-外伝章・四幻説-
疾走するファイタ〜・プリンセス




 その日は雨が降り、とても時空の穴の事件を解決できるような日ではなかった。
 見ただけでも嫌気がさすほどの豪雨。
 その風は浴びるだけで身が切れそうなほど。
 落雷は誰かが落雷呪文ライデインでも唱えているのではと疑うほど強い光を放ちながら、高い木などを焼き焦がしている。
 要するに台風がこの場所を襲っているのだ。
「なのに…………」
 一人、その影響をもろに受けている赤毛の戦士は両刃の斧を握り締めながら、安全地帯に移動している仲間たちに叫んだ。
「なんでオレだけ、ここにいなきゃならないんだよーーー!?」
 エンの叫び声は、もちろん強風にかき消されてしまった。

「エンの野郎、なんか叫んでいるみたいですぜ?」
 盗賊の訓練を受け、聴覚が良いミレドがルイナに報告する。
 今、エンを除く全員がいる場所は洞窟の入り口だった。台風の影響は、この中にいるだけで十分すぎるほど防ぐことが出来る。
「どうせ、『何故一人でいないといけない』、とでも言っておるのじゃろう」
 焚き火でコーヒーを淹れて、それを美味そうに飲みながらファイマが言った。しかも正解だ。

「ちくしょう……聞こえてないみたいだな」
 時空の穴を目前に、エンは洞窟を睨みつける。風に煽られ、雨に濡れ、その場で立っているだけで危険であった。風で飛ばされてきた枝やゴミくずが激突しそうになったのは数える気にならないほど多い。
 時空の穴について、全面責任がエンにあるとはいっても、さすがにこれは酷い。
 だが、誰かがこの場に居ないと、向こう側から来た人物に対してこの台風は悲惨な事となるだろう。なにせ、穴から出てきたらいきなり強風と豪雨なのだ。驚かないほうがおかしい。
「もう、塞いでやろうか……」
 望みより、決心に近かった。これ以上、この台風の中に身を置くことなどしたくはない。上手く風が弱まるタイミングを狙い、数十秒ほど何事もなければ塞ぐ事は可能なはずだ。とはいえ試したこともあったが、それは尽く失敗している。
 ミレドやエードは『死壁嵐デスバリアストームよりマシだろう?』と言っていたが、これとそれは別だ。
「『洸凛珠』で……」
 失敗は成功の元。今度こそ何とかなるかもしれないとお思いつつ、懐からそれを出したとき、こともあろうに一段と強い強風がエンを襲い――
「あ……」
 強風はピンポイントでエンの腕を動かし、洸凛珠を、吹き飛ばしたのである。
 そして、不運は続く。
 ばちばち――バシュンッ。
 こんな時に時空の穴よりお客様。
「嘘ぉっ!?」
 それは白くマヌケな顔の魔物――イエティだった。手になにかを持っているが、それどころではなかった。なんと、イエティがその長い舌を使って吹き飛んだ洸凛珠を奪い取ったのだ。さらにはそのまま疾走。
「ま、待――」
「待ちなさーーい!!!」
 ドゲシっ!!
 エンが蹴られた音だ。
 どうやら時空の穴からまた誰かが出てきたらしい。今度は人間で、しかも女一人だ。
「あら、ごめんなさい。でもアイツが!」
 一言だけ謝り、イエティを追いかけて行く。
「う、痛ぇ……。って、それどころじゃねぇ! 洸凛珠!!」
 エンも慌てて立ちあがって、彼女の前を走るイエティを追いかけた。……が、足もとの泥で滑ってこけてしまった。

「ファイマさん、エンが走ってきますよ」
 エードに呼ばれ、外を見る。
 確かにエンが走ってこちらに向かってきているようだ。
 彼は紅い鎧に赤い髪なので、この豪雨の中でも目立つ。
「むぅ、なにかあったのじゃろうか」
「エンの前に、何かいやがるぜ」
 ミレドに指摘されて、目を凝らしてそれを見る。
 魔物と、一人の女性だった。

