疑ってしまうほどの蒼白な顔色をした男である。
「僕の相手は君か。どうせなら女の子のほうがよかったのにな」
 優しげな笑みを浮かべているものの、その裏側には荒れ狂う殺意があった。
「悪かったな。けど、お前はオレが戻してやるよ。『向こう』にな!」
 そういうと、エンは火龍の斧を召還し、彼に襲いかかった。
 彼が、勝利を確信した笑みで迎え撃つ――。


 勇者ロベルの遺言を頼りに、四大精霊(エレメンタル)に関する情報を集めている時である。
 北大陸(ノースゲイル)のエルデルス山脈からやや東にある街、マウン・スノウという場所でバザールが行われていた。こうした行事には人が集まりやすく、また裏社会の人間も関わりが深くなってきているため、あらゆる情報が交錯する。
 もしかしたら四大精霊の情報が得られるかもしれないということで『炎水龍具』のメンバー達はやってきていた。
 そして一日ほど自由行動を取り、それぞれが町を探索していた。
「いろいろあるんだな」
 エンとルイナがやってきたのは入り組んだ路地の先、怪しげなフードを被った老人が出店を開いている場所だ。ミレドに「穴場だ」ということで教えてもらった道を辿っていたらここに着き、そこには様々な魔法道具が置かれていた。
 キメラの翼や魔法の聖水などのよく市販されているものに加え、魔道士の杖、魔道書、魔力の篭った怪しい壷など、魔力を感じることのできる人間には宝庫にも感じるだろう。
 そこでルイナが目につけたのは、魔力を抑制させることのできるらしい薬草で、恐らく調合薬の材料にでもするのだろう。
「なんだこれ?」
 エンが手にとったのは魔道書とは別の本で、この書そのものに魔力を感じ取ったからだ。
「そいつは魔書さ」
 老人が少し顔をあげ、掠れた声で言った。
「魔書?」
「知らんのかい。キメラの翼みたいなもんさ。魔力を必要とするが、正規に習得した呪文とは別に、その書に封じられている魔法を行使することが出来る」
「へぇ。そんなのがあるのか」
 エンは本の裏側を見てみると、一瞬絶句した。最初は見間違いかと思ったが、何度見てもそれは変わらない。
「いち、十、百……。いくらあるんだ?」
 決して彼は百以上の数が数えられないということではないのだが、あまりにも高額すぎて数えるだけで虚しくなってきたのだ。
「魔書は貴重だからなぁ。そりゃあ高くなるさ。それにそいつは魔書でも強力なやつだからな。手放すにゃあ、それでも安い方さ」
「これで安いって……」
 手に持っているだけで罰当たりな気がして、エンはさっさと魔書を元の場所に戻した。
 掘り出し物としてはルイナの購入した材料なくらいなもので、二人は表通りに戻ったのだが、その後すぐに老人の出店へ一人の男が現れた。
「いらっしゃい……」
 もともと無愛想な老人は、今日はやたら客が多いなと内心で鬱屈になっていたが、その男の顔を見て目を見開いた。
「あ……」
「久しぶりですね、ご老人」
「これはこれは、コリエード家のお坊ちゃんじゃねぇですか」
 なるべく愛想よくしようとへつらい、老人はへこへこと手を擦った。
 この老人は、中央大陸(クルスティカ)の政治国家ストルードでも有数の貴族コリエード家に世話になったことがあり、こうして商売が出来るのもそのおかげなのだ。
「随分と良い物を売っているようだな」
 言いながら、エードは先ほどエンが手に取っていた魔書を見定めた。
「いえいえ、滅相もございません」
「ほう? 大した物ではないと?」
「そりゃもう」
「ならば私が貰っても問題ないな」
 老人は目が飛び出さん限りの驚きを見せたが、それに構うことなくエードは明らかに足りない金額の入った袋を投げ渡し、その魔書を持って行ってしまった。
「んな馬鹿な……」
 老人な悲痛な声も、人にあまり知られていない裏路地に寂しく流れただけだった。


