-9章-
神界、始動



 そこはまさしく、雲の上の世界であった。
 清々しく、吸い込まれそうな青空が周囲に広がっている。
 それというのも、大地という大地が空に浮かんでいるのだ。
 もしここから落ちたりしたらどうなるか、誰も知らない。落ちるような者がいないうえ、落ちたとしても空に浮かぶ雲が密集し、助けてくれる。雲に乗れる、などと夢物語のようだが、この世界では当たり前のことであった。
 その世界で最も大きいのではないかと思われる豪華な城の中、玉座に座っていた男は、立ち上がった。
「みなの者、よく集まってくれた」
 鷹揚に頷き、微笑む。
 その笑みは慈悲に溢れたもので、平伏している者たちの心は緊張するどころか安らぎすら覚えた。
「顔を上げぬか。我々は、みな平等ぞ」
 その言葉に、頭を垂れていた者たちはゆっくりとだが顔を上げ立ち上がる。
「しかし、相手が最高神であれば当然でしょうに」
 そう言ったのは長い銀髪でほとんど顔が見えないほどの男である。いや、女性かもしれない。判別がつかないのはやはりその長い髪のせいで、声色もどっちとして取れるものだ。
「我等が集まった理由。察しはついておりますが、ぜひゼニス様からお聞かせ下さい」
 こちらは短く刈った白髪の老人で、その身に纏っている服装から僧侶の最高神官を彷彿させる。しかし、どちらかといえば最高神官の服装こそ、彼を彷彿させるものなのかもしれない。
 老人が口にした名――ゼニス。神界の王、ゼ二ス。

「みなが察している通り、人間界と魔界の件だ」
 ゼニスが切り出すと、やはりな、という雰囲気になった。それぞれが常日頃から思っていたことであり、むしろまだかまだかと待ち望んでいたことでもあったからだ。
 かつて、世界は一つであった。
 その頃のルビスフィアには三つの勢力があり、それが神族、魔族、人間たちだ。その三勢力の戦いは三界分戦と呼ばれ、それはその戦いにより世界が三つに分断されてしまったからである。即ち、元の世界である人間界(ルビスフィア)、神界、魔界の三つ。
 それ以来、それぞれの種族は互いに干渉することは滅多になくなっていた。
 だが、数千年の時を経るごとに、その状態は失われつつある。
「我々の役目は、三世界の秩序、そして均衡を保つこと。そのためには、本来ならば誰も他の世界に干渉してはならぬのだ」
 数年前、人間界に魔界の王が攻め入った。それを防ぐため、そして滅するために、神々の一族たる神界の者たちは、神器を通し、人間に力を貸し与えた。それがかつて勇者ロベルと魔王ジャルートの戦いである。
 本来なら、魔と神と人は同じ力を持っている。力の性質や相性が違うだけで、人間は魔族と互角に戦えるはずだ。だが、長年の平和のせいで人の力は衰えている。魔族を十としたら、人は三かそれ以下だ。それでも、神の力が加われば――。神器を通し、人に力を与えた時、三の力は数倍に膨れ上がる。
 勇者ロベルが魔王ジャルートを倒せたのも、その力があったからこそだ。
 この戦いで魔王が倒れることによって、この均衡の乱れは鎮圧できたかのように思えた。
 しかし、魔王は再び現れた。
 とはいえ、前のように手当たり次第に勢力の拡大や人間の社会に打撃を与えるようなことはせず、さながら影のように動き回り、そして魔界へと撤退して行った。
「魔王ジャルートは聖邪の宝珠を手にしてしまった。あれを悪用されるわけにはいかぬ」
 苦々しい言葉に、全員が頷く。
「そしてもう一つ。ルビスフィアの人間が四大精霊と協力し、魔界へと渡った。これは由々しき事態だ」
 ゼニスの言葉に、全体がざわついた。
「我々はあくまで間接的に世界の干渉を防いできた」
「だが、もうこのままにはしておけぬ」
「ここらで一つ、直接的な行動に出るわけか」
 この場にいる者たちが口々に言い、ゼニスは片手を挙げてそれを制す。
「皆が思っている通りだ。此度は、我々が直接出陣し、世界の干渉を起こす者――『均衡を乱す者』を討たなければならぬ」
 おぉ、と感嘆とも驚愕ともつかない声がそこかしこからあがった。
 神族は人間界へ神器を通して力を送ることができても、魔界となるとそれも難しい。討つべき相手が魔界へ行ってしまっているのだから、自らが乗り込むしかないのだ。
「均衡を乱す者とは……やはり?」
 一人の問うたことに、ゼニスは重々しく頷いた。
「魔王ジャルートはもちろんのこと、四大精霊の力を得た人間たち。この全てを無に帰すことこそ、再び均衡を取り戻す方法……」
 この瞬間――神界の神々は敵を認識した。
 それは、かつて戦っていた魔族の現王。
そして、四大精霊の力を手にした人間……。
「適任者は?」
「無論――」
 ゼニスの視線は一人の若者の姿をした神族に向けられた。
 他の者の視線も、その若者に向けられる。
 なるほど、と誰もが思っただろう。
 そして注目の的となっている彼も、大して驚くわけでもなく微笑を浮かべている。
「魔族と相対するのも、何千年ぶりになるだろうかな」
 その若者は自嘲気味に笑った。
「我々は神器を通したとしても、場所が魔界であれば力を貸すことはできぬだろうが……」
「問題は無い。魔王の首も、四大精霊の力を得た人間の首も、取ってきてやる」
 殺伐とした言葉を吐き捨てるように言って、若者は口をにまりとゆがめる。
「では、これより――ロトル=ディアティスを『討ち取る者』としての行動を許可する。兵団も貸し与えよう。魔界へ赴き、『均衡を乱す者』たちを討ち取って来い」

 ロトル=ディアティス。
 それは、三界分戦で人間の筆頭に立っていた勇者の名前だ。
 勇者ロベルの先祖であり、始まりの勇者、そして終わりの勇者とも呼ばれている。
 神界に身を置く彼は、動き出した――。


 その様子を、神殿ではない何処かで見る者の姿があった。
「ふぅん♪ やっぱり、大義名分を口実にこうなるかぁ。四大精霊の力を手に入れた人間たち、大丈夫かな? 敵は魔界の者だけじゃないってこと、教えようかな、どうしようかな?」
 その者は悩むというよりも面白がっていた。鎌を抱えた若者は、くすりと笑って、ゆっくり目を閉じる。
「教えないでおこう。そっちの方が楽しそう♪」
 鎌を抱えた若者――自らを『死神』と名乗る彼は、嬉しそうに言った。


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