「っく、アイツら速ぇ」
 エンは全力疾走しているのだが、前の女性と魔物に追いつかない。
 むしろ、離されているような気がする。
 渦巻いた栗色をした髪、その帽子は妙だがどこかしっくりと決まっていた。手には鉄の爪をつけている。その武器で鎧をつけていないところをみると、どうやら武闘家らしい。
「にしても、速いな……」
 『瞬速』のF・Sフレアード・スラッシュを使って、一気に追いつこうかと思ったが、今の位置では対象があの女性になりかねない。
 イエティが向かっているのは、仲間が待機している洞窟だ。上手く捕まえてくれれば助かるのだが、それを指示しようにも台風の轟音でそれはかき消されてしまう。
 本当に前を走る二人は不思議だった。
 この強風豪雨をなんとも思っていないかのように軽やかに走っているのだ。
 エンは何度も転びそうになったのだが。

 こちら洞窟。
「捕まえ、ますか?」
 ルイナの質問に、どう判断するか迷ったが、とりあえず放っておくおくという決断を下した。
「エンから話を聞こう。行動はそれからじゃ」
 言い終わると同時に、イエティが横を駆け抜けて行く。
「うぉっ!?」
 ミレドが踏み潰されそうになり、慌ててその場を離れる。
「ど〜い〜て〜〜!!」
 続いて、若い女性が単身突っ込んできて
「うわぁっ?!」
 エードをつき飛ばした。
「ごーめーんーねーぇー」
 いきなり現れ、いきなり消えて行った。謝意の言葉は、響きつつ遠くなるばかりである。
 不思議な女性だった。
 突き飛ばされた時、鉄の爪が顔にあったので少し出血をしていた。回復呪文ホイミを唱えている途中、エードの不運は連続で起きた。
「どけぇぇえええ!!!」
 今度はエンがエードを突き飛ばしたのだ。
 その反動で、壁に思いきりぶつかる。悲惨。
「エンよ。どうした?」
 エードの不運など知らないというようにファイマが訊ねる。
「洸凛珠が盗まれた!!」
 その言葉に数秒の沈黙。その間の時間が勿体無いので、エンはイエティを追うために洞窟の奥へと走り去って行った。
「なん、じゃと……?」
 ファイマがあらゆる感情――主に怒りだろうが――を同居させた声でぽつりと呟いた。

 洞窟内はそこまで入り組んでいなかった。
 むしろ、簡単な作りになっている。それでもそこに住まう魔物がいるのだが、前を走っている女性が相手を見る暇も無く倒し続けるので、エンは安全に進むことができた。
 しかも、前の女性は戦いながらの疾走である。そのため、やっと追いつくことが出来た。
「おい、アンタ!」
「なによ?」
 目の前のオークを蹴り倒し、彼女はエンの呼びかけに応えた。当然、疾走を止めてである。
「アンタ誰だ?」
「あなたこそ誰よ?」
 変な会話になりかけたところに、イエティがこちらを見ていることに二人が気付く。
「「待てぇぇ!」」
 同時に二人の目色が変わり、今の会話などはどうでもいいというようにイエティめがけて走り出す。
 その走っている途中、上から魔物が降ってきた。
 現れたのではない、降ってきたのだ。
「吸血バット!?」
 複数の吸血蝙蝠型の魔物が急に現れたため、その場でたたらを踏む女性に対し、エンはすぐに行動を起こした。
 火龍の斧を召還、そして攻撃という単純動作だ。
「『全・速・痺』! フレアード・スラッシュ!!」
 速く、そして全ての目標にあたるように、もし生き残ったとしても、少しでも動きを封じるため麻痺効果も加えてみた。
 轟音が洞窟内を揺るがす。
 麻痺効果を加えるまでもなかった。吸血バットは全滅、ついでに、イエティにも少し傷を負わせることに成功した。
「……あなた、結構強いわね。名前は?」
「エンだ。アンタは?」
「私はアリーナ。あなたも何か取られたの?」
「ああ、大事なものだ」
「私もよ。仲間の病気を治すためのパデキアの種が……」
 ふとイエティの方向を見ると、そこには何もいなかった。
「い、いない!?」
「また逃げやがった!?」
 同時に、二人は走り出した。

「ファイマさ〜ん、ここってどこなんですかぁ?」
 情けない声でエードが聞くのをファイマは無視した。一刻も速くエンを見つけなければならないのだ。ここがどこかなど関係ない。方向も決めず、ファイマは走り出す。それを追って、当然エードも走り出す。今さら、待機しているミレドとルイナと一緒にいれば良かったと後悔していることだろう。

