-過去のお話……-




 ……。
 やあ、よく来たね。こんな所に旅人とは珍しい。
 君の名前は――あぁいや、名乗らなくて結構。名乗ったら、君に興味がわいてしまうかもしれない。だから、ボクも名乗らないよ。でもせっかく来てくれたんだから、何かお話の一つでも聞いて行かないか。
 ボクはいろんな話を知っているし、覚えているし、見ているんだ。まだ日の光を浴びたことがない話も知っている。だけどね、これから起きる話は全くわからないんだ。だから、この世界を眺めていることが楽しくて、楽しくて、楽しくて、でもつまらないんだ。
 おっと、話がそれたようだ。ボクだけが楽しむのも勿体ないだろうから、君にも少しお話をしてあげるよ。
 ただ、気をつけてね。ボクが今日話すものは、決して明るいものではないかもしれない。日の光を浴びても、なお暗いものかもしれない。それを判断するのは、君自身だから、ボクは気にせずに話を始めるよ。
 ……。


 それは、勇者ロベルが救った世界に、炎と水の子が介入する十七年ほど前の話。
 ヒアイ村という場所で、二人の赤子が産声を上げた。
 後に無表情が当たり前になる彼女も、この時ばかりは元気に泣いたそうだ。
 これの数日前に、二人の父親――カエンとルイスは火山から事故で落ち、その命を絶った。またそのこと知ったためか、二人の母親も日が経つにつれて身体は衰弱し、そして……。
「よかった――……」
 二人の母親は、同じ言葉を残してこの世を去った。
カエンの息子にはエン、ルイスの娘にはルイナと名付けられた。これは、村の占い師による姓名占いの結果である。
子供は無事に生まれたが、手放しで喜べるものではなかった。それというのも、次期村長候補であったカエン、そのサポート役でもあるルイス、その二人の妻という合計四人の命を代償にしたのだから。ヒアイ村では、子を産んだ親が育てるということが当たり前で、このような事態は滅多になかった。カエンやルイスが使っていた家はあるものの、赤子だけで生活できるはずがない。
 村人全員が集まり、誰が二人を育てるか、という議論は長く続いた。
 偉大ともいえる二人の子供を育てられる自信がない、家の余裕がない、等と言葉に出さずとも、誰もがそう思っていることは表情でうかがえた。こうなると人間というものは誰かに押し付けたがるものなのか、適任者を無言で探し始めた。次第に、一組の夫婦に目が向けられる。
子宝に恵まれず、子供がほしいといつも言っていたのがこの時の不運だったのだろう。
ゼクという名の樵が、エンたちを育てることになった。

 いくらなんでも二人は無理だ、と主張するゼクとファーラの夫婦。その意見も最もだということになり、ルイナは占い師が育てることになった。
 だが数日して、奇異なことが起こる。エンとルイナ、それぞれが唐突に苦しみ始めたのだ。熱も出ていなければ、何かの病にかかっているようには思えない。このことに慌てた親代わりの人間たちは、エンとルイナをつれて村長の元へ駆け込んだ。
 するとどうだろう、先ほどまで苦しがっていた二人は、気持ちよさそうに眠っている。その場にいた全員が首をかしげ、またそれぞれの家に戻るとまたも同じ症状が現れた。そしてもう一度二人は会うと収まり、どうやら二人が離れ離れになると妙な症状が起きるらしいことがわかった。
 結局、協議の結果、エンとルイナは二人ともゼク夫婦が育てることになった。


 さすがに五年も経ち、それぞれが歩き回れる程度になると互いに離れても問題はないようだった。それぞれの意思で村内をあちこちに行ったとしても、二人が唐突に苦しむことはなかった。
 だが、これとはまた別の問題が起きる。
 人間というのは、自分達とは違うものを異質として見なしてしまうようだ。特に、子供はそうしたことに敏感である。村の大人たちはカエンとルイスのことを知っているが、子供たちは何も知らない。エンやルイナと同年期辺りの子供たちにとって、エンの赤い髪やルイナの青い髪は自分たちとは違う異質なものとしか判断できなかったのだ。
 ヒアイ村では黒や茶がほとんどにして、年寄りが白くらいなので、エンとルイナは珍しかった。二人の親代わりになっているゼク夫婦も黒髪であるため、子供にとって二人を迫害の対象にするには充分な理由が揃っていた。

