-16章-
決戦終了



「大気に遍く精霊よ 我が声を聞け 従えよ、彼のものを惑わし狂わせよ……マヌーサ=I」
 キガムの手から濃い霧が溢れ出す。その霧は、エンに巻きつくと同時に消えた。
「なんだ、これ……?」
 エンが驚いているのは、あっさり消えた霧ではなく、霧が消えた後のキガムだ。さっきまで一人だったキガムが、十人ほどに増えているのだ。
「エン! 惑わされるでない! 幻惑呪文(マヌーサ)にかかると幻像が見える。本物は一人、残りは偽者じゃ!!」
 ファイマが大声で助言をする。近くにいることが幸いし、エンの耳にしっかり届いた。
「だったら片っ端から斬ってやる!」
 近くにいたキガムを斬るが、まるで手応えがなく、斬ったものは宙へ溶けるように消えた。
「まだまだぁ!」
 言葉通り、片っ端から斬る。その間に何度かメラミやギラなどの攻撃魔法が飛んできたが、上手く避けきることができた。
 そして最後の一人。
「お前が本物だな!」
 バーニングアックスから確実な手応えがかえってくる。
 しかし、相変わらず効いていない様子である。バーニングアックスの特殊効果として炎が舞いあがるが、ダメージを与えた感覚はなかった。その証拠に、一適も血が流れないのだ。
「くくくくくく。まだ無駄ということが解らぬか? めでたい奴だ」
 エンが何かを言いかけ、口を開く直前だった。キガムが持つ魔道士の杖の尖った先端部が、鋼の鎧を貫き、エンの腹部に刺さったのは。

 エンが倒れ、足元が赤い水溜りと化していく。
「く、ぁ……」
 腹部を押さえ、エンが呻き声をあげる。
「くくくくくくく……これ以上やれば死ぬぞ。命がほしいなら今のうちだ」
 キガムが魔道士の杖を引き、エンに負けを促す。だが、そんなことを言われて、簡単に諦めるエンではない。逆に立ち向かいたいという気持ちが、荒い呼吸を繰り返しながらもエンを立ちあがらせる。
「命が惜しくないのか?」
「知らねぇな」
 不敵の笑みを浮かべながら、あっさり否定した。
「……エン。呪文、です」
 バーニングアックスを握り直したときだった。怒涛の歓声の中、不思議なことにルイナの声は、まるで耳元で囁かれたかのようにくっきりと聞こえた。
 ロベルから禁止されているが、試すとしたらそれしかないだろう。
「………柔らかな熱を持つ炎の精霊よ その力を全力に変え、燃えつつ進め」
 ロベルか教えてもらった呪文はメラ一つ。
 魔法の詠唱は人や場合によって千差万別だが、エンが知っているのは、魔法の教本に載っているようなお手本と同じ。つまり基礎中の基礎である。
 その詠唱を聞いて、キガムは込み上げ来る笑いを堪えることができなかった。
「くくクククくくくククク――くはハはハハはハハははは! これはおもしろい。なんの呪文かと思えば、初級呪文の『メラ』か」
 今にも腹を抱えて笑い転げそうなキガムを、エンは微笑を浮かべたまま睨みつける。
「火球のツブテよ――メラ=I!」
 握り拳程度の火玉であるメラ――ではなく、ベギラマの閃光が近距離にいるキガムへと飛ぶ。
「な、なにっ?!」
 不意をつかれたのと、ありえない驚きで、防御する間もなくベギラマが直撃する。今度は散乱せず、しっかりと目標へと向かっていった。
「メラ=I!」
 山彦の帽子の効果により、もう一度ベギラマが飛ぶ。
「ぐぅうあ……!?」
 連続でベギラマが飛び、さすがのキガムも呻き声をあげた。ローブに魔力が込められているのか、焼け焦げてはいない。だが、ガラスが割れるような、甲高い音が聞こえた。
「ス、スカラルドが……防御結界が……壊れ?!」
 その言葉を理解する前に、エンは行動に出ていた。直感が、闘争本能が、狙うなら今だと教えたのだ。
「隼斬り!!」
「ぐあぉあぁあああ――!!」
 今度は確実にダメージを与えたらしい。十字の炎に焼かれ、そのあとには血が噴出す。だが、その血は人間の赤い血ではなかった。
 異色の血は、炎により蒸発したので、キガムが赤ではない青い血を噴出したのは、誰一人見ていない。


「そこまで! ソルディング大会優勝者は……炎戦士のエン選手です!!!」
 今までにない大きな歓声が響く。しかしその中で、不安に満ちた者が四人。エンとルイナとファイマ、そしてこの場にはいないがロベルもまた不安の感情を持っている。
「(一瞬、血が青い気がしたんだけどな……)」
 エンは自分のバーニングアックスの刃を見つめるが、何事もなかったように綺麗な光沢を放っている。
「(やっぱ気のせいか?)」
 気のせいだろうな、と思いながらバーニングアックスを消す。
「(一瞬、奴の血が青いように見えたんじゃが…)」
 ファイマも同じことを考えていた。ロベルがいたら、詳しく解ったかもしれない。
「(青い、血…)」
 そしてルイナも、同じことを考えていた。
 三人の疑問は解決せぬまま、閉会式が行われ様としていた。

「負けた……負け? 私が? 負けた!? そんなバカな…殺される、あの御方に殺される……死? この私が……死? い、いやだ……死にたくない……死……」
 キガムが倒れたまま独り言を言っているが、音量が小さすぎて近くにいるエンにすら聞こえない。
「死、死? 死!? 死……」
 まだ何かを言いながら、ふらふらと立ち上がる。
 それは誰として気付かれず、そのまま閉会式が行われた。

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