-33章-
返せ!




「あれだよなぁ、零氷木樹って」
 エンが遠い目で、どこかを見ながら言った。
「あれだな、零氷木樹とは」
 エードも現実逃避するような目で言った。
「あれ、ですね。零氷木樹」
 最後に、本当に零氷木樹を見ながら冷静にルイナが言った。
「けどよぉ、これどういうこと?」
 どこか遠くを見たまま、エンが言う。
「さあな。なにせ、人間がここに来るのは久しぶりなのだろうからな」
 しみじみと他人事かのようにエードが言う。
「歓迎、されている、のですね」
 零氷木樹から視線を外し、周りを見る。
 そこには、冷気に目口を張りつけたような魔物――極寒地帯によく出没するブリザードたちがいる。完全に囲まれているのだ。
「下手に刺激するなよ。ザラキの歓迎が来るから」
 さらりと危険な集団死滅呪文の名前を言いながら、エードはまだ現実逃避しようとしている。その目は、まだブリザードたちを映してないのだ。
 ちなみにエンはザラキという呪文がどのようであるかはエードに確認を取っている。
「ハハハ〜。そんなことするかよ〜」
 まるで極楽の中にいるような口調で、にこやかにエンが言う。こちらもまたブリザードたちを映していない。花畑でも見えているのではないだろうか。

 ブリザードたちは十数匹。物珍しそうにエンたちを見てはいるが、その目が殺気の色に染まるのも時間の問題だろう。そうすれば集団ザラキが来るのは容易に察しがつく。
「なんか、一瞬で集団を斃す技とかないのかよ?」
「それはこっちの台詞だ。貴様、マホトーンは使えぬのか?」
 いい加減、現実に戻ってきた二人が、やっとまともな会話を始めた。その顔はこわばり、冷や汗が流れ、しかしその汗はすぐに引いてしまう。寒い山の頂上で、その気温は死ぬほど寒いからだ。
「マホ……なんだって?」
 エンはあまり呪文に詳しくはない。有名な、メラやギラくらいしか知らないのだ。もしも知っていたとしても、すでに忘れているだろう。
「オレが使えるのはメラだけだぞ」
 それでもベギラマになるときがあるのだが。
 しかしベギラマ一発でこの数のブリザードたちを斃すことはできないだろう。
「さて、どうしたものか」
 一分も経ってはいないだろうが、囲まれてから三十分は経っているように思える。
 そして、彼等は見た。
 ブリザードたちが戦闘態勢に入ったのを。
「来るぞ!」
「呪文が来なきゃいいんだろ!」
「………」
 ヤケを起こしたか、エンがバーニングアックスを召還し、振り上げ、エードがプラチナソードを抜き、ルイナがムチを振るおうとした時だった。

 カッ。
 鉄に石をぶつけたような音がすると共に、エンたちを中心とした場所以外に光が振り注いだ。真上からして見れば、それはドーナツのように、『中心が開いている丸い光線』といったところだろう。しかも、それは光と言っても黒い光。さらにはすぐには消えてしまった。
「な、なんだ」
 エンの質問に答えられるのは誰もいなかった。ドーナツ状の黒い光が消えた後には、岩場しか残っていない。超高熱で雪が全て溶けたのだろう。
 しかし、それを超高熱といっていいのか解らない。なんせ、エンたちが立っている場所――つまりは黒い光が届いていない場所は雪が残っているのだ。
「“何かと思えば……ただの鼠か”」
 低く、魔界的威厳のある声が響いた。
「(この声!?)」
 エンは知っている。いくら一週間以上前と言っても、あれだけ強烈な場面を忘れるはずがない。
「……魔王……ジャルート……」
 長く伸ばした銀色の長髪。顔は一見美男子に見えるが、頭に生える二本の角と尖った耳、そしてなにより、強大なる魔力と絶望の闇がそれを否定している。
「真聖のオーブ、返してもらうぜ」
 行き場のなくなったバーニングアックスの行き先を魔王に変えて、エンは向かっていった。後ろではエードが本物の魔王を目にして足が竦んでいるのか動けていない。ルイナは様子を見ているだけだ。
「“……愚かな”」
 魔王の手に火が灯り、ジャルートはそれを軽く投げた。そう、軽く投げたのだ。だが、その火は獄炎の火球となり、ハイスピードでエンを打ちのめした。
「ぅあっ!?」
 とっさにルイナが水の鞭で防御壁を作ってくれなければ、そのまま炭になっていたかもしれない。炎戦士の『職』による炎の耐性に、ルイナの水の防御壁で守られてもなお、その火球はエンに深刻なダメージを与えた。全身に火傷を負いながら、それでも目は魔王を睨んでいた。
「“……………”」
 無言のまま、魔王は一瞬にして消えた。