「ゼク! おれにきこりのしごと、おしえてくれよ!」

 エンが唐突にそんなことを言い出したのも、明らかに他の子供から迫害を受けた痕が見られる日だった。普段のゼクなら断っていただろう。子供は立派に成長するまで、遊ぶことが仕事だ、と諭してやるのが役割だったはずだ。だが、エンの目は、とうてい五歳児とは思えない本気の目をしていた。
 それは子供たちに見返してやりたいという意地っ張りな目ではない。たとえ一人でも生き抜こうとする目だった。
だからゼクは村長に頼み込み、エンを樵の仕事に同行させるようにした。

 とはいえ、やはり身体全体が未発達な子供である。一人で斧を切り倒すことはできるはずもなく、当初は足手まといという言葉のお荷物でしかなかった。斧を振るうことも、いや持つことすらできず、柔らかい肌には傷がつきやすい。仕事に連れて行くと決めたゼク本人を始め、何人もの大人たちがエンにはまだ無理と思い、説得を試みた。
 だが、エンは決まっていうことがあった。
「いやだ! おれはあきらめないんだ!」
 そうした時のエンは、むしろ大人たちが気圧されていた。

 ある日、夜中にゼクは目を覚ました。人の気配が外からしたためで、何事かと外を眺めやるとそこにはエンがいた。重たい斧を必死で持ち上げようと努力しているエンが。
「無理だ、無駄だ。どうせなら諦めてくれよ……」
 そんなエンを見て、ゼクはあえて黙っていた。無力を痛感し、いつか止めてくれるだろうと願って。いや、無理やりにも止めさせることはできたかもしれない。ゼクは放棄し、逃げたのだ。
 だからだろうか……。エンが斧を自由に振ることができるようになったのを見た時に、激しい罪悪感にかられたのは……。
 エンが自由に斧を振れるようなった歳月は一年。しかしただ振るうことと木を切り倒すことは全く違う。しかも自由に振れるとはいえ、子供の体力では長い時間は無理だった。せいぜい薪割りができるくらいだ。それでも、エンはまだ諦めなかった。毎晩毎晩、夜中に斧を振るい、ある日は朝まで続けていたこともある。
 斧を振るうことができるようになって更に一年。大人たちと数倍の時間はかかるものの、一本の木を切り倒すことができるようになっていた。またエンは誰に教わっただけでもなく、斧の握り方を把握していた。人間は楽をしたいもので、どういった方法が楽であり効率がいいかを、感覚で知ったらしい。くせがついていない子供ならではの独学法だった。
「おぉエン。これで立派な樵に近づいたなぁ」
 大人たちはエンを褒め、気付けばエンを迫害していた子供たちはむしろ友好的になっていた。

 さて、ルイナもただのんびりとしていただけではない。村の占い師は薬剤師も兼ねており、こっそりとそこへ通っていた。そこで薬の調合方法を学び、基本的な傷薬や風邪薬は調合できるまでに上達した。もちろん、これは誰もが知っている。ただ、オリジナルの調合薬精製法も学んだことは知られておらず、ルイナのはた迷惑とも言える謎の調合薬はルイナ自身の興味から生まれたものだろうと認識されている……。
 ともかく薬を作るなどして村に貢献したため、エンと時期を同じくしてルイナも迫害していた子供たちは、感謝する側に回っていた。

