――カーン、カーン、カーン…… 正午を知らせる教会の鐘が鳴り響き、街全体がその鐘を聴いた。 子供たちは外から家に戻り、婦人方がその子供らを多少心配しながら家に入れ、兵士たちは訓練を中断し昼食の準備を始める。いつもの光景だ。 午後になると行動を切り替えるという行いは、まるで共通になっているかのようだ。そして、共通であることは他にもある。街人全員が、疲労の濃い表情、焦りの表情、心配の表情、恐怖の表情を少なからず持っているのだ。 それは決して、冬の寒さのせいではない。だが、決して皆がその恐怖という感情に負けていない。健気に『毎日』を生き抜いていた。たとえどんなことが起きても、いつか訪れるだろう幸せを信じて、皆が暮らしていた。 その街の名を、フォーリッシュという。 昼の鐘を合図に行動を切り替えるのは、大通りを歩く二人の少年兵も同じだった。 「なぁ、アッシュ」 一人の少年兵が隣を歩く同じ年齢である黒髪の少年兵――アッシュに声をかける。 「む。どうした?」 無愛想な返答、というより、無理に 「さっきのやつら、フォロッド城でようへい傭兵になったらしいな」 「それは本当か、ハスト?」 ハストと呼ばれた茶髪の少年兵は、ああ、とだけ頷いた。 彼等のいう『さっきのやつら』とは、先ほどこの街に訪れた少年少女で、大柄な金髪少年から、ひ弱そうな黒髪の少年、 「それが本当なら、世も末というものだな」 四人の年齢が二人に近いか、もしくは二人のほうが下かもしれないのだが、彼等は気にした様子は見られない。 「だが、戦力が増えるのはいいことじゃないか」 そうではあるが、と言いかけて、アッシュは倉庫に視線を向けた。そこには、自分たちより幼い少年が毎日訪れている。昼の鐘がなっても行動を切り替えないのは 「こいつが、こいつが父ちゃんをっ!」 泣き 今、この世界で脅威となっている 倉庫に置かれているのはその残骸の一つで、腕がもげて胸部も砕けている。その傷を命の代償に与えた兵士こそ、この男の子の父親である。 「……今日も来ていたのか」 先日、フォーリッシュが ふと、アッシュは思う。自分が死んだら、このように誰かが悲しみ怒ってくれるのだろうか、と。 「……死ねない、よな」 ハストも似たようなことを考えていたらしい。そう、ハストの言う通り死ぬわけにはいかないのだ。 「ああ、なんせオレたちはいつか兵士長になるんだぞ」 「兵士長は一人しかなれないっての」 「だから、オレとお前で目指そうって言ったじゃないか。どっちが先に兵士長になるか、勝負しようって」 確かにアッシュの言う通り、彼とハストは約束していた。自分たちで兵士長の座を取り合おう、と。 「ま、アッシュが死んだら俺が簡単に兵士長になるけどな」 「なにぃ?! オレが死ぬわけないだろうが!」 などと、他愛のない会話をしながら、二人は教会へとやってきていた。既に他の兵士たちは昼食の準備をしているが、二人はその前にココに来ることが日課になっていた。戦う兵士たるもの、神の加護を信ずるべきだ。神頼みと言ってしまってはお終いではあるのだが……。 「やぁ、今日も来てくれたのですね」 教会の神父がニッコリと笑う。この街で唯一『呪文』とやらを使えるのはこの人のみだ。主に傷の手当てをしているのだが、 “私にも神父様のように回復の呪文が唱えられたら、どれだけの人が助かるのでしょうか。早く神の神聖呪文を唱えられるようになりたいですわ”などと、この教会の アッシュとハストは神父の前で 「 「我等が勝利しますように――」 二人はいつもと同じ願いを神に祈り込め、外に出た。 それの数時間後だろうか。顔面に血の気を引かせた蒼白の色を泳がせている神父が、鐘を慌てて叩いたのは。 カァン、カァン、カァン、カァン、カァン、カァン! 激しく鳴り響く鐘の音に、街全体が ある者は家に入り、ある者は逃げ惑い、ある者は右往左往と意味の無い行動をし、ある者は震えるだけでその場にへたり込んでいる。 兵士達はいつ襲撃されても迎撃できるように、常に戦闘装備をしている。