-30章-
飲め!



 変わらない、むしろ下がっていくような気温。
「さ、ささ、さみぃぃ…………」
 今日で何度目になるかわからない訴えは、虚しくもただの言葉でしかない。
 山登りには自信があるが、雪山となるとそう簡単にいかない。これで吹雪ではないだけでも幸運だろう。
 そういえば、ロベルから聞いたが、今は夏らしい。これが夏であるはずがないとさえ、エンは思っている。なにせ、ヒアイ村の夏はとことん暑いのだ。
「うぅ、まさか夏に凍えるとはな」
 身を震わせながら、ロベルから貰った地図の方向へ進む。進んでいる道が正しいかは不安であるが。
 アショロでは雪が降っていたが、出発当日は運良く雪が止んでいた。それでもこの寒さだ。寒いのが苦手なエンとしては、間違った行動を取ったのではと思ってしまう。
 ルイナは相変わらず無表情だが、唇は紫に変色し、身震いしているあたり、そうとう寒いのだろう。
 死ぬ覚悟さえしたとき、一件の酒場が見えてきた。
「なんで、山の中に酒場があるんだ?」
 エルデルス山脈に住む者は武器仙人くらいのもので、ほかの人間がいるはずがない。
 だが、目の前にあるのは、間違いなく町にあるような普通の酒場だ。
 とりあえず、寒さを凌げるならなんでもいいので、中にはいる事にした。
「って、うわぁ……かなりいるなぁ…………」
 遠くを見る眼をしながら、ぼそりと呟いた。
 外の光景が信じられないほど、この酒場の人気は凄まじい。満席なのではと疑うほど賑やかだ。

「おぉエンではないか。一週間ぐらいかのぉ!」
 なんだか聞き覚えのある声だ。その声の主は、エンの予想した通り、ソルディング大会準決勝で当たった相手、魔法戦士の――
「ファイマ!? お前こんなところで何してんだ?」
 目開けているのか閉じているのか、とりあえず瞳の色すら確認できないほど細い目をした魔法戦士の名を呼んで、エンはふと思い出した。
「修行の旅に出るとかなんとかって……」
「師匠から呼び出しを受けたんじゃよ」
 今改めて見ると、彼は山彦の帽子はかぶっておらず、バンダナを巻いている。帽子はエンが譲り受けたのだが、今はルイナに渡してある。どうも似合わないからだ。それに、呪文の使用頻度はルイナのほうが高いからという合理的な理由もある。
「師匠?」
「お主も会いに来たんじゃろう? 武器仙人じゃよ」
 ……一瞬、間が開いた。
「え、えぇ!? お前の師匠が武器仙人でオレが会いにきたのが武器仙人でそしたらファイマがいてその仙人が師匠でぇぇ?!」
「落ち着かんか。コーヒーでも飲むか?」
「いらねぇよ!」
 とりあえず落ち着いたエンは、ここが目的地だったと確信する。
「……じゃあ何か? こいつら全員?」
「うむ。ワシの師匠に会いに来た者たちじゃ」
 全員ということは、それは相当の数になっている。
「お! オメェかい? ファイマを倒したってやつぁ?」
 先日、アショロでキラーパンサーに氷漬けにされた男よりもなお大きな男が話しかけてきた。
「お、おぅ。そうだけど」
 中々大きな身体に、少し圧倒され――というか、本当に少し押されているのだが。
「がっはっはっはっはっはぁ! いいねぇ、攻撃魔法をあまり使わなかったとはいえ、『魔界剣士』のファイマに勝つたぁ!!」
 豪快かつ大胆な笑い声を上げながら、その男は去って行った。なんだったんだ、というようにエンは額に浮かんでいた汗を拭った。
「……『魔界剣士』って何だ?」
 さっきの男が口にした言葉、ファイマは自分のことを『魔法戦士』と名乗っていたはずだ。
「フン。勝手に付けられた異名じゃよ」
 その名が気に食わないのか、憮然とした表情で本人は答えた。

「にしても、武器仙人ってやつも大変だなぁ。こんな人数と面会するのか?」
 身体を温めるため、一度は断ったコーヒーを頼み、口に運ぶ。砂糖でも入っているのか、苦味の中に仄かな甘味があり、そして身体が温まる。
「いや、とあるイベントを設けて、優秀者のみ面会するそうじゃ」
 同じくコーヒーを飲みながらファイマが答えた。なるほどそれならば人数も減るし、本当の強者のみが面会できる。
「ところでエンよ。お主、連れとはどうじゃ?」
「ルイナがどうかしたか」
「道中二人きりであったのだろう。何もなかったのか?」
 そう言って、ファイマはニヤリと笑う。何もないわけがない。いきなり変な劇の依頼は引き受けるし、決闘の賭け対象に勝手になるはで、苦労しっぱなしだ。さらには幾度か調合薬の実験台にまでされた。
「なぁ、聞いてくれよ……」
 その辺りを説明しようとしたとき、できれば二度と会いたくない相手が姿を現した。
「ケン! 何故このような所にいる?! ルイナさんお久しぶりです!!」
「オレはケンじゃない。エンだ!」
 反射的に言ったが、声に聞き覚えがあった。エンのことをケンと呼び、なおかつルイナのことを『さん』付けする人物は、今のところこの世界で他にいるはずがない。
「エード……お前どっから沸いてきやがった?」
「沸いて、だと……人を風呂みたいに言うな!」
「いや、そういう意味じゃなくてだな」
 貴族とは思えない発言に、少しエンもうろたえてしまった。
「おぉ、ポピュニュルペではないか」
「うわぁぁぁぁぁ!!! ファイマさん! それ禁句ですよーー!!!」
 よっぽど恥ずかしいのだろう。顔を真赤にして、今の言葉を打ち消すような大声を出す。
「ファイマ、お前エードのこと知ってんのか?」
「ファイマさん、ケンのことをご存知で?」
「オレはエンだ……」
 わざとやっているのか、それでも名前の訂正をしておく。
「エンはワシに勝った男で、エードはワシと師匠が出張に行った貴族の所の子供じゃよ」
 軽く説明し、互いに納得する。ファイマは、武器仙人の付添いという形でコリエード家へ赴いたことがある。その頃にポピュニュルペと出会い、親しくなったのだ。その時のことをファイマは思い出し、少し辛そうな表情を作った。それを見たのは、ルイナ一人だけだったが。

「ところで、明日のイベントは三人一組じゃ。頑張るのだぞ」
 からかうような笑みを浮かべ、先ほどの表情を打ち消した。ルイナはそれに気付いていたが、特に何も言わずに目を伏せた。
「ファイマ、お前組んでくれねぇか?」
 残念そうに言うが、ファイマはそんなことは気にもせずに説明する。
「ワシが審査員みたいなものじゃて。手を貸すわけにはいかんよ」
 そう言って、ファイマは奥の部屋へと入っていった。
「明日、か。最近、時間が無いよなぁ」
 ぼやくエンは、大会時は二回ほど遅れそうになったし、船にも実はギリギリの時間だった。そして今、休む間はたった一晩のみだ。
「時間がほしいぜ……」
 そう言うが、後になって無限とも思える悪夢の時間を体験するなどは、まだ知るはずがなかった。

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