-55章-
幸せの日々




 目が醒めた。
 ここはどこだろう?
 懐かしい匂いがする。……森だ。森の匂いだ。
 それに、人の気配。オレを囲んで見ているのは誰だ?
「エン、エン!」
 オレを呼ぶのは、誰だ――?


「エン!!」 
「え!?」
 何度も名を呼ばれ、赤毛の男はしっかりと目を開けた。ぼんやりとしていた意識が、次第に取り戻されて行く。
「いったいどうしたのじゃ、エン! それにルイナも!」
 隣で、珍しく呻き声を上げながらルイナが身を起こす。
「……村、長?!」
 間の抜けた声を上げ、それでもエンが驚く。周りにいるのは、シンであったりワキであったり、息切れしている占師のバァさんだったり、間違い無くヒアイ村の人々だった。
「ワキから聞いたぞ。穴に入った瞬間、気を失ってしまったとな」
 全てが信じられなかった。先ほど聞いた話よりも信じられないのかもしれない。
「ここって?」
 慌てて辺りを見回す。間違い無く見慣れた風景。感覚として一年と数ヶ月前、あの日の風景だ。変わっているのは、周囲の人間の数。あの日に訪れた人間に加え、村長や占い師のバァさん、そしてナグという友人であったり、シャッパという年配の人間ですら、ここに集まってる。
「な〜に言っておるんじゃ? スラスラの森でスライムを確保しようとしていたのはお前じゃろうに」
 確かにそうだ。あの日あの時この場所で、エンとルイナは村の少年団と共にスライム確保の作戦に出た。確保まではできていたが、翌朝、穴の中に青と銀の渦――旅の扉が開いていた。
 そこから、エンたちは異世界へと飛んだはずである。
 魔王ジャルートが脅威となっている、異世界ルビスフィアへと……。
 だが村長の言葉はそれを否定している。エンたちは消えたのではなく、ただ気を失っていたと。
「え、でも!? あれ? えぇえ!?!?」
 訳がわからなかった。全部夢だったのだろうか。そんなはずはない。痛みも苦しみも喜びも哀しみも、全て記憶している。ビッグ・バンの詠唱でさえ唱えられる。
「相当混乱しとるようじゃの。とりあえず、今日は休め」
 本当に混乱していたので、村長の言うがまま今日は休むことにした。


 その夜中、ふと目が覚めた。思い当たることがあったのだ。
 この地は夜でも比較的に暖かく、軽い服装でも凍えることはありえない。むしろ、外で寝たほうが快適なのでは、とさえ思ってしまう。
 樵の仕事をするための森に入り、使いなれた斧を三度振るう。
 それだけで木が三本倒れた。今日やるべきだった仕事を、今日が終わる前に終わらせたのだ。危うく忘れるところだった。
 ついでに、自分の右腕を確認する。半袖なのですぐに見ることができた。あの世界でいつのまにか入っていた冒険者の紋章。それが消えているのである。
 それは、武器を召還するなどという行為ができない証拠。そして、何気なく魔法の詠唱をしてみるが、自分の裡から流れ出るはずの魔力は感じられず、詠唱はただの独り言に終わった。
 夢だったのだろうかとさえ思うが、今が現実よりも現実的な気さえする。
「納得できねぇ」
 あの痛みも、喜びも、寒さも、怒りも、哀しみも、特訓も、訳のわからない真実も。全てが夢だったのだろうか。それにしても、現実感がありすぎたし、実感もあった。だが考えてしまう。今が本当の現実ではないのか、と。先ほどまでいた空間が現実だと信じる自分がおかしく思えてきた。
「でも、納得できねぇんだよ」
 再び声に出して、作業斧を握り締める。
 なんだか眠れない気がしたのだが、斧を元の場所に戻し、寝台に潜り込むとすぐに眠気が襲ってきた。
 しばらく気を失っていたと村長は言っていたが、それだけで疲れたのだろうか。それとも、ただ本当に眠いだけなのだろうか。それは恐らく、後者のほうだろう。エンは数秒後に規則正しい寝息を立てていた。