 エードは魔書を見つめ、にやりと微笑んだ。
 強引な手段を取ってしまったものの、強力な力を有する魔書を入手したのだから嬉しくもなるだろう。
「これで、私も強くなれる……」
 メンバーの中で弱さを感じ、劣等感を覚え始めたのはいつごろだろうか。こっそり鍛錬を積み、皆の知らないうちに強くなろうとしても、他は常にエードの上を行っていた。彼の力量(レベル)が上がるころには、皆は更に高みにいたのだ。
 だから、このようなことをしてでも『強さ』を手にしたかったのだ。
「さて、まずは試しに」
 ぱらりと魔書をめくる。何が書いてあるのか自体は、すぐに読めた。これでも高学歴を誇っており、習得の難しい古代語に留まらず、魔物の言語まで習得しているエードにとってこれくらいの記述読解はなんてことはない。
「これは……召喚術の魔書か」
 どうやら魔書に描かれている物語に登場する人物達を自分の守護精霊として使役することができるらしい。
 エードが目をつけたのは五人。
「実際にやってみるか」
 さすがに街中では使えないと判断し、街の外へ出た。
 いつの間にか夕日も落ちかけ、夜の帳が下りている。そんな中でエードは試し撃ちにちょうど良さそうな大木を見かけ、それを目標に魔書を取り出す。
「魔書に秘められし魔力よ、解き放たれよ――ゼロ・ノース、ウーラ、ベルフェード・スロウス、チャート・ミテリア、ザンザ=\―我が意志に従う守護者となれ」
 魔書が光る。
 込められた魔力に反応し、魔書の力が発現している証拠だ。
「今こそ姿をみせよ!」
 夜の暗闇に魔法的な光が眩く放たれる。それは複雑な紋様を描き、一種の魔法陣を完成させた。
 そして――。


「エードの野郎が帰ってこねぇ」
 マウン・スノウの宿屋。そこの夕食の席で、早々に酒を飲みながらミレドが苛立ちながら言った。
「ふむ、昼間は単独行動をしておったからなぁ。ワシも知らぬ」
 こちらは早々に食後のコーヒーを楽しんでいるファイマの発言である。
「オレとルイナはいろいろ買物してたけど、エードは見てないなぁ」
 他の者は食事を終えているのだが、エンはまだ続けていた。彼だけ食事が遅かった、というわけではなく、量が膨大でまだ食べ終わっていないだけだ。その隣では、お茶を静かに飲んでいるルイナがエンに同意するように頷いた。
「ったくよぉ、集合場所を間違えてんじゃねぇのか」
 この席で今日の情報交換をすることになっていたのだが、残りの一人がいなければ説明が二度手間になってしまう。かといっていつ戻ってくるかわからない人間を待ち続けるのも忍耐力がいる。
「面倒なことに巻き込まれているんじゃないか?」
 黒コショウをまぶした大焼肉にかぶりつきながら、エンは思い当たったことを言ってみた。あながち間違いではなさそうでもある。
「前にも、勝手に一人で魔獣退治に出かけたことがあったのぉ。さすがに心配になってきたわい」
 まるで緊張感の無い声でコーヒーを飲みながらファイマは過去を振り返った。そういえば、エードはプレゼント資金稼ぎのためにそのようなこともやっていた経歴がある。
「んじゃあ、そろそろ探しに――」
 ちょうど注文していた料理を食べ尽くしたエンが立ち上がりかけた瞬間である。
「み、みなさん…………」
 エードが、ふらりと現れた。
「エード?! な、なんだお前、どうした!?」
 エンが驚いたのは唐突にエードが現れたことはもちろんの事として、彼がずたぼろになっていたからだ。自慢のプラチナメイルは物理遮断壁(スカラルド)という結界魔法が込められているにもかかわらずボロボロになっており、彼自身、今にも死にそうな顔で、やっとの態でここまで辿り着いたらしい。
「とにかくルイナ、なんかしてやってくれ」
 彼女も彼女なりにこの状況に驚いていたのか、エンの指示でハッとして水龍の鞭を召還。癒しの水を放出し、エードにかけてやる。
 徐々に顔色が良くなり、外傷は癒されたようだ。
「何が起きた?」
 さすがに酔いも覚めたのか、ミレドが真剣に聞いた。
 それに対してエードは俯き、情けない表情で地面を見つめるばかり。
「黙っていても仕方なかろう。どうしたのじゃ?」
 ファイマの言葉で、ようやくエードは顔を上げた。
 そして最初の一言は――。
「すみません!」
 ――だったのである。

