-35章-
斃せ!




 大きな部屋。当然、その部屋を包むこのそれは部屋以上に大きいのだろう。
 パッと見る限り、そこはどこかの館のようだ。
「ここは、どこだ?」
 エンがリリナを睨みつけながらに言う。今にもバーニングアックスを召還して斬りかかりそうだ。
「修行場よ。アナタ、武器の強化に来たんでしょ? でもほら、ついでに魔法もね。ここは私の作った異空間よ! こんぐらい大きくないと、凄いことになっちゃうからね」
 ペラペラ喋る姿はルイナの正反対だな、などと思いながら、周りを見る。
「(家具一式、多くの扉、向こうは調理場か……)」
 当然のこと、ヒアイ村にすらこのような館はなかったが、自らの家を改造したこともあるエン――細かい計算はルイナがしたが――にとって、屋内の観察は得意だった。
「さぁ、さっそく修行よ! まずはお約束の掃除洗濯ご飯作り!」
 エンはふらふらと部屋を見て歩いているとき、リリナがそんなことを言っているのが聞こえた。
「(オレに、それをやれって?)」
 エンは薄く笑うと、しっかりとした足取りで歩き始めた。

「全部終わったぜ」
 テーブルには多くの高級とは言えないが、おいしそうな山の幸とりどりな料理が並び、辺りは綺麗に清掃され、外には白すぎるほどの洗濯物(ほとんど白物だった)が日光を浴びている。
「う、嘘でしょ!? まだ、二時間も経ってないわよ?」
 実は、本日丸一日かけてエンにこれらをさせるつもりだったのだ。それはエンがそういうのが苦手だろうとを想定していたからだった。
 しかし、エンはヒアイ村にいたころ、ずっと自らの手でこれらをこなして来た。木を切ることの次に得意のが家事なのだ。変な主人公だなぁ。
「お主の負けじゃよ、リリナ。お、こりゃ美味い」
 いつのまに現われたのやら、武器仙人がエンの作った料理をつまみながら笑った。

 結局、作ったご飯を食べて洗い物を片付けるということまでやらされてしまい、それが終わるとエンは外に連れだされた。
 屋敷の外は空が白っぽく霞んでおり、霧の中に閉じ込めらたようにさえ感じた。
「こんなところで、何をするんだ?」
 戦闘訓練かな、と予想していたエンだったが、どうやら違うらしい。
 武器仙人とリリナ、両名の顔つきが、先ほどとは比べ物にならないほど真剣になっているのだ。
「今から、アナタに知ってほしいことがあるの。これつけて」
 リリナがどこからか取り出したのは、ペンダントのようだ。黒い宝石を囲んだ装飾は、何処か禍々しい。それを差し出され、エンは素直に受け取って首に下げる。
「今から、それを解放するわ」
「それって……?」
「ラ・セイ・ルコル=v
 エンの言葉を無視して、リリナはぽつりと呟いた。それが合図だったのだろう、ペンダントから黒い渦が発生して、エンに纏わり着いた。
「な、なんだよこれ!?」
 狼狽するものの、その次は声さえ出せなくなってしまった。
 体中に、心の奥に、何かが入り込んでくる。
 それは見えない何か。それは得体の知れない何か。それは不気味な何か。
 違う。それは感情だった。エン自身の心の中に、別の感情が入ってきている。
 量が膨大すぎるためにその感情が何かさえ理解できなかったのが、少しずつだが理解できた。
 ――哀しみ、だった。
 一体どれだけの哀しみを集めればこんな量になるのだろうか。
 エンは無理矢理に注ぎ込まれ続ける哀しみの感情に絶えようとするが、嘔吐感もあふれ出し、体中が痙攣する。涙が溜まり、汗が滝のように流れた。
「や、めてく、れ……!」
 途切れ途切れの言葉でリリナを見る。しかし彼女は真剣な眼差しでエンを見続けていた。
「それは世界――ルビスフィア世界の人々の哀しみ。ロベルんが、あたしたち英雄四戦士が背負っている哀しみ。それを背負うことが、アナタにもできる? 魔王と戦うということは、そういうことなのよ」
 毅然たる態度で言い放つリリナは、確かに英雄としての顔を持ち合わせていた。
「ロベルんから聞いたわ。アナタは異世界の人間だってこと。自分の世界とは関係の無い世界を脅かしている魔王と戦う覚悟は、できているの? 物見遊山な気持ちで戦おうとしていない?」
 こんな哀しみは嫌だった。苦しかった。今すぐやめてほしかった。楽になりたかった。
 しかしそれでも、エンはその考えを放棄する。
「オレ、は……」
 リリナの眼差しを睨むように見返す。
「関係なく、なんか、ねぇよ。まだ、少しくらいしか、この世界を見て、ないけどさ、オレは、確かにこの世界に今、立って、いるんだ。この世界 の景色見て、飯食って、いろんな人と出会って、それで関係ねぇで、済ませられない」
 途切れ途切れの言葉。しかし確固たる意志で綴られる言葉と、エンの真直ぐな視線をリリナと武器仙人は受け止めていた。
「ここに、来て、短い時間だったけどよ、オレは、この世界が好きに、なったんだ。好きなやつを守るのに、理由なんていらねぇだろ!」
 膨大な哀しみに精神が砕かれそうになっても、エンは絶えずリリナを見据えていた。


