-76章-
神々の視線



 イサたちは唖然としていた。
 神の眼によりリィダたちの姿を映し出すことができたかと思えば、見慣れない男がサウンを倒してしまったのだから。
 しかもその男がキラパンとリィダに変わったのだから、驚くなと言う方が無理な話だ。
「リィダ、ねぇ、リィダ! 聞こえる?!」
 キラパンの上でぐったりしているリィダは、やられてしまったのかと思ってしまうようにも見えた。
 キラパンがイサの声に気付いたのか、辺りをきょときょと見回し、やがて視線がイサたちに向いた。
「キラパン! リィダは無事なの?」
 イサの声は聞こえているようなので問いかけてみたが、キラパンの声はリィダかホイミンしか分からない。
 だが神の眼から通じて見えるキラパンの表情は優しそうに見え、心配するなと言われているようだった。
「無事、なのね……」
 リィダの無事が確認でき、イサは安堵の息を漏らした。
 キラパンはサウンに近寄り、彼が持っていた仮面を器用に咥えて引きはがした。
 それと同時に、神の眼が眩い光に包まれる。
「何が起きているの」
 鏡の先が何も見えないほど一際輝いたかと思うと、あっさり光は消え去った。
 映っていたキラパンたちの姿がない。
「あ? どこだここ?=v
「キラパン! リィダ!」
 神の眼で見通す先ではなく、イサたちと同じ場所に現れたのだ。
 仮面の魔道士の魔力が引き寄せたのだろう。
「サウン!!」
 倒れているサウンも同時にこの場に現れていた。さすがに『ブレイク・ペガサス』の二人が駆け寄る。
 サウンは既に物言わぬ屍と化していた。
「サウン……どうしてあんな事を」
「ずっと、考えていたのかな。結界魔道士として幸せになる方法……」
 その方法はあまりにも多くの被害を出してしまう。それに手を出そうとした報いなのだろうか。
「……『風雨凛翔』。君たちには、すまないと思っている」
 もともと仮面の魔道士の件は『ブレイク・ペガサス』が請け負っていた仕事だ。それなのに、仮面の魔道士を止めたのはセナスであり、サウンは暴走してリィダを危険にさらした。
 仮面から感じられる魔力はなくなっており、どうやらサウンを倒したあの男の一撃で消え去ったようだった。
「だが、ありがとう。これで僕たちの仮面の魔道士の一件は片付いた。ベンガーナに戻って報告するよ」
 さらわれた吟遊詩人たちは戻り、仮面の魔道士の脅威は去った。
「私たちのこと……」
「あぁ、深くは報告しないよ」
 今の情勢でイサたちのことが報告されるとあまりよくない。ツバサだったら上手く配慮してくれるだろう。
「セナスとシャミーユさんはどうするの?」
「私は、お姉ちゃんを探すのが目的だったから、その目的叶っちゃったし……どうしよう?」
 セナスはこんなところで姉が見つかるとは思っていなかったらしい。
 それに、セナスは旅の目的として姉を探すこととしていたが、誰にも話していない目的がある。占いばばが見たという、世界を破滅に導く存在。かつて北大陸最強の名を得た冒険者チーム『炎水龍具』を探し出すことだ。
「私はツバサと一緒にベンガーナへ行くわ。セナス、あなたも来なさい」
 黙ってしまったセナスに対して、行き先を考えていないと思ったのか、シャミーユが提案した。
「いいの?」
「ボクは構わないよ」
 ツバサは答えて横のジェットを見た。
「リーダーに従うよ」
 むしろオレ邪魔じゃねぇ?と言いたげに肩を竦めた。
「じゃあまずここから出ないとね」
 他の話はそれからだ、ということになったのだが。