 そして、朝がやってきた。
 エンは朝食にパンを二つとコーヒーを一杯飲んだ。ふと、コーヒーでファイマを思い出す。彼は、この飲み物が大好きだった。それが夢だと、やはりイマイチ信じられないが、実際は信じたいという気持ちもあるかもしれない。魔王が父親と言われた、あの世界から逃げる意味で。

 朝はとくにすることも無く、ぶらぶらとしているだけで昼を迎えた。当然、ルイナから怪しい薬の実験台を危うくやらされる時はあったが。
 昼食の後、エンは村長の屋敷に足を運んだ。聞きたいことがあったのだ。
「お前から訪ねるなど、珍しいのぉ」
 明日には雨か、と心配しているのは気にしなかったが、もしそれが本気で思われているのなら怒るべきだろう。といっても、恐らくからかいの言葉として言ったのだろうが。
「聞きたいこととはなんじゃ?」
 椅子にかけながら、村長が言った。口調だけなら、やはりファイマに似ている。いや、ファイマが村長に似ているといえばいいのだろうか……。
「親父のことだ」
 たった一言だけを言った。村長はその一言で全てを悟ったか、ため息を一つついた後語り始めた。

「前にも数回話したであろう? あいつは立派で偉大な男じゃったよ」
 数えるくらいしか聞いたことが無かった。自分が自意識を持ち始めたときから、というより生まれる前に死んだ父親のことを聞いて、得することも無かったし、悲しいなどとは思わないからだ。
 だから必要以上に聞かなかった。そして、村長は必要以上に語らなかった。
 だが、今回は違う。
「もっと、詳しく教えてくれないか?」
 緊張している、というより、しんみりとしている口調だった。
 その言葉とリアクションに、村長はだいぶ驚いている様子だった。心内では本気で明日は雨になると確信しただろう。
「詳しく、か。お前の父であるカエンは、お前のように赤い髪をしていた。最も、長く伸ばして一つに束ねていたがな。そして紅い瞳、黄色いバンダナ、身長もそれなりにあったな」
 アノ世界でのエンは、一年以上もいたせいか髪もずいぶん伸びていた。肩より下にいくぐらいで、長さだけならルイナ以上だった。ここに戻ってきたときは、髪の長さも戻っている。
「そして、次期村長候補じゃった。むしろ、確定していたんじゃがな」
 信頼性、度胸、行動力に決断力、指揮力等など。それら全ての能力がずば抜けていた。
 だが悲劇は起きた。
 ヒアイ村の近くにある火山。活動こそしてはいないが、一応調べておくにこしたことはない。そして、ルイナの父親であるルイスと共に火山へ上ったのだ。出産まで数日を残した妻を残して。
 そこで、火山の穴に二人が落ちてしまったという報せが入ったのはすぐだった。たまたま、通りかかった行商人が落ちる現場を目撃し、そして暗闇に消えていったのを見ていたのだ。むしろ、その行商人が落ちそうになり、それを助けようとして二人は落下したのだ。
 行商人は呆然と見ていたわけではない。落ちそうになった二人を助けようとしたが、それでも無理があった。二人は、関係のない行商人を助けるため、自ら落ちていったのだ。
 行商人は涙を流しながら報告をした。そして、村長を初めとする村人たちは一旦その行商人を恨みはしたものの、カエンとルイスの意志や性格のことを考え、許すことにした。
 そして数日後、エンとルイナが生まれたのだ。

「……他人のために、自分の命を、か」
 窓から見える空を眺めて、エンが小声でいった。もちろん、村長には聞こえていない。
「……うむ。では、ワシが若かったころのラヴストーリーでも――」
「んじゃ、オレは行くから」
 立ちあがると共にすぐにエンは退散した。村長は一番語りたかった話ができなかったので落ち込みはしたが、放っておいていいと判断する。