「『連・空・速』フレアード・スラッシュ!」
「ハァっ!!」
 エンがF・Sを放つとともに、アリーナが別の一群を狙う。即席コンビにしては良い連携が取れている。
 さきほどから、少しずつイエティに近づいているのだが、ようやく追い詰めたという時に限って魔物が襲ってくるのだ。その度に、また差が離れる。
 そして走る。追いつく。戦う。離れる。走る。追いつく。戦う。離れる。走る――。
 どれほどこれを繰り返しただろうか、ようやく行き止まりにイエティを追い詰めることが出来た。
「さあ! パデキアの種を返しなさい!」
「洸凛珠を返せ!!」
 そういえば、洸凛珠がなければ、パデキアの種だけを取り戻してもアリーナを元の世界に戻すことは不可能なのだ。なんとしても、洸凛珠の奪回を成功させなければならない。
「“ヴぅぅぅ”」
 妙な唸り声を上げながら、片手に洸凛珠、片手にパデキアの種を持ってイエティがエンたちを睨みつける――マヌケな顔なので恐くないし、むしろかわいいとさえ思ってしまうのだが。
「“ぐ、ぐっぢまうぞ。この種、ぐっぢまうぞ?”」
 どうやらパデキアの種を食べてしまうらしい。
「そんなことしていいわけないでしょ!! そのパデキアの種で、私がクリフトを治すの!!」
 仲間の病気を治すためと言っていたが、どうやらクリフトというのが病人の名らしい。彼女自身は医者ではないと聞いていたが、これほどまで仲間を思っていることにエンは感心した。
「“ぞれ以上近寄っだら、ゴレ、ぐっぢまうぞ?”」
 パデキアの種を人質――物質?――にされて、さすがのアリーナもそれ以上イエティに近寄らない。
「……近寄らなきゃいいんだろ?」
 不敵に笑い、エンが火龍の斧をおろして、空いた片手をイエティに向ける。
「猛き炎の精霊よ 彼の者を 汝灼熱の息吹にて裁きの濠熱を!! ――ベギラマ≠!!」
 閃光が放たれ、イエティの丸々とした腹に直撃。轟音とともに、全身が派手に燃えあがる。燃えやすそうな毛皮とは思っていたが、予想通り炎には弱かった。
「やった!」
 倒れたイエティに喜びながら近寄って、しかしその表情は一瞬で無になる。
「どうした――って、あ……」
 パテギアの種が、燃えて灰になっているのだ。洸凛珠は当然無事だが。
「……パデキアの、種が……」
「いや、その、あの……すまねぇ」
 思いつく言葉はこれしかなかった。
「ううん。いいの、また取ればいいんだし」
 それが強がりだということはすぐに解ったが、それが解ったところでどうしようもない。
 ファイマとエードが追いついたのは、ちょうどその時だった。

 エードの脱出呪文リレミトで洞窟の外に出たときは、さきほどの台風が嘘のように晴れあがっていた。
「まぁパテギアの種は燃えちゃったけど、ありがとうね。協力してくれて」
 洸凛珠で元の世界に帰そうとしたとき、アリーナはそう言った。
 そして、知らない言語で何かを言って、帰ってしまった。その言葉を誰も訳すことはできなかったが、彼女はこういっていたのだ。
『サントハイム王女、アリーナの名において、汝らの旅に祝福があらんことを』
 余談だが、元の世界に戻った彼女は、新たな仲間――勇者と呼ばれし者がもう一つのパテギアの種を取っていたことに歓喜したという。

 アリーナが去って、時空の穴を閉じたとき、後ろから殺気を感じた。
「エンよ……」
 その殺気の出所は、開けているのか閉じているのか解らない目をしている、バンダナを巻いた人物――ファイマだ――だった。
「な、なんだよ……」
 武器仙人に勝らなくとも劣らない殺気を放つファイマに、思わず数歩引いてしまう。
「お主、洸凛珠を盗まれるという失態をやらかしおったな」
「取り返したからいいだろ?」
「伝説の究極移動アイテムを何だと思っておる!!!」
 ファイマの怒りを表すかのように、極大爆撃呪文イオナズンの轟音がその場に響いたことなど誰にも言わないで欲しい。

 余談其のニ。武器仙人の珍品収集癖とその珍品に対する『情熱』は、弟子にまで移っていたそうな。

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