-32章-
想え!




「バギ=I」
 エードが真空呪文を唱える。
「うおりゃ!」
 エンがバーニングアックスで隼斬りを決める。
「………」
 ルイナがムチを使って相手を打ちのめす。
「“オオオオオオオオオ”」
 低い唸り声をするのは、腕と顔だけの魔物。全身が氷でできているのか、キラキラと輝いている。エードの真空呪文はあっさり弾かれ、エンの隼斬りも傷をつけることすら叶わず、ルイナの攻撃も相手に痛痒を与えた様子も無い。
「なんなんだよこいつ!」
「氷河魔人だと先ほど言ったであろう」
 氷河魔人の吐いた氷の息を避けながら、エンは毒づき、エードは彼の質問に対して答えを返した。
「そうじゃねぇよ。なんで全く死にそうにないのかってことだ!」
 今度は手をグーにして殴りかかってきた。それもなんとか避けるが、このままだと負けるのはエンたちだろう。場所的に不利だ。何度か雪の地面に足を取られているし、氷の精霊力の高いここでは氷系の魔法の威力が上がる。ルイナもそうだが、完全に相手は氷属性だろうから、全く効かないだろう。
 その上、仲間との連携も全くなっていなかった。団体で戦うのはエンにとって初めてのことである。バピラスに襲われた時も各個撃破であったし、ソルディング大会も一対一であった。本格的なパーティー戦は、これが初めてなのである。
「逃げるぞ」
 エードが提案する。というかこれは命令に入るのだろうが。
「逃げる!? そんなことしたくねぇ!」
 またもや氷の息を吐き、今度はそれが直撃する。まだファイマのフバーハが効いているはずだが、それでもダメージは強すぎだった。炎戦士は炎に対する抵抗力を与えてくれる半面、吹雪などによる冷気的な耐性が低くなるからだ。
「…………エン」
「なんだよルイナ!」
 呼ばれたので、その方向を振りかえり、そしていつものことのように、なにかを飲まされた。
「こんな時になに飲ませやがった?!」
 慌てて自分の身体を確認する。いきなり身体中からトゲが生えて来たりはしなかったが(以前あったのだ)、それでも自らの身に危険があることは間違いない。
「なんなんだ――って、蜘蛛ぉおおぉぉ?!!?」
 とりあえず敵である氷河魔人を見ると、そこには同じ大きさの蜘蛛がいるではないか。
 我を忘れてエンはひたすら逃げ出した。
「おい! ケン?!」
 それを追かけるエード。
「幻覚剤、『身エルR(レボリューション)』」
 ぼそりと呟いて、エンを追かけるルイナ。
 その場に残ったのは、エンの逃げ足に追いつけなかった氷河魔人がぽつりと寂しくいるだけだった。

「………」
 暗くじめじめしてはいるものの、外に比べれば断然暖かい。
 エンたちは見つけた洞窟の中に入り、数時間を過した。
「なんで黙っているのだ?」
 その数十分、ずっと沈黙していたエンにエードが訊ねた。ルイナは元々多弁ではないが、それに加えてエンも黙ってしまうと沈黙が辺りを支配するのだ。そして、それで時間感覚が鈍る感じがエードにはしていた。数十分しか経っていないのが、数時間に感じてしまう。
「あんな魔物一匹倒せないなんて、な」
 素っ気なく言ったつもりだが、どうやら怒りがにじみ出ていたらしい。エードが二、三歩引いた。
 あんな魔物一匹倒せないで、魔王に勝つことが出来るのだろうか。
 エンは、魔王に勝つための力を得るために、エルデルスへ来たのだ。それなのに、いくら強い固体とはいえ魔物一匹に、エンは勝つことが出来なかった。
 そして、エンは唐突に立ちあがると、これまた何も言わずに洞窟の奥に進み始める。
「この奥が何処に繋がっているのか知っているのか?」
 慌ててエンを追かけたエードが聞く。
「知らねぇ」
 それでも、闇の奥に進みたかった。暗闇は心に思案と安らぎを与えることもある。そうした中で、自分の気持ちを思案し、安らぎたかったのだ。
「………」
 ルイナは無言でエンの後についていった。ルイナが行ったから、というのが大半の理由でエードも洞窟の入口から離れる。
 この先が何処に繋がるかも知れぬ闇の奥へ。

 恐らく登り続けているのだろう。地面が傾いているものの、それは上に傾いているのだ。
 先頭を歩き続けていたエンの足が、唐突に止まった。
「どうした……?」
「なんだ、こいつ……?」
 エードの問いに、エンが聞き返した。薄暗いながらも、その奥には何かが羽ばたいている。それも、かなりの大きさだ。目を凝らしてみると、それは客船の演劇でも使用した蝙蝠の魔物――ドラキーであった。ただのドラキーならまだいいのだが、ただのドラキーではないから驚き呆れたのだ。
 そのドラキーは、身長だけならエンと同じ、もしくは越えていた。横幅はそれに比例している。
「ドラキーLv5だな。噂には聞いていたが、ただ大きいだけのドラキーだ。攻撃力と体力が数倍あるだけで、危険視するほどでもない」
 さっきの氷河魔人といい、ドラキーLv5といい、エードには魔物の知識が豊富らしい。ただエンたちが疎すぎるだけかもしれないが、とにかく彼は基礎以上の知識を有していた。