「お前は一体なんなのだ? いきなりあんな魔物に勝負を挑むなど、普通ではないぞ」
「魔物じゃない。魔王、ジャルートだ」
 まだ震えているエードが回復呪文のベホイミを使うべく手を翳していたが、その顔が凍りついた。それもそうだろう、魔王ジャルートの脅威は、まだ人々から消え去っていない。そしてソルディング大会の混乱時に復活宣言したのだから、恐怖は煽られる一方だ。
 とりあえず回復を、とエードがベホイミを施す。しかしそれでもなお完治、というわけにもいかず、再度ベホイミを使う必要があった。それほどまでに、エンはダメージを追っていたのだ。
 エンは、完全に回復しても動かずに魔王がいた空間を睨んでいる。
「借りを返そうとしたんだけどなぁ……」
 また一つ作っちまったな、と言いながら、零氷木樹のほうへ歩き出した。
 エードはエンたちの素性をまだ知らない。だから、別世界から来たということも、魔王と対峙したことがあるということも知らないのだ。共に行動していれば、いずれは解るだろうが。
「ったく。魔王も派手なことしてくれたよなぁ」
 先ほどまで見えていた零氷木樹。それが、先ほどの攻撃――ドーナツ状の黒い光――のせいで見事に木炭になっていた。これでは実どころか、葉の一枚でさえ見つけられない。
 周りはただの岩場。それもなんだか黄と茶を混ぜ合わせたような黄土色だ。白一色から、よくもまぁこんな変化ができたものだ。逆に感心してまうぞ。
「とりあえず、ほかに零氷木樹がないか調べ――ぶっ」
 零氷木樹の近くに来た瞬間、見事に何かに躓いてエンは転倒。なんとも無様なことか。
「いっって〜。なんなんだよ……って、あ……」
 なにかのデッパリ、それを引き抜くと、てっきり岩の一部かとおもったのは、赤い色をした林檎サイズの実だった。
「もしかして、炎の種?」
 運が良いのか悪いのか。とりあえず第一目標達成というところだろう。

 第二の難関はさっそく現れた。実は、既に三日経っているのだ。期限は五日。それまでに持ちかえらなければならない。ここまで来るのに三日経っているということは、単純に計算すると、帰るにはまた三日はかかるということだ。
「時間がねぇ……」 
 こんなことならもっと早くに進めばよかった。そう悔やみながら、スタートした山を見つめている。なぜ裏山の頂上までが三日もかかるのだろう。理由として、エンが考え込んでいた時間が含まれるのだが、既に忘れている。
「もう戻るのだろう。行くぞ」
 そんな心配など一欠けらもしていないエードがエンに言った。
「行くって、もう時間が」
「時間ならまだ間に合うだろう」
「は?」
 逆に、エードのほうが不思議そうな表情を作った。
「もう少しこっちへ寄れ。魔法が届かん」
 わけが解らず、言われるがままにエンとルイナもエードの傍に寄った。
「天空と地を翔ける風の精霊達よ 汝、我を届けよ 我を彼の地へと運べ 我が行く場所は我が意思のままなる場所………ルーラ=I」
 魔王ジャルートと同じく、エンたちの姿も一瞬で消えた。

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