 エンたちが驚いたのも当然で、プライドの高いエードがいきなり謝ったこともさることながら、彼の話の内容に驚愕したのだ。
「それじゃあ、魔書から出てきた守護精霊が暴走して、襲い掛かってきた挙句に、魔書の中に戻らず逃げられたってか?」
 一から説明していたことを要約するとそういうことになる。
「はい……」
 元気の無い声でエードは肯定し、脅えたように皆を見回した。
「それで、あの、どうしましょう?」
「どうする? 決まっておるわい。元の魔書へ戻さなければならぬじゃろうよ。本来、精霊は精霊界の者じゃからな。人間界に長く留まっていたら凶暴化するかもしれん」
「もとから暴走してるみてぇだけどな」
 ファイマの危惧していることは、ミレドの言う暴走よりも恐ろしいことだ。暴走と言っても、ただの制御失敗なだけであり、術者に襲い掛かってきた。しかし凶暴化まで行くと、無差別に人を襲い兼ねない。
 そうなる前に何とかしなければならない。
「召喚したのは五体だったな。まだ近くにいるのか?」
「北の洞窟へ、向かうのを見た」
 見ただけで、追ってはいない。逃げ出した事実を口にするのは悔しかったが、自分一人ではどうしようもないという判断の上だ。
「よし、行くか」
 エンが先頭を切り、街の外へ向かう。冷たい風が身を弄るが、これから戦うとなると考えただけで身体が燃えるように熱い。……ただ、先ほどの料理に身体を温めてくれる材料が多く使われていただけだが、人は時として錯覚でも思い込みで強くなれる。
 今なら、何者にも負ける気がしなかった。

 そして辿り着いたマウン・スノウの北の洞窟。氷の洞窟と呼ばれるそこは、ご丁寧に道が五つに分かれていた。
「バラバラに進んだ可能性が高いな」
 ミレドが道を観察しながら言った。精霊と言っても召喚されたのは人物である。足で移動しているのだから、足跡も残っているはずなのだ。
「なんで逃げるんだ?」
「妙な所で生存本能が働いておるのじゃろう。ある意味では、この世界に生を受けた存在じゃからな」
 それぞれを打ち負かせば元の魔書に戻るかもしれない、という憶測の域を出ていないが、他に方法が無い上に時間もないので、やはり暴走体を倒すしかないだろうという結論に至った。
 五人はそれぞれの分かれ道を歩み、そして辿り着いたのである。

 冷気で身体がどうにかなりそうだった。
 もともと、寒さに耐性がないというのに、氷の洞窟として有名なこの場所で、今更ながらにもっと別の場所のほうが良かった、と思ったがもう遅い。
「よぉ」
 光が乱反射して、氷はクリスタルのような輝きを見せている。その輝きの中心に佇む男に、エンは呼びかけた。
「やぁ」
 呼びかけに答えたのは、血が通っていないのではないかと疑ってしまうほどの蒼白な顔色をした男である。エードの説明に照らし合わせると、ゼロ・ノースという名のはずだ。
「僕の相手は君か。どうせなら女の子のほうがよかったのにな」
 優しげな笑みを浮かべているものの、その裏側には荒れ狂う殺意があった。それは生に執着し、生きるために邪魔者を排除するという意志。
「悪かったな。けど、お前はオレが戻してやるよ。『向こう』にな!」
 そういうと、エンは火龍の斧を召還し、彼に襲いかかった。
ゼロは、勝利を確信した笑みで迎え撃つ――。

