-70章(最終章)-
炎水龍具の名の下に集まれ勇士たち




 魔界紋へ行くため、エンとルイナは一度ダークデス島へと飛んだ。飛んだと行っても、別に空を羽ばたいて来たわけではなく、ルイナの『旅の扉の泉』の水でやってきたのだ。
 前に訪れた時は違い、瘴気は一片も感じられず、それが逆に不気味さを増加させている。魔物たちも戦いを避けたがっている様子で、二人はそういう魔物たちを無視して進んだ。
 ダークデス島の最南端へ辿りついたはいいが、いざ目の前にしてあることに気付く。
「……なぁ、船は?」
 まさか泳いで行くわけにもいかず、船が必要となるのだが、ここにある船は全て残骸でしかない。その機材を使って新しく船を組み立てることもできるはずだが、時間がかかりすぎてしまう。
 しかしそんな疑問をルイナがあっさり消化させた。
「船は、要りま、せん」
 ルイナは水龍の鞭を召還すると、それを海の方向へ翳す。鞭の先から光が満ち溢れ、それが一瞬で一直線に伸びた。方向は魔界紋のあるだろう島の向き。
「……へ〜。こういうこともできるんだな」
 海が、割れているのだ。両面に切り立っているかのように。水が今から行く道を譲ってくれているかのように。
 水の精霊の力を借りて行使できる、移動手段の一つである。
「なんか、どっかの神話みたいだな。海を割って歩くって」
「そうで、すね」
 どこかで読んだ神話。どんな話か忘れたが、とにかくその神話では海を割って歩く場面があった。
 歩く速さはのんびりとしたものだったが、魔界紋のあるだろう島へ無事辿りつくことが出来た。人目につかず、魔物すらいない島。見たことも無い植物などなど、驚く要素は多くあったが、エンたちが一番驚いたことは『先客』がいたことだった。


 エンたちが魔界紋のある島を訪れている頃合。魔界剣士と呼ばれ、それを嫌って魔法戦士と名乗るファイマがエルデルス山脈を訪れていた。
「……師匠、帰りました。しかし、また行きますぞ」
 エルデルスを旅立ってから今まで、師の部屋へ入ることはなかった。まだ、師匠の死は確認していないのだ。それ故、まだ師は生きているのだと自分を騙してきた。
 既に死んでいることは知っているというのに。
「次の旅は、我が人生最後の戦いになるやもしれませぬ。故に、師匠の鎧、貸りさせて頂きます」
 師の座っていた椅子の上に、師の亡骸は無い。
 武器仙人は数人ほど弟子を取っており、ファイマ以外の弟子たちが既に弔っていたのだ。それでも、彼は師に話しかけた。何度も、何度も……。

「やはり、師匠の傑作品というだけはあるのぉ」
 師がかつて身につけていた鎧。光神の鎧を真似て作ったというそれは、魔王を斃した時に装備していたものだ。ファイマが作った精霊の鎧さえも、この鎧に比べたらゴールデンスライムと普通のスライムくらいの差があるだろう。
 この鎧を身に着けて、かつて武器仙人は魔王ジャルートと闘った。仲間と共に。その仲間は、今では賢者のリリナしか生きてはいない。しかし彼女は既に戦う力は残されていなかった。今や、英雄四戦士は名だけの存在となっている。
 だからといって、魔王を討つ戦力がこの世界に残っていないわけではない。今度は、自分たちが魔王討伐を成すのだ。
「師匠、行って来ますぞ」
 一年半くらい前だろうか。勇者ロベルに言われた言葉。
――知る権利があるだろうけど、自分で確認する義務もあるんじゃないかな――
 言われて、納得した。しかし未だその義務は果たせていない。その義務を果たせる時……それは、自分が死んだ時で良いと思っている。魔王と闘う時は力≠使うだろう。そしてそのために命の灯が消える可能性もあるのだ。
 死を覚悟して、魔界剣士と呼ばれし魔法戦士ファイマはエルデルス山脈を出発した。