 そしてこれは、エンとルイナが十歳の頃の話である。

「奥地、ですか……」
「あぁ。おれもけっこう木が切れるようになったからな。ちょっとおくまで行かせてもらえるようになったんだ」
 子供には危険すぎるために、森の奥までは今まで一度も入ったことはなかった。しかし有能として扱われている今は、危険な所まで同行を許されるようになったのだ。
「それに、火まつりも近いからさ。おくにあるしんぼくをとってこないといけないだろ。それにおれも行っていいんだってさ!」
 エンは興奮してルイナに言い聞かせるものの、ルイナは無表情である。だがこれが彼女の普通であり、エンにはルイナも祝福してくれていることはすぐに理解できた。はたから見ていたゼクやファーラはそんなこと理解できていなかったが、エンが言うと本当のような気がしてくるのだ。
「神木を切るの、頑張ってくだ、さい」
 喋り方も変だし、声の調子も一定。いつしか、大人の方がなんだか薄気味悪いと思うようになっていたのはこの頃だろうか。むしろ子供たちのほうが慣れ親しんでいるために特に変と思うことはなかったのだが。
 ちなみにエンのいう火まつり――『火祭り』とは、年に一度行われる収穫祭のようなもので、森の奥地にある神木を村はずれの広場に立て、そこを中心に儀式を済ませた後は飲み食いやりたい放題の賑やかな祭りである。
 エンの言う通り、使う神木は森の奥地にある。この五年、一度もそこへ連れて行ってもらえなかったので、彼が興奮するのも無理はないだろう。ルイナの激励(?)に、エンは「まかせろ!」と大張り切りだった。

 森の奥地に行く前の注意として、エンは、歩いている途中に痛みを感じたら必ず言う事、と言われた。
「まぁ、あまりの痛さに悲鳴をあげるだろうからすぐ解かるけどな」
 大人たちが笑う中、エンはどうしてそんなことになるのか首を傾げたものだ。

 森の奥地は草が生い茂っているため、いつか機会があったら通りやすい道にしたい、とぼんやりエンは考えていたのだが、もっと気になることがあった。大人たちの言う、痛みを感じたら、というやつだ。
 しかし、気にしていても、ただ時間は過ぎていくだけ。ついに神木前に辿り着いた。エンは少し触れるだけしかやらせてもらえなかったが、ここまで来られただけで『良し』としていた。
 帰りも特に問題なく村に帰ることができ、大人たちも安心したようだ。

「大丈夫、でしたか?」
 帰ってきたエンにルイナがまず投げかけた言葉はそれだった。もともと子供は立ち入り禁止の区域のため、心配していたのだろう。
「草がぼーぼーに伸びていてさ、ちょっとチクチクしたけど大丈夫だった」
 その言葉に安心したのか、ルイナはただ「そうですか」とだけ言って、後は普段通りの生活に戻った。

 火祭り当日。
 村はずれの広場はヒアイ村から少し南に歩いた場所だ。前日のうちに奥地から運んできた神木を立て、今はそこへ様々なご馳走やお酒の類が運ばれていた。それが終わるともう夕方で、あとは儀式を済ませれば後は騒ぎ放題である。
 儀式と言っても簡単なもので、大体の目的はその後の宴会のようなものだ。村人全員がそこに集まり、滅多に訪れない賑わいの機会のせいか、皆は朝まで飲むなり食うなりすることが多い。
「それじゃあ、調子良くなったら来るんだぞ。早くしないと、ご馳走がなくなっちまうからな」
 ゼクがからかうように笑って、ルイナはこくりと頷いた。
「でも無理はいけないわよ」
 ファーラの言葉にもルイナはこくりと頷いた。
 恐らくゼクとファーラは最後まで残っていたのだが、ルイナが後は引き受けると言ったのを渋々承諾し、二人は南の広場へと向かった。
 これで、村に残されたのはエンとルイナの二人だけだった。
 それというのも、エンが身体の不調を訴え、少し横になっていたいと言い出したからだ。元気という言葉が服を着て歩いているようなエンが風邪なのかと、色んな意味で心配したのは誰も同じである。
 ルイナはゼク夫婦が見えなくなるまで見送って、扉を閉めた。ルイナとて薬剤師の技を持っている身なので、ただの風邪の類であろうことは察しがついていた。少し休めばまた元気になるはずだ。むしろこれはルイナだけではなく、誰もがそう思っていた。
 それでもやはり心配なものは心配なもので、様子を見に寝室へと向かう。
「エン……大丈夫、ですか?」
 少し横になるつもりが熟睡すらしているかもしれないな、とさえ思いつつ、ルイナはエンの顔を覗き込んだ。
「――っ!」
 一瞬。
 ルイナはそれが信じられなかったのは、見たことを瞬時に理解し判断することに慣れていなかったためだろうか。
 エンは眠っているどころではなかった。
 顔は青ざめ、低い呼吸を繰り返し、不連続に震えていたのだ。
「……!」
 ようやく何が起こっているのかを理解したルイナが次にすべきことは判断である。家から飛び出し、占い師の家に無断で入り込む。とはいえ、いつでも勝手に入ってきていいと言われていたので、それに従っただけだが。
 ともかくルイナは薬剤の棚や素材の入っている棚をあさった。