 ルイナが出会ったのは、身軽そうな格好をした女性であった。氷の洞窟内でその軽装は命取りになるはずだが、相手はそのようなことを微塵も感じていない様子。それというのも、肌の露出している部分は狼のような毛で覆われ、むしろ羨ましいくらいに暖かそうだ。
「狼……」
 狼のような、ではない。狼だ。
 エードの説明によれば、名をウーラいい、変身しても自我を失わない狼女のはずだ。
「ふぅん、あたしの相手はあなたなのね」
 やはり寒くないのだろうか、ウーラは微笑んだ。
 そしてもう一つ、やはりと思うことがあった。

 ミレドは、心底嫌そうな顔をして相手を見つけた。見つけてしまった、と言ってもいい。まだ確信したわけではないが、長年の勘が告げているのだ。相手が、闇の者である、ということを。
 ということは、ベルフェード・スロウスという男だろう。
魔王一族の王子にして、歴史最強の実力の魔王としての才能を持っているにも関わらず、人間に興味を持ち、争いを嫌う魔王子。いつしか親に勘当され、自ら人間界に。見た目は人間なため、滅多にばれることはない。暗黒系統の魔法を得意とし、催眠系の術が最も得意とする。――というのが魔書に書いてあった内容らしい。
「君は……ミレド君、かな」
 ベルフェードはミレドを君付けし、それに対して鳥肌が立ちそうだった反面、内心で舌打ちした。
「エードの野郎……」
 別行動を取っている今回の原因に、悪態をつき、今頃本人は寒気でも走っているのではないだろうか。

「これは、ご主人様」
 チャート・ミテリアが天使のような微笑みでエードを迎えた。
「何がご主人様、だ。よくも私を騙してくれたな」
 自慢のプラチナソードを抜き放ち、切っ先をチャートに向ける。しかしその途端に悪寒が走ったのは何故だろうか。誰かがどこかで殺気を向けている気がしてならない。
「私はただの好奇心から聞いたまで。喋ったのはあなたでしょう」
 そんなことはお構いなしにチャートがくすくすと笑う。
魔書からの召喚時、まさしく五人はエードを守護するための存在として現れた。エードから皆の情報を聞き出した後、掌を返したように襲いかかり、そして逃走。
 元から制御に失敗していたらしく、それは鮮やかなほどの下克上であった。
「私自身のプライドを取り戻すため、元に戻ってもらうぞ、魔書の住人よ」
「私に勝てたら、それも叶うでしょうね」
 魔書に記してあった内容に寄れば、チャートは無実の天使で、冤罪をかけられ、天界を追放された天使。いつもは人間の姿をしており、白い翼も隠している。だがその翼を隠さず広げた所を見ると、戦う意志があるという証拠だろう。
 僧侶という名目だが、未知数の実力を持っている。先ほどエードが死に掛けた時も、彼女はただ様子を眺めていただけだったのだ。ある意味では、最も実力が分からない相手でもある。
「行くぞ!」
 だからといって臆するわけにはいかない。エードは、勢いよく地を蹴った。