 世界的政治国家ストルード。
 この国の大半は有名な貴族が住んでいるが、それは表の顔。実際は貧富の差が激しく、貴族以外は人間の扱いをされていないというのが事実だ。唯一貴族以外で人間扱いされるのは、商業者や使用人、コックくらいのものだ。他の者たちは一日一時間一分一秒の間、生きるということだけで、必死であった。
 だが、そういう者たちがいてこそ、国は成り立っている。そんな国なのだ。
「母上、帰りました」
 金髪の男性であるコリエード家の次男、ポピュニュルペ=コリエードは実家を訪れていた。
「まぁポピー。おかえりなさい」
 出迎えてくれたのは、エードと同じく金髪の女性。エードの母親だ。
 既に五十に差し掛かっているはずだが、たまに二十代後半と勘違いされてしまうほどの美貌を保ち、それは不滅の美と噂されているほどだ。
「ところで、兄上はまだ帰っていないのですか?」
 エードの質問で、少し母の顔が強張った。まるで、その質問をされるのが怖かったかのように。そして彼の質問も、エード自身が兄を未だ見つけられていないことを証明してしまったからだろう。
 数秒間の間があって、母は首を横へ振った。
「そうですか……。母上、私はまた旅に出ます」
「もう行ってしまうの?」
 はい、とだけエードは言ってすぐに部屋を出た。そして、地下室へと赴く。
「……」
 地下室の奥に、一本の剣が祭られていた。その剣は、祖父のまた祖父が見つけたという宝剣で、今まで倉庫で眠っていたのだ。どれほどの力を有しているかは知らないが、戦力になることは間違い無い。
 エンやルイナは精霊の力を手に入れているし、尊敬しているファイマや、恐れているミレドには最初から勝てるはずがないと思っている。『炎水龍具』のメンバーの中で、自分が一番弱いのだ。それは自覚している。だからこそ、少しでも強くなるように――いや、少しでも何かの役に立てるように、エードはこの剣を持ち出した。
 弱いなら弱いで、それなりに役に立つことはある。たとえば、自分の命を使って、誰かの身代わりになることもできるのだ。昔からの夢だった『聖騎士』にはもうなった。思い残すことは幾つか……いや幾つもあるが、ルイナの為となればそれくらいはいいだろう。
 それに、聖騎士は主を守るものだ。エードにとって、守る主はルイナである。そのためにならば、死など恐くない。死んで役に立てるのであれば、本望でさえある。
 聖騎士コリエードは、死ぬつもりでストルードを旅立った。


 盗賊ギルドは世界各地にあり、本部がどこか知っている存在は極稀である。そして、それを知る者の大半は盗賊ギルド本部に腰を下ろしている人間だ。それを除けば、十人も満たないだろう。
 支部を幾つか知っているミレドは知らない。盗賊ギルド本部がどこにあるかなど。
「お前の言う通り、全国民の耳に入るように手配しておいた」
 初老の男性が、愛想の欠片もない口調でミレドに言った。ミレドの上司に当たるこの人物は、ミレドより数段『格』というものが違う。称号が、というわけではなく、総合的な強さで勝つことはできないのだ。
「ありがとうございやす」
「それから、餞別だ」
 上司は恩師にあたり、また育ての親でもある。育ててくれたことは感謝しているが、可愛がってくれと頼む気にはなれない。受けた教育が暗殺教育だったからか、それとも生まれついてからの性格なのかは知らないが。
「なんすか、これ?」
 ミレドが受け取ったのは、一組の腕輪だった。ミスリルのようなもので出来ているらしいが、少し感じが違う。
「魔風銀で作ってあるんじゃねぇか? 儂は知らん。なんせ、お前を拾ったときの付属品だからな」
「なっ!! ちょっと待てくだせぇ! 一緒に拾った物の話なんて一度も聞かされてねぇっすよ?!」
「言ってねぇんだ。当たり前だろう、このボケナス」
 その台詞に、ミレドは言葉に詰まらせてしまった。
「なんで今更……?」
 なんだかんだと言いながら、彼はそれを両の手首につけた。今までつけていた真っ黒なリストバンドと違い、それは神秘的な色をしている。それでも盗賊者用に黒く塗られているので、強いて言うならば神秘の黒。聖なる闇というものだろう。
 見た目よりも、かなり軽い。
「どうせ死ぬかもしれねぇんだ。遺品は残らず持っていけ。邪魔にしかならん」
「……教育した弟子が死ぬかもしれないってのに……」
 必ず生きて帰って来い、などと言われる日は天と地がひっくり変えることよりも有り得ないことだ。
「……」
 腕輪をはめ終えたミレドは、じっとそれを見た。古いものなのに保存状態が良く、まるで新品のようだった。馴染んでいるかのように心地が良い。これは、自分が自分である証。盗賊ギルドで育てられた『風殺』のミレドではなく、普通に『ミレド』としての証だ。
 それを見て、決めた。
「こいつが一緒なら、死んでも心残りはなくなるな……」
 暗殺者の暗殺者による暗殺者のための教育を受けた、『風殺』の暗殺者ミレドは、生きようが死のうが関係なしに、全ては忠誠を誓った主君のために全てを賭ける思いで、盗賊ギルドを去った。


 ――冒険者『炎水龍具』は東の島、魔界紋がありし場所に集結せよ――


 その伝達は、世界各地に伝わった。もちろん、これは暗号文のようなもので、一口に東の島と言っても無数にそれは存在している。事前に場所をそれぞれに伝えていたので、時期の問題であった。そしてその時期調整を請け負ったのがミレドであり、盗賊ギルドの力を使ったのだ。
 もはやその指示は世界中の誰もが知っている。ミレドが盗賊ギルドで手を回して、世界中に広めたのだ。これならば、確実に別行動している全員の耳に入る。
 冒険者のパーティーはほとんどが冒険者名を持っている。例えば、英雄四戦士はロベルたちの冒険者名だ。
 『炎水龍具』は、エンたちの冒険者名だ。リーダーをエンとして、ルイナ、ファイマ、ミレド、エードの五人。そして北大陸でこの冒険者名を知らない者はいない。資金集めや精霊の情報集めをしている旅の途中、いつの間にか有名になっていたのだ。
 北大陸最強の名は、他の大陸にも伝わっている。今や、炎水龍具という名を持つ冒険者を知らぬ物はいないだろう。伝達は、確実に届くはずだ。