 ――ィィィィィン

 全員が奇妙な耳鳴りを感じた。
「今度は何?!」
 シャミーユの操作から離れ、機能を停止していた神の眼が作動している。
 音は、そこから発せられていた。
「どうしたの?」
 イサはシャミーユの方を見たが、彼女は首を横に振った。
「私じゃない!」
 神の眼が勝手に動作している。
 シャミーユにも分からなかった。仮面の魔道士だった頃に、このようなことは一度もなかったのだから。
 やがて、神の眼は不安定に何かを映し出し始めた。
 先ほどとは違い、映像が途切れたり、ザ、ザザと異音が混じったりしている。
「これは……?」
 一度、荘厳な城を映し出した。人間界に存在するどのような城よりも立派と言える城。イサはウィード城を誇りにはしているが、そこに映る城には負けを認めてしまうほどの壮麗さを持っている。
 映像が更に切り替わる。その城の全貌から、上部の半分に。上部の半分から更に一部に。
 そしてまたがらりと変わる。見えにくいものの、一部の部屋を映し出している。それは間違いない。
 白で強調された部屋。清潔感に溢れている。
 その部屋でテーブルを囲む者たちがいる。
 多くの者たちは困り顔で、一人の男を見ていた。彼が何かを発言するのを待っているようだ。

「それでは、決断しよう」
 男はそう切り出した。
 それに反応して、周りの者たちがざわめく。
 ――ついに決まるのか
 ――やはり
 小声でやり取りされる内容からすると、そこにいる者たちはある程度の予想がついているらしい。
「三つの世界の均衡を壊す者たち、その討伐を命じた英雄ロトルでさえ、我々を裏切った」
 その名前にびくりとしたのは、何もそこにいる者たちだけではない。イサとラグドも激しく動揺した。
「今、彼は『インフィニティア』ごと、封印牢に閉じ込めている。あの膨大な魔力は危険だからな」
 ロトルはあの戦いの後、姿を消した。何の音沙汰もなく、世界は平穏が続き、そのことに不安が募ったが、彼が動かない理由が分かった。動きがないというより、動けなくなっていたのだ。
「二度と、このような事が起きないためにも、我々は三世界の均衡をあえて崩そう。神の力、人の力、魔の力。この三つが絡み合い生まれてしまう『インフィニティア』。それを生み出さないようにするためには、三つのうち一つが欠落してしまえばいい。魔界を攻めるのはここからでは難しい。故に――」
 その続きは、イサたちだけではない。神の眼を通してそれを見ていた人間全員が戦慄した。
「故に、『人間界』を滅ぼす事とする!」
 男の発言に賛同の意を表明するために、周りの者たちが拍手を送る。
 ――最高神ゼニス様の決定だ
 ――人間界が眠りにつかんことを
 ――この世界に必要なのは我らが世界のみ
「どういうこと?!」
 イサたちの声は聞こえていないのだろう。向こう側へ繋がっていようものなら掴みかかりそうな勢いのイサに反応する気配がない。
「ふにゃ、あれ? どうしたんすか?」
 イサの声で、というわけではないかもしれないが、リィダが目を覚ました。
「あれ? なんで、神界がうつっているんすか?」
「……え?」
 寝ぼけ眼のリィダがさも当然のように言ったので、危うく聞き逃すところだった。
「神界……。これが?!」
 神の眼が映し出す光景とリィダを交互に見た。いきなりそんなことを言われても、にわかには信じがたい。
「リィダよ、何故ここが神界だと断定できる?」
 と、ラグドが聞いた。
 リィダは目を何度か瞬かせて、ようやく意識がはっきりしてきたらしい。
「えーと? なんでっすかね?」
 自分でも分かっていないようだ。確たる証拠もなかったが、リィダは見ただけで神界かどうかを見極めた。
「その右眼で見たからじゃねぇか=v
 そう言ったのはキラパンだ。
「ふぇ、あー、そうか。そうかもしれねぇっす」
 キラパンの言葉にリィダは納得したが、この場でキラパンの言葉が解かるのは彼女だけだ。
「キラパン、なんて言ったの?」
「この右眼で見たからじゃないか、って」
 仮面の魔道士の魔力が篭った右眼。三界分戦の頃から存在し続けた魔力が、今見えているものをリィダに教えてくれた。
 しかし、これが神界ならば、それはそれで由々しき問題だ。
 神々が住まう神界の決定事項。それが人間界を滅ぼすということならば、今にもこの世界が破滅するのではないだろうか。

 ――しかしどうやって?