 森の奥地が子供のみ立ち入り禁止になっている理由。
 そこには『児毒草』という、身体が未発達の子供のみに影響を及ぼす毒草が生えているからだ。見かけはそこらに生えている草となんら変わらないが、その草に触れただけで児童は叫び声を上げるほどの痛みに襲われる。さらに毒消しの治療を施さないと死に至るため、立ち入り禁止区域となったのだ。
 エンはあの日、こう言った。
「草がぼーぼーに伸びていてさ、ちょっとチクチクしたけど――」
 悲しきかな、エンは夜中の特訓の成果、そこらの十歳男児よりも強靭な肉体を得ていたのだ。だから、そこまで痛みもなかったのだ。また、十歳という年齢も原因の一つだ。大人たちはだいたい五歳児くらいの子供が『児毒草』の影響にかかることは知っているが、十歳児となると前例がなかったのだ。そもそも、十歳前後の子供が『児毒草』付近をうろついたことすらなかったので、まあ大丈夫だろうと思っていたのだ。
 小さな理由が重なり、大きな毒がエンの中に入り込んでいた。そして今頃になって毒が一気に回り始めた。

「ない……」
 毒消し草も、『児毒草』の毒を消すための調合薬も、素材もなかった。
 『児毒草』を消す特効薬になる草は、北の火山付近に生えている。大人たちにこのことを伝えるには、正反対の方向だ。南の広場へ行って北の火山に行って、またヒアイ村に戻ってくるまでの時間、エンは耐えてくれるだろうか。
「……エン……!」
 ルイナは走った。ただエンを助けたい一心で、北へ。

 ルイナは運動神経が良い方、というよりもおっとりした印象に比べると意外に、という程度だ。実際にエン等と勝負しても勝負にならない。だが、この時ばかりはルイナは疲れを知らないかのように走り続けた。
「あった……」
 ルイナが見つめる先、数メートルほど崖になっている場所にその草は生えていた。
 一本一本直立しており、先端が赤く、その先についている白い房が風で揺れると煙が立ち込めているようにも見えることから、それは『線香草』という名前を持っていた。
 見つけたはいいが、手に届く場所ではない。数メートルの崖を登らなければ、たとえ大人であっても無理だろう。しかし、ルイナに迷っている暇はなかった。村から持ち出して来たナイフも使い、なんとか崖をよじ登った。服が汚れても、気にはしない。
 なんとか線香草の場所まで辿り着き、三,四を一気に引き抜く。しかし安心したためか、それとも引き抜いた時に勢いが余ったのか、むしろ両方だろう。支えにしていたナイフから手を放してしまい、不安定な足場にしていた場所からも足を滑らせてしまった。
「あ……っ」
 頭から落ちなかったのが幸いだったか、意識を失うことはなかった。これも幸いで、足を挫くこともなかった。だが、腕に激しい痛みがあった。折れてはいないようだが、ルイナはあえてそれを見ないことにした。自分のことよりも優先させたいことがあったからだ。
 エンを助けたい。その一心で、ルイナはまた走り始める。