「ザンザ、という名前じゃったかの」
 人には扱えないと思われるほどの巨大な剣を背負い、その男は眠たそうな目でファイマを見た。
「そうだが……あぁ、あんたは、あれか。あの弱っちいのが言ってたなぁ、ファイマって名前か」
 ゆったりとした喋り方は、どこか温和そうな顔と相まって愛着が湧きそうだが、その巨躯からじんわりと溢れている殺意はファイマの心を揺さぶっていた。
 鬼と言う名の魔物と人の子の間に生まれた、半魔半人というのは伊達ではなく、強いということは戦う前から理解できた。
「さり気なくエードを弱いと言うとは……お主もなかなかよのぉ」
 大剣には大剣を、と思ったがここは小回りの利くシルバーソードを召還した。こうした敵は銀の武器が弱点、というのは果たして通用するかどうかは分からないが、たとえ意味がないとしてもファイマはこのまま行くと決めた。
「負けるわけにはいかない候。いざ、尋常に勝負!」
 ザンザが大剣を振りかざし、地を蹴った。
「(受けられぬ!)」
 まずは受け流して相手の力量を確かめようとしたが、中断してよかった。屈むことで横薙ぎにされた大剣を躱すことができ、もし受けていたらシルバーソードごと自分の身体が真っ二つになっていただろう。
「避けられぬ、ということはないが――」
 不意に近づく事もできまい。攻撃魔法を使えば、という考えはあったが、相手はそのような手段は使ってはいない。ならば自分だけ遠距離から攻撃できるイオ系の呪文を使うべきではないと勝手に決め付けてしまった。
「おぉおおお!」
 ザンザが大剣をめちゃくちゃに振り回す。
「ぬぅ?!」
 辛うじて躱すが、その度に洞窟の一部が破壊され、崩れていく。
「こやつ、互いを生き埋めにでもするつもりか!」
 戦い方が単調なのも、半魔ということが影響しているのだろうか、ともかく早期に決着しなければ洞窟そのものが持たない。その上、躱すタイミングもそろそろ限界に近いようだ。少しずつとはいえ、確実に刃はファイマに近づきつつあった。
「ならば――!」
 ファイマは一瞬で武器をブーメランに変えた。これならば遠距離からも攻撃が可能だ。しかしあくまで剣で戦うつもりなのでこれはただの牽制だ。ブーメランがザンザを直撃しそうになり、彼は動きを止めた。
その瞬間を狙い、ファイマは周囲に翠の光を発生させた。
「風の精霊よ、我が身に纏え! ピオラ={ピオラ={ピオラ=I」
 ザンザが動揺している間に詠唱を終え、更に連携させる。
複数回の敏速上昇呪文。それを同時に発生させることにより可能となる技。
「=『神速の見切り(ストレイト)』!!」
 途端に、ふっとファイマの姿が消えた。
「っ?!」
 ザンザは背後に気配を感じたが、それを確認するまでもなかった。
 ただ、ああ負けたのか、と最後に考えるだけの時間はあったのはファイマの慈悲か。
 彼は光に包まれ、その光は勢いよく飛んでいった。恐らく、魔書に戻ったのだろう。
「ふむ、他の者は大丈夫じゃろうか?」
 速すぎる移動に身体がついてこれたことを幸運とし、汗を拭いながらファイマは顔を上げた。