 エードの提案で、この場は無理に刺激せずに通るということになった。
 慎重に進めば襲ってこないはずだ、と。
 しかし、その考えはあっさりと否定された。
 近づいた瞬間、巨大ドラキーは殺意の露にし、襲い掛かってきたのである。
「襲ってこないんじゃなかったのかよ!?」
「人間が来たのは久しぶりだから、興奮状態なのかもしれない!」
 大きな口で噛まれそうに、むしろ食われそうになったので慌てて身を低くしてそれを躱す。だが巨大ドラキーは喰らいつくのが目的ではなかったようだ。
 ィィイィィン…………。
 高い音と共に、急激に眠気が襲ってきた。
「し、しまっ……」
 最初に眠ってしまったのはエードだ。どうやら催眠効果のある音波らしい。
 それを瞬時に理解したエンは頭を振って眠気を払う。
「バーニングアックス!」
 あえて武器の名前を叫びながら召還することで眠気は完全に吹き飛んだ。
 ルイナも同じく鞭を召還している。さすがに叫ばなかったが、どうやら被害を被ることはなかったようだ。
「ルイナ、援護を!」
「……はい」
 彼女の武器は自分の意思で動かせるようで、鞭の水は枝分かれし、巨大ドラキーの羽を封じる。
「燃えろおぉぉ!」
 その言葉通り、エンのバーニングアックスが炎に包まれる。ファイマも使っていた『火炎斬り』である。炎戦士の『職』の力によって習得したものだ。
 炎を纏ったバーニングアックスの一撃を浴び、さらに追加効果として炎が斧の軌道から吹き荒れる。炎に対する耐性が低かったのか、巨大ドラキーはその一撃で地に沈んだ。
「ふぅ………」
 とりあえず、一難は去ったらしい。
「後はエードが起きるのを待つだけだな」
 強制睡眠はしばらくすれば回復するだろう。
「エン……さっきのこと、ですが」
「さっき?」
 エンの表情が少し険しくなった。氷河魔人とのことを思い出したからだ。
「何故すぐに、逃げなかった、のですか?」
「そりゃあ、どんな敵であろうと倒して……あ、いや、その……」
 エンが言い淀んだのは、ルイナが明らかに怒っていると解ったからだ。
 顔は無表情だが、感情がないわけではない。その辺り、エンは雰囲気だけでルイナのことが解る。そして彼女が怒っていることを、容易に理解した。
「あのままだと、死んで、いましたよ」
 ルイナの言う通りだ。あのままだと勝ち目は無く、魔物は容赦なくエンたちの命を奪っていただろう。
 エンは確かに、戦うようになってからの日数を考えると個人的には驚異的な強さだ。しかしそれは人間としてである。凶悪な魔物相手では、まだ弱い。だからこそ、冒険者は仲間を組むのだ。個人の強さを十として、魔物を二十として、仲間との連携で人は十を三十にも五十にも増やせる。
 だが、先ほどの戦闘はどうであったか。
 ぎくしゃくした仲間意識のせいか、連携らしい連携はできず、十の力が三人集まったとしてもせいぜい十五ぐらいだった。理由は簡単だ。
「共に行動する、と決まった以上は、仲間ですよ」
 エンは何気なく、まだ眠っているエードを見た。強制睡眠にかかったとはいえ、安心しているようにさえ見えた。それは、周囲を仲間を判断しているからだろう。それなのにエンは、心のどこかでエードを仲間と認めてはいなかったのだ。
「そうだな。悪い、なんかオレ、ぴりぴりしてたみたいだ」
 ヒアイ村ではそんなことなかった。皆が仲間であり、友であったのだ。異世界だからという妙な違和感は払拭しきれていないが、それでも同じ人間であることには変わりない。
 この場にいるのは、仲間なのだ。

 エードが目を覚ますと、呆けたように、疑いの眼差しをエンに向けた。それもそうだろう、先ほどの剣幕はどこへやら、エンは薄っすらと微笑んでいた。それは屈託無い、柔らかい笑顔だった。
「起きるのが遅かったなぁエード。もうドラキーは倒しちまったぜ」
「ふ、ふん。当たり前だ、ラリホーマさえ受けなければ、敵ではなかったのだ」
 ラリホーマというのは強制睡眠の魔法である。
 エードは最初は戸惑ったものの、いつも通りの口調に戻ったところを見ると案外理解が早いらしい。
 そして、洞窟を抜けると、そこは山の頂上だった。

次へ

戻る