 特に何かと調合する必要もなく、ただ煎じるだけで良い。ルイナとって朝飯前、というよりも片手で事足りる作業だった。特効薬はすぐに完成し、寝室へ持ち運んだ。
 エンの症状は悪化していた。おそらく『児毒草』が触れた部分であろう場所が赤く腫れ上がっている。しかしまだ生きてくれていた。どうやら間に合ったようだ。
 ルイナは『児毒草』の毒に対する手順も心得ていた。まず、『児毒草』に触れた部分へ特効薬を塗ること。そこから毒が分泌して体内に回る恐れがあるからだ。あとは特効薬そのものを飲ませるだけで体内の毒も消し去ることができる。
「エン……」
 しかし予想外のことがおきた。エンが薬を飲んでくれないのだ。飲ませようとしても、身体が受け付けないのか飲み込んでくれない。
「どうしよう……」
 ここで誰かがいたものならば、ルイナが困惑の表情を浮かべていることに驚いたかもしれないが、そういう場合ではない。
「……」
 一度だけ、占い師の老婆に尋ねたことがある。

「薬を飲んでくれない人に飲ませる方法かい? んなもん口移しでもやってやりゃあごっくり飲み込むもんさ。ふぇふぇふぇ!」

 本気なのか、からかっているのか定かではなかったが、ルイナが教わったことはそれだけだったので、後は実行するという手段しかなかった。


 いつの間にか眠っていたのだろうか、朝になっていた。
 まだ他の村人は誰一人帰ってきていないようだが、一人分の気配なら感じる。目の前にエンはおらず、ルイナは無意識に左腕を触った。不器用ながらもそこには包帯が巻かれていたのだ。立ち上がり、寝室を出て台所に向かう。感じている一人分の気配はそこにあるからだ。
「お、ルイナ。おっはよ〜」
 エンが目玉焼きをひっくり返しながら朗らかに言葉を投げかける。
「エン……」
「いやぁ、わるかったな。おれさ、あのあと占いのばーちゃんから『じどく草』のこと聞いて、たぶんそのせいかなって思っていたらほんとにそうだったんだなぁ。でも、ルイナがたすけてくれたんだろ。ありがとな!」
 そう言って、エンはテーブルにひょいひょいと軽く食べられるものを並べていく。
「火まつりは行けなかったけど、ここで儀式やっちまおうぜ」
 火祭りの儀式。それは、神木に向かってそれぞれの皆が一年の願いや祈りを捧げるものだ。中には、その場を借りて大きく結婚宣言する者もいるし、無茶な夢を誓う者もいる。
 料理を並べ終わると、エンは神木のあるほうに身体を向けた。ルイナがその隣まで歩く。
「えーと、『ルイナがおれをたすけてくれたから、こんどはおれが、ずっとずっと、ルイナを守っていく!』」
 儀式はわざわざ言葉に出さずとも心の中で祈るだけでも言いのだが、エンはあえて言葉に出して儀式を済ませた。
「エン……」
 一年の願いや祈り、という意味の儀式のはずだ。つまり今年の目標、みたいなものである。ルイナの言葉をそのように受け取ったためか、エンは笑いながら言った。
「なんだよー。来年も同じにすればいいだけだろー」
 珍しく、ルイナは微笑んだ。


