-56章-
繰り返される悪夢




 朝。
 いつものようには起きられなかった。昨晩、一人でずっと考え事をしていたからかもしれない。まだ眠かったが、目覚まし時計の代わりになったのは自分の娘だ。
「父ちゃ〜〜ん! 起きて、起きて! そして遊ぼ〜〜!!」
 寝ているエンの上に乗っかり、何度も揺さぶる。
「も、もう少し寝かせてくれ……あと五分くらい」
 まるで日曜のオヤヂの如く。
 だがそれを承諾するほど、自分の娘であるエナは偉くない。
「母ちゃんが朝ご飯作っちゃうよ?」
 その言葉エンは一気に目が覚めた。回数が減ったとはいえ、やはり調合薬品を食事に混ぜることは絶えていないのだ。
「ヤベェ! エナ、手伝え!! 遊ぶのはその後だ!」
 掛け布団を弾き飛ばし、台所へと走って向かう。寝起きなので髪が凄いことになってしまったが、気にすることはない。後で直せばいいだけだ。
「何作るの?」
「何食いたい?」
「……」
「……」
「オムレツ!」
「よし! 卵を出せ!」
 ちなみに、これは走りながらの会話だ。寝起きでまだフラフラしているエンの足の速さは、エナでも十分に追いつける。追い抜くことはできないが。

 なんとか朝食は自分の手で作ることができた。エナにも少し手伝ってもらい(皿を出すだけだったが)、早く食べることにした。
 テーブルの上にはパンが数枚とできたてのオムレツ、そして入れたばかりのコーヒーとただのミルクが置かれている。
「今日って特に仕事入ってなかったよな?」
 できたてのオムレツを食べながら、ルイナに聞く。そして無言で頷かれた。
 別に嫌われて、会話をするのが嫌なのではない。ルイナは口数が少ないほうだし、今の状態が普通なのだ。
「じゃあ今日はいっぱい遊べるよね?」
 昨日もかなりの時間を遊びに費やしたつもりだが、お子様はまだ元気のご様子。エンは笑いながら、そうだな、などと答える。
 それを聞いたエナは嬉しそうに顔を輝かせ、半分ほどある残りのオムレツを一気に食べ始めた。
 ルイナとルインは比較的に食べるのが遅いほうなので、まだ半分も食べてはいない。

 ゴゴゴ――。

 そんな中、突如として地震が訪れた。
「な、なんだ!?」
 あまりにも急激で、激しい揺れだったのでコーヒーをこぼしてしまった。エナも食かけていた半分のオムレツを地面に落とす。
「とりあえずテーブルの下!!」
 エンが慌てて、しかし正しい判断を下す。
 家族三人はそれに従い、朝食の乗っているテーブルの下に隠れた。
 もしかしたら、火山が急に爆発したのかもしれない。だが、その可能性は低かった。つい先日、火山の様子を確認したばかりなのである。いつも通り、異変は見られなかった。
 自然は突然変異を見せるが、もしこれが自然現象だとしたら変わりすぎである。

 揺れが収まり、テーブルの下から四人は這い出た。激しい揺れではあったが、家全体に支障を与えるほどではなかった。近くの棚などは引っくり返ってはいるが、柱が折れたりはしていない。
 このまま家の中にいて、いきなり崩れたら助かりはしないので、とりあえず外に出る。
 他の村人達も、家から出ていた。
「なんだよ、ありゃあ」
 エンが見る先、あまりにも不気味で、多すぎるカラスが飛んでいた。
 だが、それはカラスなどという生易しいものではなかった。

「“――聞こえるか? 人間たちよ――”」

 低く、轟くような声が響く。聞き覚えのある声だ。

「“我は異界の魔王ジャルート、全てを闇に変える者。命乞いなどしても無駄だ。全てを滅する”」

 聞き覚えのある名前だ。カラスは、よく見ると見覚えのある魔物だった。

「ジャルート……!? しかも、あれってガーゴ……なんていったけ?」
 カラスと思ったものは、接近すると共にそれが鳥と人を混ぜ合わせたような鳥人であることがわかった。そして、彼は名前を忘れていたが、それはかつてあの世界――ルビスフィアで戦ったガーゴイルという魔物と同じ奴等でもある。
「なんなんだよ、一体……!?」
 わけがわからなかった。アレは夢ではなかったのか? 予知夢とでも言うのか? わからない、解からない分からないわからない判らないワカラナイワカラナイ!!
「父ちゃん!」
 恐慌状態に陥りかけたエンを正気に戻したのはエナだった。正気に戻ったというよりは、少し違うような気もするが。
「……くそ! 武器をとれ! 女や子供は隠れるんだ!」
 村人全員にそれを指示した。相手が命を全く保証してくれないのなら、少しでも反抗すべきだと思った。人間の足では、ガーゴイルたちにすぐ追いついてしまうだろうから。
 村人達がそれぞれ斧や狩用の矢等を取り出してくる。クワや稲刈り用の鎌を持ってきた者もいるが、何もないよりはマシだろう。
 ガーゴイルの群れが、迫ってきた。

