-67章-
水龍の名の下に静まれ激流




 王子と王がルイナのほうを見つめている。その状況が、ミレドにとって一番恐れていたことだ。
 ウォータン王はもとから好色だが予想できていたことであった。だが、その息子のゼイル王子は親と違ってしっかりとした者なのだが、一度はまり込むと抜け出せない性格なのだ。そんな二人が、ルイナに見惚れている。
「(さ、最悪だ……)」
 この状況を考えると、嫌でも次のセリフが想像できてしまう。
「初めまして。私の名前はゼイル=ヴァート=フィル=ウォータン。ウォータン国の王子です」
 などと礼儀正しい自己紹介を始めたゼイル王子を、ウォータン王は感心したように見ていた。どうやら、息子自身から行動に出ることがあまりなかったのだろう。
「ルイナと、申し、ます」
 一礼しただけだったが、その仕草だけでも王と王子、二人の好感を急上昇させたようだ。
「ルイナさんですか。素晴らしい名前ですね」
 王子の一言一言が、ミレドの不安心感を募らせて行く。
「いきなりで申し訳無いのですが、この国に――いえ、この城に住んでみたいとは思いませんか? その……私の、妻として」
「(いきなり何言ってやがるんだこのバカ王子は――!?)」
 いきなり言うことはエードも同じだったのだが、その辺りのことはさすがのミレドも知ってはいなかった。もし知っていたのならば、ゼイル王子とエードの行動があまりにも似ていることに気付いただろう。
「……」
 無言で立ち尽くすルイナ。同じくミレド。同じくゼイル王子。そして座っているウォータン王。いきなりの告白現場に興奮している王の周りの美女多数。
 沈黙がこの場を支配した。
 ミレドが何かを言おうと口を開けたが、結局何も言えずにまた口を閉ざして黙り込んでしまう。
「いえ、別に無条件でというわけではありません」
 最初に沈黙を破ったのはゼイル王子だった。さすがに親とは違って条件のようなものを出すつもりらしい。その辺り、ウォータン王やエードとは全く違う。
 だが、水の精霊の伝承を教えるから妻になれと言われたらもう終わりだ。その言葉には、妻にならなければ水の精霊の伝承は教えない、という意味も含まれているからだ。
 幸い、ゼイル王子はそのような無茶な要求は出さなかった。
「見たところ、あなたは冒険者らしい。冒険者は女性といえども強者揃いと聞いています。なので私と勝負し、私が勝ったら貴女は私の妻になる。如何ですか?」
 自信ありげに出した条件は、ただの一対一での勝負だ。最初に一撃を入れたほうの勝ちの、一発勝負。ルイナがそれなりに戦えると知ってのことか、それとも自分の剣の腕に自信があるのか。どちらにしろ、ルイナが勝てばミレドの心配はなくなる。
「貴女が勝てば水の精霊の伝承もお教えしましょう」
 悪くない条件だ。ミレドは胸中でそのような判断を下す。見る限りルイナが負けるとは思えないので、なんとかなるかもしれない。
「……王子が負けた場合は、儂の所に来てもらうかのぉ」
 かなり小さな呟きだった。傍らにいるゼイル王子には聞こえなかったらしいが、ミレドにはしっかりとその言葉が聞こえた。王の周りの女性も数人聞いたようだが、顔色一つ変えてはいない。
「(……どうしろってんだ……?)」
 ルイナが負けた場合はゼイル王子のところへ嫁ぐことになり、ルイナが勝ってもウォータン王の道具にされていしまうかもしれない。普通に考えれば、遊び道具にされるよりは王子のところで大切にしてもらったほうが幸福というものだが、こちらにも事情というものがある。いっそのこと、闇に紛れてウォータン王を葬ろうかとさえ考えてしまった。
「勝負は受けていただけますか?」
 自分の親の考えなど露知らず、ゼイル王子はルイナに勝負するかを聞いた。
「……わかり、ました」
 ルイナが数歩、前に出た。少し迷っていた様子だったが、闘うことを決めたのだ。
「よかった。それではさっそく」
 ゼイル王子がレイピアを抜き放ち、悠然とルイナのほうへ歩き出す。その間に、ルイナが水龍の鞭を召還した。王子はこちらが『龍具』だということを知っているのだろうか。いや、知らないだろう。
 最初に動いたのはゼイル王子だった。訓練でもしているのか、なかなかと疾い。それでも難なくルイナがそれを避け、水龍の鞭でゼイル王子を狙った。
「ハァッ!」
 レイピアを周囲でニ、三回振りまわして、向かってきた水龍の鞭に勢いを込めて突き刺す。鞭の水が弾けて、霧状となった水は虹さえも作り上げた。
「(あの王子、結構やりやがるな……)」
 奇跡か偶然か、どちらにしろ『龍具』である水龍の鞭の攻撃を防いだのだ。生半可な実力しか持たない者には、到底できない芸当である。
「氷の精霊よ。氷牙をここに――ヒャダルコ=I」
 王子が呪文を使った。氷塊を地面から作り上げて相手に突き刺す魔法であるが、ゼイル王子はダメージを与える目的ではなく、相手を捕らえるためにその呪文を使用したようだ。ルイナの足元が氷で固まってしまっている。
 以前、ルイナがソルディング大会で相手の顔以外の場所を氷漬けにするということをしたが、それが足元になったものだ。身動きが封じられたが、まだ手は動かすことができる。そして、口も。
「風の精霊よ。我を目の届くかの場所へと移転させよ――ルーラ=I」
 ゼイル王子の無意味とも思える移転呪文。しかし彼は、ルイナの後ろへ移転したのだ。かなりの応用力と制御力をゼイル王子は持っているようだ。
 ルイナから見れば、ゼイル王子が忽然と消えたので呆然とする他なかった。それこそ、ゼイル王子の本当の狙い。この間に、彼は決着をつけるつもりだ。しかし――
「うわっ」
 ゼイル王子の動きが止まってしまった。急に足が動かなくなってしまったのだ。足元を見ると、ルイナと同じ状態、つまり足元が氷漬けにされている。ただし、ゼイル王子の足元だけではなく、ルイナの立ち位置から半径数メートルが全て氷で埋め尽くされていた。
 ゼイル王子が呆然としてしまった瞬間、ルイナの鞭の一撃が王子を軽く打ちのめした。