 五年という月日は、それから鮮やかに流れていった。
 森の中に、間の抜けた声が通る。
「成人式ぃ?」
「なんだお前、忘れていたのか?」
 傍らを歩いていた友人に言われて、そういえばとエンは思い出す。
「そうかぁ、今年はオレたちなんだっけ」
 ヒアイ村では十五歳を迎えると成人とされ、同じ年に生まれた子供たちを一斉に成人と認める儀式が一年に一度行われる。火祭りと比べればそこまで大はしゃぎするものではないが、大人に憧れる子供たちにとっては待ちに待った大イベントでもある。ただし例外もあり、すっかりそのことを忘れている人間もいるようだが。
「そりゃあ、お前は大人たちと一緒に仕事に出かけていたからな。感覚狂うだろうよ」
「オレだって遊びたい時は遊ぶさ。今日の狩りだって、食うための狩りじゃないんだろ?」
「あぁ、今日はお前に勝ってやるぞ、エン!」
「お、やってみろよ、ナグ!」
 ナグと呼ばれた男はエンと同い年である。昔はエンのことを髪が赤いからというだけで除け者にまでしていた男は、今では仲の良い友人だ。
「そういや、ゼクのおっちゃんは大丈夫か?」
 狩場に辿り着き、狩り用の弓矢の調子を見ながらナグは心配そうに言った。エンのほうは小振りの斧で手入れは行き届いているため、準備しているナグをのんびりと見やっていた。
「そうとう参っているな。……ファーラおばさんが死んでから、ずっと酒に入り浸っているよ。今日だって、出かけるって言った時は生返事だったしさ」
「そっか……」
 つい先日、エンとルイナの親代わりになっていたファーラが命を落とした。もともと身体が弱かったのも祟ってか、病にかかり呆気なく死んでしまった。もちろん占い師と薬剤師を同時にこなしている老婆を始め、ルイナも手を尽くしたのだがダメだった。
 それ以来、残されたゼクは葬式を他の人間に任せると、仕事にも赴かず酒に入り浸り始めた。家事や仕事はエンが代わりにできるが、心の落ち込みまではフォローできなかった。
「まぁ、とくかく始めようぜ。湿っぽい話は無しにしてさ」
「そうだな。じゃあ行くぞ、エン! いつも通り、でかいヤツのとどめをさした方が勝ちってことで……」
「スタートだ!」
 エンが地を蹴って我先にと獲物を探し始める――が、その足がぴたりと止まる。
「あ、どうした?」
 不審に思ったナグが声をかけると、エンは自分でも何故そうしたのかが分からないのか決まり悪そうに頭をかいた。
「いや、なんでもない……」
 なんとなくヒアイ村のある方向を見やって、そしてすぐに気のせいと判断して唐突に獲物を探しに走り出す。
「あ、卑怯だぞー!」
 なじるナグの声が、どうしてか遠くに聞こえた気がした。

 ルイナは特にすることもなく、部屋でぼんやりしていた。調合薬の新薬を作るにしても、材料が不足しているために完成品を作ることができないのだ。占い師の老婆からは成人したらもっといろんな材料を渡してやる、と言っていたので、ルイナは成人式を密かに楽しみにしていた。生まれた日、ではなく生まれた年の人間が一斉に成人と認められる成人式は、あと数日という単位の所まで来ていた。
「おぉい、ルイナぁー! いるかーー?」
 ゼクの声だ。
 声からして、相当量の酒を飲んでいることは容易に想像できた。
「……」
 だが、想像よりも遥かに多い酒瓶がそこらに転がっていたのを見た時は、表情に出さずともさすがに驚いたものだ。しかもどこに隠し持っていたのやら、それなりに強いアルコール度を持つものばかりだ。
「おぅルイナぁ。おまえ、もう少しで成人式だったなぁ」
 そうとう酔っているのか、呂律も怪しい。お酒の匂いも立ち込めているし、ゼクは顔を真っ赤に染めている。
「そう、ですね……」
 素っ気無い答えだが、どことなく嬉しそうだ、と分かるのはエンくらいのものだろうか。いや、この時ばかりは誰もが分かったはずだ。ゼクのように、そうとう酔っていなければの話だが。
「つまんねー答えだなぁ」
 やはり、ゼクには分かっていなかった。彼は片手に持っていた酒瓶を一気に呷って、最後の酒瓶が空になったことに顔をしかめた。そしてルイナのほうを見やった。
 十五歳となればヒアイ村では大人として認められる。実質、ルイナとエンはとっくに誕生日を過ぎていたので、あとは儀式を済ませるだけだ。
「おまえもよぉ、ずいぶんと立派に育ったもんだなぁ」
 ゼクは立ち上がって、ふらりふらりとルイナに近づく。
「けどなぁ、おれはぁ寂しいんだぞ。ファーラもいなくなっちまったんだぞぉ、寂しいんだよぉ、なぁおい、わかるか?」
 まっすぐ歩くこともままならず、何度もこけそうになるがルイナとの距離は確実に短くなっていく。
「おれがよぉ、おまえを育てたんだからなぁ、恩返しするべきだろぅ、だからさぁ、おまえをどうこうする権利はおれにあるよなぁ」
 ここで言うのも何だが、ルイナは村の中で美人に属する女性である。だから、酔いに酔ったゼクが『男』としての理性を抑えきれず、ルイナを『女』と見なしたのも、もしかしたら当然の帰結だったかもしれない。
 避ける間もなく、ルイナは押し倒され、その上にゼクが馬乗りになる。
「なぁおいルイナぁ、おまえはいつも無表情だけどよぉ、喘ぐときくらいは乱れるもんなのか、おれが試してやるよぉ」
 ゼクは、冗談を言っているわけではなかった。