 神の眼は未だに神界の様子を映し出しており、そこから聞こえてきた言葉に誰もが反応した。
「ロトル一人でさえ、世界を自由に行き来させるためにかなりの力を費やした。人間界を滅ぼすとなると、我々の多くが攻め入らなければなるまい」
 いくら人間界を滅ぼすことを決めたとしても、その手段がないのか。まだすぐに危機が訪れるわけではないかもしれない、という希望的観測を、ゼニスの言葉は踏みにじった。
「マナスティス・ゼニス。その魔法が人間界で発動されれば、そこを中心に我らの力は届く。そして、その魔法は間もなく発動するだろう。その準備は既に完了している」
 おぉ、と周囲の者たちが感嘆の息と共に震えた。
 神の眼を通して見ていたイサたちは、戦慄と共に震えた。
 マナスティスという魔法は、よく知っている。とは言っても、正確には違う名前のマナスティスだ。東大陸(ルームロイ)のエシルリムで遭遇した究極魔法、マナスティス・ムグル。一度ならず二度までもエシルリムを滅亡の危機に陥れた魔法だ。
 マナスティス・ムグルとは違い、ゼニスという名前を冠しているとはいえ、良心的なものとは思えない。
 それだけではなく、その魔法が発動されることになれば、神々が人間界に攻め込んでくるのだ。
 言い知れない恐怖を煽るかのように、神の眼の映像は薄れていく。
 そして今度は、先ほどとは異なる光景を映し出し始めた。


 どこかの室内であるのだろうが、映る人物は一人だけだ。
 まだ若いが、整った顔立ちは美男子と呼んでも差し支えない。
 儀礼服で身を包んでいるその男は、決意を固め、今から未知なる世界へ旅立たんとする若者の表情そのものだ。
「本日から初めてのお勤めですね」
 映し出されている光景の外から柔らかい女性の声がかかる。声に振り返った若者は、声の主の姿を認めると嬉しそうな顔をした。
「やあ、まだ緊張しているよ。しっかりできるのかな、って」
 そう言った彼の傍にやってきた女性は、彼と同年代だろうか。神官服を着た彼女は、どことなく嬉しそうだ。
「あなたは『法賢者』を継ぎ、あらゆる悪を裁いて行くのです。もっと自信を持ってください」
 その女性に言われて、男は大きく頷いた。
「『法賢者』が下す裁きは絶対。それがこの国のルール……まあ、大体の結果は既に決まっているのだけどね」
 裁判において『法賢者』は最終承認という立場なだけだ。決まりきっている判決を喋れば良い。それだけだ。
 それだけの、はずだった。
 いやむしろ、それだけだったからこそ、なのかもしれない。

 神の眼の映像がまた切り替わる。

 先ほどの『法賢者』となった若者が、少し歳を重ねた姿で映し出された。
 『法賢者』としての役割を全うし、慣れも出てきた頃合いだろうか。
 いつものように、決まりきった判決に最終審判を下し、裁判を終わらせる。それだけで、王族にも引けを取らない贅沢な暮らしができる。周りは『法賢者』の機嫌を取ろうと、必死に尽くそうとしてくる。これほど楽なものはない。
 そう、いつものように、扉を開け、入場し、裁判が始まり、既に負けが決まっている人間の顔を一瞥して、最後に判決を言い渡せば――。
 そこで、『法賢者』なる者の瞳が、驚愕によって大きく見開かれた。
 負けが決まっている者。今から敗北の人生を歩む者。せいぜい一目見てやっておこう、というのが習慣であった。
 それとも、自分が勝者の方を間違えて見ているのかとさえ思った。思いたかった。
 だが違う。そこに佇む者こそが、この裁判により死と等しい処罰を受ける者だ。
 そこに、彼女の姿があった。『法賢者』となったあの日、優しく声をかけてくれた彼女の姿が。
 有り得ない。その言葉だけが頭の中をぐるぐると回っている。
 しかし『法賢者』の思惑とは別に裁判は進んで行く。
 この時代――とは言ってもただ見せられているイサたちは年代など知る由もないのだが――、冤罪による裁判が横行していた。まだ『法賢者』とは名ばかりの、最終承認という立場でしかなく、傀儡の権力者も同然であった。
 まだ若い『法賢者』は、安寧と彼女を秤にかける事となった。
 予定通りであれば、彼女が敗者として終わる。だが、それを最後に承認するのは『法賢者』だ。自分が否と唱えれば、そのようになる。しかし、予定外の判決を下せば、信頼は失われ今の地位が脅かされてしまう。
 今までは言われた通りにしてきた。それ以外の行動を取れば、すぐに『法賢者』の名を剥奪され、貧民層で暮らすことになるからだ。
 裁判は更に進む。
 貧民層で暮らすという屈辱は死んでも嫌だ。だからと言って死にたくない。
 ならばどうする。彼女を助けたい。彼女は明らかに不当な冤罪により罪を問われているのだ。だがこの場では彼女が負けなければいけない。
 だから。だが。だから。だが。しかし。
 そして、最後の判決となった。
「……」
 『法賢者』は一瞬、言葉に詰まった。彼女がこちらを向く。助けて、と目で訴えている。
 助けたい。助けたい。助けたい。しかしその代償が『法賢者』でなくなるどころか、貧民層で侮蔑の視線を投げられる毎日なのだ。
「――」
 『法賢者』は、判決を言い渡した。