「ミレド君、実に残念だよ。こうも早く勝負がついてしまうなんてね」
 ベルフェードはため息をつくが、それに対して強がりの一つも言わないミレドは跪いたまま動かない。
「あっさり催眠術にかかるなんてね」
 ミレドの二対の魔風銀ナイフ。その刃が届く前にベルフェードは魔法をかけた。小手調べのつもりが、ミレドは簡単に膝を折ってしまったのだ。
「せめて笑い話のネタの一つにはなってほしいものだ」
 跪いたままのミレドの頬に、ベルフェードは手を寄せた。やはり何の反応もないようで、闘志は完全に消えている。最早、微塵も戦う意志は感じられない。
「君の負けのようだね」
 にこりとベルフェードが笑う。
「――いいや、俺様の勝ちだ」
 ぼそり、とミレドが呟いた。
「なに!?」
 油断した――ベルフェードが理解し行動に移すより早く、ミレドのナイフがベルフェードの胸元に刺さる。
「(まだだ!)」
 魔界の王子、という名目だ。心臓が一つとは限らないうえ、心臓があるかどうかさえわからない。もとより魔書から出てきた精霊である。人間と同じ考えではダメだ。奇襲には成功したのだから、さらに追撃を放つ。
裁きの十字架(ジャッジ・クルス)!」
 できる限りのダメージを、と使い慣れた技を放った。
「くぅっ!」
 ベルフェードの目が、悔いを見せた。勝った――と確信できた。
「騙し、た、な」
 催眠術にかかったふりをして、ベルフェードが油断することを狙っていたのだ。すんなり行き過ぎたことを警戒するべきであった。
「騙して何が悪い? 俺様は暗殺者だぜ。騙して抹殺することが俺様の仕事でな。エンほど甘くはねぇんだぜ」
 不敵の笑みを見せ、ベルフェードが光に包まれるところをのんびりと眺めていた。
「最後に一矢、報いてやる」
 光に完全に包まれる前に、ベルフェードがミレドに手を向けた。
 暗黒魔法を放ち、ミレドに闇が襲い掛かった。
 どうだ、とベルフェードが笑うが、その笑みは凍りついた。
 何も……何もおきていない。
 驚愕の表情のままベルフェードは光に包まれ、飛ばされていく。
「へっ、何を驚いてやがる。俺様はもともと闇に身をおく人間だ。んなもん、効くわけねぇだろ」
 せめてもの情けか、ベルフェードの驚愕にミレドは答えてやった。

 エードは、プラチナソードを水平に構えたまま、冷や汗をかいていた。
「(何故……)」
 対するチャートは、微笑んだままあちらも動かない。違うのは、エードが相手を恐れているということ。チャートは無防備であり、なおかつ相手を抱擁するように腕を広げていることだ。
「(何故、動かない?)」
 何か仕掛けてあるのか、攻撃が躊躇われる。
 相手は僧侶だ。補助と回復を得意としている分、直接的な戦闘能力は持ち合わせていないはず。その証拠にエードが下克上の反撃を受けた時も、彼女は戦闘に加わっていなかったではないか。
「恐いのですか? 私を斬ることが」
 実のところ、恐ろしい。それに、彼女の微笑みまるで天使のようであり――本物の天使ではあるが――、戦闘意欲というものが失われていく。もしかしたらこれが彼女なりの戦闘方法なのかもしれないが、それに気付いたからといって、抗えるほどエードは強くなかった。
「く……」
 どうすればいい。
 どうすれば。どうすれば。どうすれば。どうすれば。どうすれば。
「…………あ」
 不意に、チャートがエードから視線を逸らした。
「?」
 エードは不審に思ったが、それに構うことなく、むしろ彼がいるということを忘れたかのようにチャートは悲しげな表情を見せた。
「私も、帰ります」
「何?」
 チャートの身体が、光に包まれる。
「どういうことだ! それに『私も』とは」
「ベルフェードが、倒されて魔書に戻りました。私も、後を追います」
 丁寧にも解説し、チャートはあっさりと魔書へと戻っていった。
 目を丸くして今の状況を理解しようと必死になっていたエードは、ようやく一つの答えに辿り着いた。
「愛というのは、偉大だな……」
 魔書には、ベルフェードとチャートは夫婦であるということが書かれていた。愛する夫を追いかけて自らの生存本能をもあっさり断ち切る。なかなかできることではないだろう。しかそれをするあたり、チャートの慈愛の深さが知れた。
 ベルフェードが魔書に戻ったという事は、他のメンバーも上手くやっているのだろう。