「ハァっ、ハッ、ハァ――!」
 聞こえるのは、自分の息切れだけ。
「ハァっ、ハァ、ハァ、ハァ――」

 何が悪かったのだろうか。
 ファーラが亡くなったことだろうか。
 ゼクが酒に入り浸ったことだろうか。
 エンがルイナを残したことだろうか。
 危険を感じ取れなったことだろうか。

「ハァ、ハァっ、アっ――!」

 なぜこうなったのだろうか。
 ルイナがその場に佇んだことだろうか。
 ゼクに本当の子がいないことだろうか。
 ルイナが抵抗しなかったことだろうか。
 エンと共に行かなかったことだろうか。

「ハっ、ハっ、ウっ、ハッ――!」
 時間が経つ度に、息切れは激しくなり汗が滴り落ちる。

 それもそのはずだ。
 エンは、ヒアイ村へ全力で疾走していたのだから――。


「ゼクぅぅぅーーー!!!」
 汗だくのエンが家の扉を蹴破るように開いたのと、ゼクがルイナを押し倒して馬乗りになったのは、ほぼ同時だった。

「お前、何やってんだよ!?」
 背負っている斧で切りかかりそうな勢いすらあるエンの登場に、驚いたのは二人。ゼクは当然のことで、ルイナもこれには驚いた。
「エン!? てめぇ狩りに行って、帰りは明日じゃ――」
「なんとなく戻ってきただけだ!」
 普通は『なんとなく』で全力疾走しないと思うのだが。
「ていうかルイナから離れろ! 嫌がっているじゃねぇか!」
 ゼクの返答も聞かずに、エンはゼクをルイナから引き剥がすように掴み、そのまま投げた。幼い頃から斧を振り回したせいか、大人一人を軽く投げ飛ばせるほどの腕力がついているのだ。
 打ち所が悪かったのか、酔った上で投げ飛ばされたからか、ゼクはその場で気を失った。
「エン……」
「ルイナ! 大丈夫か?」
「……」
「いやほら、なんとなく嫌な予感してさ……」
 気のせい、という事にしていた場合を想定すると悲惨なことになっていたかもしれない。
「守って、くれたの、ですね……」
「ん? あぁ、あの時の誓いか。忘れてないよ」
 五年前の火祭りの儀式で誓ったこと。ずっとずっと、ルイナを守っていく。エンはこれを忘れていなかったし、その誓いがあったからこそ、何が何でも村に戻らなくてはと思ったのかもしれない。
「よし、とりあえず村長のとこに行こうぜ」
 エンが手を差し伸べて、ルイナが頷いてその手を取った。
 そういえば、一緒に狩りに行っていたナグはぽつり残されて呆然としていたらしい……。