 その時の、彼女の絶望に染まった蒼白の顔を、忘れることができなかった。
 『法賢者』の地位は守られたのだ。
 だが、それでも悔しかった。悔しいと思う事すらおこがましいと思ったが、悔やまずにいられなかった。
 それからだろう。『法賢者』は権力に貪欲になった。
 もっと偉く。もっと強く。己の発言が全てであるように。
 『法賢者』の言葉で、黒でも白になり、白でも黒になるように。
 誰もが『法賢者』を畏れるほどに。
 やがてそれは現実のものとなり、彼の地位を脅かす存在すらも超越した権力を得るに至った。
 今や、王ですら『法賢者』には逆らえない。
 だが足りない。
 もっと。もっとだ。
 もっと力を。過去をやり直させろと命じれば、時の精霊すらも従うほどの力を。
 そして、あの頃の裁判をやり直し、彼女の命を救わせろ。
 そのような想いが、『法賢者』の胸中にあった。
 だからだろう。その言葉を聞いた時、その目的以外に見えなくなってしまったのは。

 ――汝、神の力を欲するか

 どこからともなく聞こえた荘厳な声は、その国で神を気取っていた『法賢者』さえも膝を折るほどだった。
「私は欲しい。神となりて、全てを創造できるほどの力を」

 ――ならば唱えよ。マナスティス・ゼニスを。さすれば、汝の声は神の声となり、汝の耳は神の耳となり、汝の眼は神の眼となろう

 その声は、悪魔よりも黒く見え、地獄の業火よりも熱く聞こえ、天使が持つ蜜よりも甘い汁となって『法賢者』に入り込んできた。
 声は教える。マナスティス・ゼニスの入手法を。
 『法賢者』の権力を持ってすれば、不可能ではない。
 そしてその魔法を唱えるための舞台。そのシナリオさえも声は語った。まるで、未来を見通しているかのように。
 まるで、本物の神であるかのように。
 否、本物の神なのだ。
 だが、その真意は隠されたままだった。
 神の真意。マナスティス・ゼニスを通じ、人間界を滅ぼす。神はその準備を遠い昔から始めていた。
 そのことは伏せられたまま。『法賢者』は信じ込んだ。