 水龍の鞭が追いつかない。
 自分の意志で自由に動かせることのできる水鞭は、しかしウーラの敏速さに比べると絶望的であった。
 まさに狼の如く、狙った兎をじわじわと弱らせるかのように、ただただルイナの体力だけが削られていく。もともとエンと同じく寒さに弱いのだ。対して激しい動きを必要としないものだから、冷え込みは激しくなる一方。
 氷の洞窟らしくヒャダルコなどの氷撃魔法を使ったとしても、その力が具現する前にウーラは安全地帯を見つけてそれを回避する。
「それじゃあ、あたしには勝てないわね」
 こちらの速さを見切ったのだろう。勝利を確信したのか、動きを変えた。
 ほぼ回避するかフェイントを仕掛けるかのどちらかであったウーラは、初めてルイナに攻撃らしい攻撃を繰り出した。
 両腕両足を狼のそれに変え、直進的ではあるものの一撃必殺の威力を持つ爪が伸びる。
 危うく切り裂かれそうになったところを紙一重で躱したが、反撃のチャンスもなく流れは相手が掴んだままだ。
「この勝負、あたしの勝ちよ!」
 寒さのせいで動きが鈍くなっている。先の一撃は紙一重だったが、今度はそう上手くはいかないだろう。
 だからと言ってこのままただの標的になるだけのつもりはない。
 ルイナは咄嗟に、懐から瓶を一つ取り出した。同時にウーラがルイナの急所を狙って飛び込んできた。
 何も考えずに、ルイナは瓶を投げようとする。
 ルイナの一投が先か、ウーラの一撃が先か。
 硝子の砕ける音が洞窟内に響いた。どうやらルイナのほうが速かったらしい。飛び込んできた瓶を割ってしまったウーラに、霧状になっていた液体が付着した。
「なに、これ?!」
 ウーラの身体が、元の人間に戻る。
「……『落下聖(らっかせい)・I(イリュージョン)』。魔力を、消し去ることが、できます」
 マウン・スノウの魔法商店で購入した魔力を抑制させる薬草を惜しみなく使い、他の材料と組み合わせることで魔力を一時的に消去できるようにしたものだ。狼化には何らかの魔力が働いていたのだろう、効果はあったようだ。
「い、いやぁ!」
 ウーラが悲鳴を上げる。狼化していた部分が人間のそれに戻るだけではなく、ウーラの姿そのものが薄らいでいた。それは激しくなる一方で、つまりウーラの姿は薄れていくだけ。
 やがて、消えそうになり、一瞬だけ眩い光に包まれたかと思ったら、光ごと飛んで行ってしまった。
 魔書から出てきた存在の彼女は、魔力を失ったことでこの世界に存在できる力を維持できなくなった、ということだろう。
 意外な結果にルイナはいつも通り無表情ではあったが、考えていたことはただ一つ。
「……」
 寒いから、早くこの洞窟から出たい、ということだけであった。