 ――その時から、十数年が過ぎた。


「父ちゃ〜ん! 遊ぼ遊ぼ〜!!」
 可愛らしい声を上げ、赤い髪をした少女が赤毛の男に抱きついてきた。
「わかったわかった。わかったから、髪を引っ張るな」
 赤毛の男は髪を長く伸ばし、それを一つに束ねている。間違いなくエンだ。
「でも、村の会議が終わってからな」
 まだ五,六歳くらいの少女を肩車し、エンは歩き出す。
「でも父ちゃん、な〜んにもしてないよ?」
 鋭い指摘を自らの子供に受け、エンは苦笑するしかなかった。事実、そうなのである。会議についてのほとんどはルイナに任せてあるのだ。
 といっても、村長が会議に行かなければ意味がない。仕方なく行くだけだ。
 村長の家――つまりは自分の家だが、既に村の主な人物は集まっていた。
「あ、悪ぃ。遅れちまった?」
 あまり悪いと思っていない口調で、しかも少女を肩車した状態なので緊張感がまるで感じられない。
「遅れすぎだ。俺ならあと二時間は早く来られるぜ」
 村で一番足の速いワキが答える。それは言いすぎではないかと指摘したいのだが、悪いのは自分なので苦笑するだけに止めておく。
「では、会議を、始めます」
 ルイナの途切れ途切れの言葉が全員を沈黙させる。高まったテンションが一気に急降下した感じだ。
 本当に、エンとルイナは二人で完璧な人間だと、この場にいる本人たちを除く村人全員が思った。

 会議はすぐに終わった。平和な村なので、特に難しく話し合うことは少ないのだ。
「もう会議終わったんでしょ? 遊ぼ〜!」
 自分の娘であるエナが服を引っ張っている。母親であるルイナには全く興味がないようにエンばかりに纏わりつくのだ。
 そして、その反対もいる。
「エナ……女の子ならもう少しおしとやかに、するべきだよ?」
 ルイナの影に隠れているのは、あまり似ていない双子のルイン。こちらは少年で、青い髪をしていて母親似だ。そして性格も似ているらしく、男であるのにルイナの実験ばかりに付き合っている。
「なによ! ルインこそ、男の子ならもっとはしゃぎなさいよ〜!」
 口調は厳しいが喧嘩というわけではない。これが日常的な会話だ。
 エナはルインとは逆にエンに髪の色も性格も入ったらしく、女ではあるがおてんばだ。
「そう言うなって。ルインは母親に似て、エナはオレに似たんだから」
 そしてエンが宥め、ルイナが頷いて双子の口喧嘩も終了である。

 エンとルイナが結婚し、まるでエンとルイナの性別を入れ替えたような子供が生まれ、そしてエンとルイナの二人に村長に任命されて今に至る。
 幸せの日々だった。
 平穏だが平和で、毎日が楽しく暮らせる。
 このような日がいつまでも続いてくれればとさえ、自分は思う。
 いや、誰でも思うだろう。願うだろう。祈るだろう。
 この幸せの日々が、永遠に続くことを。

 ふと、今日そのことを改めて実感した。今が幸せだと実感できたのだ。
 何でもない日常生活の中で、今日という一日を終えた今に。
 やや広めの部屋で、家族全員が雑魚寝状態で眠りについた時、エンはまだ眠ってはいなかった。すぐ隣で寝ているルイナは既に静かな寝息を立てている。
 あの不思議な体験から、随分時が経ったものだと思う。身長もかなり伸びたし、髪も伸ばした。父親に似せただけではあるが、前の村長が言うには、カエンが戻ってきたとさえ思った、らしい。
 本当に、今日はふと思うことが多い。いや、今の状況があらゆることを思案させるのかもしれない。本来眠る時間に、一人だけ起きている。
 別に近々何かあるということはないので、何かに興奮して眠れないというわけではないようだ。
「ま、いいか」
 どうせなら楽しもう。幸せな今を。繰り返される幸せの日々を。

 

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