 映像が消える。
 神の眼が自動的に見せていた映像は、そこで途切れていた。
「ちょっと、この先はどうなったの?!」
 肝心な所がまだ見えていない。マナスティス・ゼニスは、既に発動してしまったのだろうか。
 見えていた映像が真実ならば、マナスティス・ゼニスの発動は阻止しなければならない。
「リィダ、今の場所、わかる?」
 映像で見えていたのは、どこかの建物ということでしかない。神の権力を得ようとした者が、まずどこにいるのかさえイサたちにとってはあやふやだったのだ。リィダの目には、今や超常的な力が宿っている。映像を通して、神界だということさえ見通したのだ。
「あれ、ストルードっす」
 リィダが口にした中央大陸の有名国家の名を、知らない者はいない。それほど有名であるし、何よりエンたち『炎水龍具』の一員、エードの故郷だ。
「今からストルードに行って、止めないと!」
 逸るイサの肩を、ラグドが抑えた。
「落ち着いてください。ストルードというだけでは手掛かりが少なすぎます」
 ストルード国は広い。どこを探せばよいのか分からないまま突っ込んでも無意味だ。
 ラグドは『ブレイク・ペガサス』の面々を見やった。
「ストルードへ行った経験は?」
「残念ながら。サウンだったらもしかしたら、行った事があったかもしれないけど」
 既に絶命した仲間を見やって、ツバサは歯噛みした。サウンが仮面の魔道士の魔力に魅入られなければ、まだ打つ手はあったかもしれないのだ。
 何か別の手は。
 そう考えた時である。
「面白いことを教えてあげよう♪」
 とても、嬉しそうに。とても無邪気に。しかしとても悪辣に。
 その声は響いた。
 『風雨凛翔』のメンバーでも、『ブレイク・ペガサス』のメンバーでも、ましてやセナスとシャミーユの声でもない。
 人を小馬鹿にしたような声は、しかし『風雨凛翔』のメンバーには聞き覚えがあった。
 どこからともなく、いつの間にかその青年はそこにいた。
 大きな鎌を持った――。
「死神……!」
 幾度となくイサたちの前に現れた死神。いつものように人を小馬鹿にしたような笑みでそこに立っている。
 唐突な闖入者に『ブレイク・ペガサス』は呆気に取られたが、『風雨凛翔』にとってはまたか、というもの。
 死神が現れた理由を尋ねるより先に、彼の声がイサたちの思考を遮った。
「ストルードに、マナスティス・ゼニスの魔書が持ち込まれた」
 彼の一言は、イサたちを絶句させるには充分だった。
 今先ほどの映像通り、神界の計画が進行している。このままだと、神界の神々が人間界に攻め入ってくるというのか。
 マナスティス・ゼニスはまだ持ち込まれただけで、発動はしていないかもしれない。
 ならば、その発動を阻止しなければならない。かつて、エシルリムでマダンテ・ギガ・ムグルが発動するのを阻止したように。
 しかしどうやって止めればいい。今のイサたちにストルードへ渡る手段はない。転移呪文(ルーラ)一度行った場所にしか使えない。
 どこにでも行ける魔法があったら。そんなもの、あるはずが――。
 ふと、イサは一つの考えが浮かんだ。否、『風雨凛翔』のメンバーは、リィダを除きその考えに至った。
「死神……あなたにお願いがあるの。私たちをストルードへ連れて行って」
 目の前の存在。いつも唐突に現れる彼は、時すらも越えていた。ならば、ストルードにでも行けるのではないか。行けるはずだ。そう思ったからこそ、イサは願い出た。
 死神はイサの申し出に、クク、と笑った。
「おやまぁ、いいのかい? 死神がお願いする時は、人間の魂を食らうっていうのが相場じゃないか。『神風の王女』、君の命と引き換えにしたいのか」
 本気とも冗談とも思えない口調だったが、それに対するイサは冷静のままだ。
「あなた、自分が面白そうだと思う方向に駒を進めるタイプでしょう。私が死んだら、その駒が一つなくなるわよ?」
 死神の笑みの種類が変わる。見た目は何一つ変わっていないのに、雰囲気はがらりと変わった。
「なるほどね。確かに君を失いたくない。でも、だからと言って、言われるままにほいほい叶えるのは癪だなぁ」
 言って、死神は顎に手をやり、少し考えるような素振りを見せた。道化じみた動作は、いちいち人を小馬鹿にするようなものだったが、イサには分かった。死神は既にどうしようか決めている。それを勿体つけているだけだ。
 だから、イサはただ待った。そのイサの態度に気付いたのか、死神はやれやれと首を振った。
「もちろんストルードに一瞬に行くことは簡単さ。でも、君たちは連れて行かない。連れて行くのは、それだ」
 死神が指差した方向には、沈黙した『神の眼』がある。
 怪訝そうな顔をしたイサが再び死神の方を向くと、彼はいつも通り楽しそうな笑みを張り付けている。
「今、ストルードには『炎の精霊』君と、『水の精霊』ちゃんがいる」
 その一言だけで、イサは、というより『風雨凛翔』は希望を持てた感じがした。
「『神の眼』の力を、ピンポイントで彼らの目の前に出現させてあげよう。そこから先には、君達に任せるよ」
 それで充分だ。そう思ったが、死神は不安を募らせる一言を発した。
「まあでも、そこの『神の眼』も無茶したみたいだからもうすぐ壊れるかもしれないけど」
 自動的に起動した『神の眼』。本来なら指定した場所の映像を見ることしかできないはずだが、声を送ることができる改造が加えられた上、自動起動で世界や時間を超えた映像を流した。本来の機能以上のことが立て続けに起こり、不安定になっているという。
 それでもやるしかない。
「わかった。お願い」
 イサの言葉に、死神は満足したように頷いた。