それ故に、彼らはすぐに街の外――防壁の向こうへと駆け出した。 「おいハスト! お前も行ってくれ」 先輩の兵士に言われて、ハストは数十人の街人の集団へと向かう。城へ避難する人々であり、街からフォロッド城までの道のりに護衛を必要とし、それの一人にハストが選ばれたのだ。 「アッシュ! 俺が戻るまで死ぬんじゃないぞ」 ハストはアッシュにそう言って、黒髪の少年がそのセリフを笑い飛ばすのを確認してハストと他の護衛兵士と街人は城へと向かった。 「死ねるわけ、ないだろう……」 歯を食いしばり、しかし身体は無意識のうちに震え、歯と歯がぶつかり合い、カチカチカチカチと 今まで以上の大多数で 「城からの援軍を期待するべきだな」 などという言葉が、先輩の兵士の間で だが、アッシュも当然同じような考えを持っていた。 それでも、戦うしか他はない。 「おぉぉ!!!」 声を荒げて、兵士たちが 要塞のような作りの防壁から援護の矢が飛ぶ。まだ数分も経っていないというのに、戦場は血と油の匂いで満たされた。 それだけではない。鉄の 鉄の 「やぁぁっ!」 そんな苦渋の中で、この場に似合わない――というより、いるはずがない、いてはいけない少年の声。アッシュも少年ではあるのだが、その声はより幼く、ひ弱だった。 「あの子!?」 声の主は、倉庫にいた男の子だった。どうやら、怒りを押さえ切れずに飛び出してきたらしい。だが、小さな男の子が、訓練された兵士がやっとのことで倒せる 「くっ!」 アッシュはそのとき、別の 「どけっ! どけよ!!」 『メツボウ……セヨ……メツボウ…セヨ……』 怒鳴ったアッシュに返って来た言葉は、言葉とは言い難い機械音だった。 槍を振り回し、 「(シスターのお姉さん?!)」 一瞬驚いたものの、どうやらあの男の子を連れ戻しに来たらしい。 なんとかなるかもしれない、と思った瞬間、見るべきではなかったものをアッシュは見た。 どこからか迫った そして、 二人とも即死だった。 「ぅ、あ……」 それを見たアッシュは、全身の力が抜けてしまった。目の前で戦っていた 城につくまで大人の足なら十数分くらいを必要とするのだが、なにせ人数が多い上に、魔物に遭遇しないための行軍である。確実に倍以上の時間がかかってしまっていた。 「フォーリッシュからの避難者二十三名、確かにこのヘインズが受け入れた」 城での手続きを終えて、護衛兵は解散される。ヘインズを先頭に、城の地下へと向かう人々を眺めやり、ハストは何気なくフォーリッシュのほうを向いた。そこに、違和感があった。 「……?」 ハストは慌てて城の中へ入り、見張台へと急いだ。確か、あの場所ならフォーリッシュが少し見えたはずである。 「ハァッ、ハァッ!」 兵士の訓練を毎日受けているといってもまだ子供だ。階段を体力も考えずに全力疾走すれば疲れるに決まっている。さらには武具を装備したままなので、茶髪で隠れている額には汗の玉がびっしり浮かんでしまった。 登り切った階段の上には、誰もいなかった。常に誰かが見張りをしているはずだが、いないということは何かが起きてそれを報告しに行ったからだろう。 「……なっ!?」 フォーリッシュのあるだろう場所から、妙な煙が立ち込めている。いや、それは煙というより、 「くそっ!!」 ハストは緊急連絡ように開いている通路から飛び降り、そこから城の外へ出る道を走る。 嫌な予感がする。 ハストは 軽くなった分、ハストの走るスピードは当然上がる。そのおかげか、せいぜい七、八分くらいの時間でフォーリッシュへ辿りついた。茶髪は完全に汗のせいでピッタリと額にくっついてはいるが、そんなことを気にしている場合ではない。 ハストは確かにフォーリッシュへと足を踏み込んだのだ。 だが、そこはフォーリッシュであり、既にフォーリッシュではなかった。 砕けた木材や崩れた石畳に、壊れかけた家々、 「う……」 街を走り、辺りを見ていった。民間人の死体は既に引き取られており、だが 教会の下にある倉庫。