 そして確かにあらゆる場所に伝わった。
 辺境の地とも呼ばれているし、近づかないほうが良いとも云われている孤高の島……賢者の島にでさえ、それは届いていた。
「魔界紋……あの子たち、魔界に行くのね」
 リリナのほうが年下であるのにも関わらず、彼女にとって『炎水龍具』は『子』のようなものであった。
「ロベルんが最後を託した子……。あたしも力になりたいのにな」
 しかしそれは叶わぬ願い。禁呪に手を出し、激しい魔力の消費による魔法使いのみがかかる奇病にかかり、日々を追うごとにそれは悪化していた。今では魔力を感じるだけで倒れかねない。それだというのに、ルビスフィア全体は妙な魔力に包まれつつあるように感じているのだ。
 愛していた勇者のためにも、大好きな父と母が眠るこの世界のためにも、そして自分のためにも、リリナはエンたちの無事を祈った。皆がまた元気な姿を見せてくれること、自分が安心して眠ることができるような世界にしてくれること……。


 さて、こちらはエンとルイナ。二人はすぐに魔界紋らしきものを見つけた。それは大きな扉であり、禍々しい装飾が施されており、長い年月の末に植物の根や蔦などが覆い隠している。そして二人が驚いているのは、魔界紋が本当にあったからではなく、先客がいたからだ。
「やぁ、遅かったね」
 にこやかに笑う青年は、人間ではないように思えた。容姿そのものは人間であるのだが、腹に大きな口がある。しかも錠で封印されているようだが、間違いなく口は笑っていた。
「誰だ……テメェ」
「フフン♪ まだ名乗らなくてもいいかなぁ。……そうだなぁ、とりあえず『死神』とでも言っておこうかな」
 にまりと笑い、死神と名乗った男は挑発的な視線を送る。
「死神……だと?」
「そうだヨ。“炎の精霊くん”に、“水の精霊ちゃん”」
「……っ?!」
 ウィンク一つしながら、その男は言った。
 この男と、面識は当然ない。そして、エンが炎の精霊力を、ルイナが水の精霊力を手に入れたことなど、仲間内でしか知らないことだ。盗賊ギルドにでさえこの事実は伝わっていない。ウォータン王と王子は、パニックに陥ったあまり、ルイナが水の精霊力を手にした瞬間の記憶が飛んでいたらしい。
「テメェ……いったい何者だ!?」
 無意識に火龍の斧を召還して、それを『死神』の方向へと向けた。
「だから……」
 ほんの一瞬だ。姿が消えた。
「『死神』で通しておいてよ」
「っ!?」
 ルイナの肩が、びくりと震えた。死神と名乗った男が、いつのまにかルイナの右肩に寄りかかっているのだ。それなりに遠い距離からいつの間にか後ろに来ていた。まるで瞬間移動したような感じだ。
「それとも何かい? 戦ってみる? 君達が勝ったら名前くらいは教えてアゲルよ」
 ルイナは肩に掴まれていた手を振り払い、エンの右後方へと駆け寄る。
「……」
 彼女は無言で水龍の鞭を召還した。エンから戦う意志がひしひしと伝わってきたので、援護に回るためだ。いくら精霊力を手にしたからといっても、目の前にいる相手は危険すぎる。何故かそんな気がした。
「(おい……メイテオギル)」
「“――なんだ?”」
 エンの呼びかけに、心の声が響く。それは炎の精霊王メイテオギルのものだ。
「(あいつが、誰か知らないか?)」
「“残念だが知らぬ。だが妙な奴よ……。魔族でも、神族でも、人間でもないような……無論、精霊でもないな”」
「……?」
 その言葉の意味が解らなかったので、ルイナのほうを振り向くと、彼女は残念そうにかぶりをふった。スベリアスの知識を共有しているルイナにも解らなかったらしい。
「まぁいい。ぶっ倒してやる!」
「お手柔らかに頼むよ。……と、言いたい所だけど、言い忘れたことがあったんだ。伝えておくよ」
 闘う気満々だったところで水を差され、エンは飛び出そうとしたのを堪えた。
「な、なんだよ……」
「君達は魔界へ行こうとしているんだろう? まだ駄目だよ」
 何故目的を知っている、などとは驚かなかった。最早この男は何でも知っているようにさえ思えてきたからだ。
「まだ駄目って……。知るか! オレはジャルートをぶっ飛ばしに行くんだ!!」
 魔界には魔王ジャルートがいる。斃すためには、魔界へ赴かなければならないのだ。そのためにここへ来た。魔界紋のある、この島まで。
「分かってないなぁ。役者の揃っていない演劇を見ても楽しくないだろう?」
「だったら、一人が二役すればいいだろ!」
 堪え切れず、滅茶苦茶なことを言いながらエンが火龍の斧を振り上げて『死神』に攻撃を仕掛けた。
「『最大瞬速』! フレアード・スラッシュ!」
 一瞬での連続攻撃。いつもよりも速く、そして打ち数も多い。炎の精霊が力を与えているのか、攻撃力も高まっているように思える。
 しかし『死神』は全てそれを避けた。当たりかけたものもあったが、どこから出したのか、大きな鎌で防がれる。その大鎌はやけに生々しく、よく見るとそれは蛇が同化しており、赤い目玉がこちらを睨んでいた。
「従うべきものには従ったほうがいいんだよ?」
 援護に動こうとしていたルイナの、そして再び攻撃を仕掛けようとしたエンの動きがピタリと止まる。
 従うべきもの――。最近、どこかでそのような言葉を聞いた。確か、精霊に会った時だったはずだ。
――運命の意志に従え――
 確かに炎の精霊も、水の精霊も、その言葉を言った。だからこそ、エンとルイナは動きを止めてしまったのだ。
「ん? どうしたんだい?」
 二人の思ったことなど露知らず、相変わらず『死神』はにこやかに笑っている。にこやかにといっても、何かを思わせる邪笑の分類だ。いや、どちらかというと、からかいの笑みのようでもある。