 それから数日後、成人式が行われる。
 ゼクはその少し前に、急性アルコール中毒のために命を落とした。その更に前――ルイナがゼクに襲われた日の後に、占い師の老婆の所へルイナは毒薬の作り方を尋ねたそうだ。老婆はゼクの死が『もしかしたら』と思ったが、その死に様は教えた毒薬の症状は一切出ていなかった。だが、自ら調合薬で新薬を作り出すルイナのこと、可能性はあるものの、結局は分からず、真実は闇に消える。
「――それでは、以上の者を成人として認め、これから五年、それぞれ守護紋様の衣服を身に着けることを義務とするように」
 村長が成人する者の名前を挙げ、最後の言葉を締めくくりとして成人式は終了した。
 成人した者は、新たな家を与えられる者もいる。ほとんどの者は今の家のままだが、エンとルイナに相応しい場所があった。カエンとルイスが使っていた家である。他の村人が交代で管理維持してきたため、住み心地の良い場所となっている。これからは持ち主が存在することに、どことなく家そのものが嬉しそうだった。
 エンとルイナはさっそくそこで暮らし始め、次の日はエンが家を改造し、ルイナの家と繋がるようにした。エン曰く、気付けば大工仕事もお手の物だったらしい。


 そして二年後、エンとルイナが十七歳の頃。
「スライム、ですか……」
「そう。西にある『スラスラの森』に生息しているスライム! 何かに使えないかなーって思うんだ」
「解かり、ました。計画を、立てておき、ますね……」
「おう! って……ルイナ……?」
「……はい?」
「このホットミルク飲んだら、身体が痺れてきたん、だけ、ど……」

 後は、全ての物語に繋がる伝説への序章となる。

-Fin-




はい、リクエスト小説第二段でしたー。
「エンとルイナの幼少期の話」。
う〜ん、幼少期にしては飛び飛びですね。誕生、五、十、十五、十七歳。
なんでだろう。同じ時期に書いた『怒りの放棄……』が快く見れるよ……
ヒアイ村を舞台にする話として、この話だけのキャラを何人か作りました。
ゼク、ファーラ、ナグですね。
他は『子供たち』『大人たち』で事足りました。
今回、いろいろやりたいことを詰めすぎたような気がします。
構成としては、以下の通りのつもりです。

五歳 :エンとルイナ、それぞれの軽い自立
十歳 :ルイナがエンを助ける
十五歳:エンがルイナを助ける
十七歳:序章への始まり

こんな感じです。十歳話が一番長くなっていました……。
あと、なんか調合薬ネタ?として、草を出してみました。
『児毒草』と『線香草』です。
オリジナルのつもりが、今調べてみたら『線香草』存在したよーorz
さすがに『児毒草』はなかったです(というかあったら困る!
十五歳での話は……。当初の予定ではこれ逆でした。
十歳の頃にルイナが襲われて、十五歳のころにエンが毒にかかる。
しかしさすがに十歳を襲うってどんなロリコンだよっていうことと、
十五歳って『児毒草』きかねーじゃんということで交代。
まぁどちらかというと交代した後に児毒草の設定生まれたんですが。
んで、ルイナ襲われますが……。
あの息切れは全部エンですからね? お間違え無いように(ニヤリ(ぉ
んで、こんな展開を考えていたわけですが、
肝心な(?)襲う人の名前がなかなか決まりませんでした。
シンとかワキとか、まだ出番じゃないですからねー。
ということで思いついたのがセクハラ(は
セクハラ → セク ハラ → ゼク ファラ → ゼク ファーラ
こんな感じで誕生したゼク夫婦(ぇ
ファーラは良い人です。お間違え無いように(なにをだ
それからエンとルイナの母親。
一応名前があるものの、出さなくても完成しちゃいました(ぇ
あ、そういえば最初に語ってきた人は、いずれ本編に出る人です(なに
えーと、あと……そう。
今度はコメディチックなヒアイ村の物語を書きたいですね(書きませんけど(ぇ

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