 所かわってルイナとエードのいるあの酒場。
「ルイナさん、やはりケンとリリナさんはいませんよ。あと武器仙人さんとファイマさんもいないんですけど」
 エンだけ(わざと)名前を間違え、エンだけ『さん付け』ではない
「そう、ですか」
 ルイナは武器仙人の部屋を無断で借りて、本を読んでいた。
 読書の邪魔をしてはならないと思い、もう一度探しにいこうとしたとき、ルイナが本を元の場所に直した。
 一緒に探してくれるのかとエードは思ったが、すぐにそれは勘違いだと思い知らされる。ルイナはただその本を読み終えただけで、違う本を取り出したのだ。
 気のせいか、ルイナがさきほど読んでいた本に『真・幻の調合法!』という名前が書かれていたように見えた。今読んでいるのは普通の魔道書だが。
「…………」
 なんだか恐い想像になりそうだったので、さっさと部屋をでようとした。
 そんな矢先、いきなり先ほどと同じ印が目の前に出現し、これまた同じよう光だした。
 ッタッタッタッタ。飛び降りる足音が四つ。
 ズコッ。
「痛っ!」
 五つ目の音、最後に一つ、こける音がした。
 光が消えると、そこには五人の人物がそこにいたが、そのうち一人は無様に倒れている。

「ケンにファイマさんに武器仙人さんにリリナさん!? ……あとの一人は?」
 無様に倒れているのはエンであり、立っているのはファイマたち四人。だが一人だけ見なれない人物がいる。
「おぅ、ルイナとエードじゃねぇか、一年ぶりだな」
 エンが立ち上がり腰を伸ばす。少し大きくなったような気がするのは気のせいか。
「い、一年?」
 エンが消えてから一時間くらいしか経っていない。それを赤髪の男は一年といったのだ。
「一年は一年だよ。っていうか、なんでオレだけ時間の進み方が違うんだよ?」
 ビシッとリリナを指差す。リリナは指差されたことにムッとした様子だが、嫌がるなら他人にするなよ。
「女を早めに歳よりにさせたいわけ?」
「これ以上歳をとると、儂は危険じゃからな」
「俺はあいつと同い年のままがいいんでね」
「成り行きでじゃ」
 四者四様の答えに、エンは溜め息をつく。聞くだけ無駄だったのだ。
「あの、こちらは?」
 先ほどの質問を繰り返し、エードがファイマに聞く。エンとリリナと武器仙人とファイマはともかく、一人だけ見慣れない者がいるのだ。
 その男は茶色い髪を腰辺りまでに伸ばし、鋭い目つきをしている。鎧は着ておらず、身なりからしては剣士だろう。
「『剣神』のディング殿じゃよ」
 ファイマのその一言を聞いて、エードは目玉が飛び出しそうになる。
 『武器仙人』、『賢者』のリリナ、そして『剣神』のディング。世界を救った英雄四戦士のうち、三人がこの場に集結しているのだ。驚くのも無理はない。もし、ここに『勇者』のロベルがいたら、きっとエードは失神していたかもしれにない。

 エンが連れて行かれた異空間は時間の流れが普通と異なり、一時間程が一年の場所だったのだ。
 それでも、肉体的時間と精神的時間を元の空間と同じ、つまり一時間にできる方法がある。ただ、定員が四人で限界だったのだ。ゆえに、エン以外は一年を一時間しか過し、エン一人は一年間分肉体的時間を過ごしたのである。
「向こうで何をしていたのだ?」
 当然の疑問。エンに問いかけるが、まともな答えは返ってこなかった。
「武器の強化と、魔法の勉強と、戦闘訓練」
 それだけだった。簡潔に言えばその通りなのだが、いきなりそんなことを言われても解るわけがない。
「じゃあな、俺はもう行くぞ」
 厳しい表情をしていたディングが外に向かう。
「なんじゃ、もう行くのか?」
 武器仙人が引き止めようとするが、ディングは振り返らずに手を振って歩いていった。

「ところでエンよ。その鎧はどうじゃ?」
 ファイマが唐突に、どこか誇らしげに聞く。エンは今までと違い、鋼の鎧ではなく、紅メッキ仕様のシルバーメイルを着込んでいた。どこか市販の物と違う部分が見当たり、それはファイマからの贈り物である。
「ああ、鋼の鎧より動き易いし、軽いし、魔法防御力もある。最高だ」
 コンコンっと、自らの鎧を叩きながらエンは言った。
「じゃ、最終試験と行きましょうか」
 リリナが外を眺めながら言った。何事かと思ってエンたちも外を見ると、妙な形の雲が近づいてくる。
「たいした数の魔物じゃのぉ」
 外を見てはいないので、気配で感じ取ったのだろうか、武器仙人が面白そうに言う。
「最終試験って……?」
 エンは心底嫌そうな表情を作る。今から言われることが予想できたからである。
「当然! アレを全部倒すことよ!」
 やっぱりそうか、と思いながらも、エンは外に出る。いるはずのディングは既にいなかった。恐らくキメラの翼でも使ったのだろう。
「そんじゃ、修行の成果を試すとするか」
 エンはそう言うと、両手を魔物の大群の方へと向けた。

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