「まさか……アンタが『運命の意志』……?」
 単刀直入にエンは聞いた。その言葉で、『死神』の笑いは別物となる。笑いと形容するのが難しい笑いとなったのだ。顔は笑っているが、目が笑っていないようにも見える。
「え? あぁ! アハハハハハハハ……違うよ。僕はそれの傍観者だ」
「なに?」
 ふぅ、と溜め息をつくと、『死神』は再び邪笑を浮かべた。人をおちょくるような笑みだ。
「ま、これ以上は喋れないね。君たちは、まだ知る資格がない」
「まだ魔界に行くなとか、資格がないとか……わけの分かんねぇことを言いやがって!」
 エンは火龍の斧を握る手に力を込める。エンの行動を感づき、ルイナが呪文の詠唱を短く終わらせた。
「――ヒャダイン=v
 いつの間にか詠唱を終わらせ、ルイナが氷槍連射呪文(ヒャダイン)を唱える。山彦の帽子の効果で魔法は二度、発動した。
 氷槍の連射は凄まじく、ヒャダインと呼べるようなものではない。だがそれはしっかりと制御されており、威力はヒャダインと言えないが、効果自体ヒャダインそのものだ。それに乗じてエンが仕掛ける。
「『爆氷』のフレアード・スラッシュ!」
 爆発の効果と氷属性の打撃を放った。ルイナのヒャダインと相乗効果が期待できたからだ。しかし手応えが無く、『死神』がいた位置には何一つ残っていない。消滅したという概念はない。相手は瞬間的に移動することができるのだから。
「上、です」
「“上だ”」
 ルイナとメイテオギルが位置を一早く知り、エンに教える。見ると、確かに『死神』が大鎌を振り上げながら落下してきた。
「つっ!!」
 火龍の斧でそれを防ごうと構えたが、重力と『死神』の腕力が加わった大鎌の重みはかなりのものだった。直接的な被害は無いが、支えにしていた足元の地面が割れた。あまりの衝撃に大地が耐えられなかったのだ。
「ふふん♪」
 大鎌を引いて、笑い声を上げると横薙ぎに鎌を振った。
「ぉわぁぁああっ?!」
 バランスを崩したエンは、後方へと飛ばされる。さらに追い討ちをかけようとした『死神』を止めるべく、ルイナが水龍の鞭を操るが、それは大鎌で水は絶ち斬られた。エンはまだ態勢を整え終わっていない。
「終わりだよ〜♪」
 にこやかに突進する『死神』。大鎌を、エンの首に目掛けて振った。
 死ぬ――!
 ギィィィ、という金属音が響き、剣と鎌の間で火花が迸った。鎌がエンを捕らえる一歩手前、剣で防がれたのだ。剣をもつ黒髪の若者は、エンとルイナの仲間である。
「魔法戦士ファイマ推参。助太刀させてもらう」
「ファイマ?!」
 目の細い若者、ファイマは今までと違う鎧を着ていた。どことなくロベルの鎧に似ている個所が見受けられる。
「へぇ〜」
 大鎌を剣で受け止めたままでいるファイマを見て、『死神』は驚いたような、しかし嬉しそうな声を上げた。
「魔法戦士、か。魔界剣士の間違いだろう?」
「その呼び名は好かぬ!!」
 ガギンッ――!
 ファイマが相手の鎌を弾き飛ばした。残念ながら、『死神』の手から離れるようなことはなかったが。
「おやおや。結構なお力だことで」
 惚けたようなような口調で、ファイマから距離を取った。
「ところで……目は痛むのかい? “魔竜神さん”?」
「――っ?!」
 一瞬、ファイマから放たれた殺気がエンすらを振るえあがらせた。
「貴様……何者じゃ」
 剣の切っ先を『死神』に向けて、ファイマは明らかに怒りの表情を見せた。
「その質問は何度も受けたヨ。まだ名乗るわけにはいかないから、とりあえず『死神』ってことにしてくれると嬉しいな」
 鎌により掛かって、『死神』は律儀にも同じ答えを返した。何が何でも名乗らないらしい。
「ならば……」
「死ねっ!」
 ファイマの背後から、黒い影が踊り出た。その声には、エンは聞き覚えがあった。当然、ルイナも聞き覚えがある。それも当然だろう。
裁きの十字架(ジャッジ・クルス)!」
 手に持った二対のナイフで十字に斬りつけ、それは十字架のようなものになった。
「ミレド?!」
 完全に態勢を整えたエンが、突然の仲間の登場に驚いた。位置的にファイマの後ろにいたエンは、ミレドの姿など確認していない。まるで、ファイマの影から出てきたような感じだった。というか、影から影が出て、それがミレドになったのだ。
 完全な不意打ちだったが、相手は何事ももなく立っている。かわされたのだ。
「ちぃっ、効き目なしかよ!」
 せっかくの不意打ちも、ノーダメージならば意味が無い。
「ミレド……お前、どこにいたんだ?」
 自分の登場の仕方に驚いているエンを、逆に不思議そうに見た。そして数秒、確かに不思議な現られ方をしたものだと自覚する。
「盗賊ギルドは『職』を変えることは禁じられている。けどな、昇格ならば話は別だ。アサシンからのクラスチェンジ……シャドウアサシンというようにな」
「は?」
 盗賊ギルドの盗賊たちには特有の技がある。例えば、キメラの翼召還などの道具召還もそれの一つだ。そして影の暗殺者――シャドウアサシンへと昇格したミレドは、ある特有の特技が使えるようになっていた。
 『影隠れ』。
 他人の影に入り込み、影の中を移動できるという摩訶不思議な行為である。
「あ〜、つまりあれだ。とにかく影に入ることができるんだな? 便利な特技だなぁ、うん」
 楽観的に感心し、エンは何度も頷く。これでも、未だ理解できてない部分が多くあるのだが、聞いたら怒られそうなのでそれ以上なにも言わなかった。