 死神が姿を消して数分も経たず、再び『神の眼』が起動した。
 今までと違い、鮮明な映像は流れず、しかし遠くの景色を映し出していることは理解できた。
 薄らと人影が見える。ぼやけて見えないが、なんとかくエンたちだと分かった。
「エン! 聞こえる!? 返事をして、ルイナ、エン!」
 音は届くはずとイサが声を張り上げる。
「―の声……イサ―!」
 イサの声に反応があった。聞こえている。
「繋がったの?」
 少し音声はぶつ切りになっているが、多少の会話はできるはずだ。
「今、ストルードにいるんだよね?!」
「あぁ、そうだ」
 エンの声も明瞭になっている。だが、事情を伝えるより先に、『神の眼』に大きな亀裂が走った。このままでは割れてしまう。この会話がいつまで続けられるかわかったものではない。エンたちの姿が明瞭となっていくのと比例して、『神の眼』の損傷は激しくなる。
 事情を説明する暇はない。事実だけを伝えなければ。
「お願い! そこの国に持ち込まれた魔書『マナスティス・ゼニス』の発動を止めて!」
「え、それ」
 エンが言葉を返そうとしたが、『神の眼』は目に見えて限界に達している。
 エンの言葉を待っている暇はない。
「そうしないと、人間界(ルビスフィア)が、滅んじゃう!!」
 言い切ると同時に、『神の眼』が砕けた。
 最後の言葉が届いたかどうかはわからない。
 できることはやった。エンたちが上手く動いてくれることを祈るしかない。
 『神の眼』が砕けてしまったことが惜しくもあり、すぐに言葉を発することができず、沈黙がこの場を支配した。
 沈黙を破ったのはイサだ。
「私たちもストルードに行きましょう」
 ここでじっとしているより、エン達と合流したほうが良さそうだ。
 ラグドも同じ判断だったらしく、異は唱えない。
「セナス、どうしたの?」
 ストルードへ行くための考えに移行するより早く、シャミーユの心配そうな声がそれを遮った。
「セナス?」
 イサも彼女の顔を見て驚いた。
 セナスは驚くほど顔が青ざめており、まるで死病にでもかかったようだ。呼ばれたことにも気が付いていないのか、砕けた『神の眼』を――もっと言えば、先ほどまでエンたちの姿が見えていた場所を凝視している。そこに、再び先ほどの映像が映り、映った内容が間違いであったと言わんばかりに。
「セナス!」
 姉に揺さ振られて、ようやくセナスは呼ばれていたことに気付いた。
「お姉、ちゃん……」
「一体どうしたの?」
 姉の声で多少は落ち着いたのだろうが、それでもセナスは自分でどう言えばいいのかわからない様子だ。
 それでも言わなければならない。言わないと、取り返しがつかない。そんな覚悟をしたような顔つきになった。
「お姉ちゃんを探すために、私が弟子入りしていた占い師がいるの」
 とにかく一つ一つ言っていこう。かいつまんで話すように組み立てるには、今は混乱しすぎている。
 占い師が三界分戦の遺産を使って本当に未来を見ていた事。
 その遺産が、今の『神の眼』のように自動起動し、破滅の未来を見せた事。
 こんな世界を破壊する奴は誰だと占い師が怒鳴ると、『炎水龍具』のリーダー、エンを映し出した事。
 姉を探す事を表向きの目的とし、セナスはそのエンを探していた事。
 そして見てしまった。『神の眼』が見せた、訪れるかもしれない脅威。
「本当に、世界は破滅するのかも……」
 セナスは震えながらそう言った。
 そんなことがあるはずがない、とは誰もいない。
 それでも。
「まだ破滅したわけじゃない。まだ、打つ手はあるはずよ」
 イサはセナスに、そして自分自身に言い聞かせる。
 不安で押し潰されそうになるのは、みんな同じだった。


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