 まずは一匹。エンは斧を振りまわしてその一匹に立ち向かって行った。そして、振り慣れた斧を叩きつける。だがガーゴイルは少し吹き飛ばされただけで、致命傷は負っていない。かつての世界では、魔法一つで全てを斃すことができたのに。
 悲鳴が、響いた。
「ナグ!」
 ガーゴイルの持っている錆びた剣に、ナグが串刺しになっていた。彼の持っていた狩用の弓は、ガーゴイルの足元に落ちている。
 その魔物は、ナグが突き刺さったまま剣を持ち上げてニヤリと笑った。
 また違う場所で悲鳴が聞こえた。
 昔よりは臆病ではなくなったシンは、いくらなんでも魔物相手ではその心も小胆に戻ってしまったらしい。腰が抜けているところを、あっさりとガーゴイルの刃で貫かれてしまった。
 さらなる悲鳴。
 足の速いワキが、あっさりと心臓を一突きにされていた。そこからは大量の血が噴出し、内臓が飛び出ている。即死だった。
「み、みんな――!」
 エンはガーゴイルの攻撃をなんとか躱し、逃げるように伝えようとする。もしかしたら、運良く助かるものがいるかもしれないからだ。
 だが、既に時遅し。ガーゴイルは家の中にまで入り込み、戦えない女や子供、老人を斬り殺していた。
 後ろを振り返ってみる。自分の家にガーゴイルが侵入しようとしていた。
「どけぇえええっ!!」
 斧でその魔物を弾き飛ばそうとしたが、違うガーゴイルに邪魔をされる。
 そして、もともと侵入していようとしたガーゴイルが家の中に入ってしまった。
「邪魔、すんじゃねぇっ!!!」
 邪魔をしていた魔物を吹き飛ばし、自分も家の中へと入る。
 恐らく、三人は目立たない部屋にいるはずだ。
 その部屋への最短ルートを通り、中へと入る。
「父ちゃん!」
「シッ。静かに」
 皆無事だった。暗い部屋、というか押し入れのような場所で、少し密集状態にある。
「父ちゃん。大丈夫かな?」
 いつもおてんばな娘だが、やはり子供である。大人のエンでさえ不安でいる状態なので当たり前だろうが、ここは子供に不安がらせないのが大人の役目というものだろう。
「大丈夫に決まってるだろ」
 わざと笑って見せ、少しでも安心できるようにする。
「うん、そうだよね。きっと、大丈」

 ズッ。

 エナが言葉を言い終わる前に、壁から剣が突き抜け、そのままエナの頭を貫通した。
 笑ったまま血を吹き出し、密集状態にある自分達に噴出した鮮血が降り注ぐ。
「エ……ナ……?」
 血を浴びたことに、大して気は向いていなかった。それ以上のことが、目の前で起きたから。健気に喋っている途中に、いきなり死んだのだから。
 ルインは泣くことさえ忘れたように震え、ルイナは眼を大きく見開き、茫然としている。
 エンには怒りという感情が、膨れ上がった。
 その部屋から飛び出し、ガーゴイルを素手で殴り飛ばした。
「お前が! お前が!! お前がぁぁ!!!」
 エンは自我がなくなったかの如く、怒りに任せて魔物を殴りつけた。
 怒りに気を取られ、エンは気付いていなかった。ガーゴイル自身はダメージをあまり負ってはいない。斧で斬っても致命傷にならないのだから、素手ではどうしようもないのだ。
 そして、剣を持ち上げていることにも気付かなかった。
 その剣が振り下ろされて、気付いたときには身体は動かなかった。
 だが、強制的に後ろから横へ押されたのだ。
「……え?」
 エンは無防備に横に弾き飛ばされ、そして今自分がいた場所を見た。
 ルイナが、二つになる瞬間が、目に入った。
 その返り血を浴びて、魔物が嬉しそうな声で鳴いた。当然、真横に倒れたエンにも血がついたのだが、最初から気にしていないようだ。
 ガーゴイルは次の標的を決める。倒れて、しかも無防備なエンではない。ルイナの屍の先、震えているルインだ。
「や、やめろ……」
 エンの声には覇気がなかった。何をしていいのか、何をすればいいのか、何を見ればいいのか、全く解からないのだ。
 エンの言葉に何の反応も見せず、ガーゴイルはルインを容赦なく斬り捨てた。
 何がどうなったのか、本当にわからなかった。
 昨日まで続いていた幸せはなんだったのだ? 今さっきまでの幸せは何だったのだ? なんの前触れもなしに現れたあの魔王な何なのだ?
 ワカラナイ。
 解かることは、愛する女性が、子供が、仲間が、殺されたことだけだ。
「う、うう、うあ、うああああああああああああああああああああ!!!」
 エンは力の限り、叫んだ。


 そうして最後に残ったのは、闇。


「――大丈夫か、エン?」
 目が、覚めた。助かったのか?
「…………あれ?」
 エンは目覚めて驚いた。回りを囲んで自分を見下ろす人々は、ヒアイ村の村人たちだ。
「ワキから聞いたぞ。穴に落ちて、急に気を失ったと」
 有り得ない。周りにいるのは、少年だったころのシンやワキ、隣にはやはりあの頃のルイナが倒れている。あの日あの時間あの場所だ。
 時間が、遡った?
 そのようなことが有り得るはずがない。
「えっと、オレ……」
 確かめるように髪に手を伸ばす。父親のように長くなった髪ではなく、もとの髪形。やはり、元に戻っている。
「(どうなってんだよ…………!?)」

 そこから、同じ時が何度も繰り返された。

 何度も仲間が殺され、何度も助けようとした。だが、助けられなかった。

 仲間に危機を知らせた。笑われただけだった。そしてその日が来て、殺された。助けられなかった。

 自殺も試みた。だが死ねなかった。死なせてくれなかった。そしてまた殺された。助けれられなかった。

 旅にも出た。強くなるための旅だ。出会った先の人々が、殺された。また、助けられなかった。

 一体、何回繰り返せばいいのだろうか。

 永遠とも思える時の回廊。出口はあるのか?

 本当に永遠と進みつづけるしかないのか?

 進むことが嫌になった。終わることの無い時間の中で生きるのが嫌になった。

 やがて、全てが嫌になった。

 生きることも、死ぬことも、考えることも、全てが嫌になった。

 自分を誰かに代わってほしかった。誰でも、いいから。

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