「さぁて、と。『死神』さんよぉ、俺様にとって……というか暗殺者にとって『死神』という称号は憧れであり目標だ。それを勝手に名乗るなんざ、許せねぇぜぇ」
 ミレドが魔風銀ナイフを武具変換(ウェチェンジ)させる。それは今までの魔風銀ナイフではない。漆黒闇の短剣――シャドウ・ダガーと呼ばれるソレは『伝説級』のランクに入る代物だ。
「あハはHAha! 無意味だよ。君たち二人が増えたところで、この場にいない役者の役は補えない。まぁ、補えるような力を持っているのは、“魔竜神さん“だけかもしれないね」
 鎌に寄りかかって、邪笑を浮かべる『死神』。それに対して、ミレドは激しく怒りという感情を全開にした。いや、怒りというより、単純にムカついたとでも言うのだろうか、彼の場合は。
「訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇ!!」
 シャドウ・ダガーを逆手に握り、今までよりも早い速度でミレドは『死神』に迫る。
影の裁き(シャドウ・ジャッジ)!!」
 影が立体化して、『死神』を包み込んだ。……はずだった。
「ダメだねぇ。遅いよ“影の風くん”?」
「ぁあ?!」
 いきなり妙な呼び名をつけられ、しかもいつのまにか背後に立たれたので、さすがのミレドも動揺して動きを止めてしまう。
「なに変なことを――」
 問いただそうとした時に、風が唸った。
「――バギクロス=I」
 巨大な二重の竜巻が、死神に向けて交差する。
「げっ!?」
 ミレドは自分の影に慌てて隠れ、その風を凌いだ。ミレド自身、風の防御属性を持っているのでそこまでダメージは受けないのだろうが、自ら竜巻の渦に飛び込むような真似はしたくないだろう。
 巨大竜巻交差呪文(バギクロス)の効果はまだ続くはずだったが、唐突に竜巻が横合いから一閃状に切り裂かれて消滅してしまった。『死神』が、鎌で引き裂いたのだ。物理ではない、魔法的な代物を斬り裂くということは、大鎌に魔力でも込められているのが覗える。
「ふ〜ん。“幸の弟くん”かぁ」
 その呟きは誰も聞いていなかったが、炎水龍具のメンバーはバギクロスを放った人物を知っていた。
「エード! テメェ、俺様がいること関係なしに魔法放ちやがっただろ?!」
 金髪美形の聖騎士エード。影から出てきたミレドは、さっそく彼に抗議の声を荒げた。というか、脅しにかかっているような……。
「す、すみません。あいつだけ狙ったつもりだったのですが……その……あの……」
 ミレドがシャドウ・ダガーをエードの喉元に突きつけているのだ。次第にエードの声は小さくなり、やがて消えてしまった。
「エードじゃねぇか! 久しぶりだなァ」
 親しみを込めて近寄ってくるエンに、エードは冷たい視線を送った。
「ケン……生きていたのか」
「オレはエンだ!!」
 何故だろうか。間違えられているとはいえ、エードに名前を呼ばれるのは凄く久しい気がする。それこそまさにエンが言った『久しぶり』に当てはまるだろう。
「ってか、なんだそのデカイ剣?」
「貴様には関係ない」
 いつもの白金剣(プラチナソード)のほかに、やけに大きな剣を背負っているのだ。おかげで、せっかく美形も台無しである。気にならないわけがない。
「なんで、すか、それ」
「祖父のまた祖父の形見です、ルイナさん!」
 ルイナに問われ、即答するエード。そういえば、初めて会った時も同じことをやらかしていたような。
「お前に抜けるのか?」
「当たり前だ!」
 見た目としてはかなりの質量なようで、エードの思ったよりも細い腕で抜けるのかどうか分からないのだ。エンの問いに対して自身満々に言い放ったエードは、証明するが如く剣を鞘から抜こうとした。
「……く、ぬ……う……ぬぅ……ん……っ……!!!」
 顔を赤らめて、剣を鞘から引き抜こうとした。だが、抜ける気配は全く無い。
「あぁ、もういいや。勝手にやっててくれ」
 エンは努力しているエードを無視して、『死神』のほうへと向いた。
 相手は微笑んで、エードの無駄な努力を見守っているだけ。特に攻撃をしようとはしていなかった。そういえば、さっきからこちらが仕掛けない限り、向こうは滅多に仕掛けて来ない。
「あやつ、なんなのじゃ……?」
 ファイマも、『死神』の真の正体を知りたがっているようだ。そういえば、先ほど『死神』はファイマのことを『魔竜神』と呼んでいた。その時から、ファイマには焦りの表情がしっかりと見て取れる。
「オレが知るかよ。ただ、戦って勝ったら質問に答えてくれるらしいぜ」
 後ろで剣と格闘しているエードを完全放置することに決め、エンは『死神』に集中する。
「ならば、ワシがなんとかしてみよう」
「できるのかい?」
 いつの間にかコチラに寄ってきていたミレドが訊いた。答えるべき本人は、細い目で表情は読み取りにくいが、口元に微笑を浮かべている。ただし、額にはあぶら汗とも冷や汗とも区別がつかないものが流れていた。
「魔王相手にとっておくべきじゃったが、あやつは斃したほうがよい。なんとなく、そんな気がするのでな」
 魔法戦士の身体から、殺気のような『気』が吹き荒れた。それは、かつてエンが一度経験したものだ。あの時のファイマに、エンは勝つことができなかった。
「『魔界剣士』、か。それも当たり前かのう」
 両目が、開かれる。瞳の色が確認できるくらいに開かれた目には、黒と紅の輝きが見て取れた。
「“あいつは……”」
「え――?」
「『力』を、解放する!」
 心に響いたメイテオギルの声の意味をエンが聞き返そうとしたその瞬間、ファイマの全身を無色の光が覆った。