「いやぁ、ルイナさんはお強いですね」
 世辞ではなく、実際に負かされてのでそう言うしかなかった。魔法的な氷は既に消えており、ルイナも水龍の鞭を消している。
「では約束通り、水の精霊の伝承を――」
「待て」
 息子が語り出そうとしたのを、ウォータン王が止めた。嫌な予感が……
「儂はまだ教えることを認めてはおらぬ」
「しかし父上……」
 なんとか親を宥めようとするゼイル王子。頑張れ! 負けるな! 勝て! そして早く教えてくれ!
「水の精霊の伝承は最高秘密。本来、素性のあまり知らぬ旅人に教えるなど言語道断なことだ。故に、信用の足る人物ではない二名に教えることなどできぬな」
 回りくどい、もっともらしい理由を盾に、どうしても教えるつもりはないらしい。そもそも伝承を教えてくれるということで城へ来たのだが……。
「では、どうすれば、いいのですか?」
 珍しく、ルイナのほうから交渉にでた。そのセリフを待ってましたとばかりに、ウォータン王の顔がより嬉しそうな顔へと変わる。
「(一晩付き合えーとか言うんじゃねぇだろうな……)」
「一晩、儂と付き合えば教えぬでもないぞ」
 ミレドが胸中で思ったことを、そのままウォータン王は口にした。予想があまりにもあっさりと当たってしまったミレドは、何故そのような予想などしてしまったのだろうと後悔した。なにせ、ここに来るときに最も恐れていた展開だからだ。
 エードやエンがいたら、何か打開策が見つかったかもしれないが、今ごろデルドの所へ行っているだろう。
「ん? どうだ? ん〜?」
 人を小馬鹿するような笑みを浮かべて、ウォータン王はルイナの返事を待つ。
「…………」
 黙り込んでしまった、というより呆れてしまった様子のルイナを見やり、ミレドはどうするものか悩んでいた。予想できた展開なのに、それに対する対応の仕方が一つも思い浮かばないのだ。