「おぉぉおぉ!!」
 エンの懇親の一撃を、ゼロはあっさりと剣で受け流した。
「『爆炎』の――」
「遅い!」
 F・Sを放つ前にゼロが腕を振るう。その軌跡に沿って冷気が吹き荒れた。
 エンたちの使う精霊魔法とはまた異なる氷の魔法のようで、氷の精霊が反応しているのかその威力は絶大であった。
「君は僕には勝てない。彼から聞いたよ、寒さに弱いんだってね」
 ゼロの言うとおり、思ったとおりに身体が動いてくれない。
「君の切り札……ビッグ・バンだっけ? それも無駄だよ。こんな所で使ったら生き埋めになるし、何より詠唱が終わる前に君の命が終わるだろうからね」
「んなこたぁ分かってるさ」
「だったらもう無駄だって潔く諦めな!」
 今度はゼロが攻めた。
 鋭く、力強さも充分にある一撃をエンは火龍の斧で防ぐ。
 その一撃に魔法をかけていたのだろう。直接的な損傷はなかったものの、霊的な冷気がエンを弄った。
「マヒャド斬りみたいなやつか」
 手がかじかみ、火龍の斧を握る力も弱くなっている。
「それもあるけど、まあ僕はもともと自身に冷気魔法をかけているものでね。近づくだけで君は凍えてしまうんじゃないかな」
 そういえばエードが言っていた。魔書に書かれていた、ゼロ・ノースに関する特徴。
 彼は一度死んだ過去があり、親友の魔法使いのゾンビ作成魔法により、親友の命と引き換えにゾンビとして復活。体はほとんど死んでいるために剣で心臓を刺されようが首が吹っ飛ぼうが平気であるが、自らの身体を腐敗させないように普段は冷気系の呪文を纏っている、と。
「そうか、そういう方法もあるんだな」
 寒さで口が上手く回らなかったが、エンは一つだけ現状を打破できるかもしれないことを考えた。
「燃えろ!」
「なに?!」
 エンは自身に、炎を纏わせた。炎の精霊力が極端に少ないこの土地でなら、死にいたるほどではないだろう。
「馬鹿か君は!」
「寒いのより何倍もマシだぁぁ!」
「くっ!」
 エンの唐突な行動に虚を突かれた事もあってか、ゼロの反応が一瞬だけ遅れた。今のエンにとって、その一瞬さえあれば充分であった。
「『刹炎』のフレアード・スラッシュ!」
 火龍の斧の一撃が、まともにゼロに入る。
「『光・追・撃』! フレアード・スラッシュ!」
 体勢を崩し、すかさず追撃。ゾンビということは聖なる力に弱いと踏み、清浄の力を発揮する光の属性をいれた。
 ゼロ・ノースは光に包まれ、飛んで行ってしまった。


「……それにしても、なんであいつらバラバラに逃げたんだろうな?」  魔書から出てきた全てを封印し終え、問題の魔書は商店の老人に返却した後、エンが呟いた。
 別々に逃げたから各個撃破したのだが、もし団体戦になっていたら勝てていたかもわからない。むしろ、集団で挑まれたほうが不利になっていただろう。
「そこはエードの未熟さが幸いしたようじゃな」
「へ?」
 唐突に自分の名前を出され、なんだか疲れてきっていたエードは目を丸くして顔を上げた。
「制御失敗だけでなくて、完全に具現化もできなかったんだろ」
「なるほど、仲間意識……っていうか『絆』、か」
「うむ。同じメンバー同士でも信頼していなければ力を発揮する事はできぬよ。その辺りをしっかり具現化しておれば、確かにワシらは全滅の危険性もあったわい」
 具現化失敗の挙句に制御不可能。その事実を突きつけられ、エードはますます落ち込んだようだ。
「まあ、何とかなってよかったな」
 エンが朗らかに言うと、エードはじとりと彼を見た。
「……それでいいのか、ケン」
「オレはエンだ……。なんだ、怒って欲しいのか?」
「そういうわけではないが……」
「じゃあいいだろ」
 結局なにも言い返せなくなり、エードは黙ってしまった。
 そんなエードに、ファイマが背中を押し叩く。
「そう落ち込むな。人は失敗を繰り返し、強くなるものじゃ。悔やむより、次を考えい」
 エンとルイナとミレドはもう先を歩き、ファイマはそれだけを言って歩き出した。
 そっと押された背中に触れ、エードは微かに笑って、歩き出す。
-Fin-



……はい、ということでお客様を小説に出そう企画作品『暴走する絆……』でした。
・もう一度、言いたいことがあります。
五 人 は 多 す ぎ る 。
設定をいかしきれなかった感があります。
前回の企画作品でのお客様設定では仲間になっていましたが、
今回はばりばり敵になっています。
いや、なんというか、ちょうど五人だったし。
でもやはり多い。全員を深く書くことは出来ませんでした。残念。
もっと少ない人数なら別構成もできたかもしれません。
・今回、初めて炎水龍具で魔書が出てきました。
風地で初登場だったのですが、こちらでも出しておこうかと。
ていうか、なんだかいろいろ疲れました。
慣れないことはするものじゃありませんね……orz

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