「へぇ〜。まさか僕相手に、その『力』を使うなんてねぇ。どうやら僕を本気で殺そうとしているらしい」
 言葉だけなら自分が危機に瀕しているのだろうが、素振りは今まで通り変わっておらず、ふざけるような動作をしている。
「ルイナ、ミレド! ファイマの援護するぞ!」
 エンが火龍の斧を握り締め、言われずともと言いそうな雰囲気でミレドが地を蹴り、ルイナが水龍の鞭を握るとともに魔力を集中させる。エードを呼ばなかったのは、まだ大剣と格闘中だからだ。
「かぁぁっ!!」
 ミレドよりも速く、エンよりも力強い一撃が、連続で放たれる。『力』を解放したファイマは、『死神』と互角に渡り合っていた。
「おっと」
 一閃されたファイマの剣を要領よく避けたところに、ミレドが跳んだ。
裁きの十字架(ジャッジ・クルス)!」
 裁きの十字架は今までより大きく、より力強く決まった。しかし『死神』は大鎌でそれを防いだようだ。舌打ちして、ミレドはすぐにその場から離れる。先ほどいた場所に大鎌が振るわれ、少しでも遅れていたら首が跳ねていただろう。
「つっ!!?」
 一瞬、ミレドが苦渋の表情を見せた。続いて、動こうにも動けなくなってしまう。何かの呪いか、ミレドは戦闘に参加できそうにない。鎌自体は回避したのだが、別の効果がミレドの身体を蝕んでいるようだ。
「ちょっと邪魔なんだよねぇ」
 『死神』の余裕的口調はそのままだが、こちらの動きを封じるまで切羽詰っているのだろう。それほど、ファイマの『力』は強大なのだ。
「ハァっ!」
 いつのまにか近寄っていたファイマが、短い気合と共に剣を一閃させ、『死神』が大鎌でそれを防ぐ。金属の鳴り響く音が大きく聞こえた。
「『必中』のフレアード・スラッシュ!」
 威力は関係なしに必ず当たるF・Sだ。確かに命中はしたがそれは大鎌にである。
 続いて水龍の鞭の水が蛇のように『死神』を追うが、ファイマの剣を避けつつ移動しているにもかかわらず相手はそれを難なくかわす。それほど速いのだ。攻防が激しく、下手に扱えばファイマに鞭が当るだろうが、それはルイナの扱いが上手いので『死神』のみに向かっている。
 回避、攻撃、防御。『死神』とファイマはそれを数度繰り返す。息切れすることなく、それは永遠に続くかと思えたその時、ファイマが剣での攻撃以外で仕掛けた。
「イオナズン=I」
 詠唱無しでの極大爆撃呪文(イオナズン)が炸裂し、轟音が響き渡る。土煙が舞い、全員が視覚を一時遮断された。
「……今のうちじゃ! エン、ルイナ。魔界紋へ行けぃ!!」
「なっ!?」
 ファイマの言葉にエンはしばし絶句。それを否定しようと口を開きかけた瞬間だ。
 光が、彼らを覆った。

 その輝きは、この世の物とは思えないほど神々しく、禍々しく、しかし身近に感じる光だ。その光を発する本体は、エードの手中にあった。
「ぬ、抜けた……」
 どうやら、さきほどまで格闘していた大剣との決着がついたらしい。勝ったのは見ての通りエードだ。
 その剣は光を放ち、常に電磁のようなものが迸っている。刀身は真っ直ぐかと思えば、見る角度を変えれば曲がっているようにさえ見えるという、なんとも不思議な形をしている。
「この剣さえあれば……」
 守ることができる。愛した女性を、聖騎士として、守るべき相手を。
 その剣を見ているうちに砂煙は収まり、全員の姿がすぐに確認された。
「『死神』と名乗りしものよ、覚悟するがいい!」
 剣の切っ先を、『死神』へと向けてエードが不敵に笑う。この剣さえあれば、どんな相手にでも勝てる、そんな気がするのだ。
 エンたちが勝てない相手だろうと、魔王だろうと、何が何であろうとでもだ。いや、エンであろうと、ミレドであろうと、ファイマであろうと、ルイナであろうと、この剣でコロスコトガデキル――。 勝てる、克てる、かてるカテル殺すことができる殺せる殺せる殺せ殺せ壊せ壊せ壊せハカイセヨ――。スベテをコロセ、キレ、ハカイせよ……。それを、望んでいるのだから!
「――っ!?」
 大剣が、エードの足元に落ちる。その衝撃か、エードは我に変った。自分は何を考えていたのだろうか、仲間を殺すなど……。
「……ダメだなぁ。小道具は持つべき役が持たないと」
 土壇場で現れた剣に恐れもせずに、『死神』はまたからかうような笑みを浮かべた。イオナズンで吹き荒れた砂埃が収まりつつある。舌打ちをしたのは、ファイマ一人だ。せっかくの好機を逃したのだから。しかし、改めて黒と紅の瞳がエードの剣を認めると、その表情は驚愕に変わる。
「……ワシの剣っ?!」
「え?」
 エードの祖父、そのまた祖父が見つけたと言う剣。その代から今まで倉庫で眠っていたものを『ワシの』と言ったファイマに、当然エードは驚く。しかし魔界剣士は理解を与えてくれるほど暇ではなかったようだ。
 持っていた剣を消失させて、エードが拾おうとした大剣を、彼を跳ね飛ばしてまで強引に掴み取る。
 輝きが一層増した。
 まるで、剣が本物の主に出会い、歓喜しているような輝きだ。それを魔界剣士は悟ったのか、微笑を浮かべて手に力を込める。
「エンよ!」
「な、なんだ?」
 事態が飲み込めず、混乱している途中に呼ばれたので、その返事もどこか間が抜けていた。
「ワシがきゃつを食い止める。お主とルイナは、魔界紋へ行け」
 そういえば『死神』との戦闘で、魔界紋のあった位置から相当離れている。
「なんでオレとルイナだけなんだよ?!」
 皆で行こう、そのつもりでエンは言った。しかし、帰ってきたのは焦ったファイマの声だけだ。
「馬鹿者っ! 精霊の力を持つのはお主等だけじゃぞ? それが今、あの者に斃されて見ろ。誰がロベル殿の仇を討つのじゃ? 誰が魔王を斃すのじゃ? 誰が世を救うのじゃ?! お主はもう迷わぬのだろう!」
 言われて、エンは躊躇ってはいるものの、多少の沈黙の後に頷いた。肯定の意味だ。
「フン……頼むぞ。我が師が果たせなかった、魔王を斃すという偉業。お主等に託す!」
「……任せろ!」
 わざと声を張り上げて、それを引き受けた。今思えば、エンは多くの責任を背負っている。
 自分自身の意志への責任。ロベルから託された光の玉。それと同時に、魔王を斃す決意も受け継いだ。四大精霊の一人、炎の精霊王メイテオギル。
 最初は魔王の計略によりこの世界に来てしまった男は、いつのまにか世界を背負っていた。そして、常にその隣にいる女性も。
「行くぞ、ルイナ!」
「……はい」
 相変わらず無表情な家族当然の女性に苦笑しつつ、魔界紋のあるところへと走り出した。それを当然、『死神』が実力を行使してでも止めようとする。しかし、大鎌はファイマの大剣により動きが止まってしまう。
「生憎、邪魔をさせるわけにはいかぬよ」
 薄らと開かれた両目で睨みつけられ、『死神』は舌打ちした。いつのまにか回復したのか、ミレドが立ちあがり、手がまだ震えているようだが、確固たる意志を持ってシャドウ・ダガーを構えている。エードは仕方なくいつもの白金剣を抜き、それを『死神』へと向けた。
 炎水龍具三人全員が、エンとルイナを邪魔させまいとしているのだ。


 魔界紋へと走り着いた時、最初とは違い、当然だが誰もいなかった。
「よし、行くぞ」
 魔界紋を通れば魔界だ。今度こそ、と勇んで魔界紋の前に立ったのだが、突然奇妙な音が聞こえた。
 ヴヴン―――
 虫の羽音のような、妙な音だった。しかし音はともかく、それと同時に光が現れ、その風の精霊を表す緑色の光には見覚えがあった。
「今度は……なんだよ?」
 わけのわからない『死神』の次は、わけのわからない『兵士達』だった。転移呪文ルーラで集団移転し、そこに居並ぶのは兵士、兵、兵、兵、兵。へぇ〜、ではない。……前にもこんなことがあった気がする。
「見つけたっ! 『炎水龍具』リーダー、エン!!」
 幼い声が聞こえた。慌てて左右を探すが、声の主は見当たらない。ふと横を見ると、ルイナの視線がやや下を向いている。ルイナの視線を追って、エンも見た。まだ小さな少女がそこに立っているのを。最初、見当たらなかったのは、エンよりも身長差がありすぎたからだ。
「……誰だ?」
 本当に誰だろうか。翠髪の少女は、片目を髪で隠しており、身長の割には胸が大きく、貴族的雰囲気を纏わせているが、そんなものを感じさせない面もあった。
「犯罪者エン! あなたは牢獄で一生罪を償いなさい!」
 少女が発した言葉で、エンは一気に混乱する。
「は、え、ちょっ、ま……。……犯罪者ぁ?!」
 罪らしい罪はした覚えは無い。盗みもしてなければ、動物の密猟もしていない。まぁ食事の量は膨大だが、法に触れる事ではない。偉人を殺した覚えも無い。
 説明を求める目で少女に訴えかけると、それに気付いたのか、それとも元々言うつもりだったのだろうか、恐らく後者だろうが、少女は説明をした。
「第一に、豪華客船『エスタード号』の撃沈」
 その言葉で、エンの額に汗が滝のように流れた。豪華客船という単語で、思い当たるものがあるのだ。
 エードと初めて会った時、エンは乗っていた船を、魔法を制御できずに爆破してしまったのだ。全壊はせず、半壊で済み、なおかつ修理費に膨大な金額を支払ったはずだ。だが、そういえばミレドが、『修理はできたものの、修理費の足りなさにかなり無理をしたらしく、結局試行運転中に沈没した』と語っていたような……。
「第二に、エルデルス山脈の国宝山『フリーザル』の破壊」
 その言葉で、エンはさらに慌てた。確か、リリナの修行から戻って来たとき、ビッグ・バンを放って山を一つ消し飛んだ覚えがある。ファイマが『あの山は……』と一言呟いたのは気のせいではなかったらしい。
「第三に、ウィード城に深夜の不法侵入」
 それも覚えがある。ミレドが持ってきた仕事で、『風神石』を返すための隠密行動だったはずだ。結局何故か行動がばれてしまい、兵士に取り囲まれたりもしていた。ああ、そうえいば、兵士に取り囲まれているといえば今の状況に似ている。
「第四に、古代遺跡の破壊」
 それも、覚えがある。時空の穴を塞ぐ途中、依頼内容をエンが疎かにしてしまい、遺跡消失の変わりに全面責任を負う事になっていたのだ。先ほど責任が増えたと言ったが、こんな責任はさすがに要らない。
「そして、これが一番許せない……ウィード城、崩壊……」
「ちょ、ちょっと待て!? オレは城を壊したことなんかねぇぞ?!」
 いくらなんでも、城を崩壊させた記憶などない。しかし、どこかでそういう話を聞いたような、聞いたこと無いような、と考え、しばらく間があいて思い出したことが一つ。
「――エルマートンだ……!」
 エンの精神の中に眠っていた魔王の子。全てを奪われ、その時にエルマートンがウィード城を崩壊させたと仲間から聞いている。もちろん、エルマートンの行動などエンの記憶にない。
「問答無用! 皆の仇!!」
 少女はいつのまにか装着していた手甲爪を構えた。鎧も着けておらず、しかし丈夫そうな服などを見る限り武闘家の類なのだろう。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 頼むから!!」
 しかし翠髪の少女は聞かず、威嚇するように睨みつけてきた。周りの兵士も、槍やら剣やらをエンに向けている。目の前の少女が不利にでもなったら助力するらしい。
 どうにかしてくれ、と目でルイナに訴えたが、彼女は首を傾げるだけで終わらせた。
「どうしろってんだよ……」
 非難の声を上げるが、それでどうなるわけでもない。こうしている間に、仲間達が『死神』と戦っているというのに。
 全国に知れ渡った『炎水龍具』の集合命令。なにやら、違うものまで集合してしまったらしい。


 ……ここで、『炎水龍具』に関わる話は一旦終わる。これからの物語は彼等だけのものではなくなったから。伝説の片割れにしかすぎなかった彼等は、もう一つの片割れと出会ってしまったから。もう一つの伝説が語られないと、先には進めないから。
 ――魔王の本当の目的。
 ――魔界。
 ――『死神』の正体。
 ――『魔竜神』。
 ――ファイマの剣。
 ――エードがファイマの剣を抜けた理由。
 ――『死神』が語ったそれぞれの称号。
 ――現れた翠髪の少女。
 謎は謎を呼び、謎のまま一時中断する。
 全てが繋がる時、それは全てが始まる時だから。

 その“時”が来るまで、彼等の“時”は、ここで終わる。

〜精霊伝説第1部 『炎水龍具』 完〜

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