 ゴゴ―――。

 少し、地面が揺れた。そう思った瞬間、揺れは次第に大きくなって地震と化した。
「な、なんだどうした!?」
 ウォータン王は玉座にしがみつき、ゼイル王子はそこらの柱に捕まり、ミレドは揺れに合わせて動き、ウォータン王の周囲にいた女性たちが声を上げて逃げ惑う。そんな中、ルイナは平然と立っていた……どうやって立っていられるかが不思議だ……。
 揺れが収まり、少し間があく。
「……なんだったのでしょうね」
 最初に口を開けたのはゼイル王子だった。本当に、何が起きたのだろうか。
「ふむ、そんなことはどうでもいい」
 自分の城が地震に襲われても『そんなこと』で済ませるという、ウォータン王の女好きの凄さが目に見えた気がしたのは、ミレドだけではないはずだ。
「た、大変です!!」
 兵士がドタバタと謁見の間に乱入。この際もうなんでもいいから来てくれという状況にはありがたい乱入だ。
「えぇい、どうした?!」
 兵士のせいで話がまた途切れたことを怒っているらしく、不機嫌そのもので兵士に何が大変かを訊いた。不機嫌でもとりあえず訊くという行動、一応は一国の王らしい行動だ。
「し、し、し、城の、城の、ち、ちちち、地下が!!」
 震えながら報告をする兵士。しかし意味は全く不明。
「なんだとっ!?」
「(なんだとってなんだよ?!)」
 わけのわからないやり取りに、心の中でわけのわからないツッコミを入れるミレド。
「まさか城の地下の聖水江が暴走するとは……」
「(なんで分かるんだっ?!)」
 『城の地下が』としか兵士は言っていないのにウォータン王は完全に事態を理解していた。もしかしたらこうなることを知っていたのではないだろうか、とさえ言いたくなる。いや、妙な所で理解力がありすぎるのだ。この王は。
「客人! 今は緊急事態だ! 話は後にしよう」
 急に立ち上がって、ウォータン王は駆け足で下へ降りて行った。それをゼイル王子が追う。王の周りにいた女性らは呆然としており、彼女等も何が起きたか理解できていないようだ。
「な〜んか、急に王様っぽくなっちまいやしたね」
 国の事を全く考えていない王よりよほどマシだろう。根のほうでは、実は立派な者なのかもしれない。
「追い、かけま、しょう」
 悠然と歩きだすルイナを呆然としたまま数秒見て、ミレドも渋々それに従った。ウォータン王とゼイル王子が降りた階段を二人も降りて行くと、そこは一方通行の道で、先の二人はすぐに見つかった。

 王と王子を見つけて驚いたことは、彼等の目の前で流れている川のようなものだ。用水路を流れる川は、城内を流れるものとは違い、緩やかという言葉とは縁のないほど遠い激流だ。
「なんだ、こりゃあ」
 流れているのは綺麗で透き通っている美しい水なのだが、激流のせいでその美しさも台無しだ。
「貴様等!? いつの間に?!」
 王族の秘密の場所を知られ、ウォータン王は顔を青ざめさせている。いつの間にと言われても、出入り口を放ったらかしにしていれば、どうぞ続いてくださいと言っているよう。なものである。
「今はそれどころではないか……」
 咎めておいて彼は再び激流のほうへ顔を向けた。明らかに不安の色が出ており、焦りや他の表情も入り混じっている。それを見て、ミレドの中でウォータン王のセリフが蘇った。
 ――聖水江。
「(……これが?!)」
 ウォータン国に代々伝わる、聖なる川。その川のおかげで、城下町や城内の水は澄み渡り、そして美しくなる。この川が、ウォータン国の水を成り立たせているのだ。
「一体、何故暴走し始めたのだ?!」
 そんな川が暴走すれば、国中の水が変質してしまう可能性がある。そうなれば、国が滅ぶのは目に見える。今のウォータン王には、それが既に見えているのかもしれない。
「止まれ! えぇい止まらぬか!!」
 大声を出すだけでは全く持って意味が無いだろう。事実、声は響くだけで虚しく終わる。この言葉は、所詮は言葉でしかないのだ。
 ゼイル王子など呆然としているだけで、事態を本当に理解しているのか、それとも理解できすぎてしまい、もはやどうしようもないと諦めているのか。どちらにしろ、ゼイル王子は役に立ちそうに無い。
 暴走は止まらず、更に激しくなっていく。
「…………」
 ルイナが無言で水龍のムチを召還して、川へ近づく。
「ルイナ様?」
 ミレドが聞いても彼女は無反応で、王と王子の横を通り抜けて、川の一歩前へで立ち止まった。そして、ルイナは水龍のムチの先を川へ向けた。
「………………」
 水龍のムチが虹色に輝き、川の水も同じく虹色に光出した。その光は広がって行き、やがて全ての水が虹色の輝きで覆われる。
「と、止まった…………?」
 ウォータン王は腰を抜かしたのか、その場でへたり込んでしまった。ゼイル王子も遅れて同じ行動をとる。その辺り、親子だということが納得できた。
「水が……」
「え?」
 ルイナの不思議な呟きにミレドが聞き返したが、彼女は何も言わずに川の中へ飛び込んでしまった。いや、引きずり込まれたようにもミレドには見えた。
 後に残ったのは、沈黙と緩やかに流れる聖水江だけ。
 それとルイナが落ちた場所に波紋が広がっている。それだけだった。

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