そこは、男の子がいつも 「……?」 なにかを打ち据える音が聞こえる。 ほとんどの人は避難しているのにも関わらず、既にあの男の子が来ているのだろうか。 ハストが倉庫の中を見ると、そこには変わらず腕がもげて胸部も砕けている 「こいつがっ。こいつが、おにいちゃんをっ!」 あの男の子の、妹だ。 「おにいちゃんをかえせっ。おとうちゃんをかえせっ。 泣き 神の加護で守られているはずの教会は半壊しており、神父がいるのかどうか確認することさえ恐かった。 「バカ、バカァッ……ぁっ!」 男の子ならまだしも、より幼い、しかも少女の力では打ち据えるのも一苦労なのだろう。持っていた棒が、打った反動で手から離れて転げ落ちる。その棒をしばし見つめ、やがて棒を打ち振るうことで抑えていた悲しみがどっと溢れ出してくる。 目に涙が溜まり、顔が歪む。幼い少女が、そこで哀しみを我慢できるはずがない。 「あ、うぁ、うぁぁあぁぁっぁあっうぁっ、あっあぁあぁぅ、ぁああぁぁぁあああぁあぁあぁあぁっ」 歳相応の泣き方で、少女は泣いた。泣き 負傷者を運び出すための作業を手伝いに、ハストは街の外―― 数多くの兵士が、そこで倒れていた。動かなくなった ハストは人の少ない場所、つまりあまり手をつけられていない場所へ、自ら赴いた。人がいない所に負傷者が残っているかもしれないのだ。 だが、ほとんど亡骸だった。先輩の兵士、最近入ってきた兵士、勇敢そうだった兵士、中には挨拶を交わしたくらいの者もいれば、深く話し合った者もいた。 周囲を見て行くうちに、不自然なものをハストの目は捉えた。子供の服と、修道女の服。兵士たちの鎧ではない、いたって普通の服を見ただけで、その主が誰かを理解する。 思わず目を 一瞬、ハストとその眼がまともに合った。死者の視線を受けて、ハストの身体が硬直する。 「ひっ」 思わず悲鳴を上げ、視線をそ逸らした。 「あ……アッシュ?!」 そこに黒髪の見慣れた顔、同僚のアッシュが、近くで倒れているのを発見した。 「……う……ハ、ス……ト……?」 「よかった! まだ生きているのか」 アッシュの傷は酷かった。見たところ腕が折れているのか、変な方向へ曲がっており、頬が異常に腫れていた。 ハストはアッシュを抱えて、兵士の詰め所へと急いで運んだ。生きてさえいれば、まだ助かる可能性はある。 アッシュを寝台に寝かし、ハストは大声で近くの動ける兵士に神父を呼ぶよう伝えた。 「もう少し待ってろよ。すぐ、神父様が来てお前を助けてくれるからさ!」 ハストの顔には、冷や汗が流れている。もしかしたら、このままアッシュが死んでしまうかもしれない、という考えが浮かんだのだ。 「…………そ、う……か」 アッシュは虚ろな眼で、天井を見つめていた。しかし、その眼は 「もう大丈夫だ……って、おい!」 ハストは気付いた。アッシュがゆっくりと目を閉じたことに。 「おいっ、目を開けろ! 死んじまっちゃ駄目だ!!」 ハストの声が、人の少ない広間にまで響いた。 「お前と俺で、兵士長の座を取り合うって約束したろ! お前が死んじまったら……」 ハストは、アッシュにからかうように笑いかけた。だがその笑いに含まれる表情は絶望。 アッシュは、まるで眠るように眼を閉じ、幼さが残る表情を 「お前がさ……死んじまったら、俺が、簡単に、兵士長に、なっちまう、ぜ? それじゃ、面白くない……だろ?」 彼の笑みは涙で歪み、声は上手く出ていなかった。ハストはアッシュの手を強く握るが、体温が失われていっていることが、嫌でも解った。それでも、手を放すわけにはいかない。戦友の手を。親友の手を。信じ合うことのできる仲間の手を。 「なぁ、そうだろ、おい? 返事しろって。おいっ!!」 しかし、 好い街だったのだ。誰もが負けじと『毎日』を生きようとしていた。誰もがいつか来るはずの幸せを信じて生き抜いていた。だが、崩れた。 ――ソシテ、ヒトビトノココロニヤミガオトズレタ――。 これは、余談である。 そこに茶髪の少年